第三十四話 また明日と、彼女は。 其の六
肇は考える。考え続ける。……とにかく今は、思考を止めてはならないのだ。
肇は結華の手を引くと、風海東高校正門近くのバス停に向かって歩を進めていく。雨は絶え間なく天から降り注いでいて、傘を中々の勢いで叩いていたが、彼は構わず大股で歩き続ける。
――この町に居ることがそもそもの原因なのだとしたら……。
「……ごめん、肇くん、ちょっと痛い」
と、不意に呼び止めたのは結華の声。
……流石に強く握りすぎたか。「悪い」と一言添えて肇は手を離す。
到着したその場所には何人かの生徒達がまばらにバスを待っていて、どの生徒もその表情はどこか物憂げだった。
「……今の肇くんは、何回目なのかな?」
唐突なその質問は短いながらもその意味を理解させるのには十分で、肇は一瞬言葉に詰まるもすぐに言葉を返す。
「……なんで、一回目じゃないって思ったんだ?」
「だって……いくらなんでも急に態度変わりすぎだからね。ほんとに肇くんは分かりやすいよ。……それで、さっきの質問の答えは何回かな?」
わざとやっているのか、雨傘で綺麗に隠した彼女の表情を、肇は読み取ることが出来ない。
「…………二回目だ」
「……そっ、か。わたし、二回死んじゃったんだね。……前のわたしは、満足してた?」
「それは――」
肇は、その最期の表情を思い出す。……悩むまでもなく、その答えはイエスだ。
「……どうかな、そんなの本人に聞いてみないと分からないだろ」
「ふぅん。……まぁ、それもそうだね。……それで、これからどこに行くの?」
あからさまに答えをはぐらかす彼に、しかし結華はそれ以上の言及をしない。バスが目の前に停車するのを確認すると、彼女はもっともな疑問をぶつけた。
「おいおい、そもそも最初にどこか出掛けようって言ったのは結華だろ?」
「……えっ? あっ……あー、そうだったね」
「…………場所が決まってなかったんなら、とりあえず本屋にでも行くか?」
肇の提案に、苦笑いを浮かべていた結華は頷く。
かくして、二人はあの日の結華の予定をなぞる事と相成ったのだった。
それから一時間ほどバスに揺られ、あたりが暗くなり街灯の灯りが目立つ様になってきた頃、二人は目的の場所に到着した。
バスを降り、肇が携帯端末を確認すると、時刻は午後六時十七分。暗くなるのが早まっているのは天候の影響だろう。
「……来たのは良いけど、よくよく考えたらここ、この間来たばかりだよな? 結華は何か買う本あるのか?」
「うーん……そうだねぇ」
肇に続きバスを降りると、結華は思案する。
「……まぁ、何もないけど、とりあえず中入ろっか」
「だな」
本を手に取り、数頁パラパラと捲るとそれを棚に戻し次の本を手に取る。……そんな事をしていても中々時間は過ぎないもので、一時間もしないうちに結華はポツリと呟いた。
「お腹空いちゃったね」
「……そうだな、そこのフードコートにでも行くか?」
この本屋から歩いてすぐの場所には、白塗りの外観に紫のロゴが印象的な大型ショッピングモールが在る。行くだけで生活に必要な物は大抵揃ってしまうその場所には当然空腹を満たす為の店もあり、特に学生たちは重宝していた。
「うん。……あっ、ご飯食べたら夏服でも見に行こうよ」
なんとなしに言葉を続ける結華。……それは、あの日の結華と同じ提案だった。
「勿論、今日はいくらでも付き合うよ」
――僕が今やっている事は、罪滅ぼしなのだろうか。
……今の彼女と共に町の外へ出て行きあの時彼女が求めた諸々を叶えたところで、あの時の彼女を満たした事にはならない。
そんなことは、彼自身よく分かっている。……ただ、町を離れるのならせめてそれを叶えてやりたいと、彼はそう思ってしまったのだ。
時間はあっという間に過ぎていき、学生は店の外に追い出される時間となる。
建物の外に出ると雨は止んでいる……という事は勿論なく変わらずの悪天候で、結華は「帰ったら早くお風呂入らないとだねぇ」と笑いながら呟いた。
「……結華、それなんだが――」
「……わたしのこと、帰したくないって?」
肇は頷く。
「嬉しいなぁ。……でも、それは駄目だよ。わたし達、まだ十八歳になってないんだから」
