第4節 16
――それから、何日か経過した。
魔女協会から、オルタが度々訪れては、彼に巣食う感情を喰らっていく。しかし未だに目覚める気配はない。
ヴァンが戻らない日々自体は、以前からあったので、異変に気づかれるようなことは無いが、ヴァンの意識が戻らないことを知っている人々は違う。
特に、直近で彼と近い場所にいたルナや、改めて魔女協会へと移籍したコハク、長として情報を受け取っていたマスターもとい、プラナなど、事実を知る者たちは何もできないもどかしさを感じていた。
それでも、時間は皆平等に過ぎていく。眠り続ける彼の体も徐々に衰えていき、生命活動の維持に必要な点滴の管も日に日に増えていった。
「―、そう」
魔女協会本部の4階、会長室もとい、マスターの部屋では、毎日、彼の呪いの影響を少しでも減らそうと、病室に赴いているオルタからの報告を受けていた。ここ数日、代わり映えのない報告に彼女は小さなため息混じりに淡々と答える。
『…いつまで、眠り続けるんでしょうね』
ふと、オルタが弱音を漏らす。実際の彼の状態を見続けているからこその言葉ではあると分かった上で、マスターも口を開く。
「前に竜を狩った時は、丸1日寝ていただけだったかしら」
彼女が言うように、ヴァンが呪いによって眠り続けるのは初めてではない。過去に竜を狩った時は、竜の遺体を感情のままにバラバラにしても呪いが抜けることなく、拠点の村にまで侵攻しようとしていた所を、その村に待機していた、魔女協会と軍部の精鋭達を使って何とか鎮圧した。
彼にとって仇敵でもある黒竜が相手だったとしても、あまりにも長い期間眠り続けているのは、彼女としても思うところがあるようだ。
「―いつまでも、日和見主義でいるのは良くはないわね。オルタ、明日の見舞いには、私も一緒に出ましょう。
今の状態だからこそ、彼の呪いの見え方も違うかもしれないし」
『それでしたら、護身の準備もした方がよろしいかと』
今までは何の被害も無かったものの、何かのきっかけでヴァンの呪いが暴発することを恐れたオルタが警告する。それに対し、彼女は不思議そうに聞いた。
「…へぇ。貴女は、ヴァンは今も"呪いが起動してる状態"だって思ってるんだね」
彼女の見透かしたような問いかけに、オルタも疑問を感じた。
『そう言うわけで…………、確かに、その考え方が正しいのかもしれません』
思い返せば、ずっと感じ続けていた違和感。不用意な真似をすれば、自身の身に危険を感じたために、感情の捕食も最小限に済ませていた。時折、呪いの残滓のような物を喰らってはいたが、あの時は一切感じなかった危機感を覚えるのは、無意識下では、マスターが言う通りの危険を察知していたからかもしれない。
オルタが言い直した所で、マスターは昔の資料を漁りながら話を続ける。
「そうだとしたら、今までにはない反応を起こしてるってことになってる。昔、あの子の呪いを調べた時には分からなかったことも分かるかもしれないわね。
―ただ、暴れられる可能性もあるわ。もう1人くらい鎮圧役を用意しておきたいわね。スピネの手は空いていたかしら?」
武闘派の魔女として、真っ先に出てきた名前を挙げると、オルタも思い出しながら答えてくれる。
『確か、昨日、ルナトリアと一緒に出かけた任務から帰ってきたところですね。任務の報告もありますし、明日1日は空いてるのではないでしょうか』
「そっか。じゃあ、連絡送っておけば大丈夫かしらね。それと、ルナが一緒に来ようとしたら、断るようにも念押しも忘れないようにしないとね」
『ルナトリアも呼ばなくても良いのですか? 少なくとも、本来の担当はヴァンでは?』
彼にとって、数少ない身近にいる男性ではあるため、ヴァンの入院については知っている。ただ、それ以上の経過も伝えておらず、心配しているような素振りも何度か見ているだけに、オルタが聞き直すとマスターははっきり答えた。
