第6節 7
ラセルタに乗って、少女と他愛のない話をしている内に、鍾乳洞から分かれた1本の道に入っていく。
「……、」
「どうしたの?」
鍾乳洞から離れたタイミングで、水の匂いにかき消されていた甘ったるい匂いに気が付き、少し顔をしかめる。ただ、この少女にとっては慣れた匂いなのだろう。特に何の反応もなく、不思議そうにこちらを見ていた。
「いや、何でもない」
「そう?」
彼女に気にしないように告げると、それ以上追求することはなく、彼女は前を見る。視界は塞がれている筈なのに、見えているように振る舞っているのは、あえて気にしないようにした。
更にラセルタは道を進んでいくと、突然視界が開け、太陽の光で照らされた花畑が広がっていた。
「―ここで降りるよ。ここでアウロラに乗ってると、怒られちゃうから」
彼女はそう言って、ラセルタから降りるように話す。話半分にそれを聞きながら、ヴァンは地に足を付けてその花畑を見た。
そこは、洞窟の中に出来た、大きな空間に作られた畑。この洞窟自体は山を削って出来たものだろうが、不思議なことに日の光が差し込むほどの大穴が空いていた。ただ、その周辺には当然木々が繁茂しているため、空からでも、真上から見ない限りは気付きにくいのだろう。
その日差しと、地下水脈から分かれて出来た、僅かな湧き水がこの畑に一役買っているのだろう。周囲をよく見ると、隅っこに湧き水が流れる泉も出来ていた。
そして、花畑にはいくつかの植物が分けて生育されており、その混ざり合った香りがこの甘ったるい匂いの原因だと理解する。その中には、何処かで見た赤い花も咲いており―あの強壮剤はここで作られたものなのだろう。更によく見ると、食用の植物や、薬草の類もいくつか生えており、ここだけである程度の食事や生活は賄えるようになっているのだろう。
「―ヴァンー? 行っちゃうよぉ?」
「あぁ、今行く」
熱心に花畑を観察していたが、少女にとっては見慣れた光景である。ラセルタと一緒に花畑の奥にある道へと進んでおり、ヴァンもそれに気が付いて意識を戻して少女の背中を追いかけていった。
洞窟を更に進んでいくと、不格好ながらも、木の板で作られた扉が見えた。
「ここが、わたしの家です!!」
「そうか。お邪魔してもいいのか?」
自慢げに紹介する彼女に向け、ヴァンが少し困惑気味に聞くと、彼女も何か言いつけられてのいを思い出したのか、今更ながらハッとした。
「あっ…………」
ここまで来て、まさか知らない人には気を許さないように言われていたことを忘れていたらしい。ヴァンとラセルタは呆れたようにため息を吐いてから、ヴァンがラセルタに聞いた。
「お前は分かっていたが、断れなくて連れてきたんだな?」
このラセルタはいつぞや、どこぞの領地で飼われていた愛玩動物とは違って遥かに賢い。こちらの言葉もしっかり理解してくれているので、そちらに確認すると、申し訳なさそうに鳴きながら頷いた。
「まぁいい、俺も大人だ。きちんと話して今回限りの付き合いとして水に流してもらおう」
元々見逃すつもりだった相手だ。ここまできて帰ってしまっては逆に相手に不信感を与えてしまう。しっかりと話した上で、お互い無かったことにしようと扉を開けた途端―魔力の弾丸がヴァンの顔面めがけて襲いかかってきた。
「――!」
外にいる時は、警戒を怠るな。それは師匠から仕込まれた習慣であり、こんな場所だからといってそれを忘れた訳では無い。咄嗟にそれを障壁を作り出して防ぎ、呆然としている1人と1匹を無視してポーチに左手を突っ込み、魔弾を放ってきた方向に向けて指の摩擦で着火させた閃光弾を投げ入れる。
「――!!?」
この薄暗い洞窟の中での閃光だ。この光に慣れきった相手には堪らないものだろう、声を出さずに怯んだ相手でも攻撃された方角と気配で距離を掴み、接近した上で掴みかかる。
