表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/53

第25話 想い2

中央開発局を出た頃には、すっかり時間が経っていた。


研究所区画から騎士学校へ戻る渡り廊下。


窓の外には、薄暗くなり始めた空が広がっている。


ミシェルは無言のまま歩いていた。


セレスから聞かされた話。


第十二翼。


アーデルハイド。


封印された女神の翼。


頭の中では、まだ整理しきれていない。


胸の奥が重かった。


知ってしまった。


もう、演習前の自分には戻れない。


自然と表情も硬くなる。


廊下には、もうほとんど人影がなかった。


授業は既に終了している時間帯だ。


時折、遠くで生徒達の話し声が聞こえる程度。


夕暮れ色の光が、静かな校舎を長く染めていた。


ミシェルはゆっくりと階段を上がる。


自分の教室へ続く廊下。


昼間は騒がしかったその場所も、今は妙に静かだった。


(……さすがに、もう誰もいないよね)


そう思いながら、教室前へ辿り着く。


扉の前で一瞬だけ立ち止まる。


そして。


ゆっくりと引き戸へ手をかけた。


ガラリ――。


静かな音を立てて、教室の扉が開く。


夕日に染まる教室。


長く伸びた机の影。


静まり返った空間。


――そのはずだった。


「……あ」


思わず、小さく声が漏れる。


窓際。


夕焼けを背にしながら、一人の銀髪の少女が席に座っていた。


アーデルハイド=セラフィーネ。


頬杖をつきながら、ぼんやり窓の外を眺めている。


扉の音に気づき、ゆっくりとこちらを振り返った。


そして。


少し安心したように、小さく笑う。


「……ミシェル」


そのいつも通りの声に。


ミシェルの胸が、少しだけ苦しくなった。


夕焼けに染まる教室。


静かな空間の中で。


アーデルハイドは席に座ったまま、ミシェルを見つめていた。


銀色の髪が、夕日の光を受けて淡く揺れている。


ミシェルは扉の前で立ち尽くしたまま動けなかった。


ほんの数時間前までと同じはずなのに。


今は、アーデルハイドが少し遠い存在のようにも感じてしまう。


その時だった。


「……やっぱり変」


アーデルハイドが小さく言った。


ミシェルがわずかに肩を揺らす。


アーデルハイドは困ったように苦笑した。


「ミシェル、今日ずっと変だよ」


責めるような声ではない。


純粋な心配の色だった。


アーデルハイドは席から立ち上がる。


夕日の中、ゆっくりこちらへ歩いてきた。


「演習終わったあとも、急にどっか行っちゃったし」


「なんか考え込んでるし」


そこで少しだけ視線を伏せる。


「……それに」


小さく息を吐いた。


「ごめん」


ミシェルの目が瞬く。


アーデルハイドは申し訳なさそうに笑った。


「演習中、迷惑かけた」


「パートナーだったのに、急に動けなくなって……」


言葉を選ぶように間を空ける。


「正直、自分でも何が起きたのか分かってなくて」


困ったように後頭部へ手をやる。


「気づいたら医務室だったし」


いつものアーデルハイドだった。


少し不器用で。


周りを優先して。


自分のことは後回しにする。


ミシェルの胸が小さく痛む。


――何も変わらない。


さっきセレスに言われた言葉が脳裏をよぎった。


『あの子自身は何も変わらない』


その通りだった。


目の前にいるのは、

危険な怪物なんかじゃない。


ただ。


親友のことを心配して、

自分が迷惑をかけたと落ち込んでいる少女だった。


アーデルハイドは少しだけ不安そうにミシェルを見る。


「……怒ってる?」


その言葉に。


ミシェルは一瞬だけ言葉に詰まった。


国家機密。


第十二翼。


封印された女神。


頭の中に重い言葉が過る。


だが。


ミシェルはゆっくりと小さく息を吐いた。


そして。


少し困ったように笑う。


「怒るわけないでしょ」


アーデルハイドがわずかに目を丸くする。


ミシェルはゆっくり教室へ入りながら続けた。


「ただ……ちょっと色々考えてただけ」


「アデルのこと、心配だったし」


その言葉を聞いた瞬間。


アーデルハイドは、どこか安心したように肩の力を抜いた。


「……ほんとに、ごめんね」


アーデルハイドは小さく苦笑しながら言った。


「せっかくの共同演習だったのに」


「最後、ほとんどミシェルに任せちゃったし」


ミシェルは自分の席へ鞄を置きながら肩を竦める。


「別に。ちゃんと立て直せてたじゃない」


「それでも、途中止まっちゃったの事実だし……」


アーデルハイドは少しだけ眉を下げた。


「あんなの初めてだったんだよね」


「急に背中熱くなって、息苦しくなって……」


そこで不思議そうに首を傾げる。


「なんか、変な感じだった」


ミシェルの心臓が小さく跳ねる。


だが表情には出さなかった。


アーデルハイドは気づかず、そのまま続ける。


「しかも皆すごい慌ててたし」


「私、そんな大怪我したわけでもないのに」


困ったように笑う。


「セレス先生まで来るとは思わなかったな」


「ちょっと怖かった」


ミシェルは静かにアーデルハイドを見る。


本人は、本当に何も知らない。


それでも。


