第25話 来訪
午前講義終了後。
教室には、
まだ妙な空気が残っていた。
昨日のツーマンセル演習以降。
レギア=ノクスと、
ミレナ=ヴァルケイン。
その二人へ向けられる視線が、
明らかに増えている。
理由は単純だった。
昨日まで険悪だった二人が、
今日に限って妙に距離感がおかしい。
しかも本人達に、
その自覚がまるで無い。
窓際の席。
レギアは頬杖を付きながら、
小さく息を吐いた。
――どう言えばいい。
問題はそこだった。
ガルドからの言付け。
休校日に屋敷へ来い。
しかも理由が、
“連携を見たい”。
絶対に変な空気になる。
レギアは僅かに視線を上げる。
数列先。
ミレナ=ヴァルケインが、
静かに端末を閉じた。
銀灰色の長髪。
冷たい蒼眼。
相変わらず近寄り難い空気。
だが。
昨日より、
ほんの少しだけ距離感がおかしい。
ミレナが顔を上げる。
蒼い瞳が、
真っ直ぐレギアを見る。
「……何」
完全に気付かれていた。
レギアは一瞬黙る。
周囲の新入生達も、
何となく察して視線を向け始める。
レギアは諦めたように口を開いた。
「……少し、
話がある」
ミレナの眉が僅かに寄る。
数分後。
教室後方。
まだ人の少ない窓際。
ミレナは腕を組みながら、
じっとレギアを見ていた。
「で?」
「何」
レギアは少し言い辛そうに視線を逸らす。
その時点で、
ミレナの警戒心が上がった。
「……何その顔」
「いや」
レギアは困ったように小さく眉を下げる。
「昨日の演習記録、
フェンリル家に届いたらしくて」
ミレナの表情が止まる。
「……は?」
「ガルド様が、
ミレナとの連携を見たいって」
数秒。
沈黙。
ミレナの思考が、
完全に停止した。
「……は?」
二回目だった。
レギアも気まずそうに続ける。
「次の休校日、
屋敷へ来て欲しいらしい」
「待ちなさい」
ミレナが即座に遮る。
蒼い瞳が見開かれていた。
「何故そうなるの」
「いや、
私もよく分かってなくて……」
「フェンリル家でしょう!?」
珍しく声が大きい。
ミレナは慌てて口を押さえる。
だがもう遅い。
周囲の新入生達が、
一斉にこちらを振り向いていた。
教室へ微妙なざわめきが広がる。
ミレナは頭を抱えたくなった。
よりによって。
ヴァルグリム帝国有数の武門の屋敷。
しかも相手は。
ガルド=フェンリル。
帝国最強クラスの軍人。
普通の新入生が、
気軽に呼ばれる相手ではない。
ミレナは低い声で言う。
「断る」
即答だった。
レギアは少し困った顔になる。
「……そう言うと思った」
レギアも、
否定は出来なかった。
ミレナはじろりと睨む。
「というか、
貴方平然とし過ぎなのよ」
レギアは少し考え。
やがて。
静かに答えた。
「……昔からだから」
その言葉に。
ミレナが一瞬黙る。
フェンリル家養子。
その事実を、
ミレナは思い出す。
レギアにとっては、
あの場所が日常なのだ。
だが。
ミレナからすれば違う。
完全に別世界だった。
レギアは少しだけ申し訳なさそうに続ける。
「嫌なら、
断ってくれて大丈夫」
「ガルド様には、
私から伝えるから」
ミレナは腕を組んだまま黙り込む。
断る。
その選択は正しい。
なのに。
昨日の演習が脳裏に残っていた。
あの異常な連携。
自分でも理解出来ない感覚。
そして。
ガルド=フェンリルが、
それに興味を持った理由。
ミレナは小さく舌打ちした。
「……気に入らない」
「?」
「なんで私まで巻き込まれてるのよ」
レギアは少し困ったように視線を逸らす。
「……ごめん」
その妙に素直な謝罪に。
ミレナの調子が狂う。
数秒。
沈黙。
やがて。
ミレナは深く溜息を吐いた。
「……考えておく」
レギアが少しだけ目を瞬かせる。
“断る”とは、
もう言わなかった。
その瞬間。
周囲の新入生達が、
さらにざわつき始める。
「いや待て」
「今の流れで断らないのか?」
「昨日まで険悪だったよな?」
「なんか距離感おかしくない?」
ひそひそ声。
ミレナは眉間を押さえた。
「……うるさい」
低い声。
だが。
完全には否定しなかった。
それが余計に周囲をざわつかせる。
レギアも少し居心地悪そうに視線を逸らす。
そんな二人を見て、
前列の男子生徒が小声で呟いた。
「いやでも、
昨日のあれ見たらなぁ……」