相手もそこまで場馴れはしていないのだろう。ヴァンに接近を許し、そのまま手を掴んで足を払って転ばせる。怪我をさせるつもりはないので、きちんと引き手を取り、床に激突する前に減速させる。
「……勝負ありと、させてもらっていいか?」
一瞬の事だが、力は十分に示したはずだ。不意打ちをかわされたのであれば、荒事に慣れていない相手にも勝ち目はないと分かるはず。
「…………、」
ただ、相手の敵意は収まっていない。まだ抵抗をしようとするのを見て、ヴァンは仕方なく右手の角を頭に突きつけた。
「余計なことをしようとすれば、今度は殺すぞ」
一切感情の籠もってない言葉に、ようやく、相手も手加減をされていたと理解したようだ。相手の敵意も収まった所で、ヴァンはずっと掴んでいた左手を離し、相手を地面に置いてやる。
改めて、壁にかけられている照明の淡い明かりで、襲いかかってきた相手を見る。
身長は160cmほど。普通くらいの身長の女性で、少女と同じく、ボロ布を外套にして纏っているが、洗濯もしているのだろう。少女のものよりも幾らか綺麗に見える。そして、少女と異なって顔を隠すことはしておらず、痩せこけた顔に、染みついたくまと、眉間の皺から、ワケアリなのだろう。
雑に短くした黒い髪を揺らしながら、彼女は体を起こして、目眩がするのか、額のあたりを押さえている。
「手荒な真似をしてすまなかったな」
先に手を出してきたのはこちらではないが、暴力で取り押さえたのは事実。その事を踏まえて謝罪すると、獣のような鋭く、黒い瞳がこちらを見た。
「……私を、探しに来たわけじゃないのね。何者なの…?」
口ぶりから、追われる身ではあるようだ。ヴァンとしては相手の誤解を解くためにも、はっきり答えることにする。
「魔女協会という組織を知っているか?」
「知らない。アンタは、そこの?」
知らないと言われてしまうが、彼の言いたいことは伝わったようだ。
「そうだな。魔女を保護して、集めている組織だ。俺は、そこに所属している雇われの兵士。ヴァンと呼んでくれ」
簡潔に自分の所属する場所の説明と名乗りを行うと、彼女は目を背ける。―安心できないのも無理はない。ヴァンは何も言わずに、ただ答えを待つ。しばしの沈黙の後、それに耐えられなくなった女が口を開く。
「…ここを、どうやって?」
「それは、案内してもらったんだ」
そこまで伝えてから、ヴァンも後方を見ると、こちらを心配そうに見ている少女と、ラセルタがいた。
それを見て、全部理解したようで、大きなため息と共に彼女たちに声をかけた。
「クゥリン、アウロラ。お前たちが連れてきたのかい?」
彼女の言葉に怒気はない。それでも、余計なことをしてしまったと分かっているようで、恐る恐る入ってきた。
ただ、怒られるつもりはないのだろう。クゥリンと呼ばれた少女は、しっかりと彼女を見て答える。
「マム、勝手に連れてきたのはごめんなさい。…でも、この人はこの前美味しいのくれた人なんだよ」
美味しいの、と言われてヴァンも何かしたかと記憶を辿ると、確かに先日、この子に森王を渡していた。
「ああ、あれのことか…」
ヴァンとしては、当然の対価を支払っただけと考えていたのだが、彼女としては違う感想だったのだろう。マム、彼女の母親らしき女性も、心当たりがあったのか、こちらを見る。
「…本当かい?」
「嘘は言ってない。俺は当然の対価を渡したまでだと思っていたのだが」
誤魔化すことなく答えると、彼女としても思うところがあったのだろうか。深いため息の後、仕方なしと言いたそうに頷いた。
「…それじゃあ、仕方ないわね。
えぇと、ヴァンでいいかしら? 何もないところだけど、歓迎するわ」
彼女なりに敵ではないことは納得したらしく、歓迎の言葉を受けて、ヴァンは小さく会釈する。
「それは有り難い。…ただ、アンタは随分と弱ってるな。畑に生えてる食べ物以外に、何かないのか?」
ヴァンの言葉に、ラセルタと女性が目を背ける。ただ、クゥリンだけは首を傾げているのを見て、何かを察した。
