第三十六話 また明日と、彼女は。 其の八
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カチカチとライターの音を鳴らし、煙草に火を点ける。それからふぅ、と端末の向こうで煙を吐くと、彼女――及雲牡丹は小休止を終え再び口を開いた。
『…………まず初めに、君は〝縁〟というものをどう考えているかな?』
「……えん?」
『ああ、すまない。あたしの説明不足だった。人と人とを繋いでいるもの、という意味のアレなんだけど、君はどう考えている?』
「どうって……どうもこうも、それは今及雲さんが言った通りなんじゃ……出会いを結んでいるもの、とかですかね?」
『……ふむ、若者にしては中々的を射た答えだね。半分正解だ。……では、続けて質問をしよう。――ふぅ。それじゃあ依本君、ならばその縁とやらの強弱は、何によって示されると思う?』
「……強弱?」
『そう、縁の深さと言い換えても良いかな。それを決めるのは、何だと思う?』
こればかりはすぐに答えが浮かばず、肇は思案する。
……縁の強弱は、例えば家族であれば強く、疎遠になった友人などであれば浅い、というイメージだろうか。そこの違いを決定付けるものがあるとするなら……それは血縁だろうか。
……いや、これでもまだ弱い。
そもそも、それなら恋人や頻繁に会う特別な親友等は縁が弱いという事になる。……そんな事は無いはずだ。それならば――。
「……あっ。〝時間〟……ですか?」
『うん、やはり素晴らしいな君は。これで百点の答えだ。――さて。それじゃあ次の質問だ。君と結華を結ぶ縁は、今どの程度だと思う?』
「どの程度って……まさか……」
『そのまさかというやつでね。君が繰り返したその全ての時間分の〝縁〟が、今なお彼女と君を結んでいるんだ。……縁ってやつは死んだ程度じゃ消えてくれないからね。親の跡を継ぐ孝行息子の美談なんか、まさにその典型だ』
――これまでの全てが、僕と結華を繋いでいる?
「でも……もしそうだとして、それが何だって言うんですか?」
『おいおい、縁をナメちゃいけないぞ君。神様の世界では、それこそ、〝そうあるべき〟という形が導いた縁こそが価値を持つという考えだってあるんだ。…………まぁ、若者に話すにはあまりに遠回しな導入だったとは自分でも思うがね――ふぅ』
「…………なるべく、短くしてくれると助かります」
『善処しよう。……さて、それでは次の質問だが……まずは結華の死因は神婚だとあたしは見ているんだが、これは合っているかな?』
「……しん、こん?」
『ああ、聞き慣れない言葉だったね。〝神〟に〝結婚〟でシンコンと読むんだ。……意味は話すまでもないね?』
――わたし――神様と結婚するの。
……何度も何度も何度も何度も耳にしたその台詞を思い出し、強い吐き気が肇を襲う。
それを片手で押さえ何度か深呼吸を繰り返すと、彼はなんとか言葉を返した。
「それは――ハァ……合っています、結華の方から僕にそう言ったので……間違いないです」
『……一旦電話切るかい?』
「大丈夫です。……それに、今電話切られると余計に気分が悪いので」
『そうかい。――ふぅ。それで、その神婚を止めるには、君はどうしたら良いと思う?』
「それは……」
肇はあの日々を思い出す。
町の外に出たところで、結華は死んだ。
再び神頼みを試みても、何をしてもその思いは届くことなく、彼女は何度も何度も何度も死に続けてきた。
――結華はもう、助からない。
いつからか、彼は心の中でそう思っていたし、半ば諦めていた。……しかし、この専門家の言葉は何だろうか。それはまるで――。
「――止められるんですか?」
『そうは言っていないさ。……ただ、交渉のテーブルにつくところまでなら、なんとか持っていけるという事だ。…………分かるかい? 君はまだ、スタート地点にすら立っていないんだよ』
「どういう、事ですか……?」
『……さっき説明しただろう? 〝縁〟こそが価値を持つという考え方もあるって。今回はまさにそのパターンなんだよ。婚約予定をしていたところに横槍を入れるなんて、人間の世界でもよっぽどの事だろう?』
「それは……確かに、そうですね」
『…………だが、君はこれから、その〝よっぽど〟を為さなければならない。……そうでないと、その結果は……と、これは君の方が詳しいか。――さて、作戦会議といこうじゃないか』
ふぅ、最後に大きな音を立て詫携帯端末の向こうで煙を吐く牡丹。顔は見えずとも、肇には口角を上げる彼女の姿が目に浮かぶ様であった。
牡丹の言うところの作戦会議は意外にスムーズに進み、導き出された作戦はシンプルなものになった。
