第4節 12
風で木々が揺れ、並外れた衝撃の余波に、大地が揺れる。魔法の力を存分に使い、人間離れした筋力と反射神経にて、呪われた擬似竜と対等に戦うヴァン。
その時間は決して長くはなかったが、ヴァンの指輪の魔力にも、限界というものがある。それだけではなく、その前に片割れの擬似竜を狩るために消費した魔力も、拠点に戻ったときに多少補充はしていたものの、万全とはいい難い。
並外れた力から来る攻撃を受け止め、それに対抗できるだけの筋力を補い、更にその衝撃に耐えきれず、断裂する筋肉を即座に治療して繋ぎ止める―本来、呪いによる補助を含めた状態でなんとか続けられていた戦闘を、今は呪い抜きでやっている。
そんな無茶な使い方をしていれば、いくら多くの魔力を保有する指輪でも限界が来てしまう。当然のことだが、ヴァンはそれでもこの戦い方を続けた。
魔力切れで声のない悲鳴をあげる指輪の反応もわかっていた。それ以上に、呪いの負荷によって、擬似竜も目に見えて体力を失っているのも事実。呪いに耐えきれずに衰弱死寸前であるが故に、どちらが先にくたばるかの我慢比べ。
ヴァン個人の意地であることは分かっているが、それでもこの我慢比べに真正面から挑み―ついに、擬似竜が空中でよろけるように体勢を崩した。
今こそ好機、と言わんばかりに爪に風を纏わせて、落ちていくその首を狙おうと着地しようとした足場が、あるべき所にない。
―この我慢比べは、引き分け。お互いに限界に達し、残っている魔力も、ワイヤーを飛ばす分だけと僅か。そしてここは上空数十mに位置しており、このまま地面に直撃すれば即死は免れない。
まずい、と思いながらもヴァンの体は無様に落下していく。ただ、ワイヤーだけはまだ使える。空中に足場が作れずとも、高い木々に引っ掛けて、そこを軸に減速すれば、大怪我は負うだろうが、即死という最悪の事態だけは避けられる。
足が複雑骨折を起こす可能性すら覚悟して、彼は周囲にある最も高い木を見つけ出し、狙いを定めた時――世界が、闇に染まった。
「――!!?」
否、周囲一帯に闇の塊が集まっていき―それは次第に、生き物の形を象る。
頭に生えた、2本の角。トカゲのような細長い顔の前方には満月のような、黄色い目が開く。大きく裂けた口は、人どころか、木々すらも一口で飲み込みそうなほど大きい。
黒い鱗に包まれた細身の身体に、長い手足。爪ですら、大人の上半身ほどはありそうなほど大きく、見るものを威圧する。更に背中から生えた、コウモリのような、4枚の翼。長い尻尾には背中から連なる棘が生えそろっており、当たりどころでは、とてつもない殺傷能力を持つだろう。
全長で30mはありそうな、巨大な竜。それは間違いなく―厄災であり、因縁の敵。黒い竜の姿だった。
―ヴァンの思考が、塗り潰される。
憎悪が、怒りが、あの時の絶望が、理性の歯止めを破壊し、その思考を黒い感情で埋め尽くした。
『殺せ 殺せ! 殺せ!! 殺せ!!!』
脳内に響く殺意の合唱が、彼の精神へと結びつく。
「がぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!!」
獣じみた咆哮と共に、ヴァンは、呪われた竜狩りは再起する。ドス黒い感情を体現したような黒いモヤに両手が包まれ、その角と爪をより凶悪な形へと変貌させた。
それだけではない。ほぼ使い切っていたはずの指輪たちも同じように黒く輝き、再び魔法を起動する。
それと同時に、彼と同じように再度力を取り戻した擬似竜が空へと羽ばたき、立ち塞がるように前に出る。ただ、空を駆ける竜狩りの目には、そんな雑魚の姿は目に入らない。
左手の爪が縦に一閃し、そこから巻き起こった風の刃が、その体を紙のように容易く切断する。
何が起きたかも分からないまま、擬似竜は呆気なく処理された。
