-媼主の速贄- 10
幹久に言われるまま、恭一郎は車に乗せられ、警察署の前で下ろされた。
すれ違う警官や、事務員らしい背広姿の人々にジロジロと見られ、恭一郎は引っ立てられたチンピラの気分になる。
まさか、不法侵入で警察に突き出されるのかと不安に思ったが、幹久は警察署の隣にある一軒家へと進んで行った。
「恭一郎さん、コチラです」
幹久にうながされて入った家は、小さな診療所であった。
扉を開けると同時に、チリンとベルの音が鳴り、衝立の向こう側から、ひょっこりと白衣を着た細身の男性が顔を出す。
精悍な顔立ちであったが、柔和な笑みが、温和な人柄を思わせた。
「あら、幹久」
「実篤、やってる?」
「昼休みに入ってるけど、いいわよ」
実篤と呼ばれた男性は、手際よく診察室の扉を開けると、中に入って行った。
恭一郎が、警察署の前で降りた時よりも、一層不安そうな顔をした為、幹久は咳払いする。
「・・・実篤は、心が女性なんです」
「・・・え・・・え?」
幹久が診察室に入って行った為、恭一郎も慌てて付いて行った。
すると、ニコニコと愛想よく、実篤が二人を笑顔で迎える。
「どうぞ」
恭一郎は、丸椅子に座ると、血濡れた指先を見せた。
それを見た実篤は、怪訝な顔で恭一郎に問い掛ける。
「これ、自分でワザと切ったでしょ?」
その言葉と同時に、背後から尋常じゃない威圧感が迫り、恭一郎は寒気を覚えた。
シベリアでも、ココまで近距離で、背後に恐怖を覚えたことはない。
蒼白となった恭一郎を見て、実篤は、おかしそうに笑い出した。
「幹久、金剛力士みたいな顔よ?」
「僕は執金剛神の方がいいんだけど」
「ゴメンなさい、アナタの博識についてけないわ」
幹久が、かすかに吹き出して笑うと、恭一郎は密かに安堵した。
そんな恭一郎の心境に気が付いたのか、実篤は、更におかしそうに笑う。
「見た目ほど深い傷じゃないから、許してあげなさいよ。友達がドン引いてるわよ」
「友達じゃなくて恩人だよ」
「じゃあ、その恩人に嫌われないよう、ホドホドにね」
そんな事を言っている間に、実篤は処置を終えて、包帯の端を織り込んだ。
鏡診療所での塩辛い対応を思うと、医者に掛かっているのに気持ちが軽いと、恭一郎は密かに思う。
「はい、終わり!幹久、これから署に戻るの?」
「いや・・・大宮御所に、すぐに戻らないといけない」
「もう何もないでしょ、あの辺」
「爪の垢一つでもないかを確認するのが、僕の仕事だから」
すると、幹久は恭一郎に向き直り、軽く会釈した。
どこか威圧感のある雰囲気ではあったが、いくらか先程よりは穏やかな表情となっている。
「恭一郎さん。僕は途中で抜けて来たので、先に失礼します。先程の車に戻れば、駅まで送ってくれますので」
「いや・・・でも、幹久」
「犬飼さんには、もう会わないで下さい。むやみに関わると、夢彦さんの二の舞を踏みますので」
「だが、東雲が難儀してて、犬飼に頼み事をして来たと聞いたぞ」
幹久は眉根を寄せた。
恭一郎から視線をそらし、小さく唸る。
「彼女のことは、主である僕が、責任をもって対処します。恭一郎さんの出る幕ではありません」
「・・・そうだが、この焼け野原で、屋敷の留守を任せる気か?」
「彼女は望んでコチラに残っています。僕も、疎開するようにうながしたのですが・・・」
「犬飼はともかく、東雲は女だぞ。不在中に何かあったらどうする?」
「・・・・・・」
「俺からも、疎開するように話をする。だから、話すだけでも許してくれないか?」
「・・・勝手にして下さい」
幹久は恭一郎を睨みつけると、診療所の玄関へと歩いて行き、荒々しく扉を開けた。
閉じられた扉はバタンと大きな音を立て、ベルが警鐘のように不穏な音を奏でる。
恭一郎が溜息をつくと、実篤が小さく笑った。
「ご乱心ね」
「・・・殺されるかと思った」
実篤が、こらえるように笑いだすと、恭一郎は眉間にシワを寄せた。
ただ、今日、自分に向けられた笑顔の中では、一番毒がない。
