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第三十八話 また明日と、彼女は。 其の十




 過去から過去に(さかのぼ)るというのもおかしな話ではあるが、今更な話であるので構わず進む……もとい、戻るとする。


 幼少の頃の人間や動物には、超常がよりよく見えているものなのだという。

 少女にとってそれは一人の幼い狐の何かで、言いつけを破り立ち入った神社で、声を掛けてしまったのである。

「……お狐さん?」

 二足歩行のそれは、少女の声にその長耳をぴょこん、と動かし振り返る。丸々とした瞳が、不思議そうに彼女を見据えた。

『……なんじゃお前、儂が見えるのか?』

「……わっ、喋った」

『……しかも会話まで出来るとは、この時代では希有(けう)なやつよの』

「け、けう……?」

『珍しいと言うておるんじゃ。……で、儂を見て怖くはないのか?』

 二足歩行の幼い狐は少女を睨む。

 その視線に彼女は(ひる)むどころか口角を上げ、そのふわふわの手を握る。

「怖い? そんなわけないよ! こんなにもふもふだし!」

『気軽に触るなよ人間……っと、今更(おど)かす意味もないの』

 彼女の手を離すと、ため息混じりにピョンと後ろに跳ねる狐。

「お狐さんは……なんでお喋りしたり出来るの?」

『ん? あぁ、儂は神じゃからの。……もっとも、そろそろその立場も消えて無くなるじゃろうが』

 目を伏せる狐。その表情は暗く、少女は再び駆け寄った。

「神様じゃなくなっちゃうの? どうして?」

『……お前に言うても難しかろうが……力の減衰(げんすい)を感じるんじゃ。見よ、この有様を。儂の体は最早ただの子狐そのもの、神社も最早その機能を果たしておらん。人々に忘れ去られ存在そのものが()せるのも時間の問題じゃろう』

「……消えちゃうの? ……寂しいね」

『…………なんじゃ、(なぐさ)めておるつもりか?』

 少女は狐神の小さな頭部を優しく撫でる。

「消えちゃうのは……嫌だよ、一人になっちゃうんでしょ?」

『……そうじゃの、誰の記憶からも失せるというのは、そういう事じゃからの』

「だったら、わたしだけはお狐さんの事を覚えておいてあげるよ!」

 少女は狐神を抱きしめる。その全身は温かく、お日様のような香りが彼女の鼻腔をくすぐった。

『お前が、儂を……?』

「うん、わたしはお狐さんを一人にしたくないから」

『そ、それは……莫迦(ばか)じゃの、神相手にそういう事を言うでない』

「でも、寂しいのに神様とか人間とか、関係ないよ!」

『そうか……そうじゃの、はは、まさか人間に心配されるとはの』

「……明日ここに来ても、お狐さんはいる?」

『…………どうかの、それこそ〝神のみぞ知る〟といったところじゃろ』

 口角を上げる狐神。

 二人の奇妙な交流が始まったのは、ここからだった。



 それから数日続いた交流の中で、少女は狐神の真っ白な過去を知ることになる。

 ……(いわ)く、その過去はどれもモヤがかかった様にうろ覚えで、知識はあっても記憶そのものはどこにも見つからないというのである。

「……仲良くしてた神様とかは、いないの?」

『……一人はおった様じゃが……それもただの知識として刻まれておるみたいでの、何を話したのかまでは思い出せんのじゃ』

「そっか……ほんとに、一人ぼっちなんだね。……それじゃあ、友達も恋人もいないの?」

『まぁ……そうじゃの』

「そっか……それじゃあまずはわたしが友達一号だね!」

『ははっ、そりゃ愉快で()いのぉ』

「決まりだね! えっと……」

『今更じゃよ、儂の事はこれまで通り呼ぶと良い』

「それじゃあお狐さん、これからもよろしくね!」

『これからも……か。そうじゃの、よろしく頼む』

 少女の手を握る狐神。その表情は、どこか寂しげだった。



 翌日、その神社に狐の姿は無かった。

「お狐さん! お狐さーん!」

 少女は、その小さな喉を震わせ力の限り叫ぶ。

 すると今にも崩れそうなその神社に、()の声が木霊(こだま)した。

『……なんじゃ、またお前か』

「うん! 今日も遊びに来たんだけど……どうして姿を見せてくれないの?」

『…………前にも言ったじゃろ、儂の力は減衰しておるんじゃ。……最早儂は、姿を現すのも難しい。()()()がもうすぐそこまで来ておるんじゃ』

「なに、それ……せっかくお友達になれたのに」

『…………そうじゃな、儂も、寂しくないと言えば嘘になる。……が、元来人と神は必要以上に近づくものではない。ここであった事は忘れて――』

「――嫌だ!」

 少女は声を荒げる。小さな体から発せられたそれに林の向こうのカラスたちが飛び去っていく。

『……なんじゃ、急に』

「わたしは、お狐さんのこと、忘れたくないよ……」

『……なんとも、頑固なやつよの。……が、儂がこの世界から消え失せてしまうのは、最早変えられんじゃろ。……それこそ、強い縁でも連れてこない限り無理という話じゃ』

「え……えん…………?」

『……そう、縁じゃ。時間を重ねた相手や恋人、家族なんかもそうじゃな。……今の儂にはそれがない、忘れ去られておる。儂らにとってそれは、死の宣告を受けておる状態に等しいんじゃ』

