第4節 18
その後、何事もなくヴァンは退院し、まずは魔女協会に戻って報告をすることにした。
特にアポは取っていなかったが、4階にある部屋の扉をノックすると、すぐに返事が帰ってきた。
「どうぞ」
返事を受け取った後、すぐに扉を開くと、ヴァンが来ることを見越したようにマスターは待機していた。
「お帰りなさい。無事だったみたいね」
普段通りを装っているが、髪や目元に残る疲れの色から、かなり心配をかけてしまったことを理解する。
「…ただいま、戻りました」
ヴァンは、自身の身に何が起きていたかは知らない。それでも、彼女の反応からかなり心配をかけていたようで、まずは無事に戻れたことを伝えた。
それを聞いて、彼女もどこか安心したように笑い、話を続ける。
「詳しく聞いていたかどうかは知らないわ。でも、無事で戻ってきてくれたわね」
事前にヴァンの質問には答えられないと遠回しに伝え、彼女なりに教えられる範囲のことを教えてくれた。
「ルナは知ってるでしょうが、他にもオルタやコハクにも迷惑かけてるわ。あとで、きちんと話してあげて」
彼女なりに、ヴァンが眠っている数日間に関わった魔女たちを教えてくれたのだろう。ヴァンもその言葉の意図を読み取り、一礼する。
「それは、迷惑をかけました。早速、彼女たちにも会ってきます」
「その前に、忘れ物よ」
そのまま部屋を出ていこうとしたヴァンの背中に向け、マスターが呼び止めた。彼がそれに反応して振り返ったと同時に、2つの荷物を投げ渡される。
彼は何も言わずにそれを受け止め、確認すると―それは、修理されたヴァンの兜と、小道具を入れている腰掛けポーチだった。
「前の戦いで壊れた装備と言っていたわ」
「…感謝します。しかし、一体誰が?」
記憶はないが、普段身につけている装備がここで渡されているとしたら、戦闘で落としたということだ。恐らく、あの山で落としていたとしたら、どうやって見つけたのだろうか。純粋な疑問をぶつけると、彼女は肩をすくめて答えた。
「ケイが持ってきてたのよ。詳しいことはあの子に聞くといい」
「…なるほど。合点がいきました」
どうやって回収したかは分からないが、ケイが絡んでいるとすれば、聞いたところで煙に巻かれるだけだろう。余計なことは考えず、素直に装備を受け取り、それを装着する。そして、1番大事な装備について思い出した。
「爪と、角はどこにあるか知ってますか?」
「それならオーキスがアナタの部屋に置いていったわよ」
「……そうですか。分かりました、ありがとうございます」
オーキス、師匠の名前を聞いて複雑な心境になりつつも、装備も無事であれば問題ない。礼を伝えて、彼は部屋から出ていった。
その後、オルタとコハクの2人に顔を出し、無事であったことを伝えた後、迷惑かけた埋め合わせについては後日すると伝えて、ヴァンは昨日話していた通り、希少取引所の事務所の扉を開ける。
「おや、いらっしゃい」
出迎えたのはイニス。どこかぼんやりした顔をしており、普段のしゃんとした雰囲気を感じられない。
「あぁ、邪魔をする。ケイに会いたいんだが、場所を知ってるか?」
その話を聞いて、彼女は少し考えた後、思い出したように答えた。
「今、出張中だね。今夜には戻ると思うから、伝えておくよ。
君も、やる事はあるだろう? 魔女協会に直接向かうように伝えておく」
「悪い、頼んだ」
何処か見透かしたように言われ、ヴァンもツッコむほどのことではなかったのでスルーして約束を取り付ける。話すことは話したので、そのまま帰ろうとしたところで、イニスが聞いた。
「ところで、気になることはないのかな?」
「…どうした、急に?」
突然の問いかけに、ヴァンは困惑しながら振り返ると、彼女はニマニマと笑いながら続ける。
「なんとなく、かなぁ。
自分たちのことについて聞きたいなら、自分でも答えられる範囲なら答えられるよ」
「どういう風の吹き回しだ?」
ケイの普段の態度を知っているからこそ、秘密主義を貫いているのだと思っていた。しかし、突然の提案に、警戒しつつ聞き返すと、彼女は表情を変えずに答える。
