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第一話 たった一人の先遣隊

 王都から北へ、馬車で十日。

 石畳が途切れ、やがて土の道に変わる。車輪が跳ねるたびに埃(ほこり)が舞い、車窓の外には枯れかけた草原と、ところどころに見える廃屋だけが続いていた。御者はほとんど口を利かず、コルンもまた、必要以上に話しかけない。ただ、風の匂いと、遠ざかる王都の気配を、静かに数えていた。

 十日目の午後、道の終わりに、ひどく景気の悪そうな街が現れた。


 「うわあ」


 門の前で馬車を降りたコルンは、思わず声を漏らした。

 黒髪を乾いた風に揺らしながら、彼は街を見上げる。石造りの城壁は、かつては立派だったのだろう。だが今は、ところどころにひびが走り、苔が黒く這(は)っている。頑丈そうな門も、鉄の飾りが錆びて赤く剥(は)げ落ちていた。その向こうには何本もの煙突が立ち、古びた大きな建物が並んでいる。街そのものの骨格は、まだ残っているが問題は、そこに息づく気配だった。

 出入りする人間が少なく荷馬車も、ほとんど見えない。門番の顔は、まるで日陰に置かれた石のように暗かった。


 「ここが、迷宮都市ローデン?」


 「ああ」


 御者が、嫌そうに答えた。声に、はっきりとした拒絶が混じっている。


 「昔はもっと賑わってたんだがな。俺は中までは行かねえぞ」


 「どうして?」


 「どうしても何も、死人が多いんだ」 


 「なるほど」


 「なるほど、じゃねえよ」


 御者は呆(あき)れた顔でコルンを見た。その視線の先で、コルンは軽く肩をすくめている。

 コルンは二十七歳。黒髪に黒い瞳。細身に見えるが、旅装の下にはきちんと鍛えた身体があった。腰には短剣一本。背中には小さな鞄、それだけだった。王命を受けて、迷宮都市までやってきた先遣隊としては、とても思えない姿。


 「兄ちゃん、本当に冒険者か?」


 「一応」 


 「装備、それだけ?」


 「最低限でいいって言われたから」 


 「誰に?」


 「王様」


 「……頭打ったのか?」


 「よく言われる」


 コルンは短く笑い、馬車代を払った。金貨を受け取った御者は、しばらくそれを見つめてから、最後にひとつだけ忠告した。


 「迷宮に行くなら、一人では行くなよ」


 「ありがと」


 御者は最後まで不安そうだった。馬車が土煙を上げて去っていくのを見送ると、コルンは改めて街を見上げる。

 王命、その言葉だけ聞けば大層なもの。実際に渡された命令書も、封印付きの立派なものだった。

 ――迷宮都市ローデン周辺において冒険者及び住民の死傷者が増加している。迷宮内部の状況を調査し、攻略の可能性を探れ、か。

 王国としても、いきなり騎士団を送り込むつもりはないらしい。まず誰かに中を見せる。危険すぎる迷宮なのか。攻略できるのか、できないのか。そのために選ばれたのが、コルンだった。

 職業、義賊。属性、善。魔法を使い、罠を見抜き、鍵を開け、必要なら戦闘を避ける。真正面から剣を振るう仕事ではない。それを聞いた王国の役人は、好都合。そして装備について尋ねたコルンに、現地調達。余計な金をかけたくなかったのだろう。


