第十二話 惑星喰いの終わり、あるいは始まり
それから半年が経った。
城は少し変わった。
ヴァルゴスは玉座から出る時間が増えた。最初は渋々だったが、次第に自分で外を歩くようになった。魔族たちは戸惑ったが、誰も止めなかった――止められる者がいなかった。
オラクルは城に留まり、ヴァルゴスと長い話をすることがあった。何を話しているのかは、アスカには分からなかった。しかし二人が話し終えた後、ヴァルゴスの顔の疲れが少し薄れているように見えた。
エレンは城に居着いた。
「魔王城の剣術師範を俺がやる」
そう言うと、エレンは魔族たちと剣の稽古を始めた。
最初は誰も来なかったが、一週間もすると若い魔族が少しずつ集まり始めた。エレンは文句も言わず、全員に丁寧に剣を教えた。
「なんで魔族に剣を教えるんだ?」
アスカが聞いたことがある。
「騎士ってのは、守るべき人を守るもんだろ」
エレンは答えた。
「ここにいる人たちも、守るべき人に変わり得るかもしれない。そしたら、剣を正しく使う方法を知っておいた方がいい」
「……お前は、変わらないな」
「そうか? 俺はお前と会ってからかなり変わったと思うけど」
「そうなのか」
「そうだよ」
エレンは笑った。
「お前こそ変わったか?」
アスカは少し考えた。
「変わった」
「どこが?」
「話すことが増えた。外側に向かって」
「そりゃよかった」
エレンはアスカの頭を軽く叩いた。
「ずっと一人で内側と話してたら、変になる」
「すでに『変』かもしれない」
アスカの耳が赤くなる。
「それはそうだ」
エレンはにやりとした。
「でも良い『変』だな」
ある夜、アスカは城の屋上に上がった。
星空が広がっていた。
無数の光の粒。その一つ一つが、今も命の輝きを放っているはずだった。アスカには見えた――遠くても、見えた。生命のある星は必ず、独自の色と輝きを持っていた。
ガイア・プリマは翡翠色だったとカナが教えてくれた。アスカはその星をもう見ることができない。しかし記憶の中に、その色がある。
テラ・クアルタの金色も。
消してしまった命の輝きも、アスカの中に残っていた。
『アスカ』
カナが言った。
「なに?」
『あなたはこれからどうするの?』
アスカはその質問を、しばらく転がした。
「魔王が変わるかどうかは分からない」
『うん』
「変わっても、変わらなくても――私は、もう星を喰らうことはしない」
『そう決めたの?』
「そう決めた。それが私の――使命だ。魔王が与えた使命ではなく、私が選んだ使命」
『どんな使命?』
「星を守ること」
アスカは空を見上げた。
「星を喰らうために作られた存在が、星を守る。それが一番、テラ・クアルタの命たちへの――せめてもの誠意かもしれない」
カナは少し泣いているような声で言った。
『それでいいと思う。みんなもそう思ってると思う』
「みんな、というのはガイア・プリマの億の声か」
『そう。みんな聞いてたよ。あなたがエレンと話してたことも、魔王と話してたことも。みんな――応援してた」
アスカの目に、また涙が光った。
「カナ」
『なに?』
「ありがとう」
カナは少し間を置いて、笑うような声で言った。
『どういたしまして。ずっと一緒にいるから、これからも聞かせてよ。あなたの話』
「聞かせる。ずっと」
翌朝、ヴァルゴスが珍しくアスカを呼んだ。
玉座の間ではなく、城の庭に呼ばれた。魔王が庭に出るのを、アスカは初めて見た。枯れかけた木が並ぶ庭だったが、その隅に一本だけ、小さな白い花が咲いていた。
「昨夜、決めたことがある」
ヴァルゴスは花を見ながら言った。
「何をですか」
「勇者召喚を――止めようとするのを、やめる」
アスカは黙って聞いた。
「勇者が来るなら来ればいい。そして戦う。それで死ぬなら死ぬ。千二百年間、わたしはそれから逃げていた。もういい加減、向き合う頃合いだ」
「……賢明な選択です」
「賢明かどうかは分からん。ただ……」
