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第三十九話 また明日と、彼女は。 其の十一



◆→◇


 七千八百三十九日、七千八百四十日…………永遠にも思えたその時間の繰り返しにも、遂に終わりがやって来る。……いや、この少年にとってそれは、終わりではなく始まりなのかもしれない。

「……少し前から輪郭が少しずつ浮かんでいたよ。――やっと会えたな、神様」

 彼が願ったあの神社にて、少年――依本(よりもと)(はじめ)は口角を上げ口を開く。その視線の先に居たのは、その場に二本足で佇む人型の子狐……もとい、(くだん)の狐神だった。

『……まさか』

 目を丸くする狐神。夕日を受けたそれは、宝石の様にキラリと青く輝く。

「…………()()神様が言ったとおり、僕は必要なだけ縁を重ねてきたぞ」

『……有り得ん』

 信じられない、といった表情で彼は肇を見据える。……それは、少年の言葉に対してではなく、今その目に映っている膨大な縁の山に対しての反応だった。

「……でも、目の前に在る僕が現実だよ。僕は()()から七千八百四十回結華(ゆいか)を確かに看取ったんだ」

『…………正気の沙汰(さた)ではないの』

「狂気でもなんでも良いよ。あのまま一人でただ生きているよりは、何倍もマシだ。……結華、出てきてくれ」

 肇の最後の一言に、参道の脇に隠れていた雪の肌の少女が姿を現す。その制服姿の少女は、セミロングの黒髪を揺らしゆっくりと歩くと、二人の間に佇んだ。

「なんでかな……今日はわたし、あなたの姿がはっきり見えるの」

『結華……』

 あの日の目線とは異なり、少女の体は大きく成長し、狐神を見下ろすまでになっていた。

 しかし狐の姿はあの日と同じ子狐で、それは二人が違う時間を歩んでいる何よりの証拠だった。

「…………さぁ神様、本人も揃ったところで、早速話し合いといこうじゃないか」

『…………一体、何をする気なんじゃお前は』

「そうだな。まずは――」

 小さく息を吸う肇。

 まずは神にものを言えるだけの縁をかき集めてきた。ここからはフェイズツー、そしてそのまま最終フェイズまで行くほかない。後は、彼女自身の気持ちだけが問題だった。

「……僕は、あなたと結華の結婚を止めさせたいです」

『……話を聞こうではないか』

「ありがとうございます。……結華、こっちを向いてくれないか?」

「えっ? あ……あぁ、うん」

 彼の声に、結華は体を(ひるがえ)す。そのスカートはふわりくるり、と美しい弧を描いた。

「……でも、縁だけじゃまだ話し合いの場に立っているだけ。それも、分かっています。――だから、僕は結華の気持ちに賭けてみようと思うんです」

「……? どういう、こと……?」

 こてん、と小首を傾げる結華。その目を真っ直ぐ真剣な表情で見据え、肇は言葉を続けていく。

「――結華。僕にはもう、結華のいない人生なんて、考えられないんだ。隣に居るのが当たり前すぎて、気づくのが遅くなってしまった、本当にごめん。でも――これは、僕の心からの気持ちだ。結華が明日死んでしまうからじゃない。ただ助けたいだけじゃないんだ、気づいたんだよ。僕にとってどれだけ結華が大切で、そして――どれだけ好きになってしまったかって」

「肇くん…………それって、」

 その言葉の意味を理解し、結華はその雪の肌を赤く染める。

「――伊坂実結華さん」

「は……はいっ」

「僕はあなたの事を心から愛しています、ずっと傍にいて欲しいです。だから――結婚しよう、結華」

 その場に片足を(ひざまず)かせ、肇は結華の手を握る。

 オレンジの夕焼けとひぐらしの鳴き声が、そのワンシーンを美しく彩っていた。

「あっ……あっ、え、ええと、その……で、でも、その…………お狐さんは、どうなの?」

 顔をリンゴのように真っ赤にした彼女は、その後ろに佇む狐神に話を振る。その言葉に、コン! とおかしな音と共に彼女の背後から気配を消した彼は、二人の足下に姿を現した。