「さっきも言ったでしょ。気まぐれだって」
その言葉の通り、彼女のこの行動に理由はないのだろう。どう見ても怪しいこの組織について、情報を得るチャンスではあるが―ヴァンはそれを断った。
「いや、遠慮しておく」
「ふむ、それはどうして?」
何か聞かれるつもりでいたのに、予想とは異なる回答に、イニスも困惑気味に聞き直す。
「気まぐれだ」
本音を言えば、聞きたいことはいくつもある。それでも、ここでイニスに聞いたところで、望んでいた答えが帰ってくる気がしなかった。それに、情報に価値を見出しているケイがトップにいるこの組織でそんなやり取りがバレたら、どんな対価を要求されるか分からない。
その本音までは言わず、イニスと同じように答えると、どこまで伝わったか分からないものの、彼女も笑った。
「そうか。それなら仕方ない。
じゃあ、また夜にはケイがそっちに向かうと思うよ」
「あぁ、頼んだ」
改めて伝言について確認したところで、ヴァンも希少取引所から出ていった。
ケイは夜に来る。まだ日も昇っており、夜までは時間もある。昨日はよく寝ていたこともあり、今から仮眠という気分でもなく、返してもらったポーチの中身の確認と補充をするにしても、仕事が決まってから、任務の内容に応じて必要なものを買い揃えたい。だと言って、暇な魔女たちに付き合うと、夜まで返してもらえるかわからない。
そうなれば、向かう先は1つ。魔女協会の地下、訓練場だった。
相変わらず、暇な男衆たちが訓練している大部屋。通りかかる仲間たちに適当に挨拶しながら、ここに来た目的でもある、男だらけの部屋の中でも特に目立つ巨漢、仲間の訓練に付き合っていたシルに声をかける。
「ようシル、暇か?」
大体の連中は、ヴァンが昨日まで寝ていたことを知らない。それはシルも同じであり、何処か心配する素振りもなく、普段通りに対応してくれた。
「おや、ヴァンか。戻ってきてたのかい?」
「そうだな。ところで、今手すきか?」
適当に質問に答えたあと、再度聞き直す。彼は先客に目配せし、そちらも大丈夫だと頷いたのを確認してから答える。
「あぁ、大丈夫だよ。こうやって声をかけてくるってことは、組み手のお誘いかな?」
基礎的な事を含め、戦闘訓練は幼少期の内に一通り叩き込まれているヴァンがここで声をかけることといえば、組み手くらいしかない。それを理解した上で聞くと、ヴァンも頷いた。
「話が早くて助かるよ。…今、リングも1つ空いてるな」
「じゃ、手早く済ませようか。どれくらいの強さでいけばいい?」
軽く腕を回し、体をほぐしつつ聞くと、ヴァンは即答した。
「本気で頼む」
「…そう言われたら本気で行くけどいいの? 君の装備から、呪いも魔女の指輪もなしだろう?」
予想外の答えに、流石にシルも心配して聞き返すも、彼は兜以外の何も装備していない状態で頷いた。
「あぁ。生身での限界を知っておきたい」
ヴァンの意図は、シルに知る由もない。ただ、彼は本気でシルとの戦いを望んでいることだけは分かった。彼はため息混じりに、その提案を受け入れた。
「……、分かったよ。死なない程度までは手加減するからね?」
「ありがとう、助かるよ」
そしてゴム製のロープに囲まれた、一方が8mほどある、正方形のリングに2人は立ち、ここでは滅多に見れない対戦カードに、観客たちもぞろぞろと集まってくる。
山のような体躯に、ガードを固めて受ける構えをとるシル。それに対して、ガードを下げ、適度に力を抜く、機動力を重視して構えるヴァン。体の厚さの時点でも倍近くある2人は、野次馬の1人が鳴らしたゴングを合図に、組み手を開始した。
先手はヴァン。機動力を活かし、シルが守りの構えを解く前にその山に向けてフックを打ち込み、ガードを崩そうとする。しかし、体重差、筋力の差も大きいシルの守りは崩せない。
シルも反撃しようとする前に距離を離され、その拳は届かない。ただ、これは挨拶のようなものだろう。コーナー付近で守りを固めているだけで十分勝てそうなものの、それでは意味がない。ガードを構えたまま、ゆっくりと前進を開始する。
