3.
意味が分からない。
意味が分からない。
昨日目にしたものは、もしかすると店長を呼びに行っている間に誰かが彼女を連れ去り、現場を綺麗に掃除しただけなのかもしれない。実際に出来るかどうかは分からないけど。
だけど、今、目の前で起こったことは明らかに……。
事故も、轢かれた彼女も、その死体さえも無かったことになっている。
(――ゔッ!)
脳裏に蘇る彼女の虚ろな目、グロテスクな姿に再び酸っぱいものがこみ上げる。
俺に突き刺さる通行人の視線はまるで、「やぁねぇ、二日酔いの店員なんて」「だからフリーターなんだよ」そう言っているかのように感じた。
意味不明な現象と嘔吐感、そして湧き上がる羞恥心。
どうすればいいのか、どう受け止めればいいのか。もう訳が分からない。頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。
俺は立ち上がり、口を拭うと周囲の視線を気にしていないテイで店へ踵を返す。
「……掃除して、宣伝に戻らないと」
誰へとなく言い訳するように、日常を取り戻そうとするかのように、口からは勝手にそんな独り言が漏れていた。
なお、店長には「吐いた? 二日酔いかよ。しっかりしろよ、鈴木」と、今日も怒られた。
◇◇ ◇
翌朝、何度も振動するスマホのバイブ音に叩き起こされる。
「ったく誰だよ、せっかくの休みなのに朝っぱらから」
ぼやきながらスマホを手に取れば、画面に表示される発信者は『店長』の二文字。
バイトが出勤してこないため、応援の要請か?
そんなことを考えながら、緑色の通話ボタンをタッチ――
「鈴木ぃ! いつまで寝てやがる。さっさと出勤してこい!」
「は? ぇ? 店長、俺今日は休み――」
「出勤日だ、ドあほ! 夕方まで佐々木一人で店まわさせるつもりか? 言い訳してないでさっさと出勤してこいボケ!」
ツー、ツー、ツー
「えぇぇぇ」
俺、勘違いしていた? いや、そんなはずは……ともかく、店長は相当ご立腹みたいだ。さすがに店長が勘違いしてると無視するのはマズイ。身の潔白を証明するには、店に行ってシフト表指差しながら訴えなければ。
そう考えると、俺は用意も適当に、寝癖を立てたまま家を飛び出した。
今日も変わらず、外はスッキリしない曇天。
同じ時間に同じ場所に同じ手段で向かう毎日。
変わらない日常。
イレギュラーのために通勤時間の異なる今日は、世界が少し違って見えるような気がした。
最寄りの駅で電車に乗り、揺られること二駅。
県内最大都市の駅前にウチの店はある。
騒がしい駅を抜け、目の前には4車線の大通りを跨ぐ横断歩道。
俺は、まるで交通ルールを学び始めの小児のように、入念に周囲を確認する。
(黒い女は……いない、よな?)
一度に五十人ほどが通行するこの横断歩道で発生した、俺しか認識していない交通事故を思い出す。
しかしそれは、今度は自分が轢かれるかもしれないという心配ではなく、あの黒い女の死に様を見せつけられるのではないかという事に対する恐れ。
(ホントにもう勘弁してくれ)
脳裏に蘇る車に轢かれて首が捻じ曲がった死体。そして、地面に叩きつけられてぐちゃぐちゃになった死体。もう本当に――
だが、そう意識していたのが良くなかった。
内向きの意識は前方の注意を疎かにし、上手く人波を縫えていなかった。
「きゃっ」
目の前で、小さく頼りない悲鳴。
ほとんど抵抗を感じない微かな衝撃。
「あっ、すいません。大丈夫……で――」
反射的に硬直する身体と、口を突く謝罪の言葉。目の前には、俺とぶつかりバランスを崩した身体を、長身痩躯の男性に支えられた一人の女性。あの、黒のゴスロリファッションの女性の姿があった。
「いえ、こちらこそ」
彼女が発した恐縮するようなその音は、まさに鈴が鳴るような……そんな比喩がまさにぴったりの声。
俺の知る、濁った、くぐもった、血に溺れたような声とは違う、日常のもの。
「ぁ……ぅぁ……」
思わず一歩二歩、後ずさりしてしまう。
「あの、大丈夫ですか? 顔色が……」
見たくはなかった。
聞きたくもなかった。
同じ顔、同じ服装。
毎日、何度も脳裏にフラッシュバックする女の凄惨な死。そんな彼女の日常の姿。
二つの姿の差異は、彼女の凄惨な死に、より濃い影を落とす気がした。
(なんでッ……なんでこうもピンポイントで。今日は一体何を見せられるんだよ⁈)
さらに一歩、後退った俺の前でソレは起こった。




