第6節 2
「美味いな」
先ほど購入した森王を早速食べつつ、ヴァンは村の出口に向かって歩いていたところ、視線を感じて足を止めた。
「…?」
周囲を見渡すも、それらしい人影は見つからない。余所者であることもあり、奇異の視線自体は前から何度も感じていたが、今送られている視線は少し違う。どちからというと、人と言うより獣染みた視線。
敵意はないため、再度周りを見渡してみてるも、やはりそれらしい人影は見つからない。これ以上気にしても仕方がないと判断し、ヴァンは再度出口に向かっていく。
―住宅地から離れ、防衛のための柵、もとい出入り口が見えてきた辺りで、1つ目の森王を食べ終えたヴァンは再度立ち止まり、周囲を見渡すと―大慌てで物陰に隠れる人影を見つけた。
それを見間違いだと思うことはなく、ヴァンはそちらを見ながら声をかけた。
「……何の用だ?」
面倒くさそうに聞くも、返事はない。彼はため息を吐いてから、指輪の力を使って高く飛び上がる。少しすると、こちらの様子を伺っていた、小柄な人影は、物陰から顔を出したところで、上空からヴァンが目の前に降り立った。
「―何の用だ?」
「――!!」
突然の事にその人影は驚きのあまりに引こうとしたが、自分で足を引っ掛けて転んでしまう。
「…何をしてるんだ、お前は」
ヴァンも呆れながらその人影に近付いて、外套のように纏っている布から伸びている細い腕を取って、起こしてやる。
そこで、改めてその人影を確認した。
身長は150cmほど。今掴んでいる手も含めて、線は細いものの、ある程度主張している胸や下半身を見るに、細身の女性のようだ。顔だけは見られたくないのか、頭部の布を引っ張って必死に隠しているが、ヴァンとしてはどうでもいい情報だ。
とりあえず起こしてやり、身長差ゆえに怖がらせてしまうことも多いので、気を遣って膝をついて目線を合わせつつ聞いた。
「大丈夫か?」
ヴァンの問いかけに、彼女は小さくこくこくと頷きながらも、その視線が彼のポーチ、というよりはみ出ていた、紙袋に目が行っていることに気が付いた。
「もしかして、これが欲しいのか?」
先ほどの視線は、ヴァンが森王を食べていたからなのだろう。それを理解し、ヴァンが紙袋から目当てのものを取り出してやると、彼女は露骨に欲しそうに手を伸ばす。だが、女性とはいえ、見ず知らずの相手に無償で渡すわけにはいかない。
「悪いが、タダではやれん」
それが届かないように腕を高く上げ、彼女に交渉すると、言葉はちゃんと分かっているのだろう。本当に悩んでいたところ、彼女は布の下から、木で作られた、小さな水筒のようなものを取り出した。
「これで、どうですか」
消え入りそうなか細い声で彼女が聞いてきて、ヴァンもとりあえずそれと交換で、手に持っていた果実を渡す。
彼女もこんなすんなり渡してくれるとは思わず、呆けている内に、薬瓶のような蓋を外し、軽く匂いを嗅ぐが、少なくとも毒のようには思えない。魔女の指輪を近づけ、魔力での解析を頼むと、高い治癒効果の薬液だろう、という結論が出た。
まだ逃げていない彼女の距離を詰めつつ、彼は静かに聞いた。
「これを、どこで?」
魔女協会の強壮剤に似通っていると考え、入手先を聞いてみると、彼女は狼狽えつつも、ヴァンに敵意が無いことを理解して答えてくれた。
「ウチが、作ってます」
「こんな良い物を、か?」
少なくとも、魔女協会では結構な手間暇をかけて作られているものであるが、まさかこんな所で見れるとは思わなかった。彼女も嘘を言っているようには見えないので、不安そうにこちらを見てくる彼女に、残りの果実を取り出して渡した。
「俺の手持ちがこれしかないが、十分な対価だ。有り難く使わせてもらう」
恐らく、薬草を煮詰めて調合したものと思われるので、日持ちはしないだろうが、これからの仕事で使ってしまえば大いに役に立つ。然るべき物には然るべき対価を支払うべき、という彼なりの流儀に沿って、今渡せるものを全て渡してしまった。
「えっ、えぇ…?」
彼女にとっては何でもない物なのだろう。明らかに戸惑った様子だが、ヴァンはそのまま立ち上がる。
「気にするな、当然の対価として受け取っておけ。じゃあ、危ないからもう俺には付きまとうなよ」
「あっ、あの―!!」
何か言いたそうな彼女を無視し、ヴァンは一方的に伝えてそのまま出口へと向かっていった。
妙な出会いはあったものの、一時の気の迷いでもあるため、それ以上は気にせずにヴァンは村の外へと出ていき、村の外周を回り始めた。目的は、最近目撃されるようになったという果樹園。
現場付近に行けば、足跡の情報から得られる情報もあるだろう。果樹園の場所については既に聞いているので、それほど時間もかからずに一直線に向かっていく。
そして、外を回っていくと、大きな果樹園が見えてきた。
高く作られた柵には返しが付いていて、普通によじ登ろうとしても難しい構造となっていて、入れるとしても小さな隙間から潜り込める小動物くらいだろう。
何十本もの木々が並んでおり、そこで働いている村人と、所々に置いてある養蜂箱に気が付いた。確かに土産屋には蜂蜜も売っていたので、受粉作業の手伝いと合わせて売り出していたのだろう。
そういう農業のやり方もあったな、と思い出しつつ、彼はこちらに気が付いてちらりと見てくる人々を無視しながら、自分の仕事に集中する。
地面は僅かに水気を含んだ土であり、大型の獣の体重であれば、間違いなく足跡が出来る土質だ。地面に注意しながら歩いていると、それらしき足跡を見つける。
