第22話 騎士学校入学 2
殺気を帯びた視線は、
確かに気になった。
だが。
その後、
特に何かが起きる事は無かった。
周囲も普段通り。
新入生達のざわめき。
教師達の誘導。
入学式準備。
少なくとも表面上は、
何も異常は見えない。
レギアは完全には警戒を解かなかった。
それでも。
今は騒ぐべきではないと判断する。
帝国騎士学校。
この場所で、
無闇に神経を尖らせ過ぎるのも危険だ。
レギアは小さく息を吐き、
案内表示へ従って校舎内へ入っていった。
広い廊下。
磨かれた白石床。
高い天井。
壁面へ刻まれた帝国騎士達の紋章。
歴史ある学校特有の重厚感があった。
やがて。
一年第三教室。
入口には既に多くの新入生達が集まっている。
レギアが姿を見せた瞬間、
また少し空気がざわついた。
「フェンリル家の……」
「あの子か」
「すごい美人だな……」
「でもなんか近寄り難くないか?」
小声。
視線。
レギアは居心地悪そうに小さく眉を寄せる。
やはり苦手だった。
目立つ事には、
どうしても慣れない。
空いている席へ静かに座る。
窓際後方。
周囲から少し距離を取れる場所だった。
教室内では、
まだざわめきが続いている。
新入生達は、
それぞれ周囲と会話を始めていた。
家柄。
出身地。
適性検査。
入学前の戦績。
そんな話が飛び交っている。
だが。
レギアは誰とも話さなかった。
話しかけられる事も、
無かった。
いや。
正確には。
周囲が少し距離を測っているのだ。
フェンリル家の車。
黒髪の少女。
妙に張り詰めた空気。
近寄り難さを感じている者も多かった。
レギア自身、
それを理解していた。
だから特に気にしない。
慣れている。
一人でいる事には。
やがて。
始業ベルが鳴る。
教師達の誘導で、
新入生達は大講堂へ移動を開始した。
巨大な帝国騎士学校中央講堂。
何百人もの新入生が整列している。
壇上には帝国旗。
歴代騎士団長達の紋章。
厳粛な空気だった。
しばらくして。
入学式が始まる。
最初に登壇したのは、
帝国騎士学校校長。
白髪混じりの老騎士だった。
深い傷痕。
老いてなお鋭い目。
明らかに、
現役時代は最前線にいた人間だと分かる。
校長は静かに新入生達を見渡す。
そして。
低く重い声で祝辞を述べ始めた。
帝国騎士としての誇り。
民を守る覚悟。
外周防衛線の現実。
命を懸ける意味。
綺麗事だけでは終わらない、
実戦校らしい言葉だった。
講堂の空気も自然と張り詰めていく。
続いて。
帝国軍関係者達による祝辞。
中央軍。
機甲軍。
防衛局。
封印局。
帝国中枢に関わる人間達が、
順番に壇上へ上がっていく。
その時だった。
レギアの背筋へ、
再び冷たい感覚が走る。
「――――」
紅い瞳が、
僅かに細くなる。
まただ。
あの視線。
今度は、
先程より近い。
そして。
より明確だった。
まるで。
獲物の値踏みをするような、
冷たい視線。
レギアは悟る。
――気のせいじゃない。
レギアはゆっくり視線を動かす。
講堂内。
整列した新入生達。
軍関係者。
教師達。
その中で。
一人だけ。
明確に異質な空気を放つ存在がいた。
女子生徒だった。
長い銀灰色の髪。
鋭い蒼い瞳。
整った顔立ち。
だが。
その視線は、
あまりにも冷たい。
――睨まれている。
レギアは即座に理解した。
先程から感じていた、
あの殺気を帯びた視線。
その正体は、
彼女だったのだと。
少女は壁際付近へ立ちながら、
静かにレギアを見ていた。
周囲の新入生達とは空気が違う。
張り詰めている。
まるで。
常に戦場を歩いている人間のような気配。
レギアの紅い瞳が、
僅かに細くなる。
――強い。
直感だった。
ただの新入生ではない。
それも。
かなり実戦経験がある。
少女の腰には、
細身の長剣。
制服の着崩し方も、
妙に実戦慣れしていた。
何より。
目が違う。
あの目は。
人が死ぬ瞬間を、
何度も見てきた目だ。
数秒。
