救出
「はぁ……はぁ……! ほんっと、なんでこんな化け物と鉢合わせるのかなぁ……!?」
肩で激しく呼吸を繰り返し、入り組んでいるダンジョンの通路の壁にもたれかかっている女性、桐島桜華が毒づく。
決して油断はしていなかったし、常に周囲を警戒していた。なのに、突如として現れたあの怪物に不意打ちに近い形で襲撃され、重傷とまではいかずとも負傷してしまった。
桜華が得意とする戦法は、高い機動力を生かした高速戦闘。それを支えているのは並外れた動体視力と脳の情報処理速度、そしてその速度を出す足腰だ。
しかし現在、桜華は左足を負傷している。回復魔術の一つでも覚えていればよかったのだが、桜華には魔術の才能が皆無。覚えられたものは基本魔術の一つである索敵魔術だけだった。
利き足の左足を負傷したのはあまりにも痛い。回復を促進させる回復薬でもあればさっさと走って逃げることもできただろうが、あいにくと手持ちにはない。
ひとまずこうして襲撃してきたモンスターから身を隠して、救援要請を出しておいた。できればパーティーで行動している探索者たちが来てくれると嬉しいが、そこは完全に運頼りだ。
”おーちゃん大丈夫か!?”
”くっそ、どのダンジョンに潜っているのかわかりさえすれば……!”
”つかマジで何であんな奴がここにいるんだよ!?”
”イレギュラー中のイレギュラーやんけ”
”ここ最近こうしたイレギュラーまったく起こってなかったから、見てるこっちも油断したわ”
”近くに他の探索者いないか!?”
”いたとしてもこれ相手はかなりきついぞ!?来てくれたとしても、おーちゃん抱えて逃げるしかないって”
桜華を襲ったモンスター。それは本来であれば、同じ下層でももっと下の層でしか現れないもの。
ダンジョン内に生息するモンスターは、通常自分の住まう階層から移動することは基本ない。稀に縄張り争いに負けたりだとか、共食いを繰り返すことで力を付けた個体が他層に移動することがあり、これをイレギュラーと呼ぶ。
桜華を襲ったモンスターもまさにそのイレギュラー個体で、ダンジョン下層第一階層ではなく下層最深部である第五階層にしか生息していない。
そのモンスターは『爛れた大狼竜』といい、体には腐敗の瘴気をまとわせている。
大きな赤いオオカミの見た目に毛皮ではなく竜の鱗を持ち、攻撃全てに人や物を腐敗させる能力を持つ。
ただ存在しているだけでも害をなし、単体で甚大な被害をもたらすことからモンスターに振り分けられている八つの階級のうち、最上位となる特級の称号が与えられている。
探索者側にも同じように八つの階級があり、桜華は準一級。特級のモンスターと戦うには最低でも一級相当の実力が必要になるので、今の桜華では実力不足だ。
「グゥルルル……」
「嘘でしょ……!? なんで私の場所分かるのよ……!?」
身を潜めていたが、爛れた大狼竜は鼻を数回鳴らすとぐりんと桜華がいる方向に顔を向け、迷いなく進み始める。
匂い消しの魔術道具を使っているのにどうして、と思ったがすぐに地面に落ちた自分の血の匂いを辿っていることに気付く。
───このままだと食われる。
そう思った瞬間、体の震えが止まらなくなる。
この業界は常に命がけ。何があろうと完全に自己責任。
自分の実力に見合わない場所に踏み込んで大けがを負ったり命を落としても、それは自分を過信した結果の自業自得。
そんな業界で五年も活動している桜華は、自分に見合わない場所に進み失敗して引退したり永遠にダンジョンから帰還できなくなった先達を見続けて、自分を過信せずやや過小評価気味な自己評価をしている。
それもあって五年間活動できていた。配信を見てくれるリスナーが安心できるマージンを確実に確保できる下層第一階層までにとどまりながらも、少しずつ実力をつけていった。
それなのに、こんな理不尽を目の当たりにしてしまい、長らく感じることのなかった濃密な死の気配に押しつぶされそうになる。
はっ、はっ、という短い呼吸を繰り返す。体の震えが止まらず、視界もゆがみ始めたように見える。
どうしよう、という言葉が繰り返し頭の中にこだまする。逃げるべきなのに、足を片方負傷しているせいで逃げたところで追いつかれる。
追いつかれたらどうなるだろう。あの鋭い爪で胴体を一撃で真っ二つにされたら、痛みを感じる間もなく死ねる。
だが、もしあの爪で攻撃されても即死せずにいたら?
即死できずに生き残ってしまい、そのまま生きたまま食べられたら?
いつもだったら絶対にしないネガティブな思考に、脳が支配される。
「ぁ……」
やがて、爛れた大狼竜に見つかってしまう。
絞りだしたような小さな声を漏らすと、大狼竜は嬉しそうに口を歪める。
「い、嫌……! た、食べないで……!」
ずりずりと座ったまま後ずさりする。それに合わせて、理不尽がゆっくりと近付いてくる。
がちがちと歯を打ち鳴らし、涙が恐怖に染まった瞳から零れ落ちる。
がぱぁ、と口が大きく開けられる。鼻を刺すような異臭が殴りつけてくるが、動けない。
生きたまま食い殺される。そう強く予感して、しかしあまりの恐怖で目も閉じられない。
汚らしい口内が近付いてくる。このまま踊り食いされてしまうのかと絶望した瞬間、何かが体に当たったかと思うと凄まじい速度で視界の景色がぶれた。
「……ぇ?」
気が付いた時には桜華は爛れた大狼竜から離れた場所におり、当の大狼竜も目の前にいたはずの桜華が消えたことに困惑していた。
「大丈夫ですか?」
何が何だかわからずにいると、鈴を転がすような奇麗な声が耳朶を打つ。
あまりにも場違いなその声のしたほうに目を向けると、姫騎士といっても差し支えない衣装に身を包み、金色のメッシュが入った長い黒髪に金色の瞳をした少女が、右手に持つ剣と体に雷をまとわせて立っていた。




