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灰色帝都の紅い死鬼  作者: 平田やすひろ
媼主の速贄
120/153

-媼主の速贄- 10

 幹久に言われるまま、恭一郎は車に乗せられ、警察署の前で下ろされた。


 すれ違う警官や、事務員らしい背広姿の人々にジロジロと見られ、恭一郎は引っ立てられたチンピラの気分になる。


 まさか、不法侵入で警察に突き出されるのかと不安に思ったが、幹久は警察署の隣にある一軒家へと進んで行った。



「恭一郎さん、コチラです」



 幹久にうながされて入った家は、小さな診療所であった。


 扉を開けると同時に、チリンとベルの音が鳴り、衝立(ついたて)の向こう側から、ひょっこりと白衣を着た細身の男性が顔を出す。


 精悍(せいかん)な顔立ちであったが、柔和(にゅうわ)な笑みが、温和な人柄を思わせた。



「あら、幹久」



実篤(さねあつ)、やってる?」



「昼休みに入ってるけど、いいわよ」



 実篤と呼ばれた男性は、手際よく診察室の扉を開けると、中に入って行った。


 恭一郎が、警察署の前で降りた時よりも、一層不安そうな顔をした為、幹久は咳払(せきばら)いする。



「・・・実篤は、心が女性なんです」



「・・・え・・・え?」



 幹久が診察室に入って行った為、恭一郎も慌てて付いて行った。


 すると、ニコニコと愛想よく、実篤が二人を笑顔で迎える。



「どうぞ」



 恭一郎は、丸椅子に座ると、血濡れた指先を見せた。


 それを見た実篤は、怪訝(けげん)な顔で恭一郎に問い掛ける。



「これ、自分でワザと切ったでしょ?」



 その言葉と同時に、背後から尋常じゃない威圧感が迫り、恭一郎は寒気を覚えた。


 シベリアでも、ココまで近距離で、背後に恐怖を覚えたことはない。


 蒼白となった恭一郎を見て、実篤は、おかしそうに笑い出した。



「幹久、金剛(こんごう)力士(りきし)みたいな顔よ?」



「僕は(しゅ)金剛神(こんごうしん)の方がいいんだけど」



「ゴメンなさい、アナタの博識についてけないわ」



 幹久が、かすかに吹き出して笑うと、恭一郎は密かに安堵(あんど)した。


 そんな恭一郎の心境に気が付いたのか、実篤は、更におかしそうに笑う。



「見た目ほど深い傷じゃないから、許してあげなさいよ。友達がドン引いてるわよ」



「友達じゃなくて恩人だよ」



「じゃあ、その恩人に嫌われないよう、ホドホドにね」



 そんな事を言っている間に、実篤は処置を終えて、包帯の(はし)を織り込んだ。


 (かがみ)診療所での塩辛い対応を思うと、医者に掛かっているのに気持ちが軽いと、恭一郎は密かに思う。



「はい、終わり!幹久、これから署に戻るの?」



「いや・・・大宮(おおみや)御所(ごしょ)に、すぐに戻らないといけない」



「もう何もないでしょ、あの辺」



(つめ)(あか)一つでもないかを確認するのが、僕の仕事だから」



 すると、幹久は恭一郎に向き直り、軽く会釈(えしゃく)した。


 どこか威圧感のある雰囲気ではあったが、いくらか先程よりは穏やかな表情となっている。



「恭一郎さん。僕は途中で抜けて来たので、先に失礼します。先程の車に戻れば、駅まで送ってくれますので」



「いや・・・でも、幹久」



「犬飼さんには、もう会わないで下さい。むやみに関わると、夢彦さんの二の舞を踏みますので」



「だが、東雲(しののめ)難儀(なんぎ)してて、犬飼に頼み事をして来たと聞いたぞ」



 幹久は眉根を寄せた。


 恭一郎から視線をそらし、小さく(うな)る。



「彼女のことは、(あるじ)である僕が、責任をもって対処します。恭一郎さんの出る幕ではありません」



「・・・そうだが、この焼け野原で、屋敷の留守を任せる気か?」



「彼女は望んでコチラに残っています。僕も、疎開(そかい)するようにうながしたのですが・・・」



「犬飼はともかく、東雲は女だぞ。不在中に何かあったらどうする?」



「・・・・・・」



「俺からも、疎開するように話をする。だから、話すだけでも許してくれないか?」



「・・・勝手にして下さい」



 幹久は恭一郎を(にら)みつけると、診療所の玄関へと歩いて行き、荒々しく扉を開けた。


 閉じられた扉はバタンと大きな音を立て、ベルが警鐘のように不穏な音を奏でる。


 恭一郎が溜息をつくと、実篤が小さく笑った。



「ご乱心ね」



「・・・殺されるかと思った」



