第三十一話 また明日と、彼女は。 其の三
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結華の父から話を一通り聞き終えた肇は、一言礼を言うと家を出た。
曇り空の下で蝉たちはけたたましく鳴いていて、その温度差に汗が噴き出てくる。
「……結華。あの日、お前はなんで――」
……いくら考えてところで、答えは出ない。だからこそ、彼は肇に真実を打ち明けたのだろう。
あの日、結華は自宅にいなかった。
彼女が倒れていたのは、林の近くで。傷一つ無い彼女の死因は、結局最後まで不明だったというのだ。……心臓に異常があった、というのは周囲の人々を余計に不安がらせてしまわないよう考えた偽の死因らしい。
実際に彼女が倒れていたというその場所は、肇にも覚えがあった。……と、いうよりそこはこの辺りに住む人々なら誰もが知っている、曰く付きの場所へと続く入り口でもあったのだ。
近づくことさえ忌避されてしまうその場所には、ボロボロの神社があるのだという。
そこに子ども達だけで立ち入り神様に魅入られれば、無事には帰ってこられない……というのが、その言い伝えの大まかな内容である。
「…………お前は、その先に何があるか知っていたのか?」
答えを知る少女は、既にこの世にいない。……が、その最期の足跡を辿る程度の事は、肇一人にも出来る。
この行動で、彼女が死んでしまった事実が消える事はない。しかし、今は何より何故のその先を知らねばならないと彼は思ったのだ。
自宅に戻った肇は、私服から汚れても問題の無い長袖長ズボンの運動着に着替え、懐中電灯と草刈り用の鎌を準備しリュックに詰める。……とにかく今は、立ち止まりたくなかったのだ。
虫除けスプレーを全身に噴射し、首にタオルを掛けた肇は自宅を後にした。
その場所への行き方は、肇も友人伝いに聞いたことがある。あまり整備が行き届いてはいないが、その足下の細い道に従い上へ上へと歩を進めていくと、開けた場所に出る。そこが件の神社というわけだ。
林の中に入り、その情報通り肇が歩を進めていくと、程なくして開けた場所へと辿り着く。
「――ここが……」
かつては狐の神が祀られていたというその場所には、何も無かった。
そこに在るのは、今にも崩れてしまいそうな社殿と、苔の生えた賽銭箱くらいのもので、この空間の中だけはまるで別世界の様だった。時間がここだけ止まってしまっているような、そんな錯覚すら覚えるような静謐な空間だったのだ。
まずは自分一人のその空間の中、肇は本殿に向かい頭を下げ、脇の縁側……らしきボロ板の上に重たいリュックを下ろす。
はぁ、とため息混じりに見上げた空は変わらずの鉛色で、それは雲の晴れない彼の心象を表しているかのようだった。
――こんなところに来ても、何も無いだろうに。しかも、なんで深夜に行こうなんて思ったんだ……?
考えれば考えるほど疑問が生まれ、再び肇は視線を戻す。……すると、その先に小さな人影を見つけた。
「こんにちは。……珍しいね、こんな所に人が来るなんて」
その影の正体は、幼い少女の姿をしていた。整った目鼻立ちに、雪の肌。それに加えて腰の辺りまで伸びた艶やかな黒髪。
ただし、その格好はこの場所においてかなり浮いてしまうゴシックロリータで、黒に統一されたドレスの様なそれは、彼女が一歩足を動かす度小さく揺れる。
「そういう君は……? 参拝に来たようには見えないけど」
「せっかくの休日になんでこんなところに来たんだ、って事かな? 僕は家に居てもする事がないからね、せめて好きな場所で時間を過ごす事にしているんだよ」
少女は外見でいうと九歳ほどの幼さで、しかしその話し方はどこか大人びていた。
「……ここには、一人で?」
少女は頷くと、肇が置いた荷物の隣に大きめのリュックを置く。
そのままそこを離れると、今度は賽銭箱の上にぴょん、と飛び乗り鎮座する少女。とんだ罰当たりである。
「…………こんなところ、何も無いだろ」
……と、これは今は亡き結華にこそ送るべき言葉なのだが、つい肇は呟いてしまう。そんな彼に、少女は「それが良いんだよ」と口角を上げた。