「自分の至らなさを感じてイラついてるだけよ。アナタを怒ってるワケじゃない」
「―――」
「それに、仕事の最中だったんでしょうね。気が立っていたのよ」
「さっき、署に戻ると言ってたが・・・幹久は警察なのか?」
実篤は、虚をつかれたような顔を浮かべた。
しかし、何か思い至ったのか、息をつくように小さく笑う。
「あぁ、それでね」
「・・・何がだ?」
「幹久は、アナタに、今の自分を知られて欲しくなかったのよ」
すると、実篤は、やんわりとした笑みを浮かべた。
幹久に対して気まずいのか、ほんの少し、困ったように眉を寄せる。
「幹久は、特高の保安課に所属してるの」
「―――!?」
「さっき、話に出てた夢彦って人。彼が釈放されたのは、幹久のおかげよ」
「―――」
「周りを説得するのに、かなり苦労したらしくて・・・お姉さんに引き渡した後、精根尽き果てたって顔してたわ」
実篤は、当時を思い出し、苦笑いを浮かべた。
そして、小さく溜息をつき、イスに深く座り直す。
「アナタの知り合いを仲間がボコったんで、嫌われると思って不安だったのよ」
「・・・肩書きが何であれ、幹久は幹久なのにな」
実篤は、きょとんとした顔を恭一郎に向けた。
その不思議そうな視線に、恭一郎は首をかしげる。
「なにか?」
「いえ、今まで知らなかった割に、すんなり受け入れられるんだなぁと思って」
「・・・たしかに手荒な奴はいるらしいが、特高といっても、警察に変わりないだろ」
「まぁ、そうだけど。両親に野蛮だとか言われて、猛反対されたらしいわよ」
恭一郎は深く溜息をつくと、組んでいた自分の手元を見つめた。
その伏せた眼差しを、実篤は静観する。
「・・・幹久は、平穏な日々を取り戻したいだけだ」
「―――」
「俺は昔、シベリアに出兵した・・・だから、内戦の悲惨さは・・・身に染みてる」
恭一郎は顔を上げると、南風に揺れるカーテンを眺めた。
外の日差しをまとって、ドレスのようにふんわりと膨らむと、室内が、かすかに明るくなる。
「日本人同士の殺し合いなんか・・・絶対に見たくない。しかも、連合軍との本土決戦がいよいよだっていう時期に、日本が反政府組織と内戦を始めたら、両成敗されて大敗する」
「そうよね・・・」
「色んな意見があるのは知っているが・・・俺は、幹久の仕事は、今の日本に必要なんじゃないかと思う・・・ただ、幹久は俺よりも先見の明があるから、何か・・・大きな目的があって、特高になったんじゃないか?」
実篤は、目を見開いた。
あまりの驚きように、恭一郎は、いぶかし気に見つめ返す。
「アナタ・・・すごいわね」
「え?」
「幹久の事、よく分かってる。犬飼って人も、ズバズバ物事を言い当てるけど、アナタの方が品があるわ」
「あの男は、皆から嫌われてるな・・・」
「あの人、カタギじゃない人と繋がりがあるから」
「あぁ・・・警察の幹久としては、あまり関わって欲しくないのか」
「それにアナタ、シベリアに行ったんでしょ?そうなると、他の人よりアカの嫌疑を掛けられやすいじゃない」
「そうか・・・下手すると、俺も引っ立てられて尋問されるな」
「そういう事」
実篤は立ち上がると、窓辺にたたずみ、恭一郎の方へと振り返った。
カーテンが背を撫でると、くすぐったそうな笑みを浮かべる。
すると、実篤の背後から、何か小さな影が、翼を広げて実篤の肩へと飛び乗った。
オナガであった。
頭部は濃い紺色で、尾羽は長く青みがかっている。
鳩よりは小さく見えたが、長い尾羽の分、スズメやムクドリよりは大きく見えた。
オナガは、実篤の肩に行儀よく座ると、キュイッと短く鳴く。
「ねぇ、もし・・・幹久を本当に気に掛けてくれてるなら、遠慮なく助けてやってくれる?」
「―――」
「平穏な日々なんて・・・・・・・この世で一番難しい問題でしょ?」
実篤は口元をほころばせ、穏やかな眼差しを恭一郎に向けた。
しかし、肩に止まったオナガは、自分の無力さを嘆くように、甲高い声で鳴いていたのであった。