それによって、ヴァンも攻め手が見つかったこともあり、真正面からの攻勢は避け、彼の死角から攻撃をしようとするが、シルは最小限の動きでヴァンの動きを捉え続ける。
どれだけ早く動いて翻弄しようとしても、シルの目はそれを捉えて離さない。
周囲を回りながら、打開できない戦況にしびれを切らしたヴァンは、守りを固めるシルに向かっていく。
しかし、本気のシル―極限まで高めた"過集中状態"に、下手な攻勢は悪手。それを予知していたかのように、ヴァンの蹴りを太い腕で弾いて防御し、がら空きになった胴体に向けて、握った拳を更に強く、握りしめる。
片足を弾かれ、バランスを崩している状態なら、回避は至難。一撃で人間を殺しかねない拳が突き刺さる瞬間、寸でのタイミングで体勢を直し、拳を流れるようにかわす。そのまま腕を引っ張って、その勢いを利用してシルの体勢を崩す。そして、その勢いのまま足を引っ掛け、投げ転ばした。
剛力に対し、柔軟に対処した一瞬の出来子供でさえ、ギャラリーは沸くが、それを聞いている暇はない。床を転がるシルに追撃しようと、頭を蹴り飛ばそうとするがすぐに転がって逃げられる。
そして、すぐに立ち上がったシルは、再び構え直すが、今度は身を固めるのではなく、腕を広げてから、胸の前で構える。それは、シルのファイティングポーズ。
―肉の弾丸と化したシルは、一瞬で間合いを詰めて、射程内に入ったところで最短ルートで真っすぐ左の拳を放とうとする。ヴァンは再び、先ほどのように受け流そうとするのではなく、距離を離そうとするが、その動きと同時にシルが更に一歩踏み込み、逃げ道を潰される。身長だけで言えば、極端な差はないものの、一瞬の瞬発力で言えばシルに分がある。そして、今の一歩だけで、半歩分は更に距離を詰められていた。
つまり、このリングの中、攻めに転じたシルから逃げれば逃げるほど、追い詰められていくということ。
久々の組み手で、忘れかけていた点を思い出し、ヴァンは仕方なしと言わんばかりに構えをとる。しかし、それがシルの狙い。
構えるまでのワンテンポ分、シルは速く動ける。そして、未だにガラ空きの顔面に向けて閃光のような右を放ち、戦況を変える。
ただ、シルの判断に対する回答はヴァンも早く、逆に体を前に出して、早く拳に当たることで、顔面の直撃を避けた上で、威力を殺す。
流石のシルでも、分かってたとしても動き出した動きを中断できる訳がなく、中途半端に伸びた拳はヴァンの肩に突き刺さり、その筋力にモノを言わせて、彼の体を突き飛ばそうとする。
そうなることを見越していたヴァンは、シルの腕を掴み、勢いのまま突き飛ばしてくる腕を巻き込んで転ぶ。
少なく見積もって、倍はある体重差であっても、その体重から放たれた勢いもあれば話は別だ。
ヴァンに巻き込まれるようにシルも転び、事前に予測していたヴァンはうまく受け身を取って距離を離しつつ立ち上がるが、シルも"予測済み"であり、同じタイミングで立ち上がった。
そして再び相対したところで、ヴァンは降参するように両手を上げた。
「悪いな、投了する。やっぱり、生身でお前には勝てないな」
素直に敗北を認め、降参したヴァンに対し、シルも構えを解いて普段の穏やかな顔に戻る。
「結構ヒヤヒヤしたんだけどね。このまま続けられたら、何発か攻撃を受けてたかもしれない」
「冗談言うな。俺の骨がボロボロになるのが先だろ」
お互い大まじめに冗談を言い合って、2人は再び近付いて握手した。
「付き合い、感謝する」
「こちらこそ。力に頼るだけの戦い方は危ないことを再認識したよ。
―今後も、やるかい?」
珍しく、挑発するようにシルが聞いてくるも、ヴァンは彼の顔を見て、何かを察したように鼻で笑ってから拳を出す。
「あぁ、よろしく頼む。そのデカい胸を借りるぞ」
「こちらこそ。そのデカい身体で付き合ってくれよ」
2人の巨漢は、今度こそジョークを言い合いながら、拳を突き合わせた。




