第38発明 4月に降る雪なのじゃ
10の争いを乗り越え、たけきのこの国に久しぶりの平和が訪れていた。
たけきのこの国の研究所。
その昼下がり――。
窓によりかかった指先が、ヒヤリとしたガラスの冷たさに震える。
四月だというのに、外は雪だった。
「......最近、ずっと雪ね」
カロが息を吐く。白く曇るはずのない室内だが思わずそんな仕草をしてしまう。
「雪見酒と花見酒がいっぺんにできますね、カロさん」
カルテも窓の外を一緒にのぞき込む。
カロはそれを聞いて苦笑いをした。
街路樹にはうっすらと新芽がのぞいているのに、その上から柔らかな雪が降り積もっていく。
「......冬服......全部クリーニングに出しちまった」
半袖の赤いパオを着た男の小さく震える声は、部屋の中に溶けていった。
カロは苦笑しつつ再び窓の外に目を向ける。
(でも......この雪......何か......)
その時、研究室の扉が開かれた。
聞き間違いかと思うほど弱々しく静かに開く扉。
そこに立っていたのは近所の親方だった。
「はかせ......た、助けてくれ......」
やかましいほどに元気よくトラブルを知らせにくるその声にいつもの元気がない。
足元はふらつき、分厚い手は虚空を搔いている。
カルテが覗き込むと、見慣れているはずの顔が別人のように感じた。
「親方!?どうしたんです?」
親方が涙目になりながらカルテの両肩をつかむ。
「味がしねえ......味がしねえんだ......それに匂いも......」
「俺だけじゃねえ」
「他の人も......全員だ!」
奥の部屋の扉がバタンと勢いよく開かれる。
ボロボロの白衣。爆発した白髪。丸眼鏡。右手にお箸。
「そいつはいかん。平和がワシを呼んでおるのじゃ」
お箸を放り出し外へ飛び出す。
飛び出した3人の後姿を見ながらアルがつぶやく。
「......長袖をください」
誰も聞いていなかった。
◇ ◇ ◇
町の広場に足を踏み入れた瞬間、空気の重さに気づく。
普段なら子供たちの笑い声や大人たちの喧噪
商人の威勢のいい声が聞こえるはずが今日はどこか違う。
音はあるが、どこか遠く、くぐもって聞こえる。
「何を食っても味がしない......」
「飯の匂いすら感じない......」
「みたんこも......カチューも......何もかも......」
広場に集まった人々は、皆どこか視線を落としていた。
肩をすぼめ、言葉を交わさず。
露店の布は垂れ下がったまま、風に揺れている。
売り物は並んでいるが、誰も手に取らない。
店主は腕を組んだまま動かず、石畳をぼんやり見つめている。
アルが広場を見渡す。
「いったいみんなどうしちまったんだ」
カルテが思い出したようにつぶやいた。
「味がしない?......そういえば私も最近......」
「でも......なぜ......」
季節外れの雪が沈黙を覆い、その静けさをより深いものとした。
降り積もる雪の中、カロがそっと手を伸ばした。
白く淡い結晶が、音もなく手のひらに落ちる。
冷たさはある。けれど、それはただの冷気とは違っていた。
指先でそっとつまむ。雪はすぐに解けるはずだった。
だが、その溶ける直前、ほんの一瞬だけ――
「......ん?」
かすかな違和感が、指の腹をかすめる。
まるで、細い糸のようなものが触れた気がした。
目に見えない、けれど確かにそこに―――何かが。
雪の中に紛れ込んだ、ごく微細なゆらぎ。
カロは息を止め、もう一度、慎重に雪を受け止める。
今度は意識を集中させる。手のひらの上でほどけていく白を逃さないように。
―――微かに、気のせいといってもいいほどの
それでも確かに感じた。
静電気にも似たピリッとした感触。
自分のものではないが、よく知ったモノ
「魔力......?」
呟きは、吐く息とともに白く消える。
信じがたいほどの微量、ベテランの魔術師さえ見落とすかもしれない微かな残滓。
カロはゆっくりと空を見上げる。
灰色の空から、同じような雪が絶え間なく舞い落ちてくる。
その一片一片に、あの微かな気配が宿っているのだとしたら――
胸の奥で言いようのないざわめきが広がる。
カロが振り返って博士を見た。
「この雪.........おかしいわ。」
言い淀む。けれどあの感触は嘘じゃない。
「ほんの少し魔力が混じってる。ひょっとしてこの雪が......」
言葉が途切れる。
うむぅと唸り、博士が拳を握る。
「ワシが……ワシがこの国を平和にし―――」
その時だった。
ふわり、と落ちていたはずの雪が、ふと軌道を変える。
一片、また一片と―――
本来なら地へと向かうはずの白が、逆らうように空へと引き戻されていく。
「......っ」
博士は息をのんだ。
風ではない。吹き上げる気流も感じない。
それなのに雪だけが意思を持ったように上昇していく。
やがてそれは、ただの舞い上がりでは済まなくなる。
雪は一点へと吸い寄せられ、渦を巻き始めた。
「なんだ、あれ......」
アルのつぶやきは震えていた。
渦は次第に濃く、密度を増していく。
雪が雪を押し固めるように、輪郭を持ち始める。
腕のようなものが伸び、肩のような塊が現れ、やがて―――
人の形が、そこに浮かび上がった。
白でできた、しかし白ではない何か。
その中心に、ふっと闇が差す。
次の瞬間、雪が弾けるように散った。
パラパラと崩れ落ちる白の中から、ひとりの男が現れる。
ゆっくりと、空中に立つようにして。
外套が風もないのに揺れている。
黒い髪が静かに流れ、周囲に残る雪が、その男を避けるように落ちていく。
その目が、4人の方を向いた。
――冷たい。
そう感じたのは雪のせいではなかった。
カロが感じたわずかな魔力の気配。
それと同じものが、今では比べ物にならないほど濃く
男の全身からにじみ出ている。
ぽつりと、最後の雪片が地に落ちる。
静寂の中、男だけが存在感を放つ。
まるで最初から―――雪ではなく、その男が降ってきたように。




