416
見間違いなんかじゃない。たしかに空中にとどまっていた皮膚や汗が重力に逆らって動いている。限定的な時間停止と推察していたが、この現象をどう考えればいい。考えがまとまらないまま漠然と観察を続けているとあることに気づく。ロザの皮膚や汗は風の影響を一切受けていない。それどころか舞い上がっている土埃と接触してもその軌道に変化が見られない。ロザの体から落ちた皮膚と汗が元の場所へと戻ろうとしている。システム介入による修復現象とも考えたが、それなら汗も一緒に戻っていくのはおかしい。地面に染み込んだ汗までも『時間が戻る』ように浮かび上がっている。
さっきは『時間が止まった』ように感じ、今度は『時間が戻っている』ように感じている。共通点は『時間』である。この瞬間、いま何が起きているのか全てを理解した気がする。クソ野郎にとって、あの状況で最も必要だったのは、それは『時間』である。時間さえあればロザの体は崩壊することもなかった。さらに時間さえあれば冷静に考えて選択をすることもできた。クソ野郎にとって唯一足りなかったのは『時間』ただ一つだけだったのだ。
もし本当に『時間戻し』だとするなら、クソ野郎はまだ終わっていない。それどころか、クラリスがこれまでやってきたことを無にする。マサオを利用してまでクソ野郎を戦えない状態にしたのは、戦えない状態に追い込む必要があったってことだ。要するにクソ野郎の方が強いのである。もしクラリスの方が強いなら、マサオ化する必要なんてないのだ。ちなみにクラリスはこの『時間戻し』には気づいているのだろうか。もし気づいていないならかなり危険な状態といえる。
クソ野郎が時間を戻すことができるなら、マサオの影響を受ける前まで戻すことだってできる。マサオ化さえなければ、クソ野郎は順当にクラリスを圧倒できる。ここで一点、腑に落ちたことがある。この世界の勇者でさえ時間停止範囲を世界全体でおこなうことができるのに、なぜロザだけに絞ったのか、そこが不思議だったがようやく理解できた。時間を戻す部分をロザ限定にすることで、後出しで戦うことができるのである。世界全体の時間戻しだと、クソ野郎も戻ってしまい同じことを繰り返すだけで意味がないのだ。現状のクソ野郎のような『ガワ』と『中身』が別々だと、ガワであるロザだけ時間を戻し、自分は戻さないことだってできる。要するに記憶を引き継いたままやり直して戦うことができるってことだ。
これまでクソ野郎が『時間戻し』をやったという前提で話しているが、もしそうなら納得できない部分が生まれてしまう。こんな戦法を隠し持っていて、あんなに狼狽えるわけがない。保険である時間戻しを使用するまでは、いくらマサオ化していてもそんなに感情的にはならないだろう。それどころかマサオ化のせいで発動前にバレる可能性の方が高い。マサオは感情を隠すことができないから。クラリスはそれも含めてクソ野郎をマサオ化したと思う。この『時間戻し』が事実なら……クソ野郎がやったかどうかは疑問が残る――。