『…………と、いうところで、作戦自体に問題は無いかな?』
「大丈夫だと思います、やってみます」
『他に懸念があるとすれば……そうだねぇ、依本君、君が向こうへ帰る手段に何か変化はなかったかな? 例えば、その手段を忘れてしまったり』
彼女の言葉に、肇はドキリとしてしまう。……その不具合は、結華の死を諦めたあの時に確かに起きた事なのだ。
「…………及雲さんの言うとおり、今回の結華の死と同時に、それは起きました。でも――」
肇は忘れてしまわないよう、何度も心の中でそれを唱える。
還縛想生、還縛想生、還縛想生……。
「――今は、はっきりと思い出せます。またやり直せると思います」
『……そうかい、それなら良かった。どうやら回数に縛りが在るようなケチな力ではないらしい。今回君が忘れてしまったのだとすれば、それは君の気持ち次第で使える力なんだろうさ』
「僕の気持ち次第、ですか……」
『そうさ。君が深く絶望し現状を受け入れたその時、それは繰り返しを止めるんだろう。――要するに、リベンジする気持ちが重要って事』
「リベンジ……」
リベンジ。今一度、困難に立ち向かう気持ち。
初めて結華を失ったあの日の絶望を、肇は再び思い出す。
あんな事は、あんな悲しみは、絶対に現実にしてはならないのだ。
『…………さて。おばさんから君に伝えられる事は以上かな。後はやれるだけやってみる事だ』
「あっ――及雲さん!」
会話が途切れる気配を察した肇は、端末の向こうに居る彼女に向けて叫ぶ。
『……なんだい? 急に大きな声出して』
「その……ありがとうございました、色々教えてくれて」
『…………勘違いをするんじゃないよ。あたしだって、あの子を失って参ってるんだ。今日会ったばかりの高校生だろうがなんだろうが、使えるもんは全部使う。……ただ、それだけさ。それに――そういうのは、全部終わってから言うもんだぜ、少年』
「それでも――ありがとうございます」
……もし、あのまま結華の死を受け入れていたら…………。それを考えると、肇は背筋が凍る。
その絶望のひとときを終わらせてくれたのは、及雲牡丹という一人の専門家の助言だったのだから、電話越しとはいえ肇は深々と頭を下げるほかないのだ。
『……まぁ、その言葉は素直に受け取っておくとするさ。…………さぁ、あたしに出来るのはここまでだ。後は君がひたすら走り続けて、神に直接文句を言いに行くんだ』
「…………はい。その――行ってきます」
『…………あぁ、もし用があれば、向こうのあたしによろしく伝えておいてくれ』
「はい。――還縛想生」
その言葉に呼応するかのように、景色は捻れ肇の意識を水底に沈めていく。
その果てに聞こえてきたのは、やはり止む気配のない雨音と彼女の声で。
「わたし――神様と結婚するの」
何度も何度も繰り返し耳にしたその台詞は、しかし彼に再び挑戦する勇気を与えた。
「――結華。……もう少し、詳しくその神様の話を聞いても良いか?」
「えっ……? う…………うん」
結華の目を真っ直ぐ見据えるその双眸に、彼女は小さく頷く。
かくして、作戦の第一段階が始動した。
◆
肇は牡丹の言葉を思い出す。
――それじゃあ、結華の言っていたという「神様との約束は反故に出来ない」という知識は、一体どこの誰が教えたものなんだい?
牡丹の指摘はもっともで、しかし彼女にそれを聞かれるまで肇は言葉の違和感に気づくことが出来なかった。
「……やっぱり、神様と話は出来るんだな?」
「……うん、一応。でも……はっきりと声が聞こえるわけじゃないの。なんか、夢の中にいるみたいにぼやけてて……上手く言葉に出来ないけど、伝えたい事だけが伝わってくる……って言えば良いのかな」
牡丹の言葉の狙いはこれだ。
結華は神との約束事に関してある程度の知識を持っていた。ならばその知識を授けた何者かがいて、それとなら交渉が出来るのではないか、という予想を立てていたのである。
「とにかく、日付が変わる前に神様と話がしたい。結華には僕と神様を繋いで欲しいんだ」
「…………何をするつもりなの?」
「結婚を止めさせる、結華は人と結婚すべきだからな。……って、そう直接伝えるんだよ」
その言葉は予想外だったのか、結華は数回目をしばたたかせると声を絞り出す。
「そ……そんなの無理だよ……だって、神様との約束は――」
「――反故にできない。その台詞も聞き飽きたぜ、結華。…………まずは交渉のための交渉、それをさせてくれ」
言葉の終わりに、肇は結華の白い手を強く握る。気の遠くなるような戦いの一歩目を、彼はようやく歩き始めた。




