第4節 11
王都では黒竜の調査の準備を進めている中。村へと帰って寝ようとしていたヴァンは、違和感を感じた。
「―、これは」
右手の指輪が反応したことに気が付き、空を駆けていたヴァンは、足場を作って一旦立ち止まる。
この指輪は、元々師匠でもある黒の竜狩りから譲り受けたもの。滅多に反応しない指輪たちが一斉に反応したということは、指輪の主―師匠が近くにいるということ。
「…………、」
少し前、ルナからも師匠に顔を見せるように言われていたが、敢えて無視していた。恐らく、彼女なりに考えがあって近くまで来ているのだろうが、彼にも、古い約束がある。
それは、第2の故郷でもある施設、シャバルガンを出ていく時に結んだ約束。『限界を感じるまで、助けを求めないこと』。今となっては黒歴史もいいところだが、彼としては意地のような約束を反故にしたいとも思っていない。ガキの時の強がりと言え、竜狩りの武器に、魔女の指輪まで渡された上で、更に甘えたことを言えるほど追い詰められてもいない。
それだけではなく、本当に八方塞がりになるか、彼女に黒竜を狩った、と堂々と報告できるその時まで、顔を見せないようにしたい。勝手に決めた子供じみた誓いを曲げようと思うほど、彼も器用ではなかった。それ以上に、彼としてもあまり師匠に会いたくないのも大きいが。
―ということで。本来は帰って寝るつもりだったが、一旦少し仮眠を取った後、明け方を目安に動き出そうと方向転換しようとしたところで、指輪たちもそれに気付いたのか、珍しく4つ揃ってヴァンに反抗してくる。
「うるさいぞ。今の使用者は俺だ。諦めて従え」
ヴァンが右手に向かってはっきり告げると、一瞬、足場が消えかけたが、一切動じない彼を見て、素直に諦めた。
指輪たちの反抗を大人しくさせたところで、彼は適当な高い木を見つけ、彼の体重を支えられそうな、手頃な太い枝にワイヤーを引っ掛け、それを伝って登っていく。そのまま枝に腰掛け、ポーチから水筒と携帯食料を取り出して、水筒の水でそれをふやかして食べる。
手短に食事を済ませたところで、虫除けと獣避けの香を焚き、木の幹に背中を預けて目を閉じる。
強壮剤を飲んでいようが、必要に応じて眠れるスキルは習得している。彼は息を整えて―すぐに眠りに落ちた。
――夢を見た。
それは、過去の夢でもなければ、直近の出来事でもなんでもない。
ただ、自分は闇の中にいた。視界は全て暗黒であり、自分の姿すら分からないが、ただ、虚無の暗闇の中、自分だけが存在しているのだけは分かる。
人によっては、不安に押しつぶされそうになるだろうが、不思議と安心する。まるで、この闇が揺りかごのように、彼を寝かしつけてくれるように。
―ただ、この感覚には少し覚えがある。おぼろげな夢の中、それを思い出そうとしても、闇が思考を奪っていく。次第に、彼は考えることさえやめ―闇の中へと意識を沈めていった。
――明かりを感じ取って、彼は目を覚ます。
少し眠るつもりだったが、随分としっかり眠っていたらしい。日の出寸前であり、既に空は白く染まり出している。
木の上で寝ていた割には体の凝りもなく、彼は腰掛けたまま体を伸ばしてほぐし、尽きかけていた2種類の香の火を消して捨てていく。水筒の水で、気持ちの悪い口の中をすすぎ、立ち上がる。
「―さて、早いところ、仕事を終わらせて戻らないとな。…なんか、忘れてる気がするが、まあま、いいだろう」
師匠のことに気を取られすぎて、コハクのことを完全に頭から抜け落ちていたことに気付かないまま、彼は空へと駆けていった。
日が出てきて、明るくなってきた空を駆けていたところ、見覚えのある、大きな影が遠くで飛んでいるのが見えた。
