-媼主の速贄- 1
曼殊沙華の群生が、淀んだ風に揺れている。
何処までも続く参道の先は、常闇の森にまぎれて果てが見えない。
シャラン・・・シャラン・・・
水鈴琴の清らかな音が、そんな参道に静かに響き渡っている。
そして、白い影がポツンとひとつ、その赤と黒だけの世界に浮かび上がっていた。
小童であった。
浅緑色の水干姿に、素足で歩いている。
髪は銀糸のようにキラキラときらめき、頭部の頂に獣の耳がそそり立っていた。
長い髪にまぎれるように、毛並みの良い尻尾が、楽し気に揺れている。
――夢・・・
何処からともなく、落ち着いた低い声音が聞こえてきた。
その声に、水干姿の小童は、耳をそばだてる。
文字通り、頭部に生えた獣の耳が、天に向かってピンと立ち上がった。
「恭一郎!来たぞ~!!」
水干姿の小童が、楽し気に大声をはり上げると、突如、後ろから小さな手が、口を覆って来た。
強く後ろに引き寄せられた為、水干姿の小童は、危うく後ろに倒れそうになる。
「んっ!!・・・~っん!!」
「ダマレ」
ひそめた声が耳元で囁かれ、水干姿の小童は黙り込み、視線だけを背後に向けた。
見ると、同じくらいの年頃の小童が、口元を歪ませている。
長い前髪に隠れ、目元の表情はうかがい知れないが、苦々しい表情をしているのは明らかであった。
仏僧が身に着ける袈裟を掛け、左耳には蝉の翅を模した耳飾りが揺れている。
見慣れたその姿に、水干姿の小童は、嬉々として振り返った。
「あぁッ!恭一・・・」
再び声を上げると、仏僧の格好をした小童が、容赦なく首を絞めて来た。
そのまま曼殊沙華の群生の中に入り込むと、水干姿の小童を押し倒す。
「っき、恭・・・――!?」
なおも声を上げようとすると、更に締め上げる手に力がこもった。
鋭い眼光が、前髪の隙間から、射殺すように揺らめいている。
水干姿の小童は、ケンカに負けた犬のように獣の耳をヘタらせると、瞳に恐怖の色をにじませた。
「・・・・!?」
突如、仏僧の格好をした小童は、息を殺して水干姿の小童に覆いかぶさった。
頭を抱えられるように抱き寄せられ、目の前が何も見えなくなる。
混乱した水干姿の小童が、なんとか逃れようと身をよじった刹那
ズン・・・・
重々しい足音が、すぐ側で聞こえた。
視界を遮られていて、その正体が見定められない。
ただ、禍々しい殺気立った気配に、鳥肌が立った。
「・・・・『鬼喰らい』だ」
仏僧姿の小童は、かすれた声で囁いた。
自分を抑え込む体が、わずかに震えている事に気付き、水干姿の小童は、袈裟を掴んでグッと引き寄せる。
ズン・・・・ズン・・・・ズン・・・・
次第に恐ろしい気配が遠のいて行くと、水干姿の小童は、獣の耳をヘタらせ、安堵の溜息をついた。
その溜息に毒気を抜かれたらしく、仏僧姿の小童は、長々と溜息を吐き出す。
あまりにげんなりした様子に、水干姿の小童は、湯が沸くように笑い出した。
「・・・・・夢ェ・・・・」
上体を上げた仏僧姿の小童が、泥が煮えるような声を口から漏らした。
あまりの迫力に、夢と呼ばれた小童は蒼白となる。
「・・・・名を全部言うなと・・・・・・あれほど言ったではないか・・・」
「す、すまぬ・・・『現世』での呼び名に慣れておるから、うっかり・・・・」
「だいたい、髪の色も顔立ちも、肉体ソックリではないか!もっとかけ離れた姿に変化しなければ、身元が割れてしまうだろ!」
「か、勘弁してくれ・・・何度教えてもらっても、この姿と狐にしかなれんのだ」
「だったら、こんな所に毎日来るんじゃない!!」
「それは出来ぬ!!何を言われようが、恭一」
仏僧姿の小童は、錫杖を掲げると思い切り振りかぶった。
寸での所で避けた夢は、恐怖に顔を引きつらせる。
「本名を呼ぶなと・・・」
「ほ、本当にすまぬ!!分かった、こうしよう!全く違う名前を付けるのだ!!」
仏僧姿の小童は、顔をしかめた。
とりあえず断固拒否されず、夢は深く息をつく。
