第八話 魔王の真実
アスカがテラ・セプティマから戻ると、城の雰囲気が違った。
廊下を歩く魔族たちが、どこかそわそわしている。すれ違う者がアスカを見て、すぐに目を逸らす。
何かあったのだ。
玉座の間に向かうと、ヴァルゴスが珍しく立ち上がっていた。窓から外を見ており、アスカが入っても振り返らなかった。
「テラ・セプティマは?」
「喰らいました」
嘘だった。
アスカは生まれて初めて、魔王に嘘をついた。心臓の鼓動が変化したかどうかも分からなかった。ただ、口から言葉が出た。
「そうか」
ヴァルゴスは振り返らなかった。
「少し早く戻ったな」
「問題ありません」
「……本当か」
ヴァルゴスが振り返った。その顔に、アスカは驚いた。
魔王が——疲れていた。
千二百年を生きた存在が、疲れた顔をしていた。それはアスカには奇妙に見えた。この存在は疲れることがあるのか?
「魔王様」
アスカは言った。
「何がありましたか」
「偵察の魔族を送った。テラ・プリマに」
「第一惑星ですか。あれはまだ標的リストに入っていませんが」
「そうだ。しかし——」
ヴァルゴスは深く息を吐いた。
「星の番人が現れた。奴はオラクルという名の古代存在で、各惑星を守護している。偵察の魔族がそれに接触し……消えた」
「消えた?」
「跡形もなく。オラクルには惑星を守護する力だけでなく、害意を持つ存在を消滅させる力もあるようだ」
アスカは表情を動かさないようにした。テラ・クィンタでオラクルと話したことを、ヴァルゴスは知らないはずだ。
「星の番人が敵対してくるということは、今後は単純な惑星喰いだけでは済まないかもしれない」
ヴァルゴスは玉座に戻った。
「アスカ。お前はオラクルと戦えるか」
「……戦う必要がありますか」
「当然だ。星を守る存在がいれば、お前の仕事の邪魔をする」
「しかし」
アスカは言葉を選んだ。
「オラクルを消滅させることで得られるものは何ですか。また別の守護者が現れるかもしれません」
「ならばそれも消す」
ヴァルゴスは断言した。
アスカは一歩踏み出した。珍しく、自分から。
「魔王様。一つ聞いてよいですか」
「何だ」
「なぜ、そこまで勇者を恐れるのですか」
沈黙。
ヴァルゴスの表情が固まった。しかし今度は怒りではなかった。
「恐れていない」
「嘘をつかないでください」
部屋の温度が一度下がった気がした。魔王の眼の炎が、大きく揺れた。
「お前は——」
「私には感情の読み取り能力が備わっています。素材となった命の中に、人間の感情を読む力を持つ者がいたからです。あなたが恐れているのは分かります。ずっと分かっていました。ただ聞くのが怖かった」
また静寂。
ヴァルゴスはゆっくりと立ち上がり、窓に歩いた。空を見上げる。その横顔に、アスカは千二百年分の疲労を見た。
「……昔、負けたことがある」
静かな声だった。
「千二百年前か、それ以前のことだ。わたしが今の力を持つ前——まだ若かったころ。その時代の勇者に、わたしは敗北した」
「敗北? しかし生きている」
「死んでいない、が正確だ。倒された。敗北した。意識を失い、崩れ落ちた。しかし勇者は——わたしを殺さなかった」
アスカは黙って聞いた。
「なぜ殺さなかったのか、わたしには分からなかった。勇者は言った。『お前はまだ変われる』と。愚かなことを言う、とわたしは思った。しかしその言葉がずっと残った。頭の中に、千二百年間も」
「変われると言われたことが——嫌だったのですか」
「怖かったのだ」
ヴァルゴスは驚くほど素直に言った。
「変わるということは、今の自分が間違っているということだ。千二百年間、わたしは自分の正しさを疑わずに生きてきた。しかし次の勇者が現れるたびに、あの言葉を思い出す。お前はまだ変われる、と」
アスカはヴァルゴスを見つめた。
この存在は——自分の選択への疑問を、他者への恐怖に変換してきたのだ。勇者を恐れることで、自分を見つめ直すことから逃げてきた。
「だから勇者が生まれる前に消すことにした」
アスカは言った。
「その言葉を聞かずに済むようにですか?」
「……黙れ。さっさと仕事に戻れ」
「失礼致しました」
アスカは玉座の間を出た。
廊下を歩きながら、胸の中でカナが言った。
『魔王様も——怖いんだね。強くても、怖い』
「そうだ」
『アスカ。あなたはどう思う。魔王様は変われると思う?』
「……分からない」
アスカは正直に言った。
「しかし変われるかどうかより前に——私が、変わらなければならないかもしれない」
『どういう意味?』
「次の行動を、どうするかを考えている」
『テラ・セプティマを喰らったと嘘をついたよね』
「そうだ。それがいつかばれる。その前に——何かをしなければならない」
『何かって?』
「まだ分からない。しかし近くの行動を積み重ねる、という言葉を覚えているか」
『エレンが言ってた言葉』
「そうだ。答えが見えなくても、今できることをする。それしかないかもしれない」




