第六話 ガラクタという宝
迷宮から地上へ戻ったコルンは、その足で道具屋へ向かった。石畳は昼の陽を含んで熱く、迷宮口特有の湿った冷気だけが、二人の裾にまだ残っている。もちろん、ガルドも一緒。背負い袋の紐が肩に食い込み、歩くたびに中の部品が小さく触れ合う。矢幹と金具と板。戦利品というより、回収した残骸の音だった。
「重い」
「頑張って」
「誰の荷物だと思ってる」
「二人の戦利品」
「俺の袋に、ほとんど入ってるんだが?」
「ガルドのほうが力持ちだから」
「そういう問題か?」
「適材適所」
「便利な言葉を覚えたな」
ガルドの背負い袋からは、木の矢の先端が何本も飛び出している。さらに罠から外した板。弦。金具。ばね。その他、用途不明の細かな部品。傍から見れば、迷宮帰りの冒険者というより廃品回収屋だった。すれ違う冒険者たちが、ちらちらと二人を見る。奥層の話で肩を組む彼らの目には、袋から覗く矢が、武勲ではなくごみに見えているらしい。
「笑われてるぞ」
「いいじゃん」
「よくない」
「笑われると価値下がる?」
「下がらん」
「じゃあ問題なし」
「お前は、本当に気にしないな」
「だってさ」
コルンは振り返る。白い横顔に大通りの陽が乗る。袋の中身を宝だと言い切るにはまだ早い。それでも、その目はすでに次の秤を探していた。
「これ、金になるかもしれないんだよ?」
「まだ決まってない」
「なら今から確かめる」
昨日の苔と同じだ。拾って持ち帰り、売ってみる。駄目なら覚える。迷宮は試験場ではない。市場の奥の倉庫だ、と彼はどこかで決めている。
「ここだよ」
コルンが立ち止まる。
大通りから一本外れた場所。古い道具屋があった。看板には剣、鍋、縄、ランタンが雑多に描かれている。絵の輪郭は擦れて消えかけ、それでも店の性格だけは正確だった。何でも扱い、何でも見る。何でも、一度は値を付けていく。
「何屋なんだ、ここ」
「道具屋」
「看板だけなら何でも屋だぞ」
「便利そうじゃん」
コルンは躊躇なく扉を開けた。
「こんにちはー」
「声がでかい」
暖簾の向こうは、外の熱より一段暗く、油と古い革と金属の匂いが層になっていた。店内には物が溢れている。縄。袋。水筒といった雑貨に簡単な防具、中古の盾まである。棚と棚の間を人が通れる幅だけが、かろうじて残されていた。埃は薄い。売れていないのではなく、触る手が減った棚だった。
そして店の奥。
大柄な男が椅子に座っていた。五十歳くらいだろうか。髭が濃い。腕も太い。店主というより鍛冶師に見える。膝の上の布巾は黒く、爪の間には錆が残っている。長年、他人の道具の寿命を測ってきた手だった。
「いらっしゃい」
男は顔を上げる。声は低く、しかし拒否はしていない。
「何がいる?」
「今日は売りたい」
「素材か?」
「たぶん」
「たぶん?」
コルンがガルドを見る。
「降ろして」
ガルドが背負い袋を床へ置いた。どすん、と意外に重い音がする。床板が一度だけ鳴り、店主が眉を上げた。
「何を持ってきた」
「壊れた罠を、解体したもの」
コルンは袋を開く。湿った迷宮の匂いが、店の油の匂いに混ざる。
「矢、一本、二本……」
「見りゃ分かる」
店主が立ち上がった。椅子が後ろへずれ、大きな影が棚に落ちる。コルンは次々並べる。卓の上が、徐々に戦場ではなく工房の端材置き場になっていく。
「金具に、弦とバネ、あとは板かな」
「ほう。そこまで剥がしたのか?」
「取れたから」
「お前さんが?」
「うん」
店主がコルンを見る。旅装姿に腰の短剣、重装備ではない。白い肌に、迷宮の脂が細く残っている。戦士の手ではない。それでも、外し方を知っている手だった。
「職は?」
「義賊」
「ああ」
その一言で何か納得したらしい。盗む技術と、外す技術は、根が同じだと知っている男の顔だった。
「罠師じゃないんだな」
「義賊」
「二回言わなくても聞こえてる」
「大事だから」
「そうかい」
店主は木の矢を一本取った。曲がりを見る。矢尻と軸に羽根。指で弾き、耳を澄ます。軽い音が、軸の寿命を告げる。
「これは駄目だ。軸が曲がってる」
