第4節 10
扉を開けたのは、落ち着いた薄緑色のブラウスに、クリーム色のロングスカートを履いた、大人びた雰囲気を漂わせる20後半ほどの女性。
短く切り揃えた黒い髪を揺らしながら、琥珀色の目が周囲を見渡す。そしてマダムを見つけ、彼女は低めの声で気さくに話しかけてきた。
「サフィア、久しぶりね。変わらないってことは、今も魔女をやってるのね」
「オーキス、貴方も来てたのですか。―残念ながら、まだ魔女はやめられてないんですよ」
オーキス、そう呼ばれた女性に向け、マダムも困ったように返したところで、ノーゼンも彼女に気がついたようだ。
「おぉ! 相変わらず美しいですな! 我らの貴婦人よ!」
嬉しそうに、仰々しく両腕を広げて言うと、彼女はしばらくそちらを見てから聞いた。
「今どき、私をそう呼ぶってことは…ノーゼン?
随分老けたわねぇ」
「まぁ、私も普通の人間ですから。最後に会ってから、20年近く経っているんですよ」
その言葉から、彼女も魔女であるとコハクが気づいたところで、目が合った。
「ところで、この若い子は何者? 私は知らないんだけど」
「あぁ、その子は金色…ヴァンの生徒よ」
マダムからの説明を聞いたところで、ようやく彼女の両手にある爪と角に気が付いて、無遠慮に近付いて手を差し伸べてきた。
「それはそれは。私の弟子が世話になってる小とはねぇ。―私はオーキス、巷では"黒の竜狩り"って呼ばれてるわ。よろしくね」
「――!!??!?」
黒の竜狩り、まさかの単語に驚いたコハクは椅子から転げ落ちると、それを見て彼女は不思議そうに聞いた。
「そんなに驚くことかしら? 確かに隠居して長いけど、魔女協会に転移石は卸続けてるし、そんな世の中と断絶してるつもりはないんだけど」
「まぁ、姿を表さなくなってから20年は長いですよ、普通は」
マダムがフォローしたところで、彼女はそっかぁ…などと感慨深く呟きながら、当たり前のようにまだ転んでいるコハクの手を引き寄せて起こしてやる。
「―で、あの馬鹿弟子…ヴァンは何処なの? トイレでも行ってる?」
「仕事中みたいですよ。それで、この子が代理できてるみたいです」
今更ながら彼女の弟子もとい、ヴァンの所在を聞くと、マダムが代わりに答える。それを聞いた途端、あからさまに不機嫌になって声を漏らす。
「はぁぁぁ?? 折角お師匠様がわざわざ出向いてきたってのに迎えもしないわけ? これは今度教育しなきゃね…」
「そもそも貴女が来るなんて言ってませんがね」
勝手に盛り上がる彼女に対し、ノーゼンがフォローすると、ノーゼンに理不尽の火の粉が飛ぶ。
「それなら事前に言いなさいよ」
「いや、この会議自体緊急なので…」
流石のノーゼンも責められるままなので可哀想には見えるが、先ほどのセクハラ発言の数々から、コハクも助け舟を出す気にはならない。
そんな彼女の愚痴が始まろうとしたところで、再び扉が開く。赤く、豪奢な飾りを使った軍服に身を包んだ中年の男が入ってきた。
「―まだこれだけか?」
男は声だけで背筋を正しそうな、威圧感のある低い声で聞くも、オーキスは全く動じない。
「緊急の会議なんでしょ? そんな怖い顔してなくても、国王もすぐに来るでしょう。
それに、私から言わせたらアナタも十分遅刻よ」
先ほど来たばかりの癖に、偉そうに彼女が言うと、男はあからさまに不機嫌になる。
「緊急ならば、迅速に行動するべきだろう」
「じゃあ別に方針について、今話してもいいわよ?
