第九話 集積所
新人三人が荷物を捨てた場所は、思ったより近かった。
細い通路を抜けると、天井がわずかに高くなり、壁の左右に人ひとり分の余裕ができる。昨日までの逃げ道が、今日はただの石の部屋に見えた。湿った冷気が床に溜まり、小鬼の足跡が食料袋のまわりを何度も回っている。
「ここです」
剣士の少年が指さした。
壁際に、食料袋。ひしゃげた鍋。古い水筒。破れた布袋。そして安物の短剣が一本。それだけだった。昨日、命からがら置いてきたものの全体が、掌に収まるくらいの寂しさで並んでいる。
「……これだけ?」
コルンが首を傾げた。
「はい」
「命かけて取りに戻るほどじゃなかったね」
「言い方!」
ガルドが横から止める。声は大きいが、目はすでに短剣の刃こぼれを見ていた。
「でも、本当でしょ」
「そうだが!」
新人三人は複雑な顔をした。昨日は、荷物を失っただけで全部を失った気がした。無一文になり、装備を借り、拾われてここまで来た。なのに改めて見ると、置いてきたものの大半は買い直せる物ばかりだった。怖さの大きさに比べて、失ったものは小さい。その落差が、三人の口を重いものにしている。
コルンは短剣を拾い、ガルドへ渡した。
「刃が欠けてる。鉄としてなら少しは売れるはずだ」
「じゃあ、拾う」
少年が食料袋を開けた。乾燥肉と硬いパン。一部はすでに食い荒らされ、残りも湿って色が変わっている。
「捨てます」
「それでいい。食べ物は無理しない。腐ったもの食べて腹を壊したら、迷宮より危険」
「それは言い過ぎじゃないか?」
「腹を壊した状態で潜れるとでも?」
「……無理だな」
そこまでで、昨日の荷物はほとんど役割を終えていた。短剣の鉄と、まだ形の残った水筒だけが袋に入る。三人の肩から、昨日までの焦りが少しだけ抜けた。
弓使いの少女が、壁の向こうで足を止めた。
「これ、昨日はありませんでした」
小鬼たちが使っていたらしい窪みに、別の山ができている。折れた槍。欠けた剣。壊れた盾。革の切れ端。骨。角。古い矢。魔物の素材らしいものまで、雑に、しかし明らかに集められて積んであった。誰かが運んで、ここに置いて、また運んできた跡だ。
コルンの目が、すっと明るくなった。
「おお」
「その顔やめろ」
「小鬼の集積所じゃない?」
「たぶんな」
「いいじゃん。選び放題」
「お前、本当に迷宮を市場だと思ってるだろ」
「市場より安いよ」
「そういう問題じゃない」
魔術師の青年が山を見て、遠慮がちに聞いた。
「全部持って帰るんですか?」
「いや。全部は無理」
「珍しいですね。拾えるもの全部拾うのかと」
「失礼だなあ」
ガルドが笑った。
「前回までは、だいたいそうだった」
「ちゃんと選んでるよ」
コルンはしゃがみ、折れた槍を持ち上げた。長い。重い。金属部分だけが、まだ光を返している。
「まず重さに価値、状態。そして、持って帰るまでの面倒さ」
「それも?」
「大事なことだよ。ガルド」
「刃はまだ使える。そこそこ重い」
「じゃあ刃だけ」
剣は錆びすぎて却下。盾は板が割れ、金具だけを外す。矢は三本のうち一本だけ採用し、残りは矢尻。革は腐っていて、触れただけで繊維が崩れた。
骨を少年が手に取る。軽い。白い。出所は分からない。
「何に使うんだ」
「分からない」
「じゃあ、置くか」
「待って。ハルミトン爺さん、魔物の骨も種類によって売れるって言ってた。軽いなら一本。見本」
「売れたら、次から拾うことにする」
少女が角を持ってきた。小鬼のものとは形が違う。青年が黒い爪を差し出す。どちらも見本品として。
「見本、増えてないか?」
「情報は大事」
「持てる範囲でやれよ」
少年が、山の奥から少し大きめの袋を引き出した。中で硬いものが触れ合う。小さな魔石が、十個以上。小鬼が集めていたものだ。理由は分からない。それでも、これは見本では終わらなかった。
「売れる」
「売れるな」
「じゃあ、採用」
三人が、初めて同じタイミングで笑った。
◇
その後、小鬼が戻ってくる気配はなかった。罠はすでに崩してある。逃げ道も、来た道のまま確保してある。だから五人は立ったままではなく、しゃがんで選んだ。
「持ちすぎてない?」
「俺の袋は、まだいける」
「新人さんたち、重くない?」
「大丈夫です」
