第25発明 吹雪・竜王・100年の約束なのじゃ
四重魔法陣が、静かに輝いていた。
博士の右手に刻まれた紋様が、回転しながら光を増していく。
カロが博士を見上げた。
「博士……?」
博士は答えなかった。
目が赤く染まっていた。
肌が黒く変わっていく。
白衣の裾が、風もないのに激しく揺れた。
カルテが息をのむ。
「また……あの時みたいに......」
アルが後退した。
「……博士、落ち着いてくれ」
博士は答えない。
ただ——精霊王を見ていた。
精霊王は静かに博士を見返した。
博士が右腕を引く。
「お前の本体は精霊界にあるのじゃろ」
「ならば——引きずり出してやるのじゃ」
博士が踏み込んだ。
煉獄の黒い炎が右腕に灯る。
禍々しくも——希望の灯。
しかし——
精霊王の周囲から、今までより強い吹雪が巻き起こった。
博士の歩みが止まる。
雪がさらに激しくなる。
博士の白衣が凍り始めた。
カルテが叫ぶ。
「博士!!」
博士は立ち止まった。
精霊王は静かに言った。
「人の子よ、我の冬は尽きぬ。お前の炎では届かない」
博士は吹雪の中で静かに立っていた。
しばらく口を開かない。
そして――
空を見上げた。
南の方角を。
「……ポチ」
広場が静まり返った。
カルテが首をかしげた。
「……え?」
アルが振り返った。
「今なんて言った」
博士はもう一度、南の空に向かって叫んだ。
「ポーーーーーーーーーーーーチっ!!!!」
何も起きなかった。
吹きあれる吹雪の切り裂くような音だけが聞こえる。
カロがぼそっと言った。
「……犬の名前?」
その時、
博士の胸元が光り始めた。
白衣の隙間から——
七色に輝く竜のタトゥーが、脈打つように光り始めた。
アルが目を見開いた。
「……あのタトゥーが」
光が強くなる。
七色から白へ。
白から眩しい金へ。
その時。
南の空が、割れた。
遠くから——影が来た。
最初は小さかった。
やがてその影が大きくなる。
近づくにつれ、さらに、さらに大きくなる。
かつて、災害と呼ばれたあのア・ラモードよりも。
翼を広げた巨大な竜だった。
七色に輝く鱗。
金色の瞳。
タトゥーと——全く同じ姿の竜だった。
観衆がどよめく。
「な、なんだあれ!!」
「竜だ!!」
「虹色の鱗を持つ南の竜王……!」
竜は広場の上空で旋回し、
そして博士を見た。
博士は静かに言った。
「ポチ、吹雪を止めるのじゃ」
ポチは大きく息を吸い込んだ。
次の瞬間——
ボオォォォォォンッ!!!!
炎のブレスが吹雪に叩きつけられた。
赤と金が混ざり合う炎が、広場を包む。
炎と吹雪がぶつかり合い——
拮抗する。
そして——
炎が、勝った。
吹雪をかき消し、空が晴れていく。
精霊王が初めて後退した。
その瞬間を、博士は待っていた。
右腕の四重魔法陣が——爆発的に輝く。
煉獄の炎が全身に広がった。
赤と黒が混ざり合った炎が、博士の体を包む。
足元から。
胸から。
頭まで。
博士の全身が、暴走した煉獄の炎に包まれた。
全身に黒い炎をまとった博士が虚空に手を伸ばし、何かをつかむ。
空気が——歪みだす。
「空間をこじ開けるのじゃ——!!」
空が、裂けた。
広場の上空に亀裂が走り、光が漏れ出す。
澄んだ白い朝日のような光。
精霊界の光だった。
精霊王の体が、初めて大きく揺れた。
「……まさか」
「精霊界と人の世の境界を——」
博士の拳が、亀裂に差し込まれた。
「引きずり出してやるのじゃ!!」
ズルズルズルッ。
亀裂が広がる。
精霊王の体が——引っ張られ始めた。
老婆がキセルを持ったまま固まっていた。
「……ありえん」
「人の世からあちらに手が届くなど……」
やがて——
精霊王の本体が、亀裂から引き出されてきた。
その姿は意外なほどに大きくはない。
しかし、より白く。
より圧倒的な存在感を放つ白銀の鹿が、人の世に姿を現した。
精霊界から切り離された精霊王は、初めてこの世界に実体を持って立っていた。
博士の黒く燃える拳が引かれる。
炎が——膨れ上がる。
「これにて——」
「博士っ!!」
カルテの声が広場に響いた。
博士の拳が止まった。
