想起される恐怖と、一握りの勇気
そこにはナニカがいた。頭のてっぺんからつま先まで真っ黒な布で覆われて、男性か女性か、人間かどうかすらも分からない。
「魔導兵装はどれもが強力。それを使えば誰でも強くなれますが、使うだけだとそれなりの強さにしかならない。武器の性能や特性、癖などをしっかり理解して把握し、武器に使われるのではなくきちんと武器を使えば、性能以上の強さを発揮する。今のこの世の中では常識でしょう」
「う……る、せぇ……」
「あれ食らってよくしゃべれますねぇ。みぞおちにあの一発食らったら、探索者でも呼吸すらままならないでしょうに。そこは紛いなりにも一級探索者なだけありますね」
あのナニカと晴章は知り合いのようだ。よくあんな意味不明なものと付き合っていられるなと、冷や汗を流す。
ナニカが姫乃の方を向く。瞬間、言い表せない異物感と異質な気配を感じる。
「初めまして、お姫様。私は今あなたと争うつもりはありません。ただこの間抜けを回収しに来ただけです」
「……逃がすと思う?」
「まあ見逃してはくれないでしょうね。ですが、こんなでもあの人の息子ですから。せっかく娑婆に出してあげたというのにまた豚箱に逆戻りとか、こちらとしても嫌なのですよ」
そう言ってナニカは晴章に手を伸ばす。させまいと地面を強く蹴りながら収納の中を素早くあさり、空間を遮断することで結界を張る防御系魔導兵装を取り出して、晴章を対象に展開、発動。
ナニカの手は見えない壁に阻まれるように止まり、不思議そうにペタペタと触る。無防備にしている何かに、刀を上下逆にして峰で殴りつけるように攻撃を仕掛ける。
しかし、峰ではなくわざわざ刃の方を摘まむようにして指で挟み、刀を止めてしまう。
「危ないじゃないですか。峰打ちでも、下手したら人は死にますよ?」
「っ!? 人もどきが何を……!」
人のような形をしていることは何となく布越しでもわかるが、この魔力や気配はどう考えても人ではない。
コメント欄は急に攻撃を仕掛けたことに驚きと困惑を隠せていないが、普通に受け止めるでもなくわざわざ刃の方を摘まんで止められたことでそっちに驚かれる。
「この武器、おっかないですね。壊しちゃいますか」
「させない! 『全放出───腕撃』!」
瞬時に刀を分解してナニカから逃がし、左腕にガントレットに変形させながら装着して、直後に全放出で全力で殴りかかる。
爆撃音じみた音が響き渡るが、魔導兵装内全ての魔力を一気に使う全放出の一撃を、ナニカは左手一本で軽く受け止めていた。
”ふぁ!?”
”姫様何でそんな攻撃仕掛けるんだと思ったら、フルバースト片手で受け止められてて宇宙猫になったわ”
”下層最下層ボスのリンドヴルムワンパンするようなぶっ壊れ火力のパンチ版を、なんで片手で受け止めてんのこいつ!?”
”頭からかぶってる布が全く揺らいでないのやばい”
”姫様でも太刀打ちできない怪物か何かか?”
”こういうのって大概地面に衝撃を逃がしてるとかなのに、地面にひびとか全くないからマジで真っ向から受け止めてやがる”
”こいつ、まさか人間じゃない?”
”姫様が割と躊躇いなしにゲボカスぶちのめしててそれがノイズだけど、流石にフルバで行ったら人死ぬことくらい分かってるし、ワンチャンマジで人じゃない説”
”そうなるとモンスターが地上に出てきていることになるうえ、姫様のぶっ壊れ火力でもダメージ通らないことになるんですが”
「随分凄まじい火力ですね。深層くらいであれば余裕じゃないですかこれ。そういえば、深層以上の攻略を目的としていると言っていましたね。恐ろしい恐ろしい」
「片手で受け止めておいてよく言うよ……!」
ガントレット越しに凄まじい圧力を感じたので、左腕を引きつつパージして分解。破壊を免れるが、掴まれていた箇所のパーツにゆがみができていた。
一体どんな力で締め付けていたんだと冷や汗を流し、剣も拳もろくに通用しないため身体強化に全振りしようと、鎧形態にしながら身にまとう。
このやり取りの間にも、遮断された空間ごと晴章を引き寄せており、守衛さんたちのほうに運んである。これでこのナニカも、そう簡単に手出しできないだろう。
「おやおや、困りましたねぇ。せっかく出所したばかりだというのに、地上で未成年相手に先に武器を抜き攻撃。ここには監視カメラもありますし、お姫様も配信中。言い逃れはほぼ不可能で、もはや実刑は免れないでしょうね。……はぁ、これ以上は骨折り損のくたびれ儲けですし、大人しく引き下がりますか」
「あんたも当然、警察に突き出すつもりだけど」
「あぁ、そのつもりでしょうとも。ですので、私はこうやって逃げさせていただきますね。───開け、世界の狭間よ。我が声を道とし、彼の者を此岸へ招け」
ナニカが発した言葉は、召喚魔術の詠唱だった。一体何を召喚するつもりだと構えると、何かの足元に真っ黒な召喚門の魔法陣が現れ、それ以上の大きさのものが上空に現れる。
かつて下層で見たものと同じもの。かつて、十二年前に見たものと同じもの。
