第39発明 ウロボロス教祖 ラスト・オーダー登場なのじゃ
静まり返った広場に男の声が落ちる。
「―――迎えに来た」
低く、よく通る声。
感情の揺れを感じさせない、冷え切った響き。
カルテの肩がわずかに強張る。
「迎え......?」
問い返す声はかすれていた。
男はゆっくりと地に降り立つ。
靴が石畳に触れた瞬間、乾いた音がひとつ、やけに大きく響いた。
その時、男の外套が翻る。そこには―――
2匹の蛇がお互いの尻尾を噛み、円を描く、
共食いを象徴するあの紋章。
「私の名はラスト」
「ラスト・オーダー」
「ウロボロスをつくった者だ」
ラストの視線が、まっすぐカルテを射抜く。
「その器―――こちらに渡してもらおう」
その言葉を理解するより前に、本能が拒絶していた。
カルテは一歩後ずさる。
その視界が突如何かに遮られた。
赤いパオを纏った男がカルテの前に立っていた。
「......断るって言ったら?」
その背中からでも、静かな闘志が伝わってきた。
わずかな沈黙。
男は、ほんの少しだけ目を細めた。
「構わない。どのみち、連れて行く」
その言葉と同時だった。
――音が消える。
風も雪の落ちる気配も、すべてが一瞬で遠のいた。
次の瞬間、空が――裂けた。
以前、博士が精霊界をこじ開けたように。
ただ、それは明らかに、異質すぎた。
ラストの背後、左右、そして上空。
何もなかったはずの空間に、黒い亀裂がいくつも走る。
それは光を吸い込むような闇で、奥行きのない穴のように見えた。
ぞわりと、肌が泡立つ。
亀裂の中で......何かが動いた。
ギギ、と機械のこすれる音。
ひとつ、影が滑り出る。
人型だった。だが、人ではない。
無機質な装甲に覆われたからだ。
関節はむき出しの金属で、動くたびに不快な音を立てる。
目に当たる部分には、単眼の赤い光が灯っていた。
一体、地に降りる。
続いて、もう一体。
そして――止まらない。
次々と、次々と。
亀裂から吐き出されるように、人型の機械が現れる。
音が重なり、空気が震え、石畳が微かに揺れる。
十、二十、五十―――数える意味を失うほどに。
気づけば、広場は埋め尽くされていた。
同じ形の異形が、無言で立ち並ぶ。
赤い光だけが一斉に瞬き、カルテへと向けられる。
逃げ場は、もうない。
ラストはその光景を一瞥することもなく、ただカルテを見ていた。
「抵抗は無意味だ」
淡々と告げる声。
その背後で、数百体のサイボーグが、一斉に一歩を踏み出した。
その瞬間、
「待つんじゃっ!」
鋭い声が空気を切り裂く。
その一言だけで、場の流れがわずかに歪む。
金属の足音がピタリと止まった。
ラスト、カルテ、その場にいた全員が声のした方へ視線を向ける。
そこには、うつむき、拳を震わせる博士の姿があった。
肩にうっすらと雪を積もらせたまま、ゆっくりと歩み出る。
その足取りは静かだが重い。
博士は周囲を一瞥する。
怯えて身を寄せ合う町の人々、逃げることもできず、ただ立ち尽くしている。
その光景にほんの僅か眉をひそめ、
そして、ラスト・オーダーへと視線を戻す。
「場所を変えてくれんか、カルテも巻き込むぞ」
言葉は理屈。
その奥にあるのはもっと単純な――守るという意思。
ラスト・オーダーは、初めてわずかに視線を動かした。
広場を見渡し、そして再び博士へと戻す。
「......いいだろう」
ぽつりと呟く。
「どうせ、邪魔なものから片づけるつもりだった」
雪が二人の間をすり抜けて落ちる。
博士が振り返り、カルテを見る。
「カルテ」
カルテが顔を上げる。
「研究室に――」
「行きませんっ」
叫ぶようにカルテが答える。博士の視線を真正面から受け止めていた。
怯えは消えていない。
それでもなお、足は一歩も引いていなかった。
「この人が......私を狙っているなら、どこへ逃げたって同じです」
雪が肩に積もるのも構わず、カルテは前へ出る。
ほんの一歩、だが、その距離は確かにカルテの意思だった。
「それに......」
言葉を探すように、一瞬だけ息をつめる。