ヴァルゴスは白い花を一輪摘んだ。
「お前の言った通り、逃げ続けても答えは出ない。そういうことだ」
「テラ・クアルタはどうしますか」
アスカは聞いた。
「私が喰らってしまった惑星です。命は戻らない。しかし惑星そのものは残っています」
「……そうだな」
ヴァルゴスは少し考えた。
「新たな生命を——植えることはできるか」
「種を持ち込み、環境を整えれば、可能かもしれません。私には破壊の力があります。しかし何かを育てる力は……今はまだない。ただ、学ぶことはできます」
「学べ。わたしも学ぶ」
ヴァルゴスは花を手の中で転がした。
「千二百年で一番、不本意な言葉だが――教えてくれる者がいるなら、教えを請う」
「オラクルは喜んで教えるでしょう」
「あの古ぼけた番人がか?」
ヴァルゴスは顔をしかめた。
「……仕方ない。教えを請うとしよう」
その日の夕方、アスカは城の屋上に上がった。
エレンが隣に来て、一緒に夕日を見た。
「どんな感じだ?」
エレンが聞いた。
「惑星喰いを、やめるって決めて」
「軽い、ような気がする」
アスカは言った。
「軽い?」
「重さがある。テラ・クアルタの命の重さ。ガイア・プリマの命の重さ。それは消えない。しかしその重さが――これまでは下に引いていたのに、今は横に並んでいる感じがする」
「横に並んでる?」
「引きずるのではなく、共に歩く感じ、とでも言えばいいのか」
アスカは手の甲を見た。亀裂はまだあった。しかしその光が、前より穏やかだった。
「うまく言えない」
「いや、分かるよ」
エレンは空を見た。
「それでいい。背負うより、共に歩く方がいい。俺も師匠の言葉をそうしてる」
アスカはエレンを見た。
「お前は――騎士になれると思うか」
「さあな」
エレンは笑った。
「でもなれなくても、城の剣術師範くらいにはなれそうだ。魔族の弟子が増えてきたし」
「それはそれで、なかなか奇妙な肩書きだ」
「奇妙な奴が奇妙な場所にいてもいいだろ。お前だって奇妙だ」
「私は惑星喰いだ。奇妙どころではない」
「だから共にいる価値がある」
エレンは真剣に言った。
「お前みたいな存在が、星を守ろうとしてるなんて――それは奇跡みたいな話だろ。そういう奇跡の隣にいたい」
アスカはしばらく、エレンを見つめた。
「お前は――変な奴だ」
「分かってる」
「しかし、ありがとう」
「何が?」
「焚き火を囲んで話してくれたこと。夕日を見せてくれたこと。師匠の言葉を教えてくれたこと」
エレンは少し照れたように笑った。
「どういたしまして。これからも、焚き火くらいは付き合うよ」
夜が来た。
アスカは星空を見上げた。
億の声が、静かに揺れた。怒りでも悲しみでもなく――穏やかに。まるで海の底から聞こえる音のように。
カナの声が言った。
『ねえ、アスカ』
「なに?」
『星は綺麗だね』
「そうだ」
『あなたはこれから、星を守る』
「そうだ」
『一人じゃないね』
「一人じゃないな」
アスカは右手を空に向けた。
手の甲の亀裂から、漆黒の光が漏れた。しかし今日は違う使い方をした――喰らうのではなく、感じるために。
宇宙に広がる、無数の惑星の輝き。金色、翡翠色、赤、青、白、橙。それぞれの色で、それぞれの命が燃えている。
アスカはその輝きを、ただ感じた。
喰らうためではなく、知るために。守るために。
『行こうよ』
カナが言った。
「どこへ?」
『どこへでも。あなたが行く場所ならどこでも』
アスカは静かに微笑んだ。
それは生まれて初めての、自分の意志による微笑みだった。
惑星喰い《エッグイーター》アスカは、今日も宇宙を旅する。
しかしその旅は、もはや破壊のためではない。
手の甲の亀裂から漏れる光は、今日も星々を照らす。
億の声を胸に抱きながら、アスカは星と星の間を歩く。
守るべきものがある限り、その旅は続く。
――完――
『星は卵だ』とアスカは言った。『割るべきではない。育くむべきものだ』