それは、間違いなく擬似竜。ヴァンは逸る気持ちを抑えて、高度を落とし、気付かれないように注意を払いながら追いかけていく。追いかけている最中、餌を見つけたのか、擬似竜は急降下し、狩りを行う。遠くからではその獲物は見えないものの、空から見つかるリスクもなくなったため、ヴァンは高度を上げ、木々によって塞がれていた、窮屈な視界を広げる。
そして、擬似竜が降下した付近まで接近したところで、地上で今も食事を行なっている獲物を見つけ、その隙を狙ってその首を切り落とそうと構えたが、狩った獲物に違和感を感じた。
元々、深緑の森に擬態するため、緑色だったはずの鱗は、所々が赤に染まっており、これは返り血だけではなく、鱗そのものすら、赤くなっている。
「……激昂色。擬似竜にも、あったのか」
―激昂色とは、ラセルタ、翼竜を含めた大型の爬虫類たちが持つ、警告のための色調の変化。とてつもない怒りと敵意を感じた際に徐々に現れるものであり、通常の個体よりも、凶暴性が大幅に増している。基本的に臆病で、賢いために余計な闘いを避ける傾向にある擬似竜は、その性質ゆえに激昂色に変化する可能性は指摘されていても、実際に変色した例は確認されていない。ただ、今、見ている擬似竜の鱗は間違いなくその激昂色であり、貴重なケースに出会えたのだろう。
その一方で、明らかに血とは違う、鮮やかな赤に、ヴァンも気を引き締める。
激昂色に染まった翼竜やラセルタは、村1つ滅ぼした事例も複数確認されている。いくら、それらに比べたら非力と言われている擬似竜でも、油断はしないほうが良いだろう。
そして、激昂時の彼らの感覚は通常時よりも遥かに鋭敏だ。上空で観察をしていた視線や、彼の武器が鳴る音に気付いたのか、血走った目が、こちらを見据えた。
そしてすぐに食事を止めて飛び立つ準備をする。それと同時にヴァンが危機感を感じ、すぐにその場を離れると、細い熱線が、彼のいた場所を焼き尽くした。
「……ちぃっ!」
常識離れした肺活量。それだけではなく、上昇気流もなしに、自力で飛び立てるだけの筋力も兼ね備えている。番を殺された怒りのままに暴れ狂うその姿は―彼の"呪い"のよう。
馬鹿げた筋力に、ヴァンはすぐに追いつかれてしまい、擬似竜は爪を振りかぶる。
退避は間に合わない。ならば、防御。咄嗟に作り出した障壁に阻まれ、ヴァンは軽々と吹き飛ばされる。木の葉のように飛ばされ、衝撃は相当なものだが、距離を離すことが出来る。その間に体勢と観察を―行おうとする前に、次の追撃が視界に入る。
「――!?」
吹き飛ぶこちらよりも早く移動するなんて、常軌を逸している。そんな都合のいい"魔法"みたいな戦い方は、普通の生き物には出来ないはずだ。
初めての異常事態に、流石のヴァンも混乱し、追撃の爪の防御が遅れる。少し、肉を抉った程度だが、間違いなく、ヴァンの身体から血が流れた。
「―どういう、ことだ」
訳がわからない。激昂色とは言え、流石に動きが異常すぎる。
空を転げ回りながら、彼は体勢を整えつつその姿を見ると―擬似竜の体からら黒いモヤのようなものが漂っている。それは、ヴァンの呪いを起動した時と、よく似通っていた。
「――そう、か」
異常に強化された能力。擬似竜らしからぬ、攻撃性。よく知っている、黒いモヤ。
昨日出会った時になかった要素。そして、一昨日見つけていた、巨大な竜の痕跡。
疑いはしていたが、それらの要素が、彼に確信を与える。
つまり、ここには彼の敵が―黒竜が潜んでいるということ。
忘れられたら、どれほど良かったか。過去に刻まれた、滅びた村の記憶がヴァンの脳裏に蘇る。
「ぐぅぅぅぅぅぅぅううう!!!」
憎悪と、歓喜の感情が渦巻く。ただ、ヴァンの理性が、感情に呑まれることを拒んだ。
感情に呑み込まれるのは簡単だ。理性なき化け物に堕ちてしまえば、こんな雑魚相手、児戯のようなものだろう。
だからこそ、ヴァンにはまだ"伸び代"がなければならない。呪いの力はとてつもないが、それに頼った戦い方は、それを使う前提の考えになってしまう。