下層で見たものと、十二年前に見たもの。それと同じものをナニカが使ったと僅かに遅れて理解した瞬間、姫乃の顔から怒り以外すべての感情が抜け落ちる。
イリスを取り出して瞬時に『電光石火』を起動。最速で切りかかるが、ぱしっと軽く受け止められてしまう。
「お前ぇ!! 一体何を呼び出した!! 今日この日以外にも、いつこの魔方陣を使った!!」
「おやまあ、可愛らしいお顔が台無しですよ、お姫様」
「質問に答えろ!! 何を呼び出した!! 今日以外でいつ使った!!」
七式真装の鎧形態の強化と大雷による強化をフルで使用する。全力で押し込むが、ピクリとも動かない。
「何を呼び出したのか、いつ使ったのか。それは……お姫様の記憶の中に答えがあるのでは?」
「───っ!!!! お前ぇええええええええええええええええ!!!!」
剣から雷まで放出して攻撃を仕掛けるが、身動き一つ取らない。一体これは何なのだと混乱し始めると、上空の魔方陣から呼び出されたものが一つ、また一つと姿を見せ始める。
パッと顔を上げるのと同時に七式魔剣ごと離れられてしまうが、一定以上の距離を取られたことで空間を跳躍するように姫乃の手元に帰ってくる。
「それでは、ごきげんよう。……十二年前の悪夢の、再来をお楽しみください」
ナニカはそれだけを言い残して、その場から溶けるように消えてしまう。一体どんな移動方法だと考える間もなく、次々と魔方陣から現れ続けるものに目を改めて向ける。
遠くにいるので目視だと分かりづらいが、全長で十メートルほど。赤い鱗に身を包み前肢を翼になっている空を飛ぶモンスター。竜種の飛竜種のモンスター、ワイバーンだ。
空を飛ぶモンスターであるため異常な広さを誇る深層にいると思われがちだが、実は下層に生息している。
一部の特殊なダンジョンには、下層から深層のように緑や偽の空などが広がるフィールドになっている場所があり、ワイバーンはそういう特殊なダンジョンにのみ生息するレアモンスターだ。
空を飛び、口からは火を吐き、鋭い爪と牙で鎧を貫き肉を食う。多くの探索者が、ミノタウロスや妖鎧武者、トリガルドスと同じようにワイバーンを倒すことで一人前と呼ばれるほど強い。
そんなモンスターを見た姫乃は、十二年前を強く思い出してしまいトラウマで体を震わせていた。
あの日に見た光景は、決して忘れない。ワイバーンと共に現れた、真っ黒な巨大な龍種。無残に破壊された建物に、それに潰された人々。流れ溢れる血と潰れ飛び散った肉と臓物。
崩れる建物から身を挺して姫乃を守り頭を潰され即死した大好きな父親。
ワイバーン二匹によって胴体を掴まれ、生きたまま胴体を無理やり引き千切られて臓腑をぼとぼとと落とし涙を流しながら、激しい痛みと恐怖と絶望にまみれながらもほんのわずかの間生きてしまっていたが、最終的に意識があるまま頭から食われてしまった母親。
今でも定期的に悪夢としてみる、自分の最愛の家族をあっさりと目の前で奪われてしまった、最悪な出来事。その原因となった黒い召喚紋の魔方陣と、あふれ出てくるワイバーン。
今はまだいないが、あの飛竜たちよりも強大で凶悪で恐ろしい黒の龍がもしかしたら出てくるかもしれない。そう思うと、怖くて、恐ろしくて、家族を目の前で潰され食い殺されたのがフラッシュバックして、動けなくなってしまう。
心臓が───……うるさい。酷い耳鳴りがして音が遠くにあるように聞こえる。
心臓が───……うるさい。浅く荒い呼吸を繰り返し、口の中がカラカラに乾く。
心臓が───……うるさい。トラウマで力が抜けて、七式魔剣を落としてしまう。回路の中をめぐっていた魔力も引っ込み、姫乃はあの時と同じ何もできない非力な女の子になってしまう。
心臓が───……せとうるさい
「っ、い、いやああああああああああああああ!?」
ワイバーンが一体、姫乃の前に降り立った。鋭い牙を剥き、汚いよだれを飛ばしながら正面で咆哮を上げる。その行動は、母を食ったあのワイバーンと同じで、歯をガチガチと鳴らし涙を流し、悲鳴を上げるしかできなかった。
心臓が───……殺せとうるさい
どくどくと、痛いくらいに心臓が早鐘を打つ。腰こそ抜かしておらず自分の足で立っているが、体が強張って動けない。足が、ひざが震えて動けない。
このまま食われて死ぬ。竜に食われて死ぬ。母のように、体を引き千切られて内臓をこぼし、それを啄まれながら食われて死ぬ。
ふと、視界の端に何かが映った。
死を目前にしているからか姫乃の感じる時間の流れが遅い。故にできた僅かな余裕。
視線を向ける。そこには、幼い子供を身を挺して襲いくるワイバーンから守ろうとしている、母親の姿があった。
今、魔導兵装を起動して正面のワイバーンを殴り殺して走れば間に合う。その行動をとらなかったら、あの親子は死ぬ。
もし、母親だけが食い殺されてしまったら。残されたあの子供は、一生消えない深い深い傷を心に負うだろう。今の姫乃のように。
あの子供だけじゃない。大勢がそんな思いをしてしまう。今の姫乃には、ワイバーン程度簡単に殺せるだけの強さがあるのに、それを証明できるほど配信で暴れ散らかしているのに、それをしなかったらどうなるか?
