第23話 友達
翌日。
帝国騎士学校。
朝の教室には、
どこか重い空気が漂っていた。
原因は明白だった。
昨日の騒動。
ミレナ=ヴァルケインと、
レギア=ノクス。
教室内で交わされた、
あの異様な会話。
詳細を理解している者はいない。
だが。
普通ではない事だけは、
全員が感じ取っていた。
新入生達は、
どこか探るような視線を向け合っている。
小声。
ひそひそ話。
そして。
時折レギアへ向けられる視線。
レギアは窓際後方の席へ座り、
静かに前を見ていた。
表情は普段通り。
だが。
内心は落ち着かなかった。
昨日のミレナの目が、
まだ頭に残っている。
恐怖。
警戒。
化物を見るような視線。
忘れようとしても、
簡単には消えてくれない。
そんな中。
教室の扉が開く。
ミレナ=ヴァルケインだった。
銀灰色の髪。
鋭い蒼い瞳。
昨日と変わらない、
張り詰めた空気。
その瞬間。
教室の空気がまた静かになる。
ミレナは無言のまま教室へ入り、
レギアを一瞬だけ見る。
視線が交差する。
だが。
昨日のような敵意は無かった。
代わりにあるのは、
複雑な感情だった。
ミレナ自身も、
整理し切れていないのだろう。
レギアは小さく視線を逸らす。
ミレナも何も言わず、
少し離れた席へ腰を下ろした。
誰も話しかけない。
話しかけられない。
教室全体が、
妙に気を遣っている。
やがて。
始業ベルが鳴る。
担当教師が教室へ入ってきた。
黒い軍服。
左頬を走る古傷。
いかにも実戦上がりの軍人だった。
教師は教壇へ立つと、
教室全体を見渡す。
その視線だけで、
ざわついていた空気が静まった。
「……昨日は入学式だったが」
低い声。
「今日からは違う」
教室が静まり返る。
教師は淡々と続けた。
「ここは騎士学校だ」
「遊び場じゃない」
「貴様らは三年後、
外周でレムナントと殺し合う」
「泣こうが喚こうが関係ない」
重い言葉だった。
だが。
誰も反論出来ない。
教師は黒板へ大きく文字を書く。
【基礎戦闘理論】
「本日は座学から始める」
「まずは自分達が、
どれだけ死にやすいか理解しろ」
その瞬間。
教室の空気が、
再び張り詰めた。
その日の騎士教練は、
夕刻頃に終了した。
実戦基礎姿勢。
剣術基礎。
身体強化術式。
持久走。
そして模擬連携訓練。
初日とは思えないほど、
内容は苛烈だった。
新入生達の多くは、
既に疲労困憊している。
教室内にも、
重い疲労感が漂っていた。
「本日はここまで」
教師の低い声が響く。
「明日は模擬武装を使用する」
「遅れるな」
それだけ言い残し、
教師は教室を後にした。
張り詰めていた空気が、
ようやく少し緩む。
あちこちで安堵の息が漏れる。
新入生達も、
疲れた様子で帰り支度を始めていた。
その中で。
レギアは静かに席を立つ。
紅い瞳が、
教室前方を見た。
ミレナ=ヴァルケイン。
銀灰色の髪の少女は、
無言で荷物をまとめていた。
昨日から、
まともに会話はしていない。
だが。
レギアの中に、
引っ掛かりが残っていた。
このまま終わらせたくなかった。
小さく息を吐く。
そして。
レギアはゆっくりミレナへ歩み寄った。
その瞬間。
周囲の空気が僅かに変わる。
昨日の件を覚えている新入生達が、
思わず動きを止めた。
レギアはミレナの席前で立ち止まる。
ミレナも、
ゆっくり顔を上げた。
蒼い瞳と、
紅い瞳が交差する。
数秒。
沈黙。
やがて。
レギアが静かに口を開いた。
「……話がしたい」
真っ直ぐな声だった。
ミレナの表情が、
僅かに動く。
昨日のような動揺ではない。
困惑に近い。
まさか。
レギアの方から来るとは、
思っていなかったのだろう。
教室内も静まり返る。
誰も帰ろうとしない。
空気そのものが、
二人へ意識を向けていた。
ミレナはしばらく無言だった。
やがて。
小さく目を細める。
「……何を」
警戒心はまだ消えていない。