「もうコンビじゃね?」
「お前死にたいのか」
即座に隣が止める。
ミレナの蒼い瞳が、
静かにそちらを向いていたからだ。
男子生徒達が一斉に視線を逸らす。
教室の空気が少しだけ引き締まる。
だが。
次の瞬間。
レギアが小さく口を開いた。
「……ミレナ」
「何」
「もし来るなら、
あまり緊張しなくて大丈夫」
ミレナが怪訝そうに眉を寄せる。
「何故貴方が言うの」
「ガルド様、
そんなに怖くないから」
周囲が静まり返った。
数秒後。
教室のあちこちから、
吹き出しそうになる空気が漏れる。
ミレナは真顔だった。
「……フェンリル家基準で喋らないで」
レギアは少しだけ困った顔になる。
「でも、
本当に普通だよ」
ミレナは真顔のまま、
数秒黙った。
「貴方、
感覚がおかしいわよ」
レギアは少し考える。
やがて。
ぽつりと呟いた。
「……怒ると怖いけど」
「怖いんじゃない」
ミレナが即座に返す。
周囲から笑いを堪える気配が漏れた。
だが。
その空気に。
レギアが少しだけ目を瞬かせる。
気付けば。
昨日までより、
ずっと自然に会話していた。
ミレナもそれに気付いたのか、
僅かに口を閉ざす。
数秒。
奇妙な沈黙。
そして。
周囲の新入生達が、
ますます不思議そうな顔をした。
昨日まで、
まともに会話すらしていなかった二人。
なのに今は。
妙に自然に話している。
しかも本人達だけが、
その変化に気付いていなかった。
教室の窓から、
昼前の白い光が差し込む。
その中で。
レギアとミレナは、
互いに小さな違和感を抱えたまま、
静かに向かい合っていた。
◇
次の休校日。
ヴァルグリム帝国中央区画。
朝。
帝都は珍しく穏やかな空気に包まれていた。
白銀石の街路。
整然と並ぶ帝国建築。
遠くで鳴る鐘の音。
休日特有の静かな賑わいが広がっている。
だが。
その中で。
ミレナ=ヴァルケインだけは、
全く落ち着いていなかった。
「…………」
無言。
硬い。
異常なほど硬い。
現在。
帝国中央区画上層。
フェンリル家本邸正門前。
巨大だった。
黒鉄門。
白銀の外壁。
軍用術式障壁。
屋敷というより、
半分要塞である。
ミレナは引きつった顔で見上げた。
「……帰りたい」
本音だった。
その隣。
レギア=ノクスが、
少し困ったように視線を逸らす。
「……だから、
大丈夫だって」
「何が」
即答。
ミレナは真顔だった。
「どう見ても普通の屋敷じゃないでしょう」
レギアも否定出来ない。
その時。
重厚な黒鉄門が、
低い駆動音と共に開いていく。
ミレナの肩が跳ねた。
現れたのは、
黒服姿の執事。
老執事――アルベルトだった。
背筋の伸びた老紳士は、
二人を見ると静かに一礼する。
「お待ちしておりました」
落ち着いた声。
だが。
ミレナは余計に緊張した。
隙が無い。
完璧過ぎる。
アルベルトは穏やかに続ける。
「ガルド様がお待ちです」
ミレナの胃が重くなった。
レギアは小さく頷く。
「ありがとう、アルベルト」
アルベルトの視線が、
ミレナへ向く。
「ミレナ=ヴァルケイン様ですね」
「は、はい」
反射的に背筋が伸びる。
アルベルトは静かに微笑した。
「ようこそ、
フェンリル家へ」
その瞬間。
ミレナは思った。
――やっぱり帰りたい。
だが。
既に門は閉まり始めていた。
逃げ道は、
もう無かった。
◇
フェンリル家本邸内部。
重厚な扉を抜けた瞬間。
ミレナは思わず足を止めた。
広い。
あまりにも広かった。
赤黒い絨毯。
高い天井。
白銀装飾の柱。
壁面へ並ぶ巨大な戦場画。
そして。
静かに並ぶ無数の武器。
槍。
長剣。
銃槍。
大剣。
どれも装飾品ではない。
実際に使われてきた“本物”だった。
ミレナは無意識に息を呑む。
空気が違う。
貴族屋敷というより。
戦場そのものだった。
アルベルトが静かに歩き出す。
「こちらへ」
レギアは小さく頷き、
後に続く。
ミレナも慌てて歩き始めた。
だが。
進めば進むほど緊張が増していく。
廊下ですれ違う使用人達。
警備兵。
全員の動きに、
一切無駄が無い。
その時。
通り過ぎた使用人の一人が、
レギアへ小さく一礼した。
「お帰りなさいませ、レギア様」
レギアが少し戸惑ったように頷き返す。
「……ただいま」
まだ、
少しぎこちない。