 実篤が、こらえるように笑いだすと、恭一郎は眉間にシワを寄せた。


 ただ、今日、自分に向けられた笑顔の中では、一番毒がない。



「自分の(いた)らなさを感じてイラついてるだけよ。アナタを怒ってるワケじゃない」



「―――」



「それに、仕事の最中(さいちゅう)だったんでしょうね。気が立っていたのよ」



「さっき、署に戻ると言ってたが・・・幹久は警察なのか?」



 実篤は、(きょ)をつかれたような顔を浮かべた。


 しかし、何か思い至ったのか、息をつくように小さく笑う。



「あぁ、それでね」



「・・・何がだ?」



「幹久は、アナタに、今の自分を知られて欲しくなかったのよ」



 すると、実篤は、やんわりとした笑みを浮かべた。


 幹久に対して気まずいのか、ほんの少し、困ったように眉を寄せる。



「幹久は、特高(とっこう)の保安課に所属してるの」



「―――!?」



「さっき、話に出てた夢彦って人。彼が釈放されたのは、幹久のおかげよ」



「―――」



「周りを説得するのに、かなり苦労したらしくて・・・お姉さんに引き渡した後、精根尽き果てたって顔してたわ」



 実篤は、当時を思い出し、苦笑いを浮かべた。


 そして、小さく溜息をつき、イスに深く座り直す。



「アナタの知り合いを仲間がボコったんで、嫌われると思って不安だったのよ」



「・・・肩書きが何であれ、幹久は幹久なのにな」



 実篤は、きょとんとした顔を恭一郎に向けた。


 その不思議そうな視線に、恭一郎は首をかしげる。



「なにか?」



「いえ、今まで知らなかった割に、すんなり受け入れられるんだなぁと思って」



「・・・たしかに手荒な奴はいるらしいが、特高といっても、警察に変わりないだろ」



「まぁ、そうだけど。両親に野蛮だとか言われて、猛反対されたらしいわよ」



 恭一郎は深く溜息をつくと、組んでいた自分の手元を見つめた。


 その伏せた眼差しを、実篤は静観する。



「・・・幹久は、平穏な日々を取り戻したいだけだ」



「―――」



「俺は昔、シベリアに出兵した・・・だから、内戦の悲惨さは・・・身に染みてる」



 恭一郎は顔を上げると、南風に揺れるカーテンを眺めた。


 外の日差しをまとって、ドレスのようにふんわりと膨らむと、室内が、かすかに明るくなる。



「日本人同士の殺し合いなんか・・・絶対に見たくない。しかも、連合軍との本土決戦がいよいよだっていう時期に、日本が反政府組織と内戦を始めたら、両成敗されて大敗する」



「そうよね・・・」



「色んな意見があるのは知っているが・・・俺は、幹久の仕事は、今の日本に必要なんじゃないかと思う・・・ただ、幹久は俺よりも先見(せんけん)(めい)があるから、何か・・・大きな目的があって、特高になったんじゃないか?」



 実篤は、目を見開いた。


 あまりの驚きように、恭一郎は、いぶかし気に見つめ返す。



「アナタ・・・すごいわね」



「え?」



「幹久の事、よく分かってる。犬飼って人も、ズバズバ物事を言い当てるけど、アナタの方が品があるわ」



「あの男は、皆から嫌われてるな・・・」



「あの人、カタギじゃない人と繋がりがあるから」



「あぁ・・・警察の幹久としては、あまり関わって欲しくないのか」



「それにアナタ、シベリアに行ったんでしょ?そうなると、他の人よりアカの嫌疑を掛けられやすいじゃない」



「そうか・・・下手すると、俺も引っ立てられて尋問されるな」



「そういう事」



 実篤は立ち上がると、窓辺にたたずみ、恭一郎の方へと振り返った。


 カーテンが背を撫でると、くすぐったそうな笑みを浮かべる。


 すると、実篤の背後から、何か小さな影が、翼を広げて実篤の肩へと飛び乗った。



 オナガであった。



 頭部は濃い紺色で、尾羽は長く青みがかっている。


 鳩よりは小さく見えたが、長い尾羽の分、スズメやムクドリよりは大きく見えた。


 オナガは、実篤の肩に行儀よく座ると、キュイッと短く鳴く。



「ねぇ、もし・・・幹久を本当に気に掛けてくれてるなら、遠慮なく助けてやってくれる?」



「―――」



「平穏な日々なんて・・・・・・・この世で一番難しい問題でしょ?」



 実篤は口元をほころばせ、穏やかな眼差しを恭一郎に向けた。


 しかし、肩に止まったオナガは、自分の無力さを嘆くように、甲高い声で鳴いていたのであった。

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