「木材としては?」
「使えんこともないが、こんな細い端材なら山ほどある」
「じゃあ、いらない?」
「いらんな」
「了解」
コルンはすぐ脇へ分ける。未練がない。売れないものは、売れないと覚える。それも収穫だった。
「こっちは?」
「待て待て」
店主は二本目。光にかざし、矢尻の欠けを爪で確かめる。
「これは使える。矢尻を研いで、羽根を付け直せば売れるな」
「いくら?」
「完成品ほどは出せんぞ」
「もちろん」
「これくらいだ」
値段を告げる。銀の端数だ。それでも、踏まれて折れた一本よりはずっと高い。
「売る」
「早いな。弓は持ってないのか?」
「なら何で拾ってきた」
「売れるかなって」
店主がコルンをじっと見る。使う前に値を聞く客。買う前に使い道を想像しない客。その順番が、この店の主人には懐かしいらしかった。
「……なるほどな」
一本づつ、弓矢の選別をしていく。使える、使えないもの。修理すれば使えるもの。部品取りだけのものといった具合に、分類されていく。七本のうち、まともに再利用できるものが四本。二本は矢尻だけ。一本はほぼ価値なし。卓の上が、徐々に「ゴミ」と「品」に分かれていく。
「全部ゴミじゃなかった」
コルンが嬉しそうに言う。白い顔が、店の薄暗い中で少しだけ明るくなる。
「だから、言ったろ」
店主が答える。
「いや、今言ったんだよ」
「そうだったか?」
「そう」
「細けえな」
「ガルドと同じこと言う」
「俺を巻き込むな」
次は金具。店主の反応が変わった。指の動きが、値踏みから愛で寄る。金具を光にかざす。表面の薄い膜の下に、まだ生きている金属色がある。
「錆が少ない。迷宮の金具は妙に丈夫なものがある」
「何に使える?」
「留め具と箱。、盾の補修。罠を作る奴なら、そのまま使う」
「罠」
コルンの目が光る。朝のハルミトンの卓と同じ光だった。
「お前さん、作るほうもやるのか?」
「まだ」
「まだ、か」
ガルドが嫌そうな顔をする。盾の縁を指で叩く。
「余計なことを教えないでくれ」
「なんでだよ」
「こいつが罠まで作り始めたら、俺が安心して寝られん」
「仲間か?」
店主が聞く。ガルドが一瞬止まる。言葉の順番を探す目になる。試しに二回同行しただけ。そのどれもが、いま口の中で足りない。
「いや、まだ――」
「そうだよ」
コルンが代わりに答えた。迷いがない。金を置くときと同じ速さだった。
「おい」
「一緒に潜ってる」
「試しにだ」
「二回潜った」
「回数の問題じゃない」
「儲けも半分」
「それはお前が勝手に――」
「仲いいな」
「どこを見たらそうなる!」
店主が豪快に笑った。棚の鍋が、その声に小さく共鳴する。
「この弦は、売り物にならんな。罠に使われて張りっぱなしだったんだろ。傷んでる」
「そっか」
「短く切って、荷物を縛る程度なら使える」
「じゃあ使う」
「売らんのか?」
「使えるなら使う」
「なるほど」
コルンは弦を自分の袋へ戻す。売れないものを捨てない。使える形に変えれば、それも金だ。店主は、その判断に小さく顎を引いた。
次はばね。店主の手が止まった。指の腹で弾き、戻りを見る。金属の短い声が、店の奥まで走る。
「これは買う」
「高い?」
「そこそこだな。加工が面倒だから、価値はある」
「なるほど」
コルンは店主の手元を見る。店主もコルンを見る。値を言う前に理由を置く男と、理由を聞いてから頷く男。
「お前さん、値段交渉しないのか?」
「適正?」
「俺はそう思ってる」
「じゃあ、それで」
店主は少し変な顔をした。値切られないことが、値を信じられていることに近いと、今さら気づいた顔だった。
「冒険者にしちゃ、珍しいな」
「よく言われる」
「そこじゃねえ」
査定は続く。最後は板。薄いが、釘穴の位置が揃っている。誰かが一度、意図を込めて切った板だ。
「これは安い」
「売れる?」
「薪よりは高い」
「じゃあ、売る」
「本当に何でも売るな」
「持って帰ったから」
コルンは当然のように言った。白い手が、板の木目を一度だけ撫でる。
「使わないなら、お金に変えたほうがいいでしょ」