「ヴァンなら、どんな状態であっても子どもの前で、呪われた己の姿を見せるのは拒むはずよ。一方の感情だけ優先して、もう片方の意見を無視するのは良くないわ」
『……分かりました』
聞き分けは悪くないので、しっかりした理由で断られてしまっては、こちらも言い返すことは出来ない。素直に引き下がったオルタに向け、彼女は続ける。
「そうね。連絡はこっちからやっておくから、貴女はまた普段の仕事に戻りなさい。
また明日、昼間のうちに出かけましょう」
1人のために全体の時間を浪費し続けるわけにはいかない。組織の長として、オルタにも仕事に戻るように伝え、部屋から出て行かせる。
「――ふぅ、」
正直、黒竜が見つかったと聞いて、この結末が予想できなかった訳では無い。ヴァンの実力は認めていても、あの黒竜は文字通り規格外なのだ。敗北することも予想には入れていたが、予想外の事態にため息が出てしまう。束の間の休息を打ち破るように、再び扉をノックする音が聞こえた。
「開いてるわ。入って構わないわよ」
基本的にプラナが待機するこの部屋に来れるのは、招かれる位には親しい者たちしかいない。特に警戒もせずに応答すると、開いた扉の奥から現れたのは、下のシャツまで真っ黒に染められた女性。特段、顔見知りというわけではないが、彼女のことは知っている。確か―
「貴女、ケイね。いつぶりかしら」
プラナの言葉に、彼女は腕を振って、仰々しく一礼した。
「お久しぶりです、魔女協会のマスター。覚えていただけたんですね」
その言葉に、彼女は鼻で笑う。
「よく言うわ。希少取引所の仕入れ担当なんて、嫌でも耳に入る名前だわ。
それに、こちらの許可も得ずに色々とやってるみたいじゃない」
少し前にオーキスが漏らしていた、転移石の横流しについて暗に釘を刺しつつ話すと、彼女は全く気にした様子もなく、笑みを絶やさずに答えた。
「迷惑はかけてませんので。それに、何かあった時の責任は私が負います」
「……まぁ、それはいいわ。それで、要件は?」
迷わずにそこまで言い切るあたり、彼女も転移石の危険性については十分理解しているようだ。それだけは確認できたので、それ以上の追及は一旦やめ、わざわざ顔を見せた要件を聞く。
それに対し、彼女は笑顔を絶やさずに答えた。
「"黒の竜狩り"に、許可をいただいてきました」
主語はない報告。それでも、黒の竜狩り、という単語にプラナは反応する。
「…よく、許可したわね。そんなに酷い状態なの?」
「えぇ。今の彼の状態は、謂わば呪いが途絶えずに重複し続けている状態です。
名指しの依頼という形で、オルタにも協力してもらっていましたが、焼け石に水でした」
「…あぁ、あの依頼の依頼主だったの」
連日で届いていた、謎の匿名の依頼について、そこでようやく理解する。そして、そんな回りくどい真似をしていたことに疑問を投げかけた。
「なるほどね。事情は理解したわ。
でも、不思議なのは、どうしてそんな真似をしていたのに、ここに来て直接来たのかしら?」
「時間がないことと、勝手にこちらで黒の竜狩りと取引をしたら、魔女協会としての面目というものとあるでしょう?」
恐らく、彼女は公表するつもりは一切ないのは分かっているが、"魔女協会、国に無断"で、"個人間"で色付きこ竜狩りを動かしてしまうことで、世間に余計か誤解を与えないよう危惧したのだろう。
悪徳商人ではないと以前から噂には聞いていたが、思った以上に律儀に話を通してくれた事に、彼女も応えない理由はない。
「分かったわ。こちらとしても、今回の件で黒の竜狩りが動くことについては認知した。あとは、実行に移してもこちらが声明を出すだけだから、構わないわよ」
「ありがとうございます」
淡々と謝辞と共に頭を下げ、彼女は用は済んだと言いたそうに部屋を出ようとするが、もう1つ、気になったことを聞いた。
「貴女、ヴァンの呪いについて随分詳しいのね。――"どこで、知った"のかしら?」
