第6節 8
仕留めた獲物を縄に括り付けて落とした後、洞窟には川を流れる水の音とヴァンの靴音が響いていた。
後ろを振り返らず、括り付けた縄を木で作った杭に括り付け、ちょうど近くにあった幾らか柔らかい地面に突き刺して、腰を掛けた。
血抜きをしている獲物の臭いを嗅ぎつけ、肉食の魚が横取りしに来る可能性も考えて、水面をじっと見ていた所で、彼の背中に彼女が座って、静かに話し出した。
「――、ずっと、遠い所の話よ。そこで私はずっと使われていた。
よく分からない薬を作らされて、必要になったらこの力を使って、あとは男たちに代わる代わる使われてた」
「そうか」
お互いに顔は見えない。ただ、ヴァンも話はきちんと聞いているため、返事だけはしている。
「ずっと、ずっと同じことの繰り返し。たまに、目隠しをして連れ出されたと思ったら、しばらくして檻に戻されるくらい。
本当に、男の顔が変わるくらいしか覚えてたことはないわね」
「そうか」
魔女は、その権能を継承するまで、年を取ることはないと言われている。それ故に、"捕らわれた魔女"のほとんどは、抵抗をする気力を失うまで心を折った後は、監禁して搾取され続けるというのは、魔女協会の台頭によって数はかなり減ったものの、少ないわけではない。ヴァンも、そういった魔女の保護を行った事も数える程度はあり、驚きもしない。
「…だが、その魔女がどうして今、逃げ出してここにいる?」
不可解な点を聞くと、一つ一つ、思い出すように答えてくれた。
「あそこが薬を売っていた所の人が、連れ出してくれた」
「―なるほど」
どういう経緯で彼女を知ったかは知らないが、少なくとも解放をしてくれた人間がいたということか。ただ、その解放を手引きした人間がいないということは―
「そいつは、もう居ないんだな?」
この場にその件の人間が居ないということは、何らかの形で命を失ったということ。彼女の解放が善意であれ、悪意であれ、生活の一部でもある魔女の誘拐を許すような所はない。どんな形で逃げたにせよ、無事では居ないだろう。
そこで、彼女と共に暮らしているラセルタの存在を思い出した。
「…今、一緒にいるラセルタが、そいつの形見なんだな?」
ここまでの情報を纏めれば、人に飼われていた形跡があるのも頷ける。彼女は何も言わないものの、ヴァンは話を続ける。
「それで、そいつとの子供がクゥリン、で合ってるのか?」
逃げるきっかけが子どもではなく、連れ出しであるならば、今の今まで話が出てきていないあの子どもはきっと、その後に生まれたのだろう。
魔女は、基本的に自分から望まない限り、妊娠することはない。そこから考えれば、話の時系列も合致する。
そこまで読まれるとは思っていなかったのか、再び言葉を失っている彼女に向け、ヴァンは水面を見ながら続ける。
「沈黙は肯定と受け取るぞ。―ただ、まだ聞きたいことはあるが大体理解した。
お前とあのラセルタがあの娘に執着する理由もな」
ここの花畑やあの子が持っていた薬も、監禁されていた時に作っていた薬の知識を元に作ったのだろう。そこから別件として情報を集めたいところだが、それは帰ってからやればいいことだ。
短いものの、川の勢いもそれなりにあり、ヴァンはまずウリ坊を水から揚げて、血抜きの具合を見る。
「…まぁ、これくらいならもう食えるか。
一旦、引き上げるか。大物はもう少し血抜きしておきたいし、今のところ、泥棒していくようなのも居なそうだからな」
そう言って立ち上がると、彼女はまだ呆けたまま座っていた。
「……どうした?」
「……もう、あの人は帰ってこないってさ、今更思い出したんだ」
今まで気にしている余裕が無かったか、気が付かないようにしていたのだろう。彼女の言葉を聞いて、ヴァンは振り返らずに答える。
「失ったものを振り返っても仕方がない。俺たちは前を向いて歩いていくしかないんだ」
それは、誰に向けての言葉なのだろうか。淡々と答えるヴァンはいつの間にか、こちらを向いていた。
「……そう、よね。まだ、見ていなきゃいけない子もいる」
「腹が減ってるから余計なことを考えるんだ。帰って、適当に済ませるぞ」
ヴァンは適当に言ってから、彼女の手を掴んで引き上げるようにして立たせる。今度は彼女もきちんと自分の足で立ち上がり、2人は花畑へと戻っていった。
――その後、手元にあった香辛料と香草で味付けをした肉を振る舞い、ラセルタと一緒に川に沈めていた大物を引き揚げてから、花畑に戻った所で、空に空いた穴から見える空は赤く染まり始めていた。
「――もう、行かないとな」
ヴァンは懐中時計も取り出し、夕刻を示していたことを確認してから飛翔のための準備運動として、屈伸を始める。
「行っちゃうの?」
たらふく食べたせいか、少し眠そうに座っているクゥリンが聞いてくる。それに対し、彼は隠すことなく答えた。
「そうだな。別行動はしていたが、仲間が待ってる」
元々、彼女との約束を先にしていたのだ。彼女たちの保護も仕事ではあるが、先約を投げ出してまで付き合うわけにはいかないだろう。残念そうな彼女に向けて、ヴァンは目線を合わせてポーチから発信石を取り出す。
「―一緒にいれない代わりに、これをやろう。
本当に、俺の助けが必要なら、力を込めて握ってみろ。どこに居ても、助けに行ってやる」