「短くしただけでは、勢い余って言ってしまう。あだ名を作れば良いのだ」
「・・・『現世』では呼び捨てだろう、慣れぬと思うが?」
「この古風な話し方だって、お前が年齢を推定しづらいようにと言うから、必死に練習して出来るようにしたであろう?」
「ぬぅ・・・」
「変化はともかく・・・あだ名で呼ぶぐらい、絶対出来るようになる!!・・・・信じてたもう」
夢は、今にも泣きそうなほど瞳を潤ませ、上目遣いで懇願した。
仏僧姿の小童は、仕方ないとばかりに、錫杖にもたれて溜息をつく。
その溜息を肯定と受け取り、夢の表情は、晴れ渡った空のように明るくなった。
「その代わり、適当な名前を付けるな。あと、難しい漢字を使って読みづらくしろ」
「ほうほう・・・では、兄さんの漢和辞典を引っ張り出した方が良いな」
「あと・・・目に見えるモノの名前は使わないでくれ。他の『鬼』に見つかりやすくなる恐れがある」
「分かった!形のない名前が良いのだな!」
タンポポ畑のような穏やかな笑みを浮かべ、夢は笑い掛けた。
その笑みにつられるように、仏僧姿の小童も口元をほころばせる。
「そうだ!ついでに小鈴にも付けてやった方が良いな」
夢が言うか否や、水干の首元から、一匹の子猫が顔を出した。
愛らしい声で鳴くのを見て、仏僧姿の小童は、蒼白となって立ち尽くす。
「・・・・夢」
「なんだ?」
「今、小鈴と言ったか・・・?」
「ココに居ても『現世』の様子は見えてるのであろう?初見ではあるまい?」
仏僧姿の小童は、錫杖を振りかざすと大地に突き刺した。
刹那、辺りは青々とした木々と、まばゆい光に満たされる。
いつも遊びに行く沢の景色に変わり、夢は感動したように声を上げた。
「おぉ!いつ見ても幻影の腕が―――」
「このっ・・・・クソたわけ者!!」
親友のあまりの怒髪天ぶりに、夢は思わず小鈴を抱きしめた。
すると、小鈴は言い返すかのように、ニャーニャーと喚きだす。
「おととい生まれたばかりの小娘のクセに、分かったような口をきくな!」
その言葉に、小鈴は、いよいよやかましく鳴き始めた。
赤子の『鬼』とは思えない口の達者さに、夢は密かに感心する。
「七つにもならないクソガキだと!?お前、兄貴をつかまえてクソガキとはなんだ!!」
「お、落ち着け・・・恭一郎。私も兄弟ゲンカはしょっちゅうするが、女の子だぞ」
「夢・・・だいたい、なんで『隠世』に小鈴を連れて来た!ココがどれだけ危険な場所か分かっておるだろう!!」
「仕方なかったのだ・・・気が付いたら、一緒にココに来ていた」
「嘘をつくな!」
「嘘ではない!・・・放っておくワケにもいかず、『遁甲』をかけて連れて来たのだ」
「・・・・」
「もちろん、『現世』に引き返して、何度も家に帰したぞ!・・・だが、『隠世』に再び来ると・・・」
「ついて来ておると?」
「うむ・・・小鈴も、どうして来てしまうのか分からないようでな。埒が明かぬので、お前の元に連れて来たのだ」
仏僧姿の小童は、あごに手を当てて思案し始めた。
夢と小鈴を一瞥すると、苦心したような唸り声を上げる。
「夢・・・・お前、『鬼喰らい』なのではないか・・・?」
その言葉に、夢の顔から一気に血の気が引いた。
急に手元がゆるみ、小鈴が落ちそうになって、慌てたように鳴く。
「『鬼喰らい』は、他人の『鬼』の分身を取り憑かせることが出来る。小鈴がついて来とるのではない。お前が引き寄せているのだ」
「・・・知らぬっ!!・・・わ、わたしは、何もしておらぬ!」
「落ち着け。意識的に出来てないだけだ。もう連れて来ないと本気で思えば」
しかし、夢は小鈴を強く抱きしめると、その場にへたれ込んだ。
青白い炎が全身から吹き出すように、轟々と燃え立つ。
身動きが出来ない小鈴は、驚愕の様相で悲鳴を上げた。
「夢!!」
「・・・・ちがう・・・・ワタシは・・・・」
―――バケモノ ジャナイ
突如、色鮮やかな木漏れ日が消え失せ、常闇の森へと景色が一変した。