「これか」
明らかに人ではない大きな足跡に、ヴァンは腰を屈めて確認する。
大きさとしては、彼の足よりも大きく、30cmは超えている。更に周囲を見渡して、足跡を確認すると、それほど離れていない場所に、続いていくつもの足跡が見える。ここで足踏みでもしたのか、少し重なったりしている場所もあるが、この形は恐らく―
「ラセルタ、か」
足跡の形からして、爬虫類の可能性が高く、何でも掴めるように発達した5本の指と、恐らく6本ある足となると、ラセルタの可能性が高い。体格についても、極端に大きい個体ではないようだし、狩るにしてもそれほど手間はかからないだろう。
「……ただ、気になるな」
ラセルタであることは確信したからこそ、ヴァンも少し違和感を感じる。
野生のラセルタも確かに確認はされているし、その全てが家畜化した訳では無い。だとしても、この山に囲まれた村に、全く目撃例が出てなかったというのは納得がいかない。少し前にケイが話していた通り、黒竜の活動によって刺激され、生息域が広がったといわれれその通りの話なのだが、野生のラセルタがそう簡単に人の前に姿を見せるのだろうか、という疑問。
家畜化されるくらいの生き物ではあるが、それはあくまで孵化した時から続く、調教師の育成の賜物であり、ラセルタ本来の特質ではない。
「…………まぁいい、考えたところで答えは出ない」
無駄な思考に時間を割くほど、時間に余りはない。余計なことは考えないようにして、彼は周辺の調査を続けることにした。
とは言え、足跡は森から伸びており、その獣道は多くの枯れ葉や泥にまみれているため、これ以上に有益な痕跡は残っていないだろう。
一旦、踏み込んだ調査は中止し、その辺にあった枝を拾って、足跡のあった場所に目印として突き刺しておく。そして、そのまま果樹園の周囲を回り始め、その他の足跡や痕跡が残っていないか忘れずに確認しておく。
「……ん?」
案の定といえば案の定なのだが、先ほど見つけた所から離れた場所にも足跡を見つけた。ただ、前のものとは明らかに違う違和感を感じる。
「これは、随分と新しいな」
土を触った感じ、踏まれてから時間が経過していないのだろう、まだ湿り気を残した跡を見つけ、ヴァンはここから続く痕跡に目を向ける。
向いた方向は、代わり映えのない森ではあるが、近くに目当ての獲物が居るのであれば、早く仕事を終わらせるためにも捜索を始めてもいいだろう。
森へと入る前に方位磁針を取り出し、向かう方角を確認し、戻る時に迷わないようにしてから、彼は森へと入っていった。
方角を定期的に確認しながら、木の幹や地面に残る足跡を追跡していくも、いくら進んでも目の前に出てくるのは同じ風景。手がかりを見つける前に遭難しては本末転倒なので、彼は1度空に右手の角を向け、上空に設置した足場に突き刺して、空高く飛び上がる。
「――よっ」
20mほど飛び上がり、足場に着地したヴァンは、方位磁針を片手に改めて周囲を見渡す。
一面に広がる森の中、切り開いて作られた村はとても分かりやすく、ポッカリと大きな穴が空いていた。
「改めてこう見ると、本当に分かりやすいな」
帰還先の方角をしっかり確認したので、改めて上空から異常がないか見回るも、それらしい形跡は見当たらない。ただ、それほど遠くない場所に、不自然に木々の隙間が空いた道を見つけ、ヴァンはそちらへと空から向かっていった。
「やはり、川だな」
それは、恐らく村でも利用しているであろう川。それなりに澄んだ水が流れており、何匹か泳いでいる魚も見えた。ただ、生水をそのまま飲めるほどヴァンの体は強くないので、水分の補給は自前の水筒で行う。彼の目的は、水の補充ではなく、水を求めてやってくる生き物の確認。
人に限らず、生き物の生命活動には必須だ。そしてラセルタにも水は必要であり、補給している痕跡が見つかれば、そこから調査や待ち伏せも出来る。
そんな狙いもあり、川沿いを歩いて登っていくが、特にそれらしい痕跡は見当たらない。
「―外したか」
残念そうに言うも、この広い森で、数少ない痕跡から一匹の大型獣を見つけ出すのは手間がかかる。不毛な調査で終わることもいつもの事なので、口ぶりの割には気にしていない。
ただ、そんな事をしている内に、日も沈み始めており、1度、果樹園周辺で痕跡を見つけたこともあり、夜間の間にラセルタが再度姿を現す可能性もあるので、村に戻ることにした。
律儀に歩いて帰るのも面倒だったので、空を駆けて再び村の出入り口に到着した。柵を越えて上空から入ることも出来なくはないが、誰かに見られたりしたら面倒そうなので、素直に入り口付近で着地して向かうと、誰かが門番と口論をしていた。
「―こっちも許可貰ってるんだからさぁ! 固いこと言わないで開けてよ!」
「悪いが、この村の決まりだ。門限を越えて開けることはできない」
「でも、こっちは1人だけなんだよ!? それくらい融通きかせてよ!」
何のことかと思ったが、聞いた限りでは、この村も門限を越えたら誰も入れない仕組みになっているらしい。高台の監視塔に登っている、木の鎧で武装した門番はきっぱりと言い、彼の前で必死にお願いしている、革鎧を装備し、右手にクロスボウを装着し、腰には複数のナイフと平たい刃をした剣を携えている。真っ赤な髪をした何処にでもいそうな女性―随分と前に出会った、クリムと呼ばれる女傭兵がいた。




