-媼主の速贄- 2
―――昭和二十年 八月十三日 千葉
夏の夜明け独特の、爽やかでありながら水気を含んだ空気が、村を包んでいる。
まだ、山の向こうに昇りかけている太陽が、うっすらと空を染め始めていた。
「・・・・夢彦!!」
恭一郎は、叫び声を上げながら飛び起きた。
全身汗だくになっており、息が上がっている。
浴衣の胸元を握り締め、激しく高鳴る鼓動を抑えようと努めた。
しかし、耳鳴りが更にヒドくなるばかりで、目の前がぐらりと揺れる。
恭一郎は、体を支えられなくなり、再び寝床に倒れ込んだ。
―――恭一郎?
名前を呼ばれ、恭一郎は身をすくませた。
視線だけ声のする方へ向けると、小さな紅い空蝉が手元から顔を出す。
恭一郎は目を見開いたまま、うめくように溜息をついた。
―――顔色が優れぬぞ・・・どうした?
「怖い・・・」
―――?
「怖い・・・・・・夢を見た」
―――・・・・いい歳して情けない
「夢彦・・・・いや、『戯』が」
恭一郎は、そこで言葉を切った。
額に掌を当て、仰向けになって天井を眺める。
―――『戯』が、どうした?
「・・・・覚えてない」
紅い空蝉はガクッと前のめりになった。
そして、低い唸り声を上げると、溜息をつく。
―――恭一郎・・・
「名前を呼ぶな!」
荒げた声に飛びのく空蝉を、恭一郎は一瞥した。
いつもなら喧嘩沙汰になっているところであったが、どういうワケか無言で縮こまっている。
乱れた呼吸よりも息苦しい雰囲気に、恭一郎は小さくつぶやいた。
「すまない・・・『虚』・・・・・・覚えてないが、頭が混乱してる」
―――・・・うむ
「・・・お前も、調子が悪いのか?」
―――いいや。お前がボロ雑巾のようになっても、俺は痛くもかゆくもない
「・・・お前、本当にムカつくな」
―――仕方なかろう。『死鬼』は、そういうモノなのだ
恭一郎は溜息をつくと、目を閉じて、うつ伏せ気味に横になった。
浅い呼吸のまま、枕に顔をうずめる。
―――本当に、調子が悪そうだな・・・
恭一郎は、無言で息を整えようと努めている様子であった。
その痛々しい姿に、『虚』がカタリと軋む音を上げる。
―――少し、待っておれ
カサリと乾いた音を上げ、紅い空蝉は縁側から庭へと飛び出した。
また何か企んでいると思いながら、恭一郎は静かに寝息を立てるのだった。