ヴァンという名の"狂気の獣"ではなく、"金の竜狩り"として勝つ理由がある。
沸き起こる感情を理性で抑えつけ、飛んでいく最中、垂直に作り出した足場に着地し、その勢いを循環させ前方に向けて駆け出した。
既に間近にいる擬似竜の懐に潜り込み、そのガラ空きの腹を引き裂こうとした時、大きく羽ばたいて空へと逃げられる。
そして、風に煽られたヴァンは地上へと落ちていくが、すぐに放たれた角が虚空に突き刺さり、何とか高度を維持した。
伸びていくワイヤーを途中でロックし、その勢いのまま振り子運動に移る。更に空中で作り出した足場を蹴って加速。振り子の頂点で飛び上がり、空へと逃げていった擬似竜を追う。
決して逃さないよう、ずっと相手の動きを見ていたが、こちらに狙いを定めており―飛び上がって減速したところで瞬膜を閉じ、大きく息を吸う。
熱線の予備動作であることは分かっている。擬似竜の口の直線位置から離れようとするが―どこに逃げるというのだろうか? 逃げる場所がない空の上。擬似竜に対し、180°の位置にいるというのに。
まともに受け止めれば、そのまま即死もあり得る火力。ただ、移動による回避は恐らく不可能。だからこそ、左手の爪に風を纏わせて前に進み、真正面から受け止めることにした。
逃げる素振りのないヴァンに意表を突かれたものの、擬似竜は容赦なくその口を開き、灼熱の閃光が放たれる。
その閃光が直撃する瞬間、爪の風によって作られた気流が、熱線の導火線でもあるガスの流れを乱し―ヴァンの前から避けるように軌道を変える。
少々、熱に焼かれた服が焦げるものの、ヴァンはお構いなしに熱線から逸れるように移動して進んでいく。
そして、熱線の閃光に視界を焼かれてホワイトアウトを起こしている擬似竜に近づいていき、その首ではなく、その目に向けて角を発射した。
―しかし、その一撃は避けられる。寸でのところで、角の風切り音に気がついた擬似竜が大きく顔を逸らしたが、角は目には届かず―口に巻き付いた。
「――!!?」
想定外の事態に、流石に感情に支配された擬似竜でも驚いたのだろう。急いで口に巻き付く糸を外そうとワイヤーを切りつけるが、生憎このワイヤーは特別製。擬似竜どころか、黒竜戦を想定し、数多の魔法を重ねて強化した特別製。簡単に切れるわけがない。
予想外の好機に、ヴァンもワイヤーを巻き取る形で口を締め上げていき、接近する。
彼の風の爪の威力は、その目で見て、よく知っている。直撃すればひとたまりもないのを理解しているため、余計に焦ってワイヤー外そうとするが、余計に絡まって、強固に結ばれる。どんどん締め上げられるワイヤーも、擬似竜の口を引き裂かん勢いであり、分厚い鱗に切れ目が入り始めている。
徐々に口先からワイヤーが外れていくが、締め付ける力は次第に強くなっていく。そして、ヴァンの射程に入る前に擬似竜は、鼻先を自分の爪で切り落とし、ワイヤーを無理やり外す。
しかし、十分に接近できたヴァンは、その勢いのまま、横に薙ぎ払ってその首を斬り落とそうとする。その斬撃は寸でのところで急降下して回避され―呪いによってもたらされた異常な回復力にて、切り落とした部分もみるみる内に生えていく。
避けられることを想定した上で、次の追撃の準備はできている。
一拍置いた上で体勢を整え、再度虚空に作り出した足場を蹴って、擬似竜を追いかける。ヒトの限界まで強化した脚力を以てしても、呪われた擬似竜の後姿を捉えるには僅かに足りない。
もどかしさを感じるが、ヴァンは焦らない。狩りとは、冷静に行うべきものなのだから。
―それに、絶大な力を得たにも関わらず、対等に立ち回るというのは、"感情"に塗り潰されやすい今の状態にはよく効くだろう。
怒り以上に、死への恐怖が打ち勝ってしまえば、その恐怖につけ込むだけでいいのだから。