その反応を見て。
ミレナは小さく目を瞬かせた。
完全に馴染んでいる訳ではない。
けれど。
確かにここで生活している。
そんな空気だった。
ミレナは小声で呟く。
「……本当に、
フェンリル家なんだ」
レギアが少し困ったように振り返る。
「だからそう言った」
「そういう意味じゃないわよ……」
ミレナは額を押さえる。
「何というか、
現実感が無いの」
レギアは少し考え。
やがて。
ぽつりと呟く。
「……私も、
まだ時々そう思う」
ミレナが目を瞬かせる。
「え」
「まだ来て二週間くらいだし」
レギアは静かに周囲を見渡す。
広い廊下。
巨大な屋敷。
軍人達。
使用人達。
「正直、
まだ慣れてない」
その言葉は、
少し意外だった。
ミレナはてっきり、
レギアは最初からこういう場所の人間だと思っていた。
だが違う。
レギアもまだ、
この場所へ馴染もうとしている途中なのだ。
その時。
遠くの廊下から、
重い足音が響く。
ドン。
ドン。
一定の重い足音。
次の瞬間。
廊下奥から、
巨大な男が姿を現した。
黒髪。
鋭い眼光。
軍服越しでも分かる圧倒的体格。
まるで重戦車だった。
ミレナの空気が凍る。
男は二人を見る。
そして。
低い声を落とした。
「……レギア」
レギアが軽く頭を下げる。
「ガルド様」
ガルド=フェンリル。
その圧だけで、
周囲の空気が変わる。
ミレナは完全に硬直していた。
すると。
ガルドの灰色の瞳が、
ゆっくりミレナへ向く。
数秒。
沈黙。
ミレナは反射的に背筋を伸ばした。
やがて。
ガルドが低く口を開く。
「お前がミレナ=ヴァルケインか」
「は、はい!」
反射的に声が裏返る。
レギアが小さく目を逸らした。
ガルドは数秒ミレナを見つめ。
そして。
小さく鼻で笑った。
「そう緊張するな」
「食う訳じゃない」
ミレナは思った。
――いや怖い。
だが、
口には出せなかった。
その隣で。
レギアが小さく呟く。
「だから言ったのに」
「何も言ってなかったでしょう!」
ミレナが即座に返す。
その瞬間。
廊下へ沈黙が落ちた。
使用人達が僅かに目を見開く。
アルベルトですら、
一瞬だけ動きを止めた。
フェンリル家で。
しかもガルド=フェンリルの前で。
ここまで素でツッコめる者は、
かなり珍しい。
だが。
次の瞬間。
ガルドが小さく笑った。
低い。
短い笑い声。
「……なるほどな」
灰色の瞳が、
静かに細くなる。
「確かに、
面白い」
◇
ガルドはそれ以上、
廊下で話を続けなかった。
静かに踵を返す。
「茶にする」
短い一言。
レギアは小さく頷いた。
ミレナは一瞬だけ固まる。
茶。
この空気で。
茶。
意味が分からなかった。
だが。
ガルドは既に歩き出している。
アルベルトが静かに一礼した。
「食堂へご案内致します」
数分後。
三人はフェンリル家中央食堂へ通された。
広い食堂だった。
長大な黒木のテーブル。
高い天井。
壁面へ掲げられた帝国旗。
窓から差し込む朝の光。
整い過ぎた空間に、
ミレナは余計に背筋を伸ばしてしまう。
使用人達が音も無く紅茶を運ぶ。
白磁のカップ。
小さな焼き菓子。
湯気の立つ紅茶。
レギアは少しぎこちない手つきで、
カップを持った。
ミレナはそれを見て、
僅かに目を細める。
完全に慣れている訳ではない。
その事に、
少しだけ安心した。
ガルドは向かいの席へ腰を下ろす。
大柄な体が椅子へ沈むだけで、
食堂の空気が重くなる。
ミレナは紅茶へ手を伸ばしかけ、
すぐに止めた。
飲んでいいのかすら分からない。
それを見て。
ガルドが低く言った。
「飲め」
「は、はい」
ミレナは慌ててカップを手に取る。
熱い紅茶の香りが、
少しだけ緊張を和らげた。
沈黙。
数秒。
先に口を開いたのは、
意外にもガルドだった。
「急に呼び出して悪かったな」
ミレナは目を瞬かせる。
謝罪。
それも、
ガルド=フェンリルから。
完全に予想外だった。
「い、いえ……」
「こちらこそ、
お招きいただき、ありがとうございます」
言ってから、
自分でも硬過ぎると思った。
ガルドは小さく鼻で笑う。
「そんなに畏まるな」
「余計に話しづらい」
ミレナは困ったように視線を落とす。
「……無理です」
正直だった。
レギアが隣で小さく頷く。
「分かる」
