第十一話 魔王との対話
城への帰還は静かなものだった。
アスカが戻ったことに気づいた門番の魔族が、慌てて魔王に報告に走った。アスカはそれを無視して玉座の間へと進んだ。オラクルとエレンが両脇に並ぶ。廊下の魔族たちが驚いて道を開けた。
玉座の間の扉を、アスカは自ら押し開けた。
ヴァルゴスは玉座にいた。その傍らにレイヴンもいた——かつての勇者が、素知らぬ顔で魔王の側近として立っていた。アスカと目が合い、わずかに頷いた。
「アスカ」
ヴァルゴスは立ち上がった。
「お前は――何者を連れてきた」
「星の番人オラクル。そしてテラ・セプティマの民エレン・ヴァース」
アスカは真っ直ぐ前を向いて言った。
「私はテラ・セプティマを喰らいませんでした」
玉座の間が静まり返った。
「嘘をついたことをお詫びします。しかし謝るのはそこだけです」
「アスカ……」
ヴァルゴスの声が低くなった。
「お前は命令に反したのか?」
「そうです」
「理由を聞かせろ」
「星は喰らうべきものではないからです」
アスカは言った。
「私の素材となったガイア・プリマの命も、喰らわれたテラ・クアルタの命も、みんな理解していたはずです――生きることには意味があると。その命を消すことを、私は続けることができません」
「それが命令だ」
「命令が間違っているとしたら?」
「間違っていない」
「では聞きます」
アスカはヴァルゴスに一歩近づいた。
「千二百年前、勇者にかけられた言葉を――今でも覚えていますか」
玉座の間の空気が固まった。
ヴァルゴスの表情が、初めてはっきりと揺れた。
「……」
「覚えているはずです。千二百年、ずっとあの言葉が怖かった。だから勇者が来る前に消そうとした。私を作ったのも、その恐れから来ている」
「黙れ!」
「魔王様」
アスカは止まらなかった。
「あなたは変われると思います」
静寂。
ヴァルゴスが立ち上がった。その全身から膨大な魔力が溢れ出した。部屋の石柱が震え、窓ガラスが割れた。
エレンが剣に手を掛けた。オラクルが白い光を纏い始めた。レイヴンは静かに魔王から距離を取った。
しかしアスカは動じなかった。
「私はあなたを倒しに来たのではありません。あなたと――話しに来ました」
「話す? わたしと?」
「千二百年前の勇者が言ったことは、正しかった。あなたはまだ変われる。千二百年経っても、まだその言葉が心に残っているということは――あなたの中に、変わりたいという気持ちがある証拠です」
「たわけたことを言うな!」
「そうでしょうか?」
アスカは手の甲の亀裂を見た。そこから漏れる光。億の命の光。
「私はガイア・プリマの命から生まれました。あなたが一つの惑星の命を全て使って作った存在です。しかしその命たちは、私に星を喰らうことを望んでいなかった。あなたの意図とは逆に、私の中の命たちは……生命を愛していた」
「……」
「あなたも、かつては生命を愛していたはずです。千二百年前の勇者に言葉をかけられたとき、何かが揺れたはずです。でなければ、千二百年も覚えていない」
ヴァルゴスが動いた。
アスカに向かって拳を振り上げた。その一撃はアスカを粉砕するに足る力があった——しかし、止まった。
ヴァルゴスの拳は、アスカの顔の寸前で止まっていた。
アスカは目を閉じなかった。ただ真っ直ぐに魔王を見た。
深紅の炎の眼が、揺れていた。
「……わたしは」
ヴァルゴスは呟いた。
「千二百年を、何のために生きた」
「それを考え直すことは、今からでも遅くない」
「遅くないだと? 千二百年の行いが、一言で消えるか」
「消えません」
アスカは静かに言った。
「消えないからこそ、向き合う必要があります。逃げるために星を消し続けても、答えは出ません。それはオラクルが教えてくれました。星を消せば消すほど、宇宙の均衡が崩れ、より強い勇者が生まれる。あなたのしていることは、あなたの恐れを大きくするだけです」
ヴァルゴスは拳を下ろした。
その目から、炎が消えた。
いや、消えたのではない。炎の質が変わった。激しく揺れる恐れの炎から——静かに燃える、別の何かへ。
「……アスカ」
「はい」
「お前は——わたしに、どうしろと言っている」
「分かりません」
アスカは正直に言った。
「答えは私にも出ていない。ただ、今できることをすることが大事だと、誰かに教わりました」
エレンが、奥で小さく咳払いした。
「今できること……」
ヴァルゴスは繰り返した。
「……その勇者候補の少年は、まだこの城にいる。わたしの命令一つで消せる」
「分かっています」
「しかし——お前はそれを止めに来た」
「そうです」
「なぜだ?」
「エレンが死ぬのを見たくないからです」
アスカは単純に答えた。
「それが私の、今の気持ちです」
ヴァルゴスは長い間、沈黙した。
やがて——ゆっくりと、玉座に戻って座った。
「……今日のところは、手は出さん」
玉座の間に、静かな空気が流れた。
「ただし」
ヴァルゴスは続けた。
「わたしが変われるかどうかは、わたしが決める。お前たちではない」
「当然です」
アスカは頷いた。
「あなたが決めることです」
「時間をくれ。……考える」
それが、魔王ヴァルゴスが初めて『考える』と言った瞬間だった。