どうせいつも通り、竜狩りに前線を任せて、軍部のアナタたちは避難って名目の上で安全圏から見てるだけでしょ?」
何処か見透かしたように彼女が皮肉たっぷりに言うと、流石に彼の気に触ったのか、声を荒げる。
「どの口が―!!」
「"黒の竜狩り"の口から、今まで幾度となく行われてきた竜狩りの事実を述べたまでよ?」
彼女はさも当然のように言い、改めて聞いた。
「そうね。私たちは、幾度となく国の防衛や、権威のために無謀な狩りをして来た。その度、命を落としてきたのは常に竜狩りたちよ。
仮に竜に勝利して、色付きと持て囃され、その対価に見合わないほどの重責を負わせて人柱にし続けてきた歴史は、今更覆らないわ。
それでも、アナタたち―国の軍部は、竜を狩ることに対して口出しできる身分にあると?」
この国の成り立ちから知る、三英雄の1人、黒の竜狩りだからこその言葉。最古の竜狩りとして、数多の竜を、それに関わる人間たちを見続けてきた言葉なのだ。数十年生きてきた程度の人間に言い返せるわけがない。
返す言葉を失った男は恨めしそうに彼女を睨みつけ、向かいの席へと座っていった。
「…それにしても、随分とあの子も遅いわね」
オーキスは何事もなかったように平静に戻り、改めて扉の方を向くと、小気味いいノックの音が聞こえ、扉が開くと執務用の黒いスーツに身を包んだ国王が少し息を切らしながら現れる。その隣には、仕事前だったのか、いつものように肩や胸元が見えるように大きく開いたドレスを着た魔女協会のマスターもいた。
「―オーキス、貴方、もう居たのね。
―そうなると、遅くなって申し訳なかったわね、早速会議を始めましょう」
体力的にも余裕のあるマスターが代表して謝り、2人は揃って空いてる席へと座る。
それを確認して、早速ノーゼンが咳払いをしてから話し出す。
「おほん。―今回は、忙しい中、集まっていただき感謝する。時間も惜しいので、単刀直入に言おう。
昨日、金の竜狩りが、こちらに直接素材を持ってきて、調査の依頼をしてきた。その結果、こちらの持つサンプルに一切合致しない結果が出た」
その言葉だけで、コハクを除く周囲の人間たちは何かを察し、張り詰めた空気の中、ノーゼンからの言葉を待っている。
そして、彼はゆっくりと口を開き、宣言した。
「これは―黒竜の痕跡でほぼ間違いない」
黒竜、その単語を聞いた途端、すぐに国王が指示をした。
「総督。すぐに、避難誘導の準備を。"黒"も、出られるか?」
「はっ」
総督と呼ばれた軍部の男は、先ほどの態度は微塵も感じさせないほどにすぐに動こうとしたが、それをオーキスが止めた。
「待った。焦る気持ちはあるけど、報告は全部終わってない」
冷静に状況を見る彼女に対し、総督は口答えしようとしたが、先ほど負かされたこともあり、もどかしそうに席に着いた。
再度、会議室に静寂が戻ったところでノーゼンが再び口を開く。
「話は終わってない。ただ、今回見つかった痕跡は、少なくとも半年以上経過しているだろう劣化が見える。そこで、コハクちゃん。発見した時の状況を教えてほしい」
突然、白羽の矢が立ち、全員の視線が彼女に集まる。流石に突然の注目に、彼女も一気に頭の中が真っ白になってしまうが、彼女の隣にいたマダムが彼女の肩に手を添える。
「落ち着いて。鱗か何か分からないけど…それを見つけたときは、どうだった?」
囁くような彼女の言葉が、コハクの思考を現実に戻していき、彼女はゆっくりと口を開く。
「依頼先の村の近くにある山で、擬似竜の捜索をしていた時、見つけたものです。
あそこは、一面の木々が枯らされてたけど、木から新芽が出てたのも覚えてます」
呟くように情報を紡いでいき、それを聞いたノーゼンが考察する。
「やはり、この素材と同じように、少なくとも半年近く時間が経過しているのは間違いないですな。
だからといって、疑似竜が住み着いているのは不安材料だな。コハクちゃん、他に竜はいなかったのかな?」
「少なくとも、それらしい痕跡はありませんでした。あ、でも疑似竜は番でいました」
それを聞き、ノーゼンは更に考えを述べる。
「竜の痕跡が残る場所に疑似竜が住み着くというのは少なくはないですが、番となれば話は別だ。見た目の割に臆病な奴らが番になって居着くというのは、何か、絶対の同類への保障があるということ。―これは、大分きな臭いのでは?