ミレナが即座に横を見る。
「貴方が頷くの?」
「私も最初はそうだったから」
「……そうなの?」
レギアは少しだけカップを見下ろす。
「二週間前は、
どこに座ればいいかも分からなかった」
ミレナは一瞬黙る。
その言葉は、
少しだけ意外だった。
ガルドは静かに紅茶を飲む。
そして。
低く問いかけた。
「学校はどうだ」
ミレナの背筋が、
また少し伸びる。
「学校、ですか」
「ああ」
ガルドの灰色の瞳が、
レギアへ向く。
「こいつは馴染めているか」
レギアが少しだけ目を瞬かせる。
「ガルド様」
「本人に聞いても分からん」
あまりにも淡々と言われ、
レギアは小さく口を閉ざした。
ミレナは思わずレギアを見る。
確かに。
本人に聞いても分からなそうだった。
少しだけ沈黙し。
ミレナは慎重に答える。
「……馴染めているかは、
正直分かりません」
レギアが僅かに肩を落とす。
ミレナは続けた。
「ただ、
浮いてはいます」
レギアの肩がさらに落ちた。
ガルドは表情を変えない。
「理由は」
「強過ぎるからです」
ミレナははっきり言った。
「新入生の中で、
明らかに動きが違います」
「本人は普通にしているつもりでも、
周りから見れば目立ちます」
レギアは小さく呟く。
「……普通にしてる」
「それが目立つのよ」
ミレナが即座に返す。
ガルドの口元が僅かに動いた。
笑ったのかどうか、
ミレナには分からなかった。
「友人はいるのか」
その問いに。
レギアとミレナが、
同時に黙った。
数秒。
ミレナは少し視線を逸らす。
「……まだ、
分かりません」
ガルドの目が細くなる。
「お前はどう見ている」
「私ですか」
「ああ」
ミレナは困ったように眉を寄せた。
「……正直、
変な人だと思っています」
レギアが顔を上げる。
「変?」
「変よ」
ミレナは淡々と言う。
「戦闘中は異常に鋭いのに、
普段は妙に抜けてる」
「距離感もよく分からない」
「自分がどれだけ目立っているかも分かっていない」
レギアは少しだけ困った顔になる。
「……そんなに?」
「そんなに」
即答だった。
ガルドは短く息を吐く。
それは呆れではなく、
どこか納得したような息だった。
「なるほどな」
ミレナはそこで、
少しだけ表情を引き締めた。
「ただ」
ガルドの視線が向く。
「昨日の演習では、
助かりました」
レギアが目を瞬かせる。
ミレナはカップを置き、
静かに続ける。
「射線を空けてくれた」
「普通なら、
あの位置には入らない」
「でもレギアは迷わず動いた」
レギアは少し考え。
「撃つと思ったから」
「それが分からないのよ」
ミレナの声に、
苛立ちだけではないものが混じる。
困惑。
警戒。
そして少しの興味。
「私も、
撃てると思った」
「でも普通は撃たない」
「なのに撃った」
ガルドは黙って聞いていた。
レギアもまた、
静かにミレナを見ていた。
「どうして噛み合ったのか、
自分でも分からない」
ミレナは小さく息を吐く。
「それが気持ち悪い」
レギアは少しだけ目を伏せた。
「……私も、
そう思った」
その言葉に、
ミレナの蒼い瞳が僅かに揺れる。
同じだった。
自分だけではない。
レギアもまた、
あの感覚を不気味に思っていた。
ガルドは紅茶のカップを置いた。
小さな音が、
食堂へ響く。
「だから呼んだ」
二人の視線が、
ガルドへ向く。
ガルドは低く続けた。
「昨日の演習記録だけでは分からん」
「偶然か」
「感覚か」
「戦闘経験によるものか」
「それとも別の何かか」
灰色の瞳が、
二人を見据える。
「実際に見なければ判断出来ん」
ミレナは息を飲む。
レギアの紅い瞳も、
僅かに細くなる。
ガルドは静かに言った。
「お前達の戦い方を見たい」
「学校の演習ではない」
「ここで、
実戦に近い形でだ」
食堂の空気が変わった。
先ほどまでの茶の場ではない。
軍人の声だった。
ミレナは無意識に背筋を伸ばす。
レギアもまた、
静かにカップを置いた。
ガルドは立ち上がる。
「そろそろ行くぞ」
重い椅子が、
微かに床を鳴らした。
ミレナは小さく息を整える。
緊張はまだ消えていない。
だが。
逃げたいとは、
もう思っていなかった。
少なくとも。
昨日の答えを知りたいと思ってしまった。
それだけは、
確かだった。