無言のまま視線が交差する。
周囲の喧騒だけが遠い。
まるでそこだけ、
空気が凍ったようだった。
やがて。
近くの新入生達が、
小さくざわつく。
「あれ……」
「ミレナ=ヴァルケインだ」
「嘘だろ、
今年入学だったのか?」
「ヴァルケイン家って、
あの……?」
小声が広がる。
ミレナ=ヴァルケイン。
その名を聞いた瞬間。
レギアは小さく眉を寄せた。
知らない名前だった。
だが。
周囲の反応だけで分かる。
――有名人だ。
対するミレナは、
表情一つ変えない。
ただ。
冷たい蒼い瞳で、
真っ直ぐレギアを見続けていた。
まるで。
過去の亡霊を見るように。
入学式は、
厳粛な空気のまま終了した。
新入生達は再び各教室へ戻され、
今後の授業説明や校則説明が行われる。
帝国騎士学校の授業内容。
訓練施設使用規定。
武装管理。
実戦演習。
成績制度。
そして。
適性次第では、
在学中でも外周実戦投入がある事。
教師の説明は淡々としていた。
だが。
その内容は、
普通の学校とは明らかに違う。
命を懸ける前提の教育機関。
それが、
帝国騎士学校だった。
教室内の空気も、
入学時より少し静かになっている。
期待だけではない。
現実を理解し始めた者達も多かった。
やがて。
初日という事もあり、
この日は比較的早い時間で解散となる。
「本日の予定は以上だ」
教師が教壇から告げる。
「明日から通常授業を開始する」
「遅刻するな」
短い言葉。
だが。
軍人らしい圧力があった。
教師が退出すると、
張り詰めていた空気が少し緩む。
あちこちで会話が始まる。
新入生達は、
少し安心したように席を立ち始めた。
レギアもまた、
静かに立ち上がる。
帰ろう。
そう思った時だった。
「――待ちなさい」
低い声。
教室の空気が僅かに止まる。
レギアの紅い瞳が、
ゆっくり前を向く。
そこに立っていたのは、
ミレナ=ヴァルケインだった。
銀灰色の髪。
鋭い蒼い瞳。
整った顔立ち。
だが。
その空気は、
明らかに敵対的だった。
周囲の新入生達も、
異変を察して静かになる。
ミレナは真っ直ぐ、
レギアを見据えていた。
まるで。
逃がさないと言わんばかりに。
レギアは小さく眉を寄せる。
やはり。
あの視線は、
気のせいではなかった。
教室内へ、
重い沈黙が落ちる。
誰も口を挟まない。
やがて。
先に口を開いたのはミレナだった。
「……覚えてる?」
低い声。
レギアの紅い瞳が、
僅かに細くなる。
「ノルドライン」
その瞬間。
レギアの表情が、
初めて明確に揺れた。
「……っ」
呼吸が止まりかける。
脳裏へ、
五年前の光景が蘇る。
炎。
血。
絶叫。
黒粒子。
壊れた母親。
そして。
黒く染まった剣。
レギアの指先が、
無意識に震える。
ミレナは静かに続ける。
「私は覚えてる」
「ずっと」
蒼い瞳が揺れる。
怒りだけではない。
あの日の恐怖が、
今も奥底に残っている。
「……あの日、
貴方を見た」
「黒い粒子を纏って、
レムナントを斬ってた」
レギアの瞳が、
僅かに見開かれる。
「……見てたの?」
思わず漏れた声だった。
ミレナは答えない。
だが。
その沈黙が答えだった。
レギアは小さく息を呑む。
あの日。
周囲を見る余裕なんて無かった。
ただ。
生き残る事だけで必死だった。
なのに。
見られていた。
あの姿を。
レギアの表情へ、
僅かに動揺が滲む。
「……あなた、
あそこにいたの……?」
小さな声。
ミレナの瞳が鋭くなる。
「いたわ」
低い返答。
「全部見た」
空気が張り詰める。
レギアの胸が、
嫌な音を立てた。
ミレナはレギアを睨む。
「貴方、
一体何なの?」
真っ直ぐな問いだった。
レギアは数秒黙る。
答えられない。
自分でも、
分からないからだ。
レギアはゆっくり視線を落とす。
「……私にも分からない」
掠れるような声。
「気付いたら、
ああなってた」
紅い瞳が、
僅かに揺れる。
「私だって、