だが。
昨日ほど鋭くもなかった。
レギアは少し迷い。
それでも。
逃げずに言葉を続けた。
「昨日、
ちゃんと話せなかったから」
「……あなたの事も、
知りたい」
その言葉に。
ミレナの蒼い瞳が、
僅かに揺れた。
教室内は、
妙に静かだった。
誰も露骨には見ていない。
だが。
全員が気にしている。
そんな空気だった。
レギアも、
ミレナも、
それを理解していた。
ミレナは小さく息を吐く。
そして。
周囲を一度見回した後、
低く呟いた。
「……ここじゃ話しにくいわ」
レギアも静かに頷く。
「……うん」
短いやり取り。
やがて。
ミレナが立ち上がった。
「来なさい」
それだけ言い残し、
教室を出ていく。
レギアも後を追った。
残された新入生達は、
誰もすぐには動かなかった。
重い沈黙。
やがて。
誰かが小さく呟く。
「……なんなんだ、
あの二人」
誰も答えられなかった。
数分後。
帝国騎士学校屋上。
重い鉄扉が開く。
夕方の風が、
静かに吹き抜けていた。
高所から見下ろす帝都。
赤く染まり始めた空。
遠くに見える防壁都市群。
訓練場から微かに響く剣戟音。
騎士学校特有の空気だった。
ミレナはフェンス付近まで歩くと、
そこで足を止める。
レギアも少し距離を空けて立った。
屋上には、
他に誰もいない。
風だけが静かに流れていた。
しばらく沈黙。
やがて。
ミレナが先に口を開く。
「……話って何」
蒼い瞳はまだ警戒している。
だが。
昨日ほど鋭くはない。
レギアは少し迷った。
何から話せばいいのか、
自分でも分からなかったからだ。
それでも。
ここで逃げたくなかった。
レギアは小さく息を吐く。
そして。
静かに口を開いた。
「……昨日、
怖がらせてごめん」
その言葉に。
ミレナの表情が、
僅かに揺れた。
屋上へ、
夕方の風が吹き抜ける。
赤く染まり始めた空。
遠くから聞こえる訓練場の剣戟音。
だが。
二人の間に流れる空気は、
静かな緊張に満ちていた。
「……昨日、
怖がらせてごめん」
レギアの小さな謝罪。
その言葉に、
ミレナの表情が僅かに揺れる。
だが。
すぐに蒼い瞳は鋭さを取り戻した。
「……謝られても困るわ」
冷たい声だった。
ミレナはフェンス越しに、
帝都を見つめたまま続ける。
「私は、
貴方を見ると思い出すの」
低い声。
「あの日の事を」
「両親が死んだ事も」
「街が壊れた事も」
「全部」
夕風が銀灰色の髪を揺らす。
「だから、
正直に言う」
数秒の沈黙。
そして。
ミレナは静かに言った。
「……あまり、
貴方と関わりたくない」
その言葉は、
鋭かった。
だが。
怒鳴るようなものではない。
むしろ。
本心だった。
レギアは小さく目を伏せる。
胸が痛む。
けれど。
逃げたいとは思わなかった。
レギアは静かにフェンスへ近付き、
少し離れた位置へ立つ。
そして。
小さく口を開いた。
「……私も、
怖いよ」
ミレナの瞳が僅かに動く。
レギアは続ける。
「自分が」
風が吹く。
黒髪が揺れる。
「何なのか、
分からない」
「どうして、
あんな事が起きたのかも」
「何で、
黒粒子なんて出たのかも」
「全部、
分からない」
掠れるような声だった。
ミレナは黙って聞いている。
レギアは小さく拳を握る。
「時々、
思うの」
紅い瞳が揺れる。
「もし本当に、
私が普通じゃなかったらどうしようって」
「もし、
また誰かを傷付けたらって」
「……怖い」
本音だった。
ずっと心の奥へ押し込めていた感情。
ガルドにも。
エマにも。
言えなかった言葉。
ミレナは静かにレギアを見る。
昨日までとは、
少し違って見えた。
化物ではなく。
傷付いた少女に。
レギアは苦しそうに笑う。
「だから、
貴方が怖がるのも分かる」
「私でも、
怖いから」
その言葉に。
ミレナの感情が揺れる。
あの日見た、
黒い災厄。
だが。
今目の前にいるのは、
震えるように本音を吐き出している少女だった。