悲哀のこもった咆哮が、曼殊沙華の花々を吹き飛ばす勢いで響き渡る。
炎の熱波が、仏僧姿の小童を容赦なく襲った。
「夢・・・!」
―――・・・喰ワヌ・・・・・絶対に・・・・喰ラワヌ・・・・ゾ・・・・・
「分かっておる!お前が、俺を喰うなどと言っておらん!!」
仏僧姿の小童は、錫杖を天に振りかざした。
甲高い輪のぶつかり合う音ともに衝撃波が広がり、一面の曼殊沙華を揺り動かす。
すると、青白い炎が一瞬消え、夢の腕の中から小鈴が転がるように抜け出した。
駆け寄って来た小鈴を、仏僧姿の小童は錫杖を持たぬ方の手で、すくい上げるように抱き上げる。
「小鈴を連れて来たのは・・・俺に、どうしても会わせたいと思ったからであろう?」
夢は、涙に濡れた瞳を見開くと、ゆっくりと顔を上げた。
小鈴が心配そうに短く鳴き、それを抱えた仏僧姿の小童は、控えめに微笑む。
「俺が『現世』にいないせいで、小鈴も探し回っていたからな。だからと言って、俺が『隠世』からソッチに行くワケにもいかぬ」
「恭・・・・・・一郎・・・」
「肉体は一つ屋根の下でも、このまま兄妹の『鬼』同士が会えぬのが、気の毒だと思ったのではないか?」
密かに抱いていた気持ちを言い当てられ、夢は、さらに大粒の涙を流し始めた。
そんな夢に、仏僧姿の小童は、ほのかに口元をほころばせる。
「お前が連れて来なければ、こうして小鈴を抱く事もなかった」
小鈴を抱き直すと、仏僧姿の小童は、小鈴に視線を送った。
前髪の隙間からのぞいた穏やかな瞳をとらえ、小鈴は応えるように優しく鳴く。
「俺は・・・・恵まれとるな」
言うか否や、夢は、仏僧姿の小童の袈裟を掴み、声を上げて泣き出した。
仏僧姿の小童は、小鈴を地面に下ろすと、その手を夢の肩に添える。
すると、小鈴もあやすように、夢の手元にすり寄った。
そんな二人に励まされると、夢は残り火を消し去り、涙をぬぐって雲間から陽が差すように微笑む。
そのコロコロと変わる表情に、仏僧姿の小童は吹き出すように笑った。
「泣いてるのか笑ってるのか・・・お前は天気雨みたいな奴だな」
その言葉に、夢はピンと耳を反り立たせた。
良い考えが浮かんだという顔で、弾けるような笑顔で立ち上がる。
「恭一郎、絶対に良い名前を考えて来るぞ!小鈴も会わせることが出来たし、もう連れて来てしまう事も無かろう」
「フン・・・だといいが」
「案ずるな。それに、『鬼喰らい』がお前の天敵だとしても、同じ天敵の私が味方をすれば、他を相手に出来るという事であろう?」
「・・・あまり派手な事はしないでくれ。お礼参りを受けるのは、俺だろうからな」
「あぁ・・・そうか。肉体が死ねば『鬼』も消えるが、『鬼』は半永久的に不死であるしな」
仏僧姿の小童は、視線をそらすようにうつむいた。
夢は、その両頬に手を添え、顔を上げさせるように強く掴む。
仏僧姿の小童を見つめると、先程の号泣が嘘のように、凛とした微笑を浮かべた。
「まるで地獄だが、地獄だっていつも悪い事ばかりではない。時には蜘蛛の糸が降りる事もあろう?」
「あの話は・・・結局、極楽浄土に行けない話じゃなかったか・・・?」
「うっ・・・そうであったな。いや、行いによっては、という含みを持たせてるのだから良いではないか」
「・・・・俺は、仏だろうが神だろうが、そこまで慈悲深い者など、世の中には居ないと思う」
鋭い眼光を向けられ、夢と小鈴は背筋に冷たいものを感じた。
深淵の縁を臨むような眼差しは、常闇の森ですら霞ませるほど暗い。
「あの話は、あの男がどんな態度を取ろうと、救われぬ話だ」
「お前は・・・すぐ悪い方に」
「俺なら、あんな極悪人を・・・地獄から逃がさん」
淀んだ風が長い前髪を揺らすと、髑髏の眼孔のように暗い瞳が、一瞬ゆらりときらめいた。
小鈴が悲哀のこもった声で鳴くと、夢も泣きそうな顔を向ける。
「泣くな・・・恭一郎」
「泣いておらん・・・お前じゃあるまいし」
「いつまでも、こんな事は続かぬものだ。だから」