 「まあ、いいけど」


 コルンは気にしていない。足りないなら現地で調達すればいい。買えなければ、拾う。拾えなければ、探す。探してもなければ、別の方法を考える。


 「身分証を」


 門番に言われ、コルンは懐から冒険者証を出した。門番が目を落とす。そして固まる。


 「……義賊?」


 「そう」


 「盗賊ではなく?」


 「義賊」


 「武器は?」


 「これだけ」


 腰の短剣を指す。門番は黙った。長い沈黙のあと、彼は小さく息を吐いた。


 「それで、大丈夫?」


 「それは、俺が聞きたい」


 なかなか正直な男だった。コルンは笑う。


 「迷宮に入りたいんだけど、まずどこに行けばいい?」


 「冒険者組合だ。大通りを真っすぐ進めばある」


 「ありがとう」


 門番が少し声量を落とした。周囲を確認するように視線を泳がせてから、続ける。


 「新しく来た奴は、すぐに仲間を探せ」 


 「そんなに危険?」


 「昔よりな」


 その言葉だけで、門番の表情が変わった。五年前の記憶が、まだ彼の中に残っているらしい。


 「五年前なら、一階層や二階層は新人の訓練場所だった。今はそこで死人が出る」


 「魔物が強くなった?」


 「分からん」


 門番に見送られながら、コルンは街へ入った。

 大通りは広い。かつては馬車が行き交い、露店が並んでいたのだろう。だが今は、人通りが少ない。閉じた店。板を打ち付けられた窓。看板だけ残った武具屋。錆びた金具が、風に小さく鳴っていた。反対に、薬屋だけは妙に客が多かった。入口に並ぶ瓶の数が、街の状態を無言で語っている。

 コルンは歩く速度を落とした。荷運びをしている男の背中。片腕を吊(つ)った冒険者の顔色。宿屋の主人が、通行人を見る目の鋭さ。道の端で剣を売ろうとしている若者の、擦(す)り切れた靴。誰も笑っていない。空気そのものが、薄く澱(よど)んでいる。


 迷宮が危険となれば、冒険者が逃げる。冒険者が逃げれば、冒険者を客として、相手にしていた商人も逃げ出す。商人が逃げれば、物資が減る。物資が減れば値段が高騰。装備や薬が高くなれば、新人冒険者ほど苦しくなる。苦しくなった新人が無理をし、そして死ぬ。


 「悪循環だねえ」


 独り言を漏らしたところで、横から怒鳴り声がした。


 「だから返せって言ってるだろ!」


 路地の入口。二人の冒険者が、一人の少年を囲んでいる。少年の手には小さな革袋があった。


 「拾ったんだ!」


 「俺たちが落としたんだよ!」 


 「嘘だ! ずっと前から道に――」


 コルンは足を止めた。少年三人に、冒険者二人。革袋。そして、冒険者の腰。片方には剣。もう片方には斧。だが、二人とも腰に貨幣袋を下げている。しかも、少年が抱えている革袋とは明らかに別物だった。