ミレナは小さく視線を逸らす。
整理が追い付かない。
憎めば楽だった。
化物だと思い続けられれば、
もっと簡単だった。
なのに。
レギアは、
自分が想像していた存在と違い過ぎた。
数秒。
重い沈黙。
やがて。
ミレナが小さく息を吐く。
「……嫌な話ね」
低い呟き。
レギアは少し困ったように笑った。
「……うん」
否定出来なかった。
ミレナはフェンスへ寄り掛かり、
空を見る。
赤い夕空。
長く伸びる影。
そして。
小さく呟いた。
「……少なくとも」
蒼い瞳が、
横目でレギアを見る。
「昨日よりは、
少しだけマシになったわ」
レギアの紅い瞳が、
僅かに見開かれる。
ミレナはすぐ視線を逸らした。
「勘違いしないで」
「まだ信用した訳じゃない」
「ただ……」
少し言葉を止める。
そして。
小さく続けた。
「思ってたより、
普通だっただけ」
それは。
不器用だったが。
確かに、
歩み寄りの言葉だった。
翌日。
帝国騎士学校。
朝の教室には、
昨日までとは少し違う空気が流れていた。
相変わらず、
レギア=ノクスとミレナ=ヴァルケインへ向けられる視線は多い。
昨日の一件は、
完全にクラス中へ広がっていた。
だが。
露骨な緊張感は、
僅かに薄れている。
少なくとも。
昨日のような、
一触即発の空気では無かった。
レギアは窓際後方の席へ座り、
静かに教科書を開いていた。
そこへ。
教室の扉が開く。
ミレナ=ヴァルケイン。
銀灰色の髪が揺れる。
教室内の視線が一瞬集まる。
だが。
ミレナは昨日のようにレギアを睨まなかった。
蒼い瞳が一瞬だけレギアを見る。
そして。
ほんの僅かに、
視線を止める。
レギアもそれに気付く。
数秒。
短い沈黙。
やがて。
レギアは小さく頭を下げた。
挨拶代わりのような、
本当に小さな動き。
ミレナは少し驚いたように目を細める。
だが。
数秒後。
小さく視線を逸らしながら、
同じように軽く頷いた。
それだけ。
本当にそれだけだった。
だが。
昨日を知っているクラスメイト達からすれば、
十分過ぎる変化だった。
「……え?」
「昨日めちゃくちゃ空気悪くなかった?」
「なんか普通になってないか?」
小声が飛び交う。
ミレナは何も言わず席へ座る。
レギアも再び視線を教科書へ戻した。
だが。
昨日までのような重苦しさは、
少しだけ薄れていた。
やがて。
始業ベルが鳴る。
教師が教室へ入ってくる。
「本日は基礎戦闘実技を行う」
低い声。
「全員訓練場へ移動しろ」
その瞬間。
教室内の空気が少し変わる。
実技訓練。
騎士学校の本格的な授業が、
いよいよ始まるのだ。
新入生達の表情にも、
緊張が浮かぶ。
その中で。
レギアは静かに立ち上がる。
ミレナもまた、
無言で席を立った。
そして。
教室を出る瞬間。
ミレナが小さく呟く。
「……昨日の話」
レギアが振り向く。
ミレナは前を向いたまま、
低く続けた。
「まだ全部は信じてない」
「でも」
蒼い瞳が、
ほんの少しだけ柔らかくなる。
「少なくとも、
逃げなかったのは嫌いじゃないわ」
それだけ言って。
ミレナは先に歩き出した。
レギアは一瞬呆けたように目を瞬かせる。
そして。
ほんの少しだけ、
口元を緩めた。
帝国騎士学校。
その長い三年間は、
まだ始まったばかりだった。
帝国騎士学校第一訓練場。
広大な半円形施設。
白石で構築された高強度戦闘区画。
周囲には観測席。
幾重もの結界術式。
そして。
中央演習場では、
既に無数の仮想術式陣が展開されていた。
新入生達は、
緊張した様子で整列している。
騎士学校初の本格実技授業。
誰もが、
少なからず気を張っていた。
教師は演習場中央へ立つと、
低い声で告げる。
「本日の授業は、
対レムナント模擬戦闘」
空気が変わる。
「相手は仮想術式生成体だ」
「だが、
性能は実物へ限りなく近い」
教師の左頬の傷が、
僅かに歪む。
