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第三十五話 また明日と、彼女は。 其の七




 ……帰ってくる場所はいつも同じで、結華(ゆいか)の一言からそれは始まる。その一言を聞く度に(はじめ)は絶望する。

「わたし――神様と結婚するの」

 その言葉に彼が立ち尽くしていると、続く言葉も一言一句(たが)わない同じものになる。 

「神様との約束ってね、反故(ほご)に出来ないものなんだって。だから――」

――残りちょっとの時間、わたしは少しでもあなたと一緒にいたいんだよ、依本肇(よりもとはじめ)くん。

 ……続く言葉を聞く必要も無い。何も変わらない。肇は彼女が口にする前に心の中でそれを唱えていく。

 その繰り返しも、もう何度目になるのだろうか。……もう何も、考えたくない。楽になりたい。……心の中でその考えが浮かぶ度、彼は自分自身を強く殴りなんとかこの繰り返しを続けてきた。だが――。



 その夜、結華は死んだ。

 最期は変わらず満足そうで、それだけが彼にとっての救いだった。

「さて……あれ?」

 だが、今回はこれまでと状況が異なる。……いくら心の中で()()()()を探しても、思い出せない。

 …………それは、メロディだけは浮かんでいるのに曲名と歌詞が浮かばない楽曲の様な半透明さで、何度彼が思い出そうとしても何も思い浮かばない。そこにあるのはただ…………。

「なんで僕、安心してるんだよ……?」

 結華を必ず救うと、心に誓った。

 そのためならどんな事でもしてやると、覚悟も決めた。

 ……だが、隣で冷たくなっている彼女を見ても、最早彼の心は動かない。

「…………僕は、人でなしになってしまったのか……?」

 涙は出ない。

 体が小さく震えるばかりで、それは、繰り返した現在に安心しきっている彼自身に対する強い怒りだった。


 五百回ほど少女の死体を見てきた末に着いたこの世界。彼の心が音を立てて(ひず)み始めたのは、ここからだった。




 夜が明け日が昇り始めた頃、肇は()()()()()()階下に下りた。

「――結華が!」

 肇の言葉にすぐさま結華の様子を確認しに行く彼女の父。……その姿を見ても、その心は動かない。今はただ、目に映る全てが面倒くさい。


 しばらくすると、彼の悲鳴が家中に轟く。何度も彼女の名を呼ぶその声にも、肇は「そんなことしても、結華は助からないんだよ」と内心冷めていた。

「――僕は、一度家に戻って両親と後で病院へ行きます」

 答えを待つことなく出て行く肇。

 降りしきる雨は心地好(ここちよ)く、その全身を濡らしていく。……初めての変化に、その全身が歓喜していた。


 自宅に戻るなり、肇はすぐにシャワーを浴び、倒れ込む様にベッドに横になった。

「なんだか……ふわぁ、眠いな」

――何かやる事があった気がするけど、今はとにかく休みたいな……。

 重たい(まぶた)をそのまま閉じ彼は微睡(まどろ)み始める。

 窓を叩く雨音と疲労感が心地好く、結局、気づけば彼の意識はブラックアウトしていた。



 彼が眠りについたしばらく後、その目を覚まさせたのは、目元を泣き腫らし赤くした母の一言だった。

「は…………?」

「だから……グスッ……ごめんね、結華ちゃんが……結華ちゃんがね……!」

 肇が()と同じ反応をすると、彼女は一言一句違わず全く同じ言葉を涙ながらに続けていく。

――ふぅん、やっぱりそうなるんだな。

 その光景にも、彼の心は動かない。

 …………もう、動きたくない。何もしたくない。今はただ、部屋に籠もり眠りにつきたいとさえ彼は考えていた。



 結華の遺体を確認すると、肇は両親と自宅に戻り再び眠りについた。

 ……その深夜、彼は目を覚ますことになる。

 空腹に耐えかね階下に下り、冷蔵庫を開け食べ物を漁る。……出てきたのは、一枚の手紙。

「…………ありがとう、母さん」

 前回と異なり、今は母からの手紙を読んでも涙一つ出てこない。……ただ、空腹を満たす為に食事を行い、皿を洗う。

 それを終えると再び部屋に戻り、眠りにつく。

 明後日……いや、正確に言えば明日の夕方、結華の葬式が行われる。彼が望んだ形ではなくとも、時は確実に進みつつあった。




 肇にとって結華の葬儀が終わり、家に帰り着くまでは本当にあっという間の出来事だった。

 涙一つ出てこない乾いたそれを終えた彼は、シャワーで汗を流すとそのまま部屋に戻りベッドに横たわる。その空間だけは自分を優しく包んでくれている様で、彼にとって今はここだけが唯一の安らぎの場所だったのだ。