「まあ、そりゃそうだが」
全部を査定する。店主が計算板に数字を並べ、硬貨をカウンターへ置く。苔ほどではない。だが、朝に買った情報代の一部は、きちんと戻ってきた。銀が小さく光り、銅が端を埋める。
コルンが嬉しそうに硬貨を見る。
「ちゃんと金になった」
「最初からそれが目的だろ」
「でも実際になると、嬉しいじゃん」
「子供か」
「二十七」
「聞いてない」
店主が笑う。
しかし、硬貨を渡したあとも、店主は解体された罠の部品を見ていた。金具、矢尻にばね。加工された板、か。その表情が、少し懐かしそうになる。棚の奥の、今は動かない在庫を見る目だった。
「……まだいたんだな。お前さんみたいなの」
コルンが首を傾げる。
「義賊?」
「違う」
店主は苦笑する。髭の間に、短い息が落ちる。
「素材売りだよ」
「素材売り?」
「ああ」
ガルドも店主を見る。盾役の男が、初めて職名ではない呼び名を聞いた顔だった。
「昔は結構いた」
店主は金具を一つ手に取った。光の角度を変え、錆の薄さを確かめる。確かめる仕草そのものが、昔の朝の繰り返しに見えた。
「迷宮に潜ってな。何でも持って帰ってくる連中が」
「何でも?」
「薬草に茸、鉱石。魔物素材、壊れた武器。罠の部品から変な石まで」
店主が笑う。
「売れるかどうか分からなくても、とりあえず持ってくる」
「俺と同じだ」
「そうだ」
「いい仕事だね」
「地味だぞ。英雄にもなれん」
「なる予定ない」
「深層攻略者として名前が売れることもない」
「名前売っても腹膨れないし」
店主は一瞬黙り、それから大きく笑った。
「ははっ! 気に入った!」
「ありがとう?」
「なんで疑問形なんだ」
店主は機嫌がよかった。本当に。少し嬉しそうですらあった。減っていた流れが、今日だけ細い水路を取り戻した顔だった。
「昔はな」
話を続ける。声が、商いから記憶へ降りる。
「朝、素材売りが来るんだ」
「うん」
「昨日はこんなの見つけた。これは何に使える。あっちは駄目だった。そういう話をしながら、俺たち道具屋が買う」
「楽しそう」
「楽しかったぞ」
店主は棚を見る。今は埃の薄い層が乗っている棚だ。
「鍛冶屋に回すものもあった。薬師に持っていくものもあった。俺にも分からんものなら、知ってそうな職人を紹介した。そうやって街中を素材が回ってた」
迷宮から冒険者へ。冒険者から道具屋へ。道具屋から職人へ。職人から、また冒険者へ。ローデンという街の血が、かつてはその輪で回っていた。
「でも減った」
コルンが言った。薬屋の女が言った言葉と、同じ場所で重なる。
「なんで?」
「儲からないと思われるようになった」
店主は肩をすくめる。太い肩が、棚の影を動かす。
「魔物を倒して、魔石を取ったほうが早い。深い階層で宝箱を探したほうが一発がでかいのもある。運が良ければ、珍しいドロップ品なら、一個で何日分も稼げる」
「だから、みんな奥を見るようになったんだね」
店主が店先を見る。暖簾の隙間から、大通りの速い足音だけが漏れる。
「足元を見なくなった」
コルンは黙った。昨日、目の前で折れた矢の音が、その沈黙の底で一度だけ鳴る。
「壊れた罠なんて、昔なら誰かが剥がしてた」
「昨日は踏まれてた。矢も折られた」
「もったいねえ」
「だよね!」
コルンが勢いよく食いつく。白い顔が、急に近くなる。
「一本、目の前で踏まれた!」
「そりゃもったいねえ!」
「使えたかもしれないのに!」
「矢尻だけでも使えた!」
「そう!」
ガルドは二人を見る。妙に意気投合していた。盾と店主と義賊。立場は違うのに、惜しむ対象だけが同じだった。
「お前ら、気が合うな」
「大事な話だよ」
「そうだぞ、盾の兄ちゃん」
「ガルドだ」
「そうか、ガルド」
店主は笑う。
「お前も手伝ってやれ」
「もう手伝わされてる」
「いいじゃねえか」
「荷物が重い」
「盾より軽いだろ」
「コルンと同じこと言うな!」
また店主が笑った。ひとしきり笑ったあと、店主はカウンターの下を探る。埃を払う音、布が擦れる音。出てきたのは、古い布袋だった。
「素材売りなら、これ持ってけ。仕分け袋だ」