「違う、僕が言いたいのはそういう事じゃなくて――!」
……あの町に戻れば、結華は確実に命を落とす。今はくだらない条例や世間体を気にしている場合ではないのだ。
「…………分かってるよ。わたしもバカじゃないからさ、あの町に戻るのがどういう事かって分かってるんだよ?」
「じゃあ、なんで!」
変わらない結華の態度に、肇は声を荒げる。その時まで、もう二時間を切っていた。
「…………町の外にいてもね、ずっと神様の力を感じるの。多分これは、わたし自身に刻まれた約束で、だから距離とかは関係ないんだと思うの」
「……そんな……それじゃあ、なんで結華は……」
「わたしはただ、好きな人と同じ場所で、同じ空気を吸って、同じ時間を過ごしたかった! わたしは普通の女の子だった! ……きっと、そう叫びたいだけなんだよ」
言葉の最後に、結華の頬を一筋の涙が伝う。
――そうか、今回の結華も、同じなんだな。
同じ人物なのだ。その考え方そのものが変わることは決してない。……その基本的なことを、肇は見落としていたのだ。
「…………前のわたしがどういう最期だったのかは知らないよ。でもね、わたし――今、幸せだよ? 肇くんは違うの?」
「違うもんか! 違わないよ……」
結華を直視するのが辛く、肇は目を伏せる。その脳裏には、あの日自分のすぐ隣で冷たくなっていった彼女の感触が浮かんでいた。
「でも、僕は…………結華に生きてて欲しいんだよ、そのために僕はここまで来たんだよ、だから――」
言葉を続けようとする肇の唇に、柔らかな感触が伝わる。
「――ぷはっ。……不意打ちしちゃった?」
不敵な笑みを浮かべる結華。それは、彼女の唇の感触だった。
――なんで。なんで。なんで、結華が死ななくちゃいけないんだ。……なんで、僕には何も出来ないんだ。
「ごめん、結華……」
自分の無力さを痛感し、たまらず肇は声を震わせ結華を抱きしめる。彼女はその頭を優しく撫で、愛おしそうに言葉を続けていく。
「……謝らないで。わたしの方こそ、一人にして――ごめんなさい」
「僕はまた……何も出来なかった…………!」
「あなたのお陰で、わたしは最後まで幸せな普通の女の子でいられたんだよ? ……わたしには、それで充分だから」
今度は肇の腰に手を回し、その細い手で彼を抱きしめる。
「だから……今日はもう帰ろうよ。わたしは、とりあえずお風呂に入りたいな」
その言葉に、「……あぁ」とどうにか返事を返すと、肇はその手を離す。その顔は、既にこの物語の結末を見据えボロボロだった。
「ほら、そんな顔してないで! そんな顔で帰ったら肇くんのお母さん達が心配しちゃうでしょ!」
パンと肇の背を叩く結華。それは死を目前にした少女のそれとは思えない力強さで、肇に一歩踏み出す勇気を与えた。
……その日の夜、結華は死んだ。
「――還縛想生」
その言葉に、一切の迷いは無い。
……これで二回目だ。二回も、肇は少女の幸せな最期を無かった事にした。
故にこの先は、もう止まれない。彼女の命が手に入るその時まで、彼は繰り返し続けるほか無いのだ。
……彼自身が諦めてしまったその時、結華の死は確定してしまうのだろう。
故に彼は諦めない。諦めるわけにはいかない。挑み続けなければ、無くした彼女達の時間もまた無駄になってしまうのだから。
肇の意識が再び過去へと戻ったその瞬間、彼はすぐに行動へ移った。……準備が足りていないのなら、予め町の外へ出る準備をしておけば良いと、そう考えたのだ。
その行動は、しかし報われず、彼はその最期をすぐ隣で看取ることになった。
「――還縛想生」
再びの繰り返し。考えはない。……それでも、少しでも可能性を探る。今止まれば、これまでの全てが無駄になってしまう。
……結華は死んだ。
「――還縛想生」
意識は戻る。
結華は死んだ。
「――還縛想生」
「――還縛想生」
「――還縛想生」
「――還縛想生」
「――還縛想生」
「――還縛想生」
「――還縛想生」
「――還縛想生」
「――還縛想生」
「――還縛想生」
……その最期を、彼は何度見たのだろうか。
彼自身が回数のカウントを諦めたその頃には、未来の結華の行動を全て言い当てられるまでになっていた。