婦人は、どう思いますかな?」
ノーゼンは自分の考えの訂正をオーキスに求めるが、彼女も同じ考えだったようだ。
「単純に、周辺で休眠してる可能性が高い。今回の発見先は―確か、ヤツが最後に発見された北部なんでしょ?」
黒竜の目撃情報を確認しようとするも、誰もそれについては反応しない。この中で最も詳しそうなノーゼンでさえ、困惑した顔をしていた。
「…え? この情報どこにも回ってないの?」
とても意外そうに彼女が聞き返すと、隣にいたマダムが聞いた。
「その情報、どこから?」
「知り合いの商人からよ。ここしばらく懇意にしてもらってて、ヴァンとも繋がってるから、そこから教えてもらったの。
そこそこ有名って聞いてるわよ。希少取引所のケイって子」
ケイ。その名前を聞いて、全員何処か納得したようにため息を吐いて、マダムが代表して話を続けた。
「…成る程。あの怪しい奴からなら信用できるわね。
でも、こちら側には一切回ってない情報よ。その話は本当なのね?」
「あの子が、わざわざそんな嘘をつくために直接私のところに来てなきゃね」
オーキスは肩をすくめて答え、国王が脱線していた話題を戻す。
「つまり、調査するには値するということだな」
「それはそうだけど、こんな時間から民を避難誘導する気? 流石にまずは防衛を優先して日が昇ってからでも遅くはないでしょう。
今まで姿を見せていなかった竜が、いきなり出てくるなんてそんな都合のいい動きをするとは限らない。心配なのは分かるけど、それなら私たちが今晩の防衛を対応して、翌朝から進めたほうが効率的でしょ?
兵士たちを配置するにしても、防衛機構まですぐに準備できるの?」
焦る国王を宥めるように、彼女は冷静に提案する。彼もより良い案を出され、素直に受け止めた。
「――それもそうだな。黒色が話す通り、今晩の防衛についてはここにいる2人の竜狩りに一任する。魔女協会、軍部については、明日の日の出に合わせ、遠征準備を整えてくれ。ノーゼン博士は、引き続き調査を続け、分かったことがあれば逐次連絡を。
仮案としてはこのようになるが、皆の衆、異論はないかね?」
この国のリーダーらしく、各々へ指示を飛ばし、問題ないか確認すると、各々静かに頷いた。
それで会議は終わりと言いたそうに、彼は疲れた様子で立ち上がる。それに合わせて、隣にいたマスターも立ち上がる。
「では陛下、お供します」
「…すまないな」
彼女に付き添われる形で、怪しい足取りで国王が部屋を出ていった後、軍部の総督は鼻を鳴らした。
「国の主というものが、護衛もつけずにあんな女と一緒に行動するとはな」
軽蔑したような言葉に、オーキスは何かを察したようにニヤニヤしながら答えた。
「いやぁ? それについては賛同しかねるなぁ。―ま、マスターについて何も知らなきゃ、ぱっと見ただの娼婦だもんね」
意味深な発言に、彼は眉をひそめる。
「…何?」
思った通り、食いついてきてくれたので、彼女は笑いながら答えてくれた。
「そりゃそうだよ。マスターは、魔法が使えるっていう条件なら、この国で多分誰よりも強いんじゃないかな」
「どういうことだ?」
「そこまで答える義理はないかなぁ。ただ、長生きしたいなら、この国―始祖の魔女にだけは逆らわないほうがいいと思うよ? 折角こんな場所でも、顔見知りになった忠告さ。
例えば―国家転覆とか考えてるなら尚更ね?」
何処か見透かしたような言葉に、彼も不機嫌そうに立ち上がり、そのまま部屋を出ていった。
その後ろ姿を見送った後、オーキスは大きく伸びをして、一息ついた。
「さぁて。"約束"とは違うけど、馬鹿弟子のところに行ってあげるかね。
サフィア、私は準備してから行くから、先にその子と一緒に向かってあげて」
体をほぐしつつ彼女は一方的に伝え、駆け足に部屋を出ていった。
更に、誰にも気付かれることなくノーゼンも姿を消しており、残された2人は呟くようにして確認した。
「じゃあ、こちらも行きましょうか」
「はい」




