第九話 選択の星
執行官レイヴンが、アスカの部屋に来たのはその夜のことだった。
「テラ・セプティマを観測した」
レイヴンは部屋に入り、扉を閉めた。
「生命反応が残っている」
アスカは動じなかった。
「そうか」
「嘘ついたね」
レイヴンは静かに言った。怒っているわけではない。むしろ面白がっているような声音だった。
「なぜ?」
「喰らいたくなかった」
「正直だね」
レイヴンは椅子に腰掛けた。
「理由は?」
「勇者候補に会った」
「それが? だから喰らわなかった?」
「一晩、話した。普通の人間だった。騎士になりたいと言っていた。弟妹がいて、旅をして、剣を磨いている。そういう人間だった」
「それが特別なのか」
「特別ではない」
アスカは言った。
「だから——消したくなかった。特別でないことが、特別だと感じた。私の素材になったガイア・プリマの命も、テラ・クアルタの命も、みんな特別ではない。普通に生きていた命だ。その普通さを、私はずっと感じながら喰らってきた」
レイヴンはしばらく黙っていた。
「……アスカ」
「なに」
「君は今、魔王に反しようとしているのか?」
「分からない。ただ正直に答えた」
「正直に答えたら消されるぞ、僕に」
「分かっている」
レイヴンは立ち上がり、アスカの前に立った。二人は静かに見つめ合った。
「消さないよ」
レイヴンは言った。
「……なぜ」
「僕は——魔王の本当の部下ではないから」
アスカは目を細めた。
「レイヴン」
「驚かないな」
「少し前から、おかしいと思っていた。お前の命の輝きが、魔族のそれではない」
「正解」
レイヴンは苦笑した。
「僕は——かつての勇者の生き残りだ。千年前の勇者ではない。もっと最近の。四十年前の」
「魔王に倒されたのか」
「倒された。でも生き残った。そして魔王に仕えるふりをしながら、内部から状況を把握しようとしてきた。君のことも——危険だと思えば排除するつもりだったが、そうではないと判断した」
「判断の基準は」
「テラ・クィンタに行ったことは知っている。オラクルに会ったな」
「……知っていたのか」
「あそこを喰らわなかった理由も分かる。君は迷っている。最初から、迷っていた。それは欠陥ではない——希望だ」
アスカはレイヴンを見つめた。
「何をしたい、お前は?」
「魔王を止めたい」
レイヴンは静かに言った。
「しかし力で倒すことはできない。今の僕には実力が足りない。だから——内側から変えていく必要がある。そのために、君が必要だ」
「私が?」
「君は魔王に最も近い存在で、かつ星を喰らう力を持つ。しかも迷っている。迷っている存在は、変わることができる」
アスカは深呼吸した。
「私に星を喰らうことを止めろと言っているのか」
「そうではない」
レイヴンは言った。
「もっと根本的なことだ。君はなぜ星を喰らうのかを、自分で決め直す必要がある。魔王の命令だからではなく、自分の意志で」
「自分の意志……」
「君はガイア・プリマの命から生まれた。それだけの命を内側に持っている。その命たちが何を望むか——『カナ』とかいう声が聞こえてるんだろう?」
アスカは少し目を見張った。
「どこまで知っている」
「オラクルが教えてくれた」
レイヴンは少し照れたように言った。
「オラクルとは知り合いでね。テラ・クィンタであなたと話したことも聞いた。そしてオラクルは言った。アスカという存在は、悪ではないかもしれない、と」
カナが言った。
『アスカ。信用していいと思う』
「……私も、そう感じている」
「何?」
レイヴンが聞いた。
『カナだ。内側の声が、信用しろと言っている』
「そうか。ならよかった」
レイヴンは手を差し伸べた。
「協力してくれるか? 魔王を止めるために」
アスカはその手を見た。
手の甲の亀裂が、ゆっくりと光った。
億の声が、一斉に何かを言った。言葉ではなく、感情として。
それは——『行け』だった。
「……分かった」
アスカはレイヴンの手を握った。