「無理しないでね。重かったら捨てる。金になりそうでも、捨てる」
少し間があった。少女が袋の紐を握ったまま、小さく言う。
「もったいないかなと」
「その気持ちは分かる。でも、生きて持って帰らないとゼロだから」
三人が頷いた。今日はこれで切り上げるガルドの合図で、誰も粘らなくなった。出口までの足音は、行きより少し重い。それでも、途中で立ち止まる者はいなかった。
◇
帰還して向かったのは、いつもの道具屋だった。
カウンターの奥で旦那が顔を上げ、五人を見て笑う。
「また来たか。今日は五人か。素材売りまで増やしたのか。弟子?」
「違います!」
少女の否定が早すぎて、コルンが少し傷ついた顔をした。
「何で否定が、早いの」
「違うでしょう!」
ガルドが笑う。カウンターの上に、金具、槍先、矢尻、魔石、角、骨、爪が順に並んだ。旦那の顔が、だんだん楽しそうになる。
「おいおい。本当に昔みたいになってきたな。素材売りが店に山ほど持ち込んでた頃だ」
「いい時代」
「お前が知らない時代だろ」
一つずつ見る。槍先は鉄がいいので買う。金具も買う。矢尻も買う。骨は安いが、装飾屋が欲しがる。角と爪は薬師か細工師の領域で、旦那には分からない。魔石は普通に買う。新人三人は、自分たちが拾ったものが値を付けられていくのを、黙って見ていた。
最後に報酬の金貨の山が並ぶ。思ったよりあった。小鬼が溜めていた魔石の分が大きい。
コルンは金貨を五等分に分けた。
「え?」
「分配。五人で」
「待ってください。俺たち、ほとんど戦ってません。素材を見つけたのも皆さんで」
コルンは、少女を見た。
「みんなで素材を見つけ、最後は魔石の袋まで発見した。荷物も運び一緒に潜り、無事に生還する。それで、分配するのは当たり前」
少年はまだ受け取りにくそうに、自分の前の硬貨を見た。
「多いです。俺たちの働きじゃ」
「じゃあ、どうする?」
コルンがガルドを見る。
「俺に振るのか」
「正式な仲間だし」
ガルドは硬貨と三人を交互に見た。
「今回は五等分でいい。ただし、次からは最初に決める。今回はこいつが勝手に連れてきた」
「ひどい」
「事実だ。戦闘は俺たちがやった。採取と運搬は全員。なら五等分でもいい。嫌なら、次はもっと働け」
三人が目を丸くした。
「次?」
「もう潜らないのか?」
少年が、ゆっくり笑った。
「潜りたいです」
「なら今日の分は、受け取れ」
少女も、青年も、少しずつ手を出す。
「ありがとうございます」
「ありがとうじゃないよ。働いた分。次も同じとは限らない。今日は五等分。次は役割で変えるかも。採取専門なら採取分。護衛なら護衛分。固定パーティーなら折半でもいい。大事なのは、あとから揉めないこと」
道具屋の旦那が、カウンターを軽く叩いた。
「若い割に、分かってるな」
「二十七だよ」
「十分若い。俺からすりゃな。昔の素材売りもそうだった。長く続く連中は、最初に決めてた。金は人を変える。宝箱ならもっとだ。安い素材で分け方を覚えとくのは悪くねえ」
少年が自分の取り分を見る。昨日は無一文だった。今日は、硬貨がちゃんと手の中にある。
「自分で稼いだ金です」
「そう。だから使い切らないように」
ガルドがすぐ続けた。
「宿代を先に分けろ。食費。薬。残った分で装備。全財産持って迷宮に入るな」
「はい!」
「何度も言わせなよ!」
三人が笑った。旦那も、コルンも笑った。
昨日までは、拾われた装備だった。借りた弓に古い杖。、仕立て直した剣。今日は素材を拾い新たな収穫も得る。荷物を運んで売って、稼いだ。一人当たりは小さな額だ。それでも、一発逆転だけを狙う場所ではない。その仮定が硬貨の重さとして、三人の掌に残った。小さく拾って、小さく売って、小さく稼ぐ。そして生きて帰ること。
「今日は何を買う」
「うーん」
「装備と言え」
「仕分け袋追加」
「やっぱりか!」
「だって五人になったし」
「固定の五人じゃない!」
「でも袋は使える。それと小石入れ」
「小石に金払う気か!」
「袋代」
「紛らわしい言い方するな!」
店いっぱいに笑い声が響いた。拾ったものを売り、金を分け、次の入り方を先に決める。当たり前のことだ。 だが、その当たり前を最初から守れるなら、この先、宝箱を見つけても、少しは揉めずに済むだろう。