「…成る程、理解した。
ここでは火の扱いは出来るのか?」
「あることにはあるけど、それが?」
女性が不思議そうに答えると、ヴァンは安心して立ち上がる。
「少し、待っていろ」
それだけ伝えて、ヴァンは外へと向かっていき、再び畑へと向かう。
改めて空を見るも、まだ日も十分ある。お節介を焼くにしても、時間は足りるだろう。
ヴァンは空へと右手を伸ばし、外へと飛び立って行く。目当ては、適当な獣の肉や、食べられる野草。―きっと、あの少女に食料を優先して回しているため、2人は栄養不足で弱っているのだろう。少なくとも、しばらく満足に取れる食事があれば、多少は回復するはずだ。
やる事も決まれば、あとは早い。この手の狩りもヴァンは手慣れており、翼竜のように、空から強襲して仕留めるのがいつもの手法だ。
たまたま見つけた猪の親子を全員仕留め、動かなくなった肉塊を担ぎ、適当に見つけた野草の新芽を摘んで戻っていく。再び穴から戻ってきた所で、先ほどの女性が待ち構えていた。
「―待ったか?」
「……本当に食べ物を持ってきてくれるとはね」
自分よりも数倍あるような獲物を片腕で担ぎながら、軽々と飛び回っていることへのツッコミはないようだ。それよりも、見ず知らずの彼女たちに手を貸していることのほうが気になるらしい。
こちらとしては何とも思っていないが、相手側、特に追われた身で苦労してきただけに、善意の施しというものは警戒されても仕方ないのだろう。警戒を強めている彼女に向け、ヴァンは血抜きのため、鍾乳洞へと向かいながら答える
「アンタが思っているような、深い意味はない。ただ、信用してもらうには行動で示すのが一番だろう?」
話を聞くには、まず信頼してもらわなければ始まらない。その言葉には偽りはなく、打算的な思惑でこんな事をしていると言われ、彼女も困惑する。
「それに、そちらには何の利点があるの?」
バカバカしい、と言いたそうにしてはいるが、それなりにあちらも興味は湧いているのか、ヴァンに着いていきながら聞いてくる。
「さっきも言っただろう。信頼っていう、物の価値じゃつけられないモンを貰うためだ」
「そこまでやって、返せるほどのものは持ってないわよ?」
確かに、こんな所で畑を作って過ごしているような親子にここまでする価値はないだろう。ただ、ヴァンにはこれだけのことをする価値がある。
「―だって、お前たちは魔女だろう?」
「――!!」
その言葉に、彼女は咄嗟にヴァンとの距離を離す。その反応を見ても、彼は呆れ気味に続ける。
「忘れたのか、アンタが出会い頭に魔法使ってきただろ。それで、クゥリンとかいう子も、アンタの実の娘であるなら魔女で確定だろ。
だからって、捕まえるつもりもないし、そうするならとっくにやってるだろ」
こちらに危害を加えるつもりがあれば、とうに実行に移しているだろうと思われるが、彼女なりの反論もある。
「アウロラがいたから、じゃないの?」
「あー…、」
少なくともクゥリンと出会った直後から近くにはずっとアウロラと呼ばれるラセルタがいた。ヴァンも体は大きいが、それでもラセルタ相手では敵わないと思われているのだろうか。痩せて弱ったラセルタ1匹くらいなら訳なく狩れるのだが、それをわざわざ言う必要もないだろう。
「それだとしても、わざわざラセルタも食えるほどの獲物を持って、そんなことを言うか?
少し前にも名乗ったが、俺は魔女協会の人間だ。魔女を見つけたなら、保護しようとするのが普通だろう」
彼女の杞憂は全て考えすぎだと行動で全て示している。そこまで言って、彼女も少しは信用する気になったのだろうか。距離を離しながらも着いてくる。
ヴァンも足を止めずに、呆れながらも諭す。
「…考えすぎだ。お前が思ってるようなことを俺はする理由がない。
むしろ、アンタが追われてると言うなら、力を貸すこともできる。―血抜きの間は暇なんだ。もし良かったら、話してくれないか?」