中を見る。小さな袋がいくつも入っている。縫い目は古く、印だけが新しい。使い込まれて、それでも役割を忘れない道具だった。
「金属、薬草類、危険物、細かい部品」
それぞれ印がついている。コルンの目が輝いた。宝箱より、この仕切りのほうが彼には具体的だった。
「欲しい」
「やる」
「いくら?」
「いらん」
「払うよ」
「古いやつだ。売り物じゃねえ」
「でも使える」
「だからやる」
「じゃあ、情報買う。この袋の分」
「……」
「一階層で、他に拾えそうなもの教えて」
店主は目を丸くした。そして、また笑った。無償で渡した袋が、すぐに情報の対価に変わる。損を嫌うのではなく、流れを嫌う男のやり方だった。
「本当に変な奴だな!」
「よく言われる」
「じゃあ銀貨一枚」
「払う」
「即決かよ」
「情報は言い値」
銀貨が一枚、カウンターに置かれる。店主はそれを見た。少し考えて、顎を撫でる。
「なら、値段以上に教えてやる」
「いいの?」
「俺の勝手だ」
「じゃあ、聞く」
コルンは嬉しそうに身を乗り出した。ハルミトンの卓と同じ姿勢。聞くときは、盗むときより誠実だった。
店主が指を一本立てる。
「壊れた剣。折れてても捨てるな」
「鉄だから?」
「そうだ。錆び方次第だが、打ち直し用に買う鍛冶屋がいる」
「盾は?」
「木製なら金具を見ろ。鉄製なら穴が開いてても値段がつく場合がある」
「革鎧は留め具。まだ生きてる革。金属板の状態で変わる」
「あとは、状態次第か物によるな。魔物素材や他の素材は」
「何でも拾う気か!」
ガルドがついに止めた。袋の重さが、未来の自分の肩に重なったらしい。
「だって聞いたら売れるかもしれない」
「持てる量には限界がある!」
「あ」
コルンが止まった。仕分け袋の口を、指で一度たたく。
「確かに」
「今気づいたのか!」
「じゃあ」
コルンはガルドを見る。白い目が、盾より先に、ガルドの背中の広さを測る。
「大きい背負い袋買う?」
「俺を見るな!」
店主の笑い声が、店いっぱいに響いた。鍋も、盾も、古いランタンも、その笑いに短く答えるように反響する。
寂れていく迷宮都市。冒険者はまだいる。だが、昔ながらの素材売りは、ほとんどいなくなった。宝箱ではなく、希少なドロップ品でもなく、誰かが踏み越えたもの。捨てたもの。見落としたもの。それを拾い、価値を聞き、街へ持ち帰る。
「また持ってこい」
店を出ようとしたコルンへ、店主が言った。暖簾の端を指で押さえ、外の光を細める。
「変なのでも?」
「変なのほど面白い」
「ゴミだったら?」
「ゴミだって教えてやる」
「それも情報か」
「そういうことだ」
コルンは笑った。
「じゃあ、また来る」
「ああ」
店の旦那は手を振った。久しぶりだった。迷宮から帰ってきた冒険者が、こんなものを見つけた、これは使えるか、いくらになる、次は何を探せばいい。そんな話を楽しそうにするのは。
「素材売りか」
店の外。陽が、また熱い。コルンはもらった仕分け袋を眺める。印のついた小さな袋が、風に軽く膨らむ。
「いいね」
「義賊じゃなかったのか」
「義賊兼素材売り」
「増えたぞ」
「迷宮探索者も」
「さらに増やすな」
「魔法も使う」
「もう職業欄に入りきらんだろ」
コルンは笑った。そして、先ほど受け取った代金を数える。硬貨の縁が、白い掌の上で小さく鳴る。迷いはない。最初から半分が、自分の取り分だからだ。
「はい」
半分をガルドへ。
「……またか」
「折半」
「罠を解体したのは、ほとんどお前だ」
「運んだのはガルド」
「それだけだぞ」
「大事」
「……」
「次もお願いね」
「それが目的か!」
結局、ガルドは金を受け取った。二度目の稼ぎ。二度目の折半。掌の銀は、昨日より少ない。それでも、昨日より意味がはっきりしていた。荷物の重さの分だけ、自分の名前がそこに乗っている。
コルンにとっては、もう当たり前のことだった。
誰かが得をするために、誰かが損をする必要はない。袋が重くても、笑われても、足元の残骸でも。その決まりだけは、もう迷宮の道順と同じ場所に置かれていた。