「油断すれば普通に死ぬ」
その言葉に、
新入生達の顔色が変わった。
教師は続ける。
「今回は一対一」
「各自、
得意武装を使用し戦闘を行え」
「制限時間は三分」
「死亡判定、
または戦闘不能で終了」
重い沈黙。
やがて。
術式陣が起動する。
白い粒子が空中へ舞い。
次の瞬間。
赤い単眼が灯った。
「っ……」
新入生達が息を呑む。
レムナント。
人型に近い異形。
黒灰色の外殻。
歪な四肢。
鋭利な爪。
仮想生成体とは思えないほど、
生々しい殺気を放っている。
教師は淡々と告げた。
「始めろ」
そして。
地獄が始まった。
「うわっ!?」
「速――っ!?」
轟音。
悲鳴。
剣が弾き飛ばされる。
術式障壁へ叩き付けられる生徒。
回避も出来ず、
一撃で首元へ死亡判定を出される者。
新入生達は理解する。
甘かった。
騎士学校の実戦授業は、
想像より遥かに過酷だった。
三分どころではない。
一分持たない者すら多い。
教師は無表情のまま、
次々と死亡判定を告げていく。
「死亡判定」
「戦闘不能」
「次」
冷酷だった。
だが。
それが現実だった。
外周では、
失敗した者から死ぬ。
その事実を、
騎士学校は最初に叩き込む。
やがて。
新入生達の空気が変わり始める。
焦り。
恐怖。
緊張。
誰もが、
仮想レムナント一体相手ですら、
まともに戦えない。
そんな中。
演習場へ呼ばれた名前があった。
「レギア=ノクス」
空気が少しざわつく。
フェンリル家の少女。
昨日の騒動の中心人物。
多くの視線が集まる。
レギアは静かに演習場中央へ歩き出した。
腰には細剣。
黒衣を纏った小柄な少女。
仮想レムナントが低く唸る。
赤い単眼が、
レギアを捕捉した。
次の瞬間。
爆発的加速。
「――っ!?」
観測していた新入生達が息を呑む。
速い。
普通の生徒達とは別次元だった。
だが。
レギアは動じない。
紅い瞳が、
静かに細くなる。
踏み込み。
回避。
最小動作。
黒い爪を紙一重で避ける。
そして。
細剣が閃く。
ギィン――――ッ!!
関節部へ正確な刺突。
仮想レムナントの体勢が崩れる。
その瞬間。
レギアが一気に踏み込んだ。
迷いが無い。
恐怖が無い。
いや。
正確には。
“恐怖に慣れ過ぎていた”。
喉。
眼部。
心核。
急所だけを、
正確に突き続ける。
まるで。
実戦経験者の剣だった。
数秒後。
仮想レムナントが崩壊する。
演習場が静まり返った。
教師ですら、
僅かに目を細める。
「……勝利判定」
その瞬間。
新入生達がざわめいた。
「嘘だろ……」
「倒した……?」
「一年で?」
だが。
驚きは終わらない。
次に呼ばれた名前。
「ミレナ=ヴァルケイン」
銀灰色の髪の少女が、
静かに演習場へ入る。
手にしているのは、
長剣ではなかった。
対レムナント用狙撃銃。
大型の黒鉄長銃。
新入生達がざわつく。
狙撃武装。
扱える者自体が少ない。
ミレナは無言で膝を付き、
狙撃姿勢へ入る。
そして。
仮想レムナントが動いた瞬間。
轟音。
爆発的な術式光。
レムナントの肩部が吹き飛ぶ。
「っ!?」
観測席がどよめく。
速い。
正確。
しかも。
二射目までが異常に早い。
再装填。
照準。
発射。
全てが洗練されていた。
レムナントが距離を詰める。
だが。
ミレナは冷静だった。
近付かれる前に、
正確に脚部を撃ち抜く。
体勢を崩した瞬間。
最後の一撃。
轟音。
心核部貫通。
数秒後。
仮想レムナントが崩壊する。
演習場が完全に静まり返った。
教師は数秒無言だった。
やがて。
低く告げる。
「……勝利判定」
その瞬間。
新入生達は理解した。
この日。
勝利したのは、
たった二人だけだった。
レギア=ノクス。
ミレナ=ヴァルケイン。
しかも。
二人とも、
他とは明らかに次元が違った。
教室内で起きていた、
あの異様な空気。
その理由を。
新入生達は、
少しだけ理解し始めていた。