どこか不安なのだろう。


アーデルハイドは窓際へ歩き、夕焼け空を見上げた。


「……ミシェルはさ」


ぽつりと呟く。


「怖くなかった?」


「え?」


「私のこと」


その言葉に、ミシェルの目がわずかに揺れる。


アーデルハイドは振り返らないまま続けた。


「演習中、たぶん普通じゃなかったし」


「なんか、自分でもちょっと変だった気がして」


夕日の光が、銀髪を赤く染めていた。


「……昔からなんだよね」


小さな声だった。


「時々、自分でも分からない感覚があるの」


「空見てると、変な感じしたり」


「夢で、知らない景色見たり」


そこで少しだけ目を細める。


「焼けた空とか」


「白い翼とか」


「知らない場所なのに、何故か懐かしい景色とか」


少しだけ笑った。


「変だよね、私」


その笑い方が、妙に寂しそうで。


ミシェルは思わず口を開く。


「変じゃない」


アーデルハイドがゆっくり振り返る。


ミシェルは真っ直ぐその蒼い瞳を見る。


「少なくとも、私はそう思わない」


「アデルはアデルでしょ」


教室に静かな沈黙が落ちる。


アーデルハイドは数秒きょとんとしていた。


そして。


ふっと小さく笑った。


「……ミシェルって時々すごい真っ直ぐ言うよね」


「恥ずかしくなるからやめてほしい」


「なによそれ」


ミシェルが少し呆れたように返す。


アーデルハイドは楽しそうに笑った。


その笑顔を見て。


ミシェルの胸の奥にあった重苦しさが、ほんの少しだけ軽くなる。


セレスの言葉を思い出す。


――親友でいてあげて。


ミシェルは静かに思う。


きっと。


これから先、何が起きても。


私は、この子の隣にいるんだろうな、と。




 夜の孤児院は静かだった。


子供達は皆、眠りについている。


廊下を照らす小さな灯りも落とされ、

建物全体が穏やかな静寂に包まれていた。


その中で。


アーデルハイド=セラフィーネは、一人中庭へ出ていた。


石造りの階段へ腰を下ろす。


夜風が銀髪を静かに揺らした。


空を見上げる。


暗い空。


その向こう側を見ようとするように、アーデルハイドはぼんやり月を眺めていた。


……眠れなかった。


昼間の演習。


背中を貫いた、あの痛み。


焼けるような熱。


身体の奥から、何かが脈打つような感覚。


思い出すだけで、背筋が寒くなる。


両腕を抱くように、自分の身体を押さえた。


「……なんなの、あれ」


小さく呟く。


誰に聞かせるでもない声だった。


医務室では異常なしと言われた。


休めば治るとも。


けれど。


そんな簡単な話じゃないと、アーデルハイド自身が一番分かっていた。


あれは普通じゃなかった。


そして――。


周囲の反応も。


アーデルハイドは静かに目を伏せる。


ミシェル。


セレス。


ヴァイス。


今日一日だけでも、違和感はいくつもあった。


ミシェルは明らかに様子がおかしかった。


何かを知ってしまったような顔。


隠そうとしていたけれど、長い付き合いじゃなくても分かる。


何かを抱えていた。


セレスもそうだ。


演習場で見た、あの表情。


怖がっていた。


あのセレス=クロイツが。


そしてヴァイス。


医務室で自分を見る目。


優しかった。


でも同時に――何かを決意しているようにも見えた。


アーデルハイドはゆっくり息を吐く。


「……皆、何か知ってる」


小さな声が夜へ溶けた。


少なくとも。


ミシェル。

セレス。

ヴァイス。


この三人は、間違いなく何かを知っている。


自分について。


今日起きた異変について。


あるいは――もっと前から。


逆に。


ノアは違う気がした。


カイルも……たぶん全部は知らない。


友達も。

クラスメイトも。


皆、普通に心配していただけだった。


だからこそ逆に分かる。


知っている人間と、

知らない人間の反応が、はっきり分かれている。


月明かりが中庭へ静かに落ちる。


アーデルハイドは無意識に背中へ触れた。


……熱はもうない。


けれど。


まだ何かが残っている気がする。


脈打つような感覚。


身体の奥深くで、

何かが眠っているような。


その時だった。


ふと。


アーデルハイドの脳裏に、今までの記憶が浮かび始める。


空を見ると感じる違和感。


時々見る夢。


知らない景色。


白い翼。


知らないはずなのに、何故か懐かしい感覚。


そして今日。


背中の痛み。


ミシェル達の反応。


バラバラだった違和感が、

頭の中で少しずつ繋がり始める。


まるで。


散らばっていたパズルのピースが、音もなく組み上がっていくように。


アーデルハイドの呼吸が僅かに浅くなる。


嫌な予感だった。


本能が警鐘を鳴らしている。


――知ってはいけない。


そんな感覚すらある。


それでも。


もう、自分でも気づき始めていた。


「……私、何なんだろう」


月明かりの中。


銀髪の少女の小さな呟きだけが、静かな孤児院の中庭へ溶けていく。


その瞬間。


背中の奥で。


何かが、微かに脈打った気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