-媼主の速贄- 3
『鏡 診療所』―――恭一郎の住む村で、唯一の診療所である。
そして、親友である夢彦の実家でもあり、夢彦の兄夫婦が、後を継いで営んでいた。
その診察室の丸椅子に、恭一郎は、うな垂れるように座っている。
「もう、ほんっとうに、恭兄ぃは仕方ないんだから」
「まったくだ。定期的に来いと言ってるのに、コチラの意向を無視して、このザマか」
「真誠兄ぃ、もっと言ってあげて。この人、言っても全然分からないんだから」
「言っても無駄なら、言うだけ無駄だ。コチラの時間のロスになる」
「そうよ!こんな付き添いしてる間に、どれだけ農作業が出来るか」
二人に挟まれ、グチグチと罵られ続ける恭一郎は、だったら家に帰りたいと、心の中でつぶやいた。
男の方は、『鏡 真誠』――夢彦の実の兄であり、診療所の現医院長であった。
銀縁眼鏡が知性的であったが、いささか言葉づかいが荒々しい。
苦手ではないものの、怒ると感情的になる夢彦に対し、真誠は理路整然と諭しながらも罵って来る。
こういう場面においては、夢彦よりも精神的にキツい人柄であった。
そして、もう一人の女性は『大西 小鈴』である。
この辺り一帯の地主の家に嫁いだ、恭一郎の実の妹であった。
村でも評判の可愛らしい顔をしているが、現在、大西家を実質仕切っている奥方である。
その計算高さと愛想で人心を掌握し、役所の人間ですら顔色をうかがうほどの権力者だった。
この村の二つの権威に、ココまで文句を言われたら、他の村人なら住みにくくてたまらない。
そんな二人に囲まれる原因となったのは、あの紅い空蝉の仕業であった。
どうやら『虚』は、小鈴の『鬼』に恭一郎の体調の事を伝えたらしく、その影響で、なんとなく胸騒ぎがすると言って、小鈴は恭一郎の元にやって来たのである。
そして、寝てれば治るという恭一郎の意見を頭ごなしに否定し、半なかば引きずるように、診療所に連行したのだった。
・・・高熱があるのは認めるが、何でこんなに怒られるんだ
恭一郎が腑に落ちない顔をしていると、真誠は目を細めて、恭一郎を見すえた。
「恭一郎・・・お前は、いつになった自分の限界が分かるんだ?見てみろ、このカルテの分厚さ!お前、自分が病弱だって分かってないだろ!?」
「え・・・そうだったの、真誠兄ぃ」
「半分以上は就学前だけどな。昔、よく肺炎を引き起こして入院してた」
「え~・・・記憶にないなぁ」
「小鈴が生まれる前だし、就学中は小さかったから覚えてないんだろ」
「でも、運動も得意だし、畑の手伝いとか、毎日欠かさずしてたよ」
「厄介な事に、普段は人一倍元気なんだよ・・・だから、診察料はいらないから、定期的に顔出せって話になってたんだ」
「夢兄ぃは毎日来てたけど、そんなに診療所にお世話になってたっけ・・・?」
「就学以降に受診数が減ったのは、妹たちの面倒を理由に来なかっただけじゃないか?」
二人の冷たい視線を受けて、恭一郎は溜息をついた。
余計に具合が悪くなりそうだった。
「未だに不思議に思うよ・・・なんで、お前が徴兵検査に受かったのか」
「それは、書類改ざんしたんじゃない?今でこそ巨男だけど、当時の身長じゃ受からないもの」
「だろうな・・・病歴も、兵事係が消したのかもしれない」
すると、二人は大きな溜息をついた。
同時に、双方から肩を叩かれ、恭一郎は緊張する。
「大変だったな・・・恭一郎」
「お疲れ様・・・恭兄ぃ」
今度は逆にねぎらわれて、恭一郎は、ますます居心地の悪さを感じた。
本当に、家に帰りたい。
それしか頭に浮かばなくなった。
「はぁ~・・・しかしなぁ、せっかく来てもらっても、うちも薬が不足してる状態で・・・甘藷でも食って寝てろしか言えないんだよなぁ」
「せめてオカズに、村の人に川魚でも取ってもらおっか?」
「恭一郎は、魚が苦手だろ。下手に吐かれたら、体力を消耗する」
「じゃあ、本当に帰って、芋粥でも食べて寝るしかないね」
「帰らずに、入院してもいいぞ」
恭一郎は、しばらく沈黙していたが、首を横に振り、礼を言って席を立った。
しかし、診察室の扉に手を掛けたところで、ガクリと膝を折る。
「っちょ、恭兄ぃ!!」
「・・・ぉお、おいっ!!大丈夫か!?」
息も絶え絶えにドアノブにしがみつく恭一郎を、真誠は支え起こそうと駆け寄った。
しかし、恭一郎の二メートル近い長身と、日頃の農作業で培われた頑強な体つきのせいで、逆に一緒に転倒しそうになる。
「小鈴!誰か連れて来てくれ!!」
「えぇ!?みんな徴兵されちゃってて、年寄しかいないよぉ~!」
「もう、爺さん達でイイから連れて来てくれ!俺たちだけじゃ絶対持ち上がらない」
この頃、義勇兵役法が公布され、国民の大半が兵卒として徴兵されていた。
男子は十五から六十歳まで、女子も十七から四十歳までの国民が、兵役の義務を負っていたのである。
その為、ほとんどの都市や農村部には、年老いた老人や病人、妊婦、子供といった、か弱い者しか残っていなかった。
「う~ん・・・分かった!とりあえず、足腰シッカリしてそうな人を選んで、頼んでみる!」
そう言うと、小鈴は目にも留まらぬ速さで駆け出して行った。
このフットワークの良さも、村のリーダーとしての器を感じさせると、真誠は高く評価する。
「と、いうワケだ。お前が限界まで我慢すると、村のギックリ腰患者が増えかねないから困る」
「すみ・・・ません・・・・・・」
「出来のイイ妹に恵まれて良かったな、恭一郎」
恭一郎は沈黙し、わずかに首を縦に振った。
真誠は口元をほころばせながらも、その広い背中に大きく溜息をついたのだった。




