第二話 協力者
迷宮都市ローデンには、冒険者が集まる。正確には――かつては、集まっていた。理由は単純だ。儲かるから。魔物を倒せば、時折その身体から魔力を帯びた品が残る。通称、ドロップ品。角。牙。毛皮。魔石。武器。ごく稀に、どういう仕組みなのか、すでに加工済みの品まで。それだけではない。迷宮内部には、地上では育たない薬草やきのこなどがある。壁面から採掘できる鉱石もある。魔力を吸収して結晶化した石。地下水。苔。虫。魔物の巣から採れる素材。知識がある者にとっては、通路の壁さえ金になる。
そして――宝箱。
これが一番よくない。
「エサの見本市だねえ」
コルンは冒険者組合の掲示板を眺めながら、独り言のように呟いた。壁一面に貼られた依頼書の紙片が、微かな風に揺れている。魔石の納品。薬草の採取。魔物素材の収集。行方不明者の捜索。失われた装備の回収。そして――遺品回収。最後のものだけ、紙の色が違った。白ではなく、薄く黄ばんだ紙が多い。明らかに多い。
「はい?」
カウンターの向こうで、受付嬢が首を傾げた。
「迷宮のこと」
「ああ……」
「魔物を倒せば金になる。歩いてるだけでも珍しいものが見つかる。運がよければ宝箱。そりゃあ潜りたくなるよね」
「実際、それで発展した街ですから」
「だろうね」
コルンは掲示板から視線を戻し、カウンターへ歩み寄った。肘をついて身を乗り出す。
「腕があれば、儲かる。運がよければもっと。あと少し進めば、宝箱があるかもしれない。あと一匹倒せば珍しいものが、落ちるかもしれない」
受付嬢は黙った。
「あと一部屋、あと一匹、あと一箱…」
受付嬢の顔から、少しずつ表情が消えていった。
「気がついたら、それで帰れなくなる」
「……そうですね」
「いい迷宮だ」
「いい?」
「迷宮にとっては、人間が勝手に欲を出して、勝手に奥へ来てくれるんだから」
罠とは、踏ませるものではない。踏みたくなる場所に置くものだ。義賊として鍵や罠を扱ってきたコルンには、それがよく分かる。何もない廊下の真ん中に落とし穴を作っても、慎重な人間なら避ける。なら、その向こうに金貨を置けばいい。もっといいのは宝箱だ。もっともっといいのは、あと少しで手に入りそうと思わせること。人間は、自分から罠へ入ってくる。
「で、その臆病な盾役は?」
「臆病な、そんな言い方は……」
「そっちが言ったんじゃない」
「私は以前のパーティーからそう評価されたと説明しただけです」
「同じ同じ」
「違います」
真顔で否定された。真面目な性格らしい。
「真面目だなあ」
「仕事ですので」
受付嬢は帳簿を確認する。指先が素早くページを繰る。
「ガルドさんですね。二十九歳。重戦士。盾を中心とした防御型です」
「俺より年上か」
「二歳だけでしょう」
「二十七と二十九なら大差ないか」
受付嬢は小さくため息をついた。それからガルドの登録情報を改めて確認する。
「現在、固定パーティーには所属していません。宿は《銀鹿亭》です」
「近い?」
「ここを出て左へ。三つ目の角です」
「ありがと」
立ち去ろうとしたコルンを、受付嬢が止めた。声が少しだけ低い。
「本当に勧誘されるのですか?」
「そのつもり」
「一度、話を聞いてからのほうが」
受付嬢は言葉を選ぶように、一瞬視線を落とした。
「彼が以前所属していたパーティーは、それなりに実績がありました。三階層まで安定して探索できる中堅です」
「それで?」
「ガルドさんは探索途中、何度も撤退を主張したそうです。最終的には、まだ戦える状態だったにもかかわらず、一人で引き返そうとしたと」
「一人で?」
「正確には、負傷した仲間を連れて」
コルンの目が細くなる。興味が、はっきりと表に出た。
「それ、先に言ってよ」
「え?」
「面白くなってきた」
受付嬢には意味が分からなかったらしい。コルンは軽く手を振って組合を出た。
◇
《銀鹿亭》は、安宿だった。
悪い宿ではない。床は掃き清められ、テーブルの上にも埃はほとんど積もっていない。ただ、古い。梁の木目は黒ずみ、壁紙はところどころ剥がれかけている。冒険者が長期間滞在するための宿らしく、一階には食堂と酒場が併設されていた。昼を過ぎているため、客は少ない。窓から差し込む光が、床に細長い影を落としている。
その中に一人だけ、やたらと大きな男がいた。
「分かりやすいな」
コルンは呟いた。