「ん…………?」

 と、マナーモードにしていた携帯端末に一件の着信履歴が残っている事に気がつく。……その数字の羅列に、肇は見覚えがない。

「……誰だ?」

 (いぶか)しみつつも、彼はその番号へ連絡を試みる。

 すると三コールもしないうちに、その番号の持ち主は『……はい、及雲(おいくも)です』と返事をした。それは女性の声で、しかし女性にしてはやや低めのハスキーな声だった。

 及雲。そんな名字を持つ知りあいは、肇の周りにはいない。……迷惑電話か何かだろうか、と肇が首を傾げていたところ、及雲と名乗る女は言葉を続ける。

『…………依本肇君だね。今日()()()の葬儀に参列してくれていた』

「……はい、着信があったので折り返しました。えっと、貴女は……」

『あたしは及雲(おいくも)牡丹(ぼたん)という。結華から見ると叔母にあたる』

「はぁ……。その、結華の叔母さんがなんで僕に連絡を?」

 ……思い返してみると、肇には葬儀の時に連絡先を一人の中年女性に渡したような記憶がある。あっという間の出来事でその顔を確認する事もなかったが、あの時の女性が彼女ということなのだろう。

『まぁまぁそう結論を急ぐなよ、少年。まずはあたしの名前を君にはきちんと覚えておいて欲しいんだ。……改めて、あたしは及雲牡丹。結華の叔母で、今はちょっとした専門家を生業(なりわい)としている。あたしと君の付き合いがどれ程の長さになるかは神のみぞ知るところだろうが、もっとも、その多くが何かの要所、ターニングポイント、そういう地点である事は間違いないだろう。あたしの名前を覚えておくことは、必ず君にとって利となる。覚えておくことだ』

 言葉の終わりに、端末の向こうで女……いや、牡丹(ぼたん)はカチカチと数回音を鳴らすと、シュボッと音を立てたそれに何かを近づけ、ふぅ、と息を吐く。

「……煙草(たばこ)ですか?」

『――ふぅ。……まぁね、今回は少し長話になりそうだ。流石のおばさんもニコチン無しには舌が回らないのさ』

――ニコチンで舌が回るってなんだ?

 当然非喫煙者である肇が首を傾げていると、牡丹は再びふぅ、と煙を吐き、言葉を続ける。

『…………それにしても、君は今日実に冷静だったね。涙一つ流さずに、まるで結華とは他人の様だった。あの子からは名前を度々聞いていたから、てっきり声をあげて泣くものだとばかり思っていたよ』

「…………泣いたところで、結華は戻ってきませんから」

『……そうかい、普通身近な人の死ってのは感情を爆発させるものなんだが。……君の言葉を聞くに、悲しすぎて涙も出ない、という風でもないね――ふぅ』

「……何なんですか、さっきから。何が言いたいんですか」

 牡丹の言葉は、恐らく全て正しい。しかし彼女はそれを本人に突きつけるのではなく、この状況など簡単に移ろってしまうものだとでも言うように、その正しさはふわりと煙草の煙のように宙を(ただよ)う。

『まず初めに言っておこうか。あたしは君の事を知った風な口で説教するつもりはないし、かといって必要以上に優しくするつもりもない。……あくまであたしにとって君は、出会ったばかりの男子高生だからね。ここまでは問題ないかな?』

「……多分、大丈夫です」

『そうか、それなら結構。さっきの君の質問だが、あたしはそれを質問で返すとするよ。…………依本肇君、君は結華の死を何回くらい見てきたのかな?』

「えっ」

 まさかの質問に、肇は言葉に詰まる。

 携帯端末の向こうでは、彼女が二本目の紙煙草に火を点けた様だった。

『――ふぅ。まず勘違いをしないで欲しいんだが、これは上手く嘘をつけなそうな君の不始末で辿り着いた一つの答えではなく、あくまであたしの専門家としての経験則から導き出した必然の答えだって事』

「専門家って……貴女は本当に、一体…………」

『もう三度目になるが、改めて名乗らせてもらうよ。あたしは及雲牡丹、結華の叔母で、超常現象の専門家でもある。活動範囲はこの国全土。……と、紹介としてはこんなところかな。――ふぅ。……さて、依本君』

「……何ですか」

『――いま一度、あの子のために頑張る気はないかな?』

 頑張る……その言葉の意味する事は、つまりは再びあの日々を繰り返すという事で、それを考えるだけで肇は頭がガンガンと痛み吐き気がする。

「話を…………聞かせてください」

『良い子だ』

 ……それでも、その答えは迷うことなくイエスだ。

 こんな事は、今まで無かった。明らかに今、この瞬間何かが変わろうとしている。これを逃すわけにはいかないのだ。


 絶望に沈んでいた彼の瞳に、再び闘志の炎が宿りつつあった。

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