迫りくる矮小な存在に、容易く敗北し、落ちていく擬似竜の亡骸を見て、黒竜はつまらなそうに鼻を鳴らした。
その隙にも巨大な竜の目前まで迫り、その爪で竜の首を討ち取ろうとしたところで、黒竜が翼を広げて大きく羽ばたいた。
「――!!!!」
竜巻かと錯覚するような、暴力的な風に襲われ、ヴァンの軽い身体はいとも容易く飛ばされる。だからといって、簡単にやられるわけではない。
彼は右手の角を飛ばし、虚空に突き刺して風を耐える。そして、火花を散らしながらリールを引き戻し、風の膜を周囲に張って中和し、黒竜の下へと舞い戻る。
竜狩りの角に加え、彼によって与えられた呪いを纏った姿を見て、その竜は口を開いた。
「―成る程。お前は、あの時の死に損ないか」
洞穴から響いてくるような、低く、くぐもった声。―本来、人以上に賢いと言われる竜でさえも、人語を使いこなす個体は確認されていない。本来であれば、彼も止まっていた反応をされたところで、今の彼の耳には届かない。頭に響く、竜への憎悪だけが彼を衝き動かす。
暴走する感情のままに、じっとこちらを見てくる黒竜へと爪を振るう。爪に纏われた真空波を飛ばし、如何なる獲物を引き千切る一撃を放つも、それは黒竜の爪に打ち消され、その返しに振り回された棘の生えた尻尾が目の前に迫る。
ヴァンも、あろうことか自分の身体並の太さを持つ尻尾を片足で蹴り上げ、軌道を変える。
呪いが全開となった今、彼の筋力は竜にさえ届く。それを示すように、彼は軽々と体勢を戻し、足場から弾丸のように放たれた。
全身が黒いモヤに包まれた竜狩りは、黒竜に突進していき、その顔面を殴り飛ばす。
馬鹿げた筋力で放たれた拳は、黒竜の巨体すらも殴り飛ばし、大地に倒れる。
数多の木々を薙ぎ倒しながら倒れていく彼は、その勢いのまま尻尾も跳ね上げ、死角からの攻撃に回避も間に合わず、ヴァンと空高く跳ね飛ばされた。
並の人間なら、血煙になって死んでいそうな攻撃でも、彼の体は維持し続ける。ただ、その衝撃で兜は壊れ、ポーチも千切れて地上に落ちていった。
素顔を曝け出し、血走った目で牙を剥き出しにしたヴァンは、口に溜まる血を吐き出し、獣のような声をあげながら黒竜へと向かっていく。
その隙に黒竜も体勢を整え、大きく息を吸った。それは、擬似竜と似た火炎放射の準備。それを経験で覚えていたヴァンは、咄嗟に周囲に風の膜を用意し、逆風によって跳ね返す準備をする。
そして、1秒に満たない溜めから放たれたそれは―炎ではなく、毒々しい黄緑色の霧。経験とは違う行動。事実、この竜は他の竜に比べて圧倒的に違う次元にいる。今まで戦ってきた竜の血族との知識が役に立つわけないのだ。
それでも、竜狩りは恐れない。風の防壁を展開したまま、黒竜へと直進していく。
その黄緑色の霧―酸の霧は、周囲の木々をみるみる内に枯らしていく。―黒竜の痕跡を発見した場所の荒野は、この酸によってもたらされたものだったのだろう。
少しでも身体に入れば、その身が焼かれると本能で察知していた竜狩りは、その防壁で一切寄せつかずに、再び竜の目前にまで至るが、酸の霧に意識を奪われすぎた。
視界の外から迫る爪に気が付かず、間近に迫ったところでようやく気付き、咄嗟の判断で張った障壁で受け止める。
黒竜も思い切り爪を振り抜いて、ヴァンを弾き飛ばす。とてつもない速度で飛ばされるところがだったが、すぐに空中で体制を整え、飛んでいく力を吸収して変換し、いつも通り垂直に立てた足場に着地し、同じ速度で帰っていく。
そして速度を増して帰ってきたと同時に放たれた飛び蹴りは、4枚重ねた翼によって阻まれるが、黒竜も受け止めきれず、地面を踏みしめて後退する。そして、翼を開いて顔が見えた時には再度接近しており、黒い風を纏った爪を振りかぶっていた。
呪いによって強化された爪と魔法によって放たれた、殺意の一閃。咄嗟にガードした黒竜の右手を斬り飛ばしたが、その返しに飛んできた左の裏拳によって、ヴァンは無防備な姿のまま吹き飛ばされる。