『どう……とは?』

「だから……わたしと、肇くんの、結婚…………何も、問題ないのかな?」

『大ありじゃ』

 フン、と鼻を鳴らし彼は口角を上げる。

『じゃが……そやつの言うとおり、儂と結華の間に割って入れるだけの縁を、此奴は重ねてきおった。……つまり、人間と神という違いはあれ、今儂とそこの少年は等価値という事じゃ。…………好きな方を選んでくれ、結華』

「お狐さん……分かったよ」

 数回深呼吸を繰り返し結華は今なお片膝を地面についている彼の手を握り返す。改めて見たその手は幼き日より遙かに大きく、二人の性差を感じさせた。

「――依本肇くん」

「はい」

「わたしは、頑張るあなたを見ていると胸が苦しくなります」

「結華……?」

 結華は小さく声を震わせる。

「……今日、あの自販機の横であなたの様子が変わってから、沢山の意識が流れ込んできました。…………多分、あれはあなたが繰り返してきたというそれぞれの世界のわたしの意思なんだと思います」

「…………」

 その言葉に、肇は言葉を返すことが出来ず、ただそのまま彼女の目を見据える事しか出来ない。

「…………その意思の中には、決まってあなたの姿がありました。どのわたしも、ずっと、あなたを見ていたんです。……心配で、放っておけば壊れてしまいそうで」

「結華……」

「…………だから、あなたを楽にしてあげたかった()()()()の気持ちだって、痛いほどよく分かるよ。でも……それじゃあきっと、駄目なんだよね。楽になりたいんじゃない。ただ、傍にいたい……なんて、他でもないあなたが言っていたんだから。だからわたしは、あなたが無茶しすぎないよう、ずっと傍で見ている事にするよ。あなたがそれを望んでいるなら――ずっと一緒にいようよ、肇くん」

「結華、それは――」

「……うん。こういう時って、不束者(ふつつかもの)ですが、よろしくお願いします……とか言うのかな? とにかくわたしも――あなたの事が好きです。あなたのいない人生なんて、考えられません。だから……その…………こちらこそ、よろしくお願いします!」

 最後に深々と頭を下げ、強く手を握る。

 それは、長きにわたった呪いからの解放を意味していた。

『…………さて、それでは儂の役目は終わりといったところかの』

 結華は肇を選んだ。

 選ばれなかった狐神の運命は、かの日の続きという事になる。その事実に、彼は内心ほっ、としていた。

――これで良いんじゃ、ようやく……この()はこれからを生きれるんじゃ。もう何も、思い残す事は――。

「…………っと、神様」

 と、肇はすぐ脇の狐神に声を掛ける。

『なんじゃ?』

「……これから、どうするんだ?」

『はっ、決まっておる。辿るべき運命を辿り、後はゆるりと消えゆくのみじゃ』

「…………そうか、それは駄目だ」

『……は?』

 結華にアイコンタクトをすると、肇はその手を離し彼の柔らかな手を握る。結華の手よりも更に小さなそれは、まさに獣の手そのものだった。

「だって、そうだろう? 結華は元々、神様を助けるために結婚を申し込んだはずなんだから。この件で神様が消えてしまうのはおかしいって」

『じゃ……じゃが、これはそういうものなんじゃ。……もうどうにも、ならないんじゃ。……それに第一、儂は結華を何度も死なせてしまった張本人じゃぞ!? お前達には儂を殴る権利はあれど助ける義理など無いはずじゃ!』

