-媼主の速贄- 9
夏の日差しが降り注ぐ中、ようやく犬飼と恭一郎は宝条家にたどり着いた。
格式高い屋敷も庭も、かつての姿を残していなかったが、広い敷地の中に、蔵だけが焼け落ちずに残っている。
堅牢な要塞の如くそびえ立つ姿は、どこか威圧的にさえ思えた。
その入り口に、小さな人影が市松人形のように行儀よく立っている。
犬飼が軽く手を上げると、その人影は深々と頭を下げた。
「お二方とも、お越しいただきまして、ありがとうございます」
長い髪を後ろに結い上げ、着物にもんぺ姿の東雲が、丁寧に頭を下げた。
首には、真っ白な一匹の蛇が、まるで首飾りのように上品に巻き付いている。
しかし、恭一郎が微笑み掛けると、白蛇は急に霞のように姿を消した。
素っ気ない態度に、恭一郎は怪訝な顔で東雲を見る。
「・・・『白蓮』が、消えたんだが」
「恭一郎様に久しぶりにお会いして、緊張なさっているのかと存じます」
東雲は、困った顔で控えめに微笑んだ。
その笑みは、目元に全くシワもなく、最初に出会った頃と変わらない。
髪型のおかげで大人には見えるが、二つ結びのおさげなどにしたら、女学生でも通じそうな若々しさであった。
もう孫がいてもおかしくない歳であるはずなのに、その見た目に、恭一郎は驚異の眼差しを向ける。
「恭一郎様、いかがなされましたか?」
「・・・いや、色々と衝撃的な事が多すぎて、少し混乱している」
「お疲れでございましょうから、どうか中にお入り下さい」
そう言うと、東雲は二人を蔵の中に案内した。
昔よりも、いくらか骨董品は片付けられ、焼け残ったらしい日用品があちこちに置かれている。
仕舞い込まれていたらしい客人用の座布団が、部屋の中心に綺麗に並べられていた。
「そちらに座ってお待ち下さい」
そう言い残すと、東雲は、そそくさと外へと駆け出して行った。
先に座り込んだ犬飼に、恭一郎は、ならうように横に座る。
「で、相手はどんな感じなんだ?」
「・・・え?」
「彼女の事だよ」
「東雲が、どうかしたのか?」
「そうじゃなくて」
恭一郎は左肩に視線をやると、眉間にシワを寄せた。
だが、小さくうなずくと、近くにあった包丁を手に取る。
「ち、ちょっと待て!早まるな!!」
犬飼が慌てて座ったまま後ずさると、恭一郎は、おもむろに指先を包丁で切った。
したたり落ちた血液が、蔵の板の間に点々と落ちていく。
すると、その血だまりの中から、小さな紅い空蝉が一匹、地獄から這い出すように現れた。
そして、ギリギリと軋む音を出すと、見た目からは想像できないほどの素早い動きで、犬飼の肩に上り詰める。
「犬飼っ・・・!」
「うっわ・・・・え・・・『虚』!?」
「恭一郎の血を媒介に、実体を一時的に持つことが出来るのだ。本当に短時間だが」
「お、それはありがてぇな」
「お前には、直接言いたい事が山ほどあり過ぎる!!」
「怒んなよ。で、彼女とは、どこまでいった?」
「お前は、本当にゲスだな・・・!!」
「ほめなくていいから、教えて?」
「恭一郎と俺は、見聞きしたことを共有出来ない!それに、『死鬼喰み』の恭一郎の魂魄は、『隠世』に行けぬのだ!!事情を知らぬコイツの前で話せるか!」
「はぁ!?お前、生みの親に内緒で『隠世』で逢引きしてんのかよ。中学生か!」
「お前はっ・・・本当に暴露本のような奴だな!!」
「いやいや、分かるぞ。親に、そういうのを隠したい気持ちはさぁ」
「これ以上、何も言うな!!」
「だがよ。わざわざ『隠世』に行く必要ねぇだろ。『現世』で会えばイイじゃねぇか」
犬飼が恭一郎に視線を向けると、恭一郎は、きょとんとした顔を向けるばかりであった。
そんな何も分かっていなさそうな恭一郎に、犬飼は楽し気に笑い掛ける。
「アンタだって、自分が思いを寄せてる女の所に、自分の『鬼』が行ったからって止めねぇだろ?」
「・・・悪いが、まったく話が読めない。相手は誰のことを言ってるんだ?」
犬飼と恭一郎が『虚』に視線を送ると、『虚』は前足で顔を隠し、軋む音を立てた。
同時に空蝉の体がドロリと溶け出し、次第に粘液から液体へと変わる。
そして遂には、犬飼の肩で、ただの血染みとなってしまった。
「逃げたな・・・」
「あぁ・・・しかも、どこかに隠れてる」
「・・・・だがよ、今の話だと、相手とは『鬼』同士でしか面識がないって事か」
「少なくとも、俺は誰だか分からない。向こうは、俺を知ってるかもしれないが」
