第24発明 氷雪の精霊王登場なのじゃ
広場が静まり返っていた。
全員が空を見上げていた。
何もいない。
しかし——声はそこにあった。
「久しぶりだな、カロよ」
カロの体が、固まった。
カルテがカロを見る。
今まで見たことのない表情だった。
強がりでも、涼しい顔でもない。
怯えているような。
覚悟しているような。
そんな顔だった。
「……なんで、ここに」
「約束を果たしに、来た」
光が降ってきた。
白く、冷たく、静かな光。
雪のように。
しかし雪ではない。
光の粒が集まり、形を成していく。
大きく。
さらに大きく。
やがて——
それは、広場に降り立つ。
巨大な鹿だった。
角は枝分かれした氷でできており、昼の光を受けて淡く輝く。
吐く息は白く、しかしその周囲だけは不思議と寒くない。
瞳は深い蒼。
人ではないのに、どこか知性を感じさせる。
広場が静まり返った。
老婆がキセルを取り落とした。
「……氷雪の精霊王じゃ」
観衆がざわつく。
「精霊王……伝説の存在じゃないか」
「なんでここに……」
精霊王はカロを見た。
「迎えに来た」
「約束を果たす時だ」
カルテが一歩前に出た。
「待ってください」
精霊王の瞳がカルテを見た。
「……小さき者」
「カロさんをどこに連れて行くんですか」
「精霊界だ」
「カロさんは嫌がっています」
「約束は果たされなければならない」
カルテは精霊王を真っ直ぐに見たまま、カロに振り返った。
「カロさん、どういうことですか」
カロは少し黙っていた。
そして静かに口を開いた。
「……昔のことよ」
◆ ◆ ◆
カロは静かに話し始めた。
西の国の、吹雪の夜のこと。
迷子になって、雪の中で倒れかけたこと。
そこに現れた巨大な鹿のこと。
一晩中、風を押し返して守り続けてくれたこと。
そして朝になって、交わした約束のこと。
大人になったら......
「『お前の歩む季節を、我に預けよ』」
カロは静かに言った。
「『その終わりまで、我に捧げよ』」
「……私はずっと、大人になるのが怖かった」
「大人になったら、この命を精霊に捧げると約束してしまったから」
広場に静寂が流れた。
カルテが息をのんだ。
アルが拳を握った。
カロは続けた。
「だから……ずっと覚悟していた」
「いつか来る日のことを」
「西にいた頃から、ずっと」
カロは精霊王を見た。
「とうとうその日が来ちゃったって感じかな」
明るくカロが言う。その表情は誰が見てもただの強がりだとわかるものだった。
精霊王は静かに立っていた。
何も言わなかった。
ただ——待っていた。
◇ ◇ ◇
アルが一歩前に出た。
「待てよ」
精霊王の暗い夜のような瞳がアルを見た。アルの目は揺るがない。
「……拳士よ」
「カロを連れていくなら、俺達を倒してからにしろ」
精霊王は静かに言った。
「お前に恨みはない」
「関係ない」
アルは構えた。
踏み込んだ。
ドンッ!!
アルの拳が精霊王に叩きつけられた。
しかし——
その拳は精霊王の体を、すり抜けた。
アルが目を見開く。
「……なに?」
精霊王は動じなかった。
(実体がない......本体はどこだ)
アルが舌打ちをした。
「くっ……」
博士が踏み込んだ。
龍王すらも撃退する剛力を右腕に宿す。
「ではこれはどうじゃ」
ドォンッ!!
闘気を纏う拳が精霊王に叩きつけられた。
しかし——
すり抜けた。
博士の目が見開かれる。
カロは唇を噛んだ。
「魔法も……効かない......精霊王の本体は......精霊界にあるから」
精霊王は静かに言った。
「カロよ、お前の力は我が与えたもの。我には届かない」
広場に沈黙が流れた。
何も効かない。
何をしても届かない。
博士とアルが再び踏み込んだ。
精霊王の足元に拳を叩きつける。
届かない。
もう一度。
もう一度。
アルと博士の拳が、じわりと凍り、冷気による裂傷が増え始める。
何の成果もあげることができないまま精霊王の冷気が、少しずつ、しかし確かに広がっていた。
「っ……!」
カルテが叫ぶ。
「アル君!!」
(打つ手がねぇ、どうすりゃいいんだ)
全身に渾身の闘気を纏いながらも二人の拳は空を切る。
だが、それでも精霊王への歩みを止めない
やがて、冷気は吹雪となる。
二人の闘気が......命の灯が消されようとしていた。
カロが目を見開いた。
「やめて!!」
三人を見た。
アルの拳が凍っていた。
博士の白衣が凍り始めていた。
カルテが震えながらもカロの前に立っていた。
それでも——
三人とも、諦めようとはしていなかった。
カロのために。
カロは目を閉じる。
胸が暖かった......だが、それ以上に痛かった。
「……もういい」
カロは静かに言った。
「やめて、みんな」
「カロさん——」
「いいの、わかっていたことだから」
カロはカルテを見た。
「これは私の約束、あなたたちには関係ない」
精霊王がカロを見た。
「来い」
カロはゆっくりとうなずいた。
「……えぇ」
そして——歩き始めた。
一歩。
二歩。
「カロ!!」
アルの声がした。
カロが足を止める。
「本当に行くのか」
「……行かなきゃいけないの」
「どうして」
「約束だから」
「お前、この国が好きだって言ってたじゃねえか、約束なんて——」
「破れないのよ」
カロは振り返らない。顔を見られたくなかったから
「あの鹿が守ってくれなかったら、私はあの雪の中で死んでいた」
「拾われた命を返すだけ、ただそれだけの話」
アルは黙っていた。
カロはまた歩き始めた。
「カロさん!!」
カルテが駆け寄った。
カロが振り返る。
カルテは泣いていた。
「カロさん......行かないでください」
「カルテちゃん……」
「カロさんがいないと嫌です」
「みんながいるじゃない」
「カロさんもみんなのうちです!!」
「それに!!ずっと一緒って......この前も......言っていたのに......」
カルテが泣き崩れる。
涙をこらえたカロはその姿をまともに見ることはできなかった。
一瞬だけ。
しかしすぐに穏やかな顔に戻った。
「……ごめんね」
カロはカルテの頭をそっと撫でた。
「あなたといると穏やかになれた」
「カフェラテを持ってきてくれるあなたが」
「研究室のみんなが」
「……本当に好きだった」
カルテがカロの手を掴んだ。
「過去形にしないでください」
カロは手を離した。
そして——精霊王の前に立った。
博士がカロの前に立った。
「カロ」
カロが見上げる。
「博士、世話になったわね」
「おかげで退屈しなくてすんだわ、二人のことはよろしく」
博士は答えない。
「まぁ、すぐに命を奪われるってわけじゃないかもだし」
「ひょっとしたら向こうで元気にやってたりして」
自嘲気味に笑い、カロは続けた。
「正直に言え」
沈黙。
「お前はどこにいたいんだ」
一陣の風が吹く。
カロの長い黒髪が揺れた。
カロはしばらく下を向いていた。
やがて——
顔を上げた。
その目が、わずかに潤んでいた。
「……わたし」
声が、少し震えた。
「わたし、もっとみんなといたい!!!!」
広場が静まり返った。
博士のメガネがギラリと光る。
瞬間、白衣の中の筋肉がさらに膨張し、黒く染まる。
そして——
右手の四重魔法陣・クアトロマジックサークルが輝きながら回りだした。