 少年の靴は擦(す)り切れている。服も古い。けれど逃げようとはしていない。革袋を胸に抱き、じっと踏ん張っている。

 コルンはしばらく眺めてから、静かに声をかけた。


 「それ、君たちのじゃないでしょ」


 「はあ?」


 二人が振り返る。


 「誰だ、お前」


 「通りすがり」


 「なら黙ってろ」


 コルンは一人の腰を指した。


 「君の貨幣袋、右腰についてるじゃない」


 「だから何だ」


 「君、左利きでしょ」


 男の顔が止まる。


 「剣を左に提(さ)げてる。つまり抜くのは右手。貨幣袋は邪魔にならない右腰。いつもそうしてる」


 「……」


 「で、その革袋」


 少年が持つ袋を指す。


 「紐の結び方が逆なんだよ。左手で開けやすい結び方になってる」


 「そんなので――」


 コルンはもう一人を見る。


 「君は斧使い。手の皮が分厚い。でも、その袋は薬師か書記が使うような柔らかい革。君たちが普段使いするには小さすぎる」


 二人が黙る。コルンは、まるで日常の会話でもしているように笑った。


 「拾ったのを見て、横取りしようとした?」


 「てめえ……!」


 剣の男が柄に手をかけた。コルンは動かなかった。ただ、視線を少しだけずらす。


「いいの? 門からここまで、衛兵を三人見た。今も後ろの角に一人いる」


 男が反射的に振り返る。本当にいた。衛兵がこちらを見ている。距離は近い。街の中で刃を抜けば、すぐに騒ぎになるだろう。


 「街の中で剣を抜いたら面倒だよ」


 「ちっ」


 二人は少年を睨(にら)み、去っていった。コルンはその背中を見送る。足取りは速く、だがどこかぎこちない。


 「素直で助かるね」


 「……あの」


 少年がおそるおそる声をかける。声は小さく、だがはっきりしていた。


 「ありがとう」


 「どういたしまして」


 少年は袋を見る。中身が重いのか、両腕で抱えるようにしていた。


 「組合に届ける」


 「そうするといい」


 「中身、けっこう入ってるけど」


 「なら持ち主は困ってるだろうね」


 少年は頷(うなず)き、走っていった。コルンはその小さな背中を眺める。埃っぽい路地を抜けていく姿は、どこかこの街の空気に似ていた。まだ折れきってはいないが、すでに傷んでいる。


  「善人、一人みっけ」


 小さく呟(つぶや)く。この街に来てから、人を見ていた。強い人間ではない。金持ちでもない。有名人でもない。信用できる人間を探している。なぜなら迷宮では、それが一番大事だからだ。

 背中を任せた相手が宝箱を前に裏切る。回復役が金次第で仲間を見捨てる。前衛が自分だけ助かろうとする。そんな連中と地下へ潜るくらいなら、一人のほうがまだいい。

 でも、一人じゃそのうち死ぬ。

 門番の忠告は正しい。ならば、仲間を探すしかない。

 コルンは冒険者組合へ向かった。大きな石造りの建物。壁面には古い傷が残り、入口の階段は踏み減って滑らかになっている。扉を開けると、中は意外なほど人が多かった。

 ただし、活気があるわけではない。酒を飲んでいる者の声は低く、怪我をしている者は壁に寄りかかって目を閉じている。依頼書と睨(にら)み合っている者は、何度も同じ紙を読み返していた。空気は重く、湿っている。

 そして壁際には、仲間募集と書かれた掲示板があった。

 コルンの目が、わずかに輝く。そこには何枚もの紙が貼られていた。


 『前衛募集。経験者のみ』

 『治癒術師急募』

 『三階層攻略。戦闘経験必須』


 どれも条件が多い。経験、属性、階層。まるで、すでに死にかけた街が、さらに自分を守るために牙を剥(む)いているようだった。

 その隅。半分が剥(は)がれかけた紙があった。


 『盾役。加入先を探しています』


 下には小さく、撤退判断に従ってくれる方と書かれている。その一文だけ、妙だった。普通なら、命令に従いますとか、前衛経験ありとかを書く。撤退判断に従ってほしいという条件は、どこか自己防衛的で、同時に正直だった。

 コルンは紙を剥(は)がした。受付嬢が気づく。


 「あ、その募集は……おすすめしません」


 「どうして?」


 「以前のパーティーから追放された方です……臆病だから、と」


 コルンは紙を見た。インクは薄れかけ、端が少し破れている。それでも、字は丁寧に書かれていた。彼は指先で紙の端を弾き、短く笑う。


「いいじゃん、迷宮で怖がれる前衛」


 紙を、もう一度軽く弾く。

 受付嬢が目を丸くする。コルンはそのままカウンターへ歩いた。靴音が、静かなホールに小さく響く。


 「この人、どこにいる?」


 「紹介するんですか?」


 コルンは楽しそうに答える。声に、わずかな期待が混じっていた。

 王命で来た迷宮都市。装備は最低限。仲間はゼロ。金も、それほどない。迷宮の情報もまだない。それでもコルンは笑っていた。足りないものなら、これから集めればいい。装備も。情報も。そして人も。

強い奴を探すつもりはない。必要なのは、最後まで一緒に帰ろうとする奴だ。

 義賊コルンの迷宮攻略は、まだ入口にすら立っていなかった。

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