博士はカルテを見た。
その眼には戸惑いが浮かんでいた。
「……じゃが」
その時。
老婆の声がした。
「……ちょいと待ちなさい」
全員が振り返った。
老婆がキセルを持ったまま頭を抱え、何かを思い出そうとし——
やがて、ハッとした表情をする。
「『お前の歩む季節を、我に預けよ』」
「『その終わりまで、我に捧げよ』」
「確かに……そう言ったんじゃな」
老婆がカロと精霊王を交互に見る。
「……えぇ、そうよ。だから、私は——」
「……プロポーズじゃ」
「「「え?」」」
「その言葉は、精霊界流のプロポーズなんじゃあぁぁぁぁーーー!!」
沈黙。
カロが固まった。
アルが固まった。
カルテが固まった。
博士が固まった。
観衆が固まった。
精霊王だけが、静かに立っていた。
カロがゆっくりと精霊王を見た。
「……え」
「……え?」
精霊王の角が明滅する。
まるで——照れているように。
「「「えええええぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーー!!!!」」」
精霊王は小鹿の姿になり、カロに擦り寄った。
「カロがなかなか西に帰ってこないから、ボク、様子を見に来たんだ」
「西にさえいればどこにいてもわかるんだけど、最近どこにも気配を感じなくて」
「ボクのこと忘れたんじゃないかなって」
「ま、カロに限ってそんなことはないだろうけど」
「あ、そうそう、今年のイチジクの出来がすごかったんだけど——」
精霊王のおしゃべりが止まらない。
ボロボロの姿を引きずり、アルがため息をついた。
「おい、さっきまでと雰囲気が違いすぎねえか」
カルテが目を丸くしたままつぶやく。
「精霊ってみんなこんなにおしゃべりなんでしょうか」
その時。
突然、笑い声がした。
全員がカロの方を振り返った。
「あはははは、なんだそういうことだったの」
カロが笑っていた。
心から。
「プロポーズ……わかりにくいわよ」
博士は拳を下げた。
炎が、ゆっくりと消えていく。
はずだった。
消えない。
博士は右腕を見た。
「……消えんのじゃ」
カルテが目を見開いた。
「え?!」
「全身にまとったのは初めてでな」
「止め方がわからんのじゃ」
カルテが口元に手を当て慌てだす。
「博士!燃え尽きちゃいますよ!!」
「大丈夫じゃ」
博士は静かに言った。
「こんなこともあろうかと」
白衣の背中が——
ぶわっと破れた。
全員の目が見開かれる。
白衣の下からポンっと飛び出したのは——
銀色のタイツを着た博士だった。
全身を覆う、流線型の銀色のタイツ。
顔のところだけ穴が開いていた。
「博士型耐熱スーツじゃ」
白衣を着たままの博士の抜け殻——もとい博士型スーツが、静かに燃えている。
広場に笑いが広がった。
カロが小鹿になった精霊王を撫でた。
「紛らわしいのよ、全く」
「おかげでとんだ恥をかいたわ」
カロはしばらく黙っていた。
精霊王を見た。
博士を見た。
アルを見た。
カルテを見た。
そして——静かに言葉を紡ぐ。
「今はこの人たちと一緒にいたいの」
「また会いに行くから、返事はもう少し待ってくれる?」
精霊王が撫でられて嬉しそうに目を細めた。
「100年くらいは待てるよ、ボクの冬は尽きないからね」
カロは少し考えこむ。
「それも何か別の意味があるのかしら」
——氷の魔女が、温かくほほ笑んだ。
◇ ◇ ◇
こうして博士はレシピを改良した。
それ以来、カチューにはあるものが加えられ、
名称もほんの少しだけ変えられた。
その名は——
プロテイン汁。
こうしてたけきのこの国に、
筋肉を育てる汁物
が誕生したのであった。
めでたしめでたし。
今日も伊沢博士は研究室で、
銀色のスーツを着たまま
ダ・ヴィンチと名付けたマイクを持ちながらつぶやく。
「発明は世界を救う。
だが筋肉は——
もっと手っ取り早く救う。」
カルテがぼそっと言った。
「……博士、ポチはどこにいるんですか」
博士は何も答えなかった。
ただ、静かにマイクを持ち上げた。
窓の外から——
低い唸り声が聞こえた。
めっちゃ長くなってしまった。