「でも…………わたしは、お狐さんのこと……!」

『あぁ、その気持ちは本当にありがたいんじゃが……たった数日、一人の幼子(おさなご)と言葉を交えた程度では、儂という存在を維持するには足りないんじゃ』

「じゃあ、どうすれば足りるの? どの程度なら、お狐さんは元に戻れるの?」

『…………完全に元に戻るのは、中々骨が折れるじゃろうな。しかし…………お前、何を考えておる?』

「お狐さんを消さずに済む方法があるなら、わたしはあなたを助けたいの! …………お母さんは、助からなかったから」

 たった数日言葉を交えただけの、幼い一人の少女。……しかし、そんな彼女の一言が、遂に神の心を動かす。……動かしてしまう。

『…………それは、それこそ婚約でもすれば、儂は葦原中つ国(ここ)(とど)まれるじゃろう。しかし――』

 それは、いつもの彼なら口にするはずのない一言。口は(わざわ)いの(もと)

 それをよく知っているはずの彼の一言は、運命の歯車を動かし始めてしまう。

「――それなら、わたしはあなたと結婚してあげるよ」

『ばっ……何を言って……!』

 その言葉を否定し止めようとする狐神。しかしその口は何か強力な力で塞がれ、抵抗を許さない。

 少女の言葉に、目映いばかりの光が降り注ぐ。

 その光は狐神のよく知る()()()()の力そのもので、それを浴びた彼は再び子狐の姿を少女に(さら)す。

「…………今すぐにってわけには、いかないけどね。おはよう、お狐さん」

 白い歯を見せ二ヒヒと笑う少女。その表情とは対照的に、子狐の表情は絶望に沈んでいた。

『お前は……なんて、莫迦な事を……!』

 その少女の辿る運命など、神である彼が想像出来ないはずもなく、その目に涙を浮かべる。

――何故、この()の言葉を否定出来なかった。

――何故、あんな事を口にしてしまった。

 疑問と後悔に、彼はただ少女を抱きしめる事しか出来ない。


 こうして、幼き日の神との約束は、少女を縛り呪いとなってしまったのであった。



 時が進むにつれ、少女は徐々に狐神の姿を認識出来なくなっていく。……それはかの日のように彼の力が弱くなったためではなく、少女の体が成長し大人へと近づいてきた証拠で、その姿を完全に見失った頃、彼女は高校に入学していた。

 それでも懸命に、神は伝え続ける。

 その約束は決して無かった事に出来ない事、神々の世界では十七歳から大人という認識で、ゆえに少女はその年に彼と結婚するという事。……そしてその際、肉体はここに置いていく事になるという事。

 ……言葉で全てを伝えるのは難しく、ある程度はその思念を夢の中に投影する事で彼は事情を伝え続けた。

 それでも、少女は変わらず高校生活をおくっていく。決して()()を嘆くような事はなく、いつも通りを続けていく。


 果たして、その日がやってくる。

 その日ばかりは少女の様子は落ち着かず、結局最後の最後には思いを寄せている男子と最期の時を過ごせなかった事が心残りとなったようだった。

『……すまんの』

『ううん、最期はちょっと残念だけど、あなたを助けた事は後悔してないから』


 二人揃って、その後の世界を見守る。

 変化があったのは、少女――()(さか)()(ゆい)()の父より話を聞いた彼が例の神社に訪れてからだった。


 彼は祈る。

「――神様。……僕は、伊坂実結華という幼馴染みを、亡くしてしまいました。……結華は、まだ十七歳になったばかりで、だから……まだ死ぬべきじゃないんです。死んで欲しくないんです。

――神様。そんな彼女は、死の直前あなたに願おうとしていました。僕が今からあなたに願う事は、きっとあの時の結華の心からの叫びです。

――神様。……どうか結華を、助けて下さい」

 ……その願いを聞き届ける、そんな気持ちがあったわけでは、決して無い。

 ただ、結華がその最期に心残りがあったというのは事実で、故にその最期に満足いくまでは機会を与えようと、そう狐神は考えたのだ。

『良かろう。ただし、助けるのは儂の仕事ではない。まずはこの言葉を覚えておけ』

 その台詞の終わりに、神はこの先少年が何千と繰り返す事になる言葉を授ける。


 少年――依本(よりもと)(はじめ)にとって過酷な物語が幕を開けたのは、ここからだったのである。

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