「続かぬという事は・・・お前達とも、もう会えぬという事だ」
仏僧姿の小童が口元を歪めると、錫杖を持つ手が強く握られた。
その震えるほど強く握り締めた手を、夢は、そっと掴む。
「蜘蛛の糸が信用ならんなら、それでいい。それならそれで、私は『この地獄』で、お前を助けるだけだからのう」
「―――」
「小鈴を送って来る。『現世』に近い場所とは言え、『隠世』の『瘴気』にあてられては、体にさわるからのう」
すると、夢は着物の裾をひるがえし、白狐の姿へと変化した。
小鈴が背中に飛び乗ると、艶やかな尾を揺らして、青白い炎を帯びる。
「急いで戻る。私が戻るまで、気を付けるのだぞ」
白狐は上体を低く構えると、目にも留まらぬ速さで、参道へと躍り出た。
途中で小鈴を振り落とさないかと、仏僧姿の小童は、ヒヤヒヤとしながら見送る。
二匹の気配が、無事に『現世』へと消えて行くのを感じると、仏僧姿の小童は、やっと安堵の溜息をついた。
しかし、とてつもない疲労感に襲われ、曼殊沙華の群生の中で、にわかに座り込む。
・・・アイツ、俺を連れて行ったな
仏僧姿の小童は、自分の『瘴気』が大幅に失われているのを、げんなりとしながら噛みしめた。
『鬼』の活動源である『瘴気』は、生みの親の心持ちでも減少するが、『鬼喰らい』に持ち去られても減少する。
ただ、『瘴気』を無害なモノへと転化する技――『無害化』が行われなければ、消える事はない。
夢の様子からすると、まだ『無害化』の仕方は、本人も分かっていなさそうである為、そのまま帰って来ると思われた。
戻って来たら返してもらわねばと、仏僧姿の小童は溜息をつく。
―――恭一郎
不意に名前を呼ばれ、仏僧姿の小童は飛び上がるように身を起こした。
驚愕した瞳で辺りを見回し、慌てて錫杖を構える。
しかし、あまりの恐怖に全身が硬直し、視線すらも動かせぬ状態となった。
ズン・・・・ズン・・・・ズン・・・・
先程やり過ごした『鬼喰らい』が、仏僧姿の小童の目の前に立ちはだかった
ゆうに五メートルはあろうかという巨躯は、全身にボロ布を巻きつけた粗末な成りをしており、頭には巨木の枝のような角がそそり立っている。
舌なめずりする舌が異常に長く、ぬらぬらと粘液質な唾液をしたたらせていた。
その禍々しい姿に、仏僧姿の小童は目元を引きつらせる。
グォオオオオオォオオオオおおおおオオオオオォォォオオオぉオオオオオオオォォン・・・・
突然、目の前の『鬼喰らい』は、鼓膜をなぶるような咆哮を上げた。
ヒドい耳鳴りに襲われ、仏僧姿の小童は断末魔のような悲鳴を上げる。
そして、曼殊沙華に埋もれるように倒れると、耳を抑えたままうずくまった。
「―――・・・ぃっ・・・・・・」
巨人の『鬼喰らい』が近付き、仏僧姿の小童の腕を乱暴に引き上げる。
すると、曼殊沙華から現れた姿は、仏僧の装束ではなく、粗末な野良着を身に着けた小童となっていた。
髪も短くかりあげられており、長かった前髪も、眉のあたりで切りそろえられている。
わずかに開いた切れ長な瞳が、苦痛と恐怖に濡れていた。
「・・・夢・・・・たすけ・・・」
めきっ・・・
巨人は、小童の腕を乱暴に掴むと、あらぬ向きへとねじ曲げた。
肉が裂ける音が上がり、その腕が地に落とされる。
曼殊沙華は、じょじょに広がる血に染まり、更にその紅さを増していった。
がごっ・・・
巨人が、腕のなくなった肩口にかぶりつくと、血に代わってドス黒い液体があふれ出した。
『ソレ』は地面に落ちると、まるで生きているかのように、のたうち回る。
巨人の『鬼喰らい』は、小童をドサリと地面に落とすと、狂喜した様子で『ソレ』に飛び掛かった。
ざわり
曼殊沙華の花々に埋もれた小童の腕と体は、砂山のように崩れ始め、小さな紅い空蝉の群れへと変わっていった。
そして、蝉の幼虫よりも遥かに速いスピードで、四方八方に散って行く。
それらは大地に潜り込むと、かすかに軋む音を立てながら、常闇の森にまぎれるのだった。