「……お兄さん、名前は?」
「……依本肇」
「分かった、じゃあ肇兄さんだ。……僕の名前は漆邑セリカ。セリカって呼んでもらえると嬉しいな」
「……そうか。まぁ、僕のことは好きに呼んで構わないよ」
……正直、今はとても人と話す気分ではないのだが、幼い彼女の言葉を無視するわけにもいかず、肇はつい言葉を返してしまう。
そんな彼の心情を知ってか知らずか、セリカと名乗った少女は賽銭箱の上を飛び降り見事な着地を決めると、縁側もといボロ板の上に置いたリュックへ向けて駆けていく。
そこに戻りリュックの中を漁ると、最後にブルーシートを取りだしボロ板の上にそれを広げた。
「肇兄さん、せっかくだしここで話そうよ」
「……随分用意が良いんだな」
「まぁね。……一応、僕はここの常連だからね」
少女は得意げに胸を張る。
そんな彼女の姿に肇は微妙な表情を浮かべると、その提案に従い彼女の隣に腰を下ろす。……ブルーシート一枚では少し心許ないが、ボロ板一枚よりは遙かにマシに思えた。
「……それで、肇兄さんはなんでここに?」
「それは――」
死んだ幼馴染みの足跡を辿るため。……等と言えるはずもなく、肇は「まぁ、ちょっとした気分転換かな」と咄嗟に嘘をついた。
「ふぅん」
それを聞いたセリカは地面から浮いた両足をぷらぷらと揺らし、ボーッと空を見上げる。
「……それ、嘘じゃないかな」
「え、なんで――」
突然の指摘に、肇はドキリとする。
「だって、普通に考えて気分転換でわざわざこんなところ、来ないでしょ。……それに、なんだか今のお兄さんは、凄く思い詰めたような顔をしているよ。そんな理由でその顔はしないって。流石に初対面でも分かるよ」
「……君――セリカには、話せない理由なんだ、ごめん」
「良いって、こんな出会って間もない年下の女子相手じゃ、話せる事の方が少ないはずだよ。……ただ――これはただの興味なんだけど、肇兄さんがここに来たのは、先週この近くで亡くなったお姉さんと関係があったりするのかな」
最後の一言に、肇は「…………何か、知っているのか」と声を震わせてしまう。そんな彼に対し、しかし少女は淡々と言葉を続けていく。
「やっぱりね。……ただ僕は、別にあのお姉さんとは知り合いでも何でもないし、真実を知っているわけでもないよ。……ただ、あれが自然な死に方じゃないって事くらいは、僕にもなんとなく分かるんだよ」
「どういう……ことだ」
「……本当は、お兄さんもなんとなく分かっているんじゃないかな? お姉さんが亡くなったのは多分、この下の林かな? ……そこから向かう場所なんて、ここ以外にない。……だから、肇兄さんはここに来た。違うかな?」
「…………そこまで分かっているなら、否定はしない。……でも、なんでそんな事、セリカには分かるんだ?」
「……僕は少し特別だからね。人の死に関しては少し解像度が高いのさ。……それで、お姉さんがここに来る理由に心当たりは?」
セリカの質問に、肇は頭を振る。……それが分かれば心の雲もある程度晴れるだろうに、と文句のひとつも言いたくなる。
「……そうなんだ。…………でも、神社に来てする事といえば、本来は一つじゃないかな」
「一つ?」
「――そう。お参りだよ、神頼みと言っても良いね。それをしようとして――何かを理由にお姉さんは事切れた……ってことかな」
夜遅くに自室を抜け出し、わざわざここまでやってきて神頼み……。
――あの日、結華はなんでそんな事をしようと思ったんだ。
「何かって……一体何が?」
「さぁね、それは僕にはなんとも。それを知る存在がいるとすればそれは……やっぱり神様なんじゃないかな」
「……僕に、結華の代わりに神頼みをしろと?」
「そうは言ってないけど……少なくともお姉さんは恐らくそれをしようとしていた。……あいにく僕はそういう存在に触れた事はないけど、その続きをお兄さんがやるのは悪くないんじゃないかな?」
「困った時の神頼み……か」
肇はしばし思案すると、小さく頷く。今は初対面の女子の言葉だろうが何だろうが、やってみる他ないと思ったのだ。