身体が大きい。肩幅が広い。短く刈った茶髪。顔には古い傷が、薄い線となって残っていた。椅子に座っているだけなのに、戦士だと分かる。壁には大盾。その横に長剣。どちらも傷だらけ。だが、手入れはされている。刃こぼれは直され、革の紐も新しく締め直されている。装備を大事にする男らしい。
「ガルド?」
声をかける。
男が顔を上げた。視線は鋭く、だが敵意というより、ただ警戒しているだけに見えた。
「そうだが」
「俺、コルン」
「……誰だ?」
「今日来た、この街に」
「知らん」
「だろうね」
コルンは勝手に向かいへ座った。椅子が小さく軋む。ガルドが眉を寄せる。
「何の用だ」
「仲間になって」
「断る」
「早いなあ」
「俺の評判を聞いて来たんだろ」
「聞いた」
「なら分かるはずだ」
「臆病者」
ガルドの顔が険しくなった。拳が、テーブルの上でわずかに握られる。
「帰れ」
「撤退判断が早く、負傷者を連れて帰った」
ガルドの目が止まった。
コルンは店員へ手を上げる。
「何か飲む?」
「いらん」
「俺は飲む。果実水ある?」
「あるよ」
果実水が運ばれてくる。薄いガラスの杯に、淡い色の液体。コルンは一口飲んだ。薄い甘味が口の中に広がる。だが悪くない。喉を通る感触が、乾いた旅の後の空気を少しだけ和らげた。
「なんで撤退したの?」
「聞いたんじゃないのか」
「他人から聞いた話と本人から聞いた話は別物だよ」
ガルドは黙った。
コルンは急かさない。果実水を飲む。窓の外では、誰かが荷車を引く音が遠くに聞こえる。しばらくして、ガルドが口を開く。声は低く、抑えていた。
「三階層に、宝箱があった」
その言葉だけで、おおよその話が見えた。だがコルンは黙って続きを待つ。
「俺たちは六人だった。俺、剣士、斥候、魔術師、僧侶、弓使い」
「いい編成だ」
「二階層までは問題なかった。三階層でも魔物を何体か倒した」
「消耗は?」
「魔術師の魔力が半分以下。僧侶も同じくらい。剣士が腕を負傷。弓使いの矢も残り少なかった」
「帰り道は?」
「確保していた」
「で、宝箱?」
「ああ」
ガルドの太い指が、無意識に握られる。指の関節が白くなった。
「通路の先に部屋があった。中央に宝箱が一つ」
「露骨だね、罠は調べた?」
「ああ、調べた。入口にはなかった」
「入口にはね」
コルンはそこを繰り返した。ガルドが頷く。
「俺は嫌な感じがした」
「理由は?」
「ない」
「いいね。理由のない違和感を無視しなかった」
「だが、他の奴らは違った」
ガルドの声がさらに低くなる。
「宝箱は珍しい。三階層なら魔法武器が入っている可能性もある。ここまで来たんだから確認するべきだと」
「俺と斥候は反対し、帰るべきだと言った。だがリーダーが進むと決めた」
「多数決?、最悪だねぇ」
「……何?」
「迷宮で、多数決だなんて」
コルンは果実水の杯を置いた。音が小さく響く。
「欲しい人間が多ければ、安全になるわけじゃない」
ガルドは何も言わない。
「それで、どうなった?」
「落とし穴にひかかった」
コルンは笑わなかった。ただ、静かに頷いた。
「部屋の中央付近。宝箱へ近づいた瞬間、床が沈んだ。前にいた剣士と僧侶が下へ落ちた」
「深さは?」
「二メートル程度だ」
「殺す罠じゃない」
「ああ」
ガルドの表情がさらに暗くなる。
「ただの足止めだった」
コルンは呟く。ガルドがこちらを見る。
「分かるのか」
「その後、魔物が来たんでしょ?」
「……ああ」
部屋の入口が閉じる。左右の壁から魔物が出てきた。落とし穴に落ちた二人は動けない。前衛は崩れた。魔術師には十分な魔力がない。僧侶は負傷。それでも戦った。
「宝箱は?」
「最後まで開けられなかった」
「いいねえ」
「何がだ!」
初めてガルドが声を荒らげた。周囲の客がこちらを見る。コルンは平然としている。
「宝箱なんてどうでもよかったって、確認できた」
「……」
「仲間を生かすほうが、大事だったんだろ?」
ガルドが黙った。
「俺は撤退を命じた」
「リーダーじゃないのに?」
「ああ」
「いい判断だ」
「リーダーは反対した」
「それで?」
「殴った」
コルンは笑う。ガルドは頭を抱えた。大きな手で、短く刈った髪を掻きむしる。
「斥候と俺で道を作った。負傷した剣士を俺が背負った。僧侶は歩けた。魔術師が最後の魔力で魔物を足止めした」
「全員帰った?」
「ああ」