魔女であれば、いつその体を狙われるか分からない。保険があれば、それに越した事はないだろうと考え、自分の指輪と直結している発信石を渡すと、彼女は嬉しそうに口元を綻ばせた。
「―本当!?」
「勿論だとも」
ヴァンは穏やかに言ってから、それを見ていた1人と1頭に向き合い、ラセルタに釘を差した。
「ところで、お前はあまり村に近寄るなよ。状況次第では俺はお前を殺さなきゃなるからな」
ヴァンとしては、ラセルタの討伐が本来の仕事でもあるため、忠告だけしておくと理解したのか、クルル、と鳴きながら頭を下げた。
「ところで、アウロラが送らなくても大丈夫?」
母親である彼女が申し出てくれるが、ヴァンは首を横に振る。
「大丈夫だ。戻るだけなら、こっちのほうが早い。―また来る」
ヴァンはそれだけ伝え、空へと右手を向けて飛び上がる。そして角を飛ばして虚空の足場に突き刺して、そこを起点にリールを巻き取り、加速しながら更に駆け登る。
それなりの高さのある洞窟の穴を軽々と越えていき、十分な速度が乗ったので、そのまま村に向かって駆けていった。
それから1時間足らずで村の入り口へと辿り着き、ヴァンは既に待っていたクリムの姿を見つけて地面を滑りながら着地する。
「―待ったか?」
「……それなりに、かな。結構遠くまで行ってたんだね?」
クリムは待ったことよりも、彼になにか問い詰めたいのか、不満そうな目でこちらを見ているが、彼は気にしていない。
「そうか、悪かったな。
話も色々あるだろうが、先に村へと入ろうか」
門限を過ぎれば、昨日のように問答無用で締め出されてしまう。それも見越して、ヴァンはまず村に戻ることを提案すると、彼女も2日連続で野宿は嫌なのか、渋々従った。
「―で、こっちが必死に巣穴を探し回ってた時に、何サボってたの?」
この村も観光地ではないものの、飲食店くらいはある。夕食時で賑わいを見せる定食屋に入り、席について注文をしたところで早速切り出してきた。
何のことかとヴァンも不思議に思ったが、冷静になって思い返すと、彼女には発信石を探知する端末を渡している。こちらがどこに居たか、その気になればすぐに分かる。
元々は近くでラセルタの巣穴を見つけるために別行動をしていたというのに、ほぼ同じところで呆けているように見えるのならば、彼女の不満も当然だろう。
下手に言い訳して誤魔化しても、ネチネチと言われるのが関の山だ。この際、隠し事は無しにはっきりと伝えた。
「そう見えても仕方ないか。―ラセルタに出会した」
結論だけ伝えると、彼女の不機嫌が一瞬で切り替わる。
「早くない!?」
「そうだな。しかも、そのラセルタは人に飼われていた」
嘘は言っていない。実際、あの親子に付き従っているのだから、飼われているのと同義だろう。
ヴァンが淡々と今日の成果を報告すると、彼女は疲れたように椅子の背中にもたれかかった。
「何よ…なら、もう解決したの?」
「一応な。ただ、そいつ以外の個体がいない前提だが」
「あぁ…その可能性もあるのね」
この後、件の親子と一緒にあのラセルタも回収してしまえば、仕事は終わりだ。ただ、それで解決しなかった場合は、ヴァンのメンツに関わる。確実にもう1つの可能性を潰した上で、仕事の完了としたいと伝えると、丁度料理が運ばれてきた。
「さて、とりあえず飯にしよう」
「そうね」
必要な話も一旦終えたため、タイミングも良いのでお互い食事に向き合うことにした。
食事も終え、外に出た頃には日も沈んで、暗くなっていた。街灯代わりに所々に松明が置かれているが、開いている店もなく、家に帰る住人たちの配慮だろう。
たまに見かける住人たちを気にすることなく、2人は道を歩いている。
「ところでクリム、お前の宿は?」
「いや、お金勿体ないし王都に帰って寝てるけど」
「話したいことがある。金は出すから同じ宿に泊まってくれ」
このまま王都に帰られてもらうとヴァンとしても少し困る。話したいことがあるのも事実なので、半ば強引に誘うと、彼女は少し嫌そうな顔をした。
「勤務時間外ってことに出来ません?」
「つまり、お前を買えば付き合ってくれるのか?」
ここまでの会話の流れならば彼女の時間を買う、という意味で受け取れるはずだが、男女間での会話となればまた違う意味となる。
ヴァンも言った後にやらかした事を後悔したが、ここまで話した手前、撤回するのも相手に失礼だ。そのまま返事を待つも、彼女としても素直に求められるのは悪い気はしないのだろうか。少し、挑発するように聞いてきた。
「安い女じゃないよ?」
「別に構わん。金ならある」
竜狩りの名前の泊でかさ増しされた報酬や、ケイの依頼で稼いでいるので金なら余るほどある。どうせ装備と日用品にしか使わないので、必要な経費なら喜んで出せる。
ヴァンが即答するも、彼女は訂正する。
「いや、そっちじゃなくてね」
それで何かを察したヴァンは、ついため息を吐いてしまう。
「……なるほど。善処はする」
「ごめんね、ここしばらくちゃんと補充できてなかったからさ…」
彼女も申し訳なさそうに言うも、拒絶することはない。
「構わん。魔女なら必要なことだからな。ただ…」
そこまで言って、彼は言い淀む。
「どうしたの?」
無茶を言ってる自覚はあるのだろう。彼女も彼の意見を尊重しようと聞いてくると、珍しく弱音を吐いた。
「明日の仕事が出来る程度に留めてくれ」
「あっはい」
過去に何があったかは分からないが、その言葉で何かを察した。