何が起きたのか分からなかった」
その言葉には、
嘘が無かった。
だからこそ。
ミレナの感情も、
少しだけ揺らぐ。
レギアは静かに続ける。
「でも」
小さく息を吐く。
「あの時は、
生き残りたかっただけ」
飾り気の無い本音だった。
ミレナは唇を噛む。
感情が揺れていた。
恐怖。
混乱。
警戒。
そして。
目の前の少女が、
本当に“化物”なのか分からなくなる違和感。
蒼い瞳が、
レギアを真っ直ぐ見つめる。
「……どうして」
小さな声だった。
「どうして、
そんな普通の顔をしていられるの?」
その言葉に。
レギアの表情が、
僅かに痛む。
普通。
その言葉が、
胸へ刺さる。
レギアは静かに目を伏せた。
「……普通じゃないよ」
掠れるような声。
「今でも、
夢に見る」
「思い出す」
「怖い」
教室が静まり返る。
誰も動かない。
誰も口を挟めない。
レギアは小さく拳を握る。
「でも」
紅い瞳が、
ゆっくりミレナを見る。
「生きてるから」
「前に進かなきゃって、
思ってるだけ」
その言葉に、
ミレナの感情がまた揺れる。
怒りだけではない。
目の前の少女もまた、
傷付いている。
それが少しずつ見え始めていた。
数秒。
重い沈黙。
やがて。
ミレナは低く口を開いた。
「……私は、
まだ貴方を信用しない」
レギアは静かに頷く。
「……うん」
否定しなかった。
その反応が、
逆にミレナの感情を乱す。
ミレナは視線を逸らす。
そして。
最後に小さく呟いた。
「……でも、
もしまた誰かを傷付けるなら」
蒼い瞳が、
真っ直ぐレギアを見る。
「その時は、
私が止める」
それだけ言い残し。
ミレナ=ヴァルケインは、
静かに教室を後にした。
残された教室には、
重い静寂だけが残っていた。
誰もいなくなった教室。
夕暮れの光が、
静かに窓から差し込んでいた。
長く伸びる机の影。
静まり返った空間。
聞こえるのは、
遠くの喧騒だけだった。
レギアは席へ座ったまま、
小さく俯いていた。
胸の奥が重い。
ミレナとの会話が、
まだ頭から離れない。
――化物。
直接そう言われた訳ではない。
だが。
あの視線。
あの怯え。
あの警戒。
十分過ぎるほど伝わっていた。
レギアは静かに拳を握る。
痛いほど、
理解出来た。
あの日。
ノルドラインで起きた事は、
普通ではなかった。
自分でも分かっている。
黒粒子。
変異した剣。
レムナントの殲滅。
どう考えても異常だ。
だから。
怖がられて当然なのかもしれない。
レギアは小さく目を閉じる。
ミレナと出会うまで。
久しく向けられていなかった感情だった。
嫌悪。
恐怖。
異形を見るような目。
エマ=リーデルは違った。
あの日からずっと。
壊れかけていた自分へ、
普通に接してくれた。
怖がらなかった。
拒絶しなかった。
夜中に魘されても。
突然過呼吸になっても。
黙って傍にいてくれた。
ガルドもそうだ。
最初こそ厳しかったが、
一度も化物を見るような目はしなかった。
アルベルトも。
屋敷の使用人達も。
少しずつ。
本当に少しずつだが。
レギアは、
普通に生きていいのかもしれないと、
思い始めていた。
だが。
ミレナの目を見た瞬間。
思い出してしまった。
自分は、
普通ではないのだと。
紅い瞳が、
静かに揺れる。
「……っ」
胸の奥が痛い。
苦しい。
怖い。
もし。
これから先も。
周囲から、
あんな目で見られ続けるのだとしたら。
自分は――。
そこまで考えた時だった。
不意に。
ガルドの言葉が脳裏を過る。
――胸を張れ。
――お前の努力は、
必ず無駄にはならん。
低い声。
不器用な言葉。
だが。
あの男は確かに、
自分を認めてくれていた。
レギアはゆっくり息を吐く。
震える指先を、
小さく握り締める。
逃げるな。
そう思った。
怖くても。
苦しくても。
ここで逃げたら、
また昔へ戻ってしまう気がした。
レギアは静かに立ち上がる。
夕暮れの光が、
黒髪を淡く照らしていた。