「心当たりは?」
「ない・・・そもそも、逢引じゃ無いんじゃないか?」
その言葉に、犬飼は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
恭一郎は目を伏せると、自分の手元を見つめる。
「『死鬼喰み』として目覚めた以上、死んだ時に、天災で大切な人を巻き添えにしかねない。正直、それを思うと、誰かと添い遂げようという気が起らない」
「まぁ、そうだけどさぁ・・・色恋沙汰は、理性でどうにもならなくね?」
「なら、どうして俺は、そういう心境になっていないんだ?」
「『現世』で面識が無いからだろ?まったく交流がねぇ相手ってことだ」
「筋は通ってるとは思うが、『虚』がアンタに暴かせない為に、嘘をついた可能性もあるだろ」
犬飼は腕を組むと、天井に視線を向けた。
しばらく思案していたが、急にニンマリとイヤらしく笑う。
「いいや・・・絶っっ対、下心で通ってる!ゴシップ雑誌のベテラン記者だった俺をなめんな!!」
「・・・身に覚えはないが、アンタみたいなのに、追われてる連中の気持ちは良く分かった。俺にしては珍しく、『虚』が哀れで仕方ない」
犬飼が息巻いていると、蔵の出入り口から、足音が聞こえて来た。
二人が視線を向けると、足音の主は、ゆったりとした足取りで、蔵の中へと上がる。
「こんにちは~」
灰白色の浴衣に藍色の羽織を肩に掛けた男であった。
丸眼鏡を掛け、細い目を更に細めて穏やかに笑っている。
その横には、東雲が水の入ったグラスを、盆に乗せて立っていた。
「お待たせいたしました」
「キミが恭一郎君?その後、夢彦君と仲良くやってる?」
恭一郎が、いぶかし気な顔で見つめ返すと、丸眼鏡の男は小首をかしげた。
すると、東雲が慌てて、男に耳打ちする。
「あの・・・まだ、話をしていないのでございます」
「あ、そうなんだ~」
クスクス笑うと、まるで絵に描いた狐のように、目元が更に細くなった。
しかし、急に笑顔に苦悶の色がにじみ、丸眼鏡の男は、蔵の扉にもたれ掛かる。
犬飼は素早く立ち上がると、脇を抱えて、その体を支えた。
「水谷!大丈夫か!?」
「・・・・今日は、あまり体調が優れないんだ~。早く、帰りたいんだけど?」
犬飼は、自分の座っていた座布団に水谷を座らせると、すぐ側の壁に、腕を組んで寄り掛かった。
険しい顔で溜息をつくと、水谷は再びクスクスと笑い出す。
「笑い事じゃねぇだろ」
「怖いな~。病人なんだからいたわってよ」
「自業自得だ・・・いい加減、圭吾の居場所を吐け」
犬飼の言葉に、水谷はニンマリとした笑みを浮かべた。
うすら寒い笑みに、恭一郎は、背筋に寒いものを感じる。
犬飼は、そんな恭一郎を一瞥すると、重々しい口調で口を開いた。
「恭さん、アンタは『見える』から、分かるだろ?」
「『鬼』が、いないな・・・成り代わっているのか?」
「そ・・・生みの親である圭吾と、その『鬼』である『シキ』が入れ替わってる」
恭一郎が顔をしかめると、水谷はニコニコと微笑んだ。
先程のゾッとするような雰囲気は鳴りをひそめ、ひだまりのように穏やかである。
「俺が『隠世』で『虚』と出くわしたのは、圭吾を探していたからなんだ」
「どうして・・・成り代わるような事になったんだ?」
恭一郎の問い掛けに、犬飼は重い溜息をついた。
その溜息を皮切りに、東雲が水の入ったグラスを配り始める。
「恭一郎様、陵雲郭の展望台で、ワタクシが御忠告した事を覚えてますでしょうか?」
「あぁ・・・たしか、『裏御前』だったか」
「圭吾さんは、その『裏御前』を追っているのでございます」
恭一郎は、水谷を一瞥した。
ずっと変わらない笑みが、どことなくお面のようで掴みどころがない。
「『裏御前』は、ワタクシのように『鬼』を認識できる者たちを集め、政財界を牛耳っていた者でございます。国の取り決めは、彼女の了承無くしては通りません」
「と言っても、それは、関東大震災までの話だけどな」
犬飼がニヤリと笑う一方、東雲の瞳に影が差した。
二人の温度差に、恭一郎は眉間にシワを寄せる。
「関東大震災の元凶である、御堂カエデを失った途端、軍部の連中が台頭して来たんだ」
「師匠は『裏御前』の暗部として仕えておりましたので・・・そういった方々を、抑える役割があったのでございます」
「『死鬼喰み』を殺すなんて、軍事力の要を放棄するもんだ・・・無能な政治家ばっかりだったんだろうな」