「なら大成功」
「成功なものか!」
再び大声。
「宝箱も取れなかった! 装備もいくつか失った! 薬も全部使った! そのうえ俺はリーダーを殴った!」
「でも六人で入って、だれも欠けずに六人帰った」
「……」
「迷宮でしょ?」
コルンの声だけが妙に軽い。
「なら、それで十分じゃない?」
ガルドは答えなかった。
コルンは窓の外を見る。迷宮都市。かつて栄えた街。今は衰えている。通りを歩く人の数が少なく、建物の窓の多くが閉じられ沈黙。
「迷宮ってさ、エサの見本市なんだよ」
「エサ?」
「魔物を倒せばドロップ品、珍しい薬草、鉱石、魔石、地下水なんかの迷宮資源。それから宝箱に、罠までエサになる」
「罠が?」
「解除できれば経験になる。珍しい仕掛けなら情報として売れる。場合によっては罠そのものから部品を取れる」
「……そこまでやる奴は少ない」
「俺はやるよ。義賊だから」
「義賊?」
初めてガルドがコルンをまじまじと見た。視線が、短剣と旅装に落ちる。
「お前、盗賊なのか?」
「義賊」
「同じだろ」
「違うって。たぶん」
「たぶんって何だ」
「細かいことはいいんだよ」
コルンは笑った。
「とにかく、迷宮には欲しくなるものがいっぱいある」
そして、笑みを少しだけ薄くした。
「だから怖いだよ。もう一匹なら倒せる。もう一部屋なら進める。あの薬草だけ、あの宝箱だけって」
コルンは指を鳴らす。乾いた音が、静かな店内に小さく広がった。
「そこに漬け込むのさ」
ガルドの視線が鋭くなった。
「迷宮に意志があるとでも?」
「知らない」
「知らないのか」
「分からないことを分かったふりするほうが危ないよ。意思があってもなくても同じ。迷宮は欲を出した人間から殺していくようにできてる。だったら俺たちは、それを忘れなきゃいい」
ガルドはしばらく黙っていた。大きな肩が、ゆっくりと上下する。
「お前は宝箱を見ても、欲しくならないのか?」
「なるよ、めちゃくちゃ欲しい」
「……」
「義賊だぞ? 宝箱なんて見つけたら開けたいに決まってる」
「さっきまでの話は何だったんだ」
「欲しくならない人間を探してるわけじゃないから」
コルンは立ち上がる。椅子が小さく鳴る。
「欲しくても帰れる人間を探してる」
ガルドが顔を上げた。
「ガルド」
「……何だ」
「俺と迷宮に潜らない?」
「だから、俺は――」
「臆病?」
「……」
「最高じゃん」
コルンは壁に立てかけられた大盾を見る。傷だらけ。深い傷もある。何度も何度も攻撃を受け止めた盾だ。そして剣。刃こぼれは直されている。柄も交換されていた。大事に使われている。
「俺、魔法が得意な義賊」
「聞いたことがない」
「俺も俺以外は知らない」
「……」
「だから前に立ってくれる人が欲しい」
コルンはガルドを見る。
「敵をいっぱい倒す人じゃなくて、俺をちゃんと街まで連れて帰ってくれる人」
ガルドは何も言えなかった。しばらく沈黙が続く。やがてガルドが大きく息を吐いた。肩の力が、少しだけ抜けたように見えた。
「一度だけ、お前と潜る」
「おお」
「仲間になるとは言っていない。お前が馬鹿なら、その一度で終わりだ」
「いいよ」
「危険だと思ったら俺は撤退を提案する。宝箱があってもだ」
「うん」
ガルドがコルンを睨む。
「本当だろうな」
「そのとき考える」
「おい!」
コルンが笑う。
「冗談冗談」
「お前と組むの、もう嫌になってきたぞ」
「まだ組んでもいないのに?」
「誰のせいだ!」
店内にガルドの声が響いた。コルンは楽しそうに笑っていた。
最初の一人。
強いからではない。有名だからでもない。臆病と呼ばれたからこそ、コルンはこの男を選んだ。
迷宮には、エサが溢れている。ドロップ品。罠。資源。宝箱。人間の欲を刺激して、もう少し、もう少しと奥へ誘う。ならば必要なのは、欲のない人間ではない。欲よりも仲間の命を選べる人間だ。
「明日の朝、組合前ね」
「もう決定なのか」
「一階層だけ見に行こう」
「装備は?」
「これ」
コルンは短剣一本を叩いた。ガルドの顔が引きつる。
ガルドが立ち上がった。大きな体が影を落とす。
「よくそれで俺を勧誘しに来たな!」
「だから仲間が必要なんだって」
「先に装備を揃えろ!」
「現地調達で」
「迷宮を市場みたいに言うな!」
ガルドの怒鳴り声を聞きながら、コルンは思う。
やっと、いい前衛を見つけた。