防御もギリギリ間に合わず、普通であれば即死だったろうが、右手を斬り落とした痛みもあって動きが鈍ったせいか、なんとか意識も身体も無事な状態で飛んでいく。
小指につけた、"治癒"の魔法にて、致命傷も瞬く間に癒やし、再び空中の足場に着地した竜狩りは、彼と同じく右手を繋ぎ止めた黒竜と再び対峙する。
再び迫りくる竜狩りに対し、黒竜は翼を広げ、暴風を巻き起こす。とうに荒れ散らかされた地面から竜巻のような土ぼこりが舞い上がり、ようやく黒竜は飛翔する。
吹き飛ばされないように角を飛ばし、それに掴まって今の高度を維持するが、黒竜は更に高く、雲の上まで飛翔していく。当然、遠ざかるにつれ風も弱くなるため、竜狩りは少し間隔を空けて黒竜を追いかける。
空を駆ける竜狩りに対し、十分な高度を稼ぎ、こちらを見下ろす黒竜。周囲に姿を隠せる雲は少なく、ヴァンはその姿を見据えたまま駆け昇る。
その間、黒竜も待つだけではない。大きく息を吸い、再度酸を吐き出す構えを取る。
その動きを見逃すような真似はしない。ただ、十分高度も稼げている。全速力で迷わず突き進めば、最低限の回避で、黒竜の懐まで潜り込めるだろう。
しかし、今は感情に支配され、まともな思考ができない彼に理性ある戦い方が出来るのだろうか。
―それは否。しかし、彼は一切臆することなく、酸の嵐に風を纏いながら突撃していく。そしてすぐに嵐を抜け、狂おしいほど焦がれた黒竜の心臓の前にやって来た。
口を閉じ、黒竜も邪魔な羽虫を弾き飛ばそうと、その爪を思い切り振るうが、本能で動く獣と化しているからこそ、理性あるときよりも遥かに早く、敵意に反応し、その爪を拳で弾き飛ばした。その衝撃で大きく仰け反り、無防備な腹と胸を曝け出す。
「――ぁぁぁぁぁぁあああぁぁあ!!!」
歓喜の咆哮と共に、黒い風を纏わせた爪が、その体躯を両断せんと振り抜かれる。
――しかし、解放の血の雨は降らず、黒竜の身体には傷1つつかない。
その理由は、彼の周囲に張られた、障壁。それこそ―自身の使うものととても似通った―理解が追いつかず、思考が停止したヴァンの前で、黒竜がにんまりと笑って尻尾を振り回した。
「―あぁ!! 素晴らしいぞ!!
流石は、我の与えた呪いだ!!! この黒竜にさえ、その爪が届きかけるとはなぁ!!」
勝ち誇ったように叫び、先ほどまで遊びだと言わんばかりに、弾き飛ばされたヴァンに追いつき、その体を巻き込むように、爪で地面に叩きつける。はるか上空から叩きつけられ、無事である訳がないのだが、ヴァンの無意識に張られた障壁と、黒竜が張った弾性の高い障壁のおかげで、何とか人の形は保たれている。そして、黒竜の張った障壁の張力によって、まるでゴムボールのように再び上空まで飛ばされる。
その頂点に間に合うように黒竜が迫り、そのまま黒竜の尖った鼻先が彼の腹を貫いた。
そのまま彼方へと吹き飛ばす予定が、風穴を空けられた痛みからか、ヴァンが目を覚ます。
どれだけ痛みつけられようと、その暴走する感情が残る限り、彼に力を与え続ける。それは正しく、命尽きるまで続く"呪い"。
すぐに角を飛ばし、余計な距離を空けないようにする。そしてリールを巻き戻し、再度黒竜の下へと戻る最中に、腹に空いた風穴も塞がっていた。
黒竜と対峙する限り、その呪いは収まらない。再び、ヴァンから"竜狩り"へと戻り、仇敵を殺すために突き進む。
その姿を見て、黒竜は嗤う。
「本当に―素晴らしい。だが、これ以上は無意味だ」
黒い呪いを纏い、全身全霊の一撃を放とうとするヴァンを嘲笑うように空高く舞い上がり、彼の背後に回り込む。そのまま急降下し、全体重を乗せた尻尾で竜狩りを叩き潰し―今度は、黒竜の障壁もない状態で、荒れ果てた大地に叩きつけられた。