犬飼の言葉に、恭一郎は絶句した。
東雲は、両手で顔を抑えると、座り込んで涙を流し始める。
「・・・殺・・・された・・・?・・・病死じゃ、ないのか?」
「あぁ、相模湾沖に、生きたまま沈められた」
まるで推理小説の犯人を、サラッとネタバレしたかのような言い方であった。
なんの同情も無さそうな様子に、恭一郎は眉根を寄せる。
「知り合いに聞いたんだけどさぁ。海外にも当然、『死鬼喰み』はいるらしい」
「―――」
「海外は日本と違って『死鬼喰み』を丁重にあつかう。その存在自体が、他国に対して軍事的抑止力になるからな。大半が『死鬼喰み』として目覚めてないらしいけど」
「海外でも・・・目覚めた『死鬼喰み』は、殺されているのか?」
「まさか。下手に殺せば大規模災害になる。死刑囚の『鬼』を喰わさせながら、災害規模を抑える為に、『死鬼』を少しずつ減らすらしい。俺は見た事ないが、『虚』も、たくさんいるんだろ?」
恭一郎は口元を抑えると、胃の奥から、すえたものが上がって来るのを感じた。
あまりの不快感に、思わず目を細める。
「目覚めた『死鬼喰み』は、確かに厄介だが、大切な軍事力に変わりない。『死鬼喰み』は圧倒的に数が少ねぇから、見つけること自体難しいしな」
「なら尚更・・・なんで東雲の師匠は殺されたんだ」
「御堂カエデが殺されたのは、大規模災害による首都崩壊を、『裏御前』が目論んだからだ」
「・・・なっ」
「首都が壊滅すると、色々得する人間がいるんだ。それでも、殺す理由にするには、腑に落ちねぇけど」
ドンッ・・・
突如、重々しい打撃音が響き渡り、その場にいる全員が、蔵の入り口に視線を移す。
夏の陽ざしを背に、ワイシャツにフォーマルなベストを着た男が立っていた。
蔵の扉を拳で叩きつけたまま、鋭い眼光が、その場にいる全員を射殺すように見すえている。
そんな険悪な相手に対し、犬飼は、ひょうひょうとした口調で話し掛けた。
「お~、幹。お疲れさん」
しかし、幹久は応えることなく、無言で犬飼に迫った。
怒りのこもった眼差しは、まるで刃のようである。
「人のウチで・・・何を密談しているんですか・・・」
「密談じゃねぇよ。俺は常に、来るモノ拒まず、去るモノ」
「追い回す・・・でしょう?」
引きつった笑いを浮かべる幹久は、額に青筋を立てていた。
そんな幹久に、犬飼はニタニタと笑い出す。
「いや~。アッちゃんにソックリになったなぁ、幹」
「僕は、姉さんほど優しくありません・・・犬飼さん、早々にお引き取り願います」
「はぁ~・・・これから宴もたけなわだってのに」
「それは、丁度良かったです。殴り飛ばして、話を中断させる手間が省けましたから」
犬飼は苦笑いを浮かべると、ズボンのポケットに両手を突っ込みながら蔵を出た。
軽薄な笑みを浮かべると、恭一郎たちに向かって片手をヒラヒラと振る。
その後ろ姿が瓦礫の向こうに消えると、幹久は、氷が軋むような視線を東雲に向けた。
その冷ややかな瞳に射貫かれ、まるで金縛りにあったように、東雲は硬直する。
「東雲さん。アナタの事を信頼して、宝条の屋敷を任せているのですから、あまり私物化しないで下さい」
「も、申し訳ございませんっ」
「もう少し陽がかたむいたら、圭吾さんを送ってあげて下さい。あまり、顔色が宜しくありませんから」
「かしこまりました・・・」
「それと、恭一郎さん」
淡々とした口調のまま呼び掛けられ、やや緊張した面持ちで、恭一郎は幹久を見つめた。
幹久は、冷たい視線のまま近付くと、眉間にシワを寄せる。
「その手、どうなされたんですか?」
「・・・え・・・あぁ、これくらい大丈夫だ」
「恭一郎さん」
明らかに苛立たし気な様子の幹久に、恭一郎は押し黙った。
今にも暴挙の限りを尽くしそうな気迫に、夏の暑さとは別の汗が流れる。
「アナタの大丈夫ほど、聞きたくないものは無いんですよ」
「―――」
「人の敷地で流血して、顔面蒼白になってて・・・何が大丈夫なんですか?」
「・・・すまない、確かにそうだな」
「・・・・・・とりあえず、ココには医療品の類がありませんから、ついて来て下さい」
幹久は、スッと流れるように踵を返した。
それに合わせるように、東雲は、かしこまった様子でお辞儀をする。
幹久の言う通りにするしかないと判断し、恭一郎は、真昼の炎天下へと歩き出したのだった。