 一度は握ったその手を、狐はパシン、と勢いよく弾く。その表情は困惑しきっていて、彼自身気持ちの整理がつかない様子である。

「そうか、それなら――」

 その言葉と共に肇は立ち上がると、拳を強く握り締め振り上げる。

「ちょっ、肇くん!?」

 その縦長の両耳をパタンと畳み、小さな両手で頭部を押さえると体を丸め構える狐神。……その拳から逃げてはならないと、そう思っての行動だった。

 ……が、そんな彼の気持ちは裏切られる事となる。

『…………何を、しておるんじゃ?』

 伝わってきたのは、大きな手のひらの感触。拳ではない、その手が彼の柔らかな頭部をワシワシと雑に撫でているのだ。

「何って……まぁ、撫でてるんだけど? ()()結華に神様を恨んだりしないよう頼まれてたからな」

『何故じゃ……儂には撫でられる資格など……』

「まぁ、こっちも色々話を聞いてな。神様が悪いわけじゃないって分かってるんだよ。……だからこれは、神様が結華に対する罪悪感をずっと引きずっていた事に対する(ねぎらい)いみたいなものかな」

『……正気の沙汰では、ないの…………ははっ』

 その感触に、狐神はかの日の小さな少女を思い出す。

 彼の過去は真っ白で、思い出のない知識だけのノートそのものだった。……が、あの日出会った一人の少女との交流だけは、確かに記憶として残っていたのだ。

「…………っと、忘れてた」

 再び膝を折る肇。その手が子狐の肩に触れる。

『…………? なんじゃ?』

「…………いや、出来たら()()()()欲しいって、頼まれてたから」

 その言葉と共に、肇は彼を抱きしめる。

「…………僕は、結華があなたを助けた事実まで否定したくない。……だから教えてくれ、神様。――僕はあなたを助けるために、何をすれば良い?」

 結華の気持ちを確かめ約束を取り付けるという第二フェイズは終了し、ここからは最終フェイズへと突入していく。

 牡丹(ぼたん)と立てた作戦は第二フェイズまでだったが、肇にはどうしてもこの神を見捨てる判断が出来なかったのだ。

 それは、幼い少女の思いつきだったのかもしれない。その判断は誤りだったのかもしれない。

 ……だが、確かにかの日の少女が狐神を助けてしまった事は事実で、ゆえにそれを否定する事は彼女を否定する事に等しいと彼は考えてしまったのだ。

『…………儂には、ここに残る権利があるのか?』

「……僕は、少なくともそう思う。そうじゃないなら、いくら結華の頼みとはいえあなたを抱きしめたりなんかしないよ」

「……わたしも。わたしも、あの日の自分の判断は間違ってないって今でも思うよ。……もし、約束通り連れて行かれても、きっとわたしはそう思う。だから――そろそろあなた自身を許してあげて、お狐さん」

 二人の言葉に、狐神の体は小さく震え始める。それを見るなり、結華は膝を折り肇と二人で包み込むように彼を抱きしめた。

『すまん…………すまん、のじゃ……本当は、儂は……儂の中に何もなくって、不安で、押しつぶされそうで、じゃから……あの日お前と出会(でお)うて、救われたんじゃ…………。なのに、儂はお前に、結華に、何も返す事が出来ぬ……返すどころか、死なせてしまう事しか……神、失格じゃ……』

 彼は声を震わせ、地面に雫を落とす。その姿は、ただの小さい子どもの様だった。

「うん、わたしも……ごめんね。姿が見えなくなって、今までずっと……あなたを苦しめ続けて」

『結華……また、友達になって、くれんか…………こんな、神じゃが』

「バカだなぁ。わたしがあなたの友達になったのは、あなたが神様だからじゃない。あなただから。だからわたし達は、今でも友達。――友達を助けたいのなんて、普通でしょ?」

『結華……すまん……ありがとう…………』

 人に頭を下げ謝罪の言葉を吐くなんて、きっと神に相応(ふさわ)しい振る舞いではないのだろう。

 しかし、彼にはそれでも良いと思えた。……悪さをしてしまって、その事で友人に謝る事など、特別でもなんでもないのだから。


 かくして、最終フェイズに突入し物語は動き始める。

 長く続いた雨は、既にオレンジの夕焼け色へと移ろっていた。

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