視線が広場の人々へ向く。
不安げにこちらを見つめる顔
祈るように手を握る者
声も出せず、ただ立ち尽くしている者
そのすべてを見て、彼女はもう一度、前を向いた。
「私のせいなのに......私だけ逃げて......みんなに守ってもらうだけなんて......嫌です」
その震える言葉に、わずかな静寂が落ちる。
「ほう......」
感情の薄い声に、ほんのわずかな揺らぎが混ざる。
そこに、
「大丈夫よ」
柔らかな声が、背後からそっと差し込む。
ハッとして振り返ると、そこにはカロが立っていた。
その表情はいつも通りの茶目っ気のある顔。
カロはゆっくりと手を伸ばし、ためらいもなくカルテの肩にそっと触れる。
「カロさん......」
ヒヤリと冷えた外気の中で、その手だけがほんのり温かい。
ぴくりと、一瞬だけ体が強張る。だが、次の瞬間にはほどけていく。
「ずっと一緒って言ったでしょ」
指先が安心させるように軽く肩を抑える。
その力は強くないのに、不思議と心まで届いた。
カルテはゆっくりと目を伏せ、そして小さく頷く。
そこへ――
「まかせとけっ」
飄々と、明るい声だった。
振り向く間もなく、次の瞬間――
バンっと、カルテの背中に衝撃が走る。
思ったよりも強い一撃に、カルテの体がわずかに前へよろめいた。
「っ......!!」
思わず息が詰まる。
けれど、不思議と痛みは残らなかった。
叩かれた場所だけが、じん、と熱を持っている。
「来年のカルテの誕生日、絶対俺も一緒だからな」
いつも通りの声。
それでもその背中は妙に大きく見えた。
「アル君......」
さっきまで感じていた不安が、少しだけ遠のく。
叩かれた背中の熱はまだ消えない。
まるで「任せろ」と押し込まれたように。
「......カルテ」
そっと伸びてきた手がカルテの頭に触れた。
乱れた頭を軽くなぞり、博士の手はそのまま優しく頭頂に置かれる。
力はほとんど感じられないのに、その重みだけが確かに伝わってくる。
「......博士?」
そして、ぽん、と一度だけ。
軽く、リズムを刻むような柔らかな感触。
ジェット亭での夜を思い出す。
それだけで、張り詰めた空気が、ほんのわずかにほどけた。
肩の震えがゆっくりと小さくなっていく。
言葉はなかった。
だが、頭に残るぬくもりが、言葉より確かに、
「大丈夫じゃ」と告げているようだった。
やがて、三人は顔を見合わせ、町の外へと歩き出す。
◇ ◇ ◇
三人の背中が、ゆっくりと遠ざかっていく。
町の石畳を抜け、門を超えその先に広がる雪をかぶった草原へと向かって――迷いのない足取りで。
カルテは、広場の端に立ったまま動けずにいた。
ただ見送ることしかできない。
「......」
今、呼び留めてしまえば、何かが壊れてしまう気がしたから。
白い息が、静かに空へ溶ける。
博士たちの背中は次第に遠くなっていく。
自分のためにあの場所へ行くのだとわかっている。
ここで戦えば、町の人が巻き込まれるから。
だから、あの三人はわざわざ不利になるかもしれない場所へ向かっている。
「......私の、せいで」
ぽつりと零れた言葉は、雪に吸い込まれて消えた。
小さく拳を握る。
何もできないまま、ただ守られるだけの自分がひどくもどかしい。
けれど、足は動かない。
行ってはいけないと、どこかで分かっている。
あの背中に追いつく資格が、今の自分にはないのだと。
風が吹く。
そのたびに、三人の姿が雪の向こうに揺れて、ぼやける。
やがて――
白の中に、完全に溶けた。
見えなくなったあとも、カルテはその方向を見つめ続けていた。
まるで、目を離した瞬間に、すべてが終わってしまうかのように。
肩には、あの手の温もりがある。
背中には、まだあの一撃の熱が残っている。
頭には、あのやわらかな重みが静かに残っている。
それだけが、かろうじて彼らと自分を繋ぎ止めていた。
「......絶対に、戻ってきて」
誰に聞かせるでもない、小さな祈り。
雪は、静かに振り続けていた。