───助けられる人を見殺しにしたんだ
かつて姫乃のことを助けてくれた探索者に、目の前で家族を失ったことで気が狂ってしまい、姫乃本人が言ってしまった言葉。きっと、助けてくれた人を傷つけてしまった、心無い言葉。
それが今度は自分に向けられてしまう。だがそれはいい。そうなったら受け入れるしかない。でも、それ以上に耐えられないのは、できるのにしなかった自分がのうのうと生きていることだ。それだけは、どうしたって耐えられない。
龍は怖い。あの魔方陣が怖い。でも一番怖いのは、力があるのに何もせずにいて自分だけが助かってしまうことだ。
恐ろしくて仕方がない。逃げたくて仕方がない。それでも、人が死ぬ様なんて絶対に見たくなんてない。
恐怖を、トラウマを、姫乃はほんの僅かな勇気で抑え込む。あとは、もう一握りのちっぽけな勇気を振り絞り、前に踏み出すだけだ。
「『雷霆・脚撃』」
腰なんて全く入っていない、振り上げただけの蹴り。しかし、七式真装で強化された雷霆軍靴の大技で蹴られたワイバーンは、姫乃にかぶりつこうとしていた頭を消し飛ばされ余波で胴体の上半分も粉々になる。
蹴り殺されたワイバーンが地面に倒れるよりも早く、落とした七式魔剣を拾う。余っているパーツを剣に繋げ、雷を起こす。
「雷霆・電光石火!」
大雷を強化した雷霆をまとい、今までの電光石火以上の速度で駆ける。向かう先は、親子を食い殺そうとしているワイバーン。
暴虐的な加速を得て姫乃は一瞬にして間合いを詰め、顔面に魔剣を突き立ててそのまま地面に引きずり倒して内側から雷で焼き殺した。
「ぁ、ぇ……? ひ、ひめさま……?」
助けられた母親が子を抱きしめながら、ワイバーンを一瞬で倒した姫乃を見る。
「……なぁんだ、ワイバーンって……こんな簡単に倒せるものなんだ。……今まで、あんなに怖がっていたのがバカみたいだ」
今でもまだ怖い。トラウマなんてそう簡単に乗り越えられない。今ワイバーンを倒したからって、心の傷が癒えるなんてことは決してない。
それでも、ほんの一握りの勇気さえあれば多くの人を助けられる。幸いまだ死者は出ていない。今ならまだ、間に合う。
心臓が、龍を殺せとうるさい
「いいよ、使ってやるよ。ぶっつけ本番で使い倒してやる。『龍滅炉心・第一封紋:開錠』」
獲得してから試し運転で一回きりしか使わなかった、姫乃のスキルを発動する。
かけられている封を一つだけ解くと、鼓動に合わせて膨大な量の魔力が生み出されていく。
「あの日の悲劇は繰り返させない。ボクが全員まとめて守り抜いてやる。『武装展開』───『砲門解放』!」
使うことなんてほぼないだろうと思っていたが、何もないよりあったほうがましだと作っておいた、収納魔導兵装の中にしまってある大量の魔導兵装を一斉に取り出し砲門として固定する魔導兵装を使い、百門ほどの砲門を自分の周りに展開。
同時に取り出したモンスターを捕捉する魔導兵装と砲門を接続。建物と人間には一切被害を出さないように設定してから、姫乃本人も雷霆となって全力で助けるために駆けだした。