刹那、空気が張り詰める。うっすらと向けられた、氷のような冷たい敵意に、ケイは一切動じずに答える。
「答えるほどの事ではありませんが…こちらもこちらで、情報の当てがあるんですよ」
「悪いけど、その情報を知ってるのはここでもごく僅かなの。その"当て"を探し出すのも難しくないわ。
少なくとも、大事な内通者を擁護するなら、ここで吐いた方がお互い良いと思わない?」
魔女協会のみが知りうるヴァンの呪いの調査結果。魔女協会の極一部でのみ、共有している情報を、目の前の商人は当たり前のように語っていた。それはつまり、その情報を横流しした内通者がおり、然るべき処罰を与える必要がある。
余計な被害が出るくらいならば、この場で穏便に済ませようとするが、彼女は笑みを崩さない。
「雑な挑発ならばお好きにどうぞ、と言いたいところですが…面倒事は避けたほうがお互いのためですからね。
とは言えど、今までの言動から、情報の出処は察しがついているのでは?」
煽るような物言いだが、プラナは言い返せずにいた。彼女の言う通り、情報の出処自体も、ここまでの会話や事前に聞いていた情報でなんとなく気が付いていたから。
「…理解ができないから、確認がてら、というのもあるわ。何があったか知らないけど、オーキスがぽっと出の貴女へ情報を与えるとは思えないもの」
信じられない、と言いたそうに語るも、彼女は眉1つ動かさずに答える。
「あの人とは、それなりに長い付き合いですからね」
意味深な笑みに、プラナは混乱しつつも聞いた。
「…頭が痛くなるわね。見たところ若そうだけど、いつからの付き合いなのよ」
「それは秘密です。
―まぁ、無駄話はこの辺にしておきましょう」
ここまで話した所で、脱線した話を軌道修正し、改めて要件を伝えた。
「オーキスから、権能の使用許可をいただきました。今回は。その報告となります」
オーキス。黒の竜狩りの権能を使用するということ。転移石であれば、既に何度も裏で取引をしているようだし、今更許可を取る理由が分からない。そして、ヴァンの今の状況を鑑みて―今更ながら、何をするかを理解した。
「……ちょっと待ちなさい。何処かに移して治療するかと最初思ったけど、貴女たちもしかして」
慌てて制止し、きちんと言語化して伝えるように促すと、彼女は当たり前のように答えた。
「勿論、"黒竜と戦う"前に、リセットするんてますよ」
――オーキスは、数多いる魔女の中でも、非常に特殊な権能を持つ。その1つが、時間への干渉であり、彼女は、ヴァンを元に戻すために、その力を使おうと話していたのだ。
流石の事態にプラナも狼狽えるも、ケイは涼しい顔で続ける。
「呪いに侵食され、真っ当な自我を失っているヴァンが、今の状態から戻れる保証はありません。それであれば、多少荒療治になろうとも、最善の策だとは思いませんか?」
「そんな事をしたら、何が起きるか理解してるの?」
ただでさえ、彼女の時間へ干渉する権能は、使用によって多くの不具合を生み出した前例もある。それ故、魔女協会として使用を制限しているというのに、今まで使ったことのない方法で使用するとなれば、素直に首を縦に振ることはできない。
予測できない不具合が至る所で起こる懸念も伝えるも、彼女ははっきりと答えた。
「それ以外に、今、彼を救う方法がありますか?」
「今は、普通とは違う呪いの状態に移行している。それなら、改めて調査すれば発見が―!!」
必死に別の案を模索しようとするプラナの前に、一束の書類が置かれる。
「これは、ボクらがオルタと一緒に、解呪を試みたときに集めた情報の報告書です。
ざっとだけど、思いつくことは粗方調べた。これを見て、他の方法を検討するなら明日、また聞きに来ます。
―また明日出直します」
ケイはそれだけ伝え、足早に去っていく。
「…………、」
プラナは、一人残された部屋で書類にびっしりと書かれた報告書に目を通し―全てを読み終えたあと、片手で目を覆いつつ天井を仰ぐ。
「――参ったわね」




