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第二十九話 また明日と、彼女は。 其の一




 ……本来なら、あのまま流れで明日以降も昼の生徒会室を四人の集会所にする予定だったのだが、中々上手くいかないものである。

 ふわぁ、と誰もがあくびをしてしまう午後の始まり。

 窓の外は目映いばかりの日の光が地上を照らし、今日も今日とて蝉の鳴き声がけたたましく響く。

「……で、あるからして――」

 チョークを走らせる教師と、それを気だるげな表情で見つめる生徒達。……と、中には既に机に突っ伏し寝息をたてている者もいるようだ。

 教師はそんな生徒を注意する様なこともなく、授業は淡々と進められていく。

 一定のリズムで鳴るチョークが黒板の表面を擦る音に、男性教師の穏やかな声は徐々に生徒達を眠りに(いざな)ってしまう。

 (はじめ)もその一人で、既に瞼は重くなり、その頭はコクリコクリと重力に従い下がり始めていた。……その状況下にあって、しかし彼は昼休みに聞いた玲那(れな)の台詞を思い出す。


――もしその女が(いん)に転び陰陽(おんみょう)均衡(きんこう)を破るようなら、俺は迷わずそいつを殺す。


 ……あの言葉は、本気なのだろうか。

 元々、蒼彩(あおい)から話を聞いていたとはいえ、人から聞くのと実際に本人から聞くのとでは、印象が全然違う。

 あのブラウンの瞳は、あの言葉に嘘偽りは無いと語っていたようにすら彼には思えたのだ。……一体何が、玲那にあそこまでの覚悟を決めさせるのだろうか。

「…………なんて、分かるわけもないな」

 一人小声で呟くと、肇は隣の玲那(れな)の方を一瞥する。その表情は真剣そのもので、今は授業に集中しているらしかった。

――お前には、どんな過去があるんだ……?

 聞こえるはずもないが心の中で問いかけ、再び視線を黒板に戻す。……それでは、自分には、どんな過去があったのだろうか……?

 肇は思い出す。思い出してしまう。

 忌まわしきあの六月。繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し。あがき苦しみもがいた一週間の出来事。

――なんで、よりにもよって()()()()()を思い返してしまうんだ。

 遂に微睡み机に突っ伏すその寸前、肇は自嘲(じちょう)気味に笑みを浮かべてしまう。

 ……だが、それでも良いと彼には思えたのだ。

 人の名を聞く前に自ら名乗るのと同じよう、玲那が語りたがらないその過去を知りたいのなら、まずは自らの過去を振り返り向き合うのが礼儀というものなのだから。




 ……大切なものは、失って初めて気づくものなのだという。

 十七歳の若者である彼、依本肇(よりもとはじめ)にはその言葉の意味を知る由もない。……が、誰に聞いたとも知れないそんな事を考えてしまう程度には、今の彼の気持ちは沈んでいたのだ。

「…………今日も雨か」

 ため息混じりに一人呟き、肇は傘を差す。

 本日は六月二十九日、金曜日。視界の端を歩く生徒達は皆どこか急ぎ足で、それは週末の休みがすぐそこに見えているからで。……そんな中に在って、しかし肇の心は変わらず沈んだままだ。

「…………なぁ結華(ゆいか)、こんな天気でこれからどこに行くんだよ?」

 下駄箱から一人また一人と校門に向かう人影を横目に、彼は隣に佇む少女に声を掛ける。

 雪のように白い肌に、目鼻立ちの良いその顔……と、その整った顔を今は天傘の影に隠してしまい、肇から見えるのはそのしなやかな肢体と白い肌のみ。

 伊坂実結華(いさかみゆいか)

 肇の幼馴染みでありご近所さんでもある彼女。そんな彼女の提案は、更に肇を憂鬱(ゆううつ)な気持ちにさせていたのだ。

「うーん……本屋さんとか?」

「絶対今思いついただけだろそれ。……そもそも、ちょっと前に一緒に行ったばかりだろ?」

「あれ、そうだっけ……あはは」


――放課後、一緒に出かけよう。


 授業終わりの帰り際、彼女が肇に伝えたのはただそれだけで、一体どこに、何をしに行くのか、等重要な説明が欠落していた。

 ……思い返してみると、今朝は登校中の会話も少なく、したところで噛み合わなかったりと彼女の様子はどこか上の空だった。

 最初は寝不足だろうか、とも考えた肇だが、付き合いの長い彼がそんな結華の姿を見るのは初めてのことで、実際放課後になってもこの通りおかしな提案をしたりと、とにかく様子が変なのだ。

「……それに、まともに取り扱ってるあの店、隣町だからな……。行くにしても明日が良くないか?」

 海原(みはら)(ぜん)町は中々の田舎町だ。

 本屋は町に一軒しか無い……なんてことはないにしても、品揃えを考えるとやはり隣町の大きな本屋を目指すのが間違いないだろう。肇の意見は至極真っ当で、結華は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。

「う……うん! そうだよね……じゃ、じゃあどこか……えっと……そうだ! 服でも見に行こうよ! 夏服!」

「…………って、それも今思いついたやつだろ。……それも結局隣町に行くことにならないか?」

「ダメ、かな……?」

「いや……駄目ってことはないけど……」

 ……正直、かなり面倒くさいという気持ちが勝っている。なんとか帰宅する方向に話を持って行けないだろうか。

「……ただ、その。結華は明日……()()だろ? 一年に一度の事だけど、僕としてもちゃんと準備しておきたいんだよ」

「……そっ、か…………そうだよね。……えっと、無理言ってごめんね、今日は」

 歯切れ悪くも、最終的には諦め小さく頭を下げる結華。その動きに合わせ、天傘から雫がポチャリと地面に落ちた。

 元々、肇は明日朝イチで結華に送るプレゼントを買いに行く予定だったのだ。……そう、明日彼女は十七歳の誕生日を迎えるのである。

「別に良いって、とりあえずそろそろ帰ろうぜ。夜から雨強まるみたいだし」

「う、うん! そうだね……」

 他の生徒達同様、ようやく二人は歩き始める。


 ピチャリピチャリと一歩前進する度に靴の(かかと)が水を弾く梅雨(つゆ)の帰り道。

 テレビの砂嵐のように傘を叩く雨音は一定のリズムで、その音は会話する気力を削いでいく。実際二人は学校を出てから自宅が見えるまで終始無言で、そのまま一日が終わってしまいそうな塩梅(あんばい)だった。

 信号が切り替わるのを確認し、横断歩道を渡る。

 結華が沈黙を破ったのは、そのタイミングだった。

「……ねぇ、肇くん」

「……どうした?」

「わたし、やっぱり――」

 言いかけて、(かぶり)を振ると結華は自宅に向かって駆けていく。

「……ごめん! やっぱりなんでもない! 後で連絡するかもだから、よろしく」

「なんだよ急に。……まぁ、良いか。それじゃ――また明日な」

「うん。――また明日」

 お互いに軽く手を振ると、それぞれの家へと帰宅する。

 肇は知らない。知る(よし)も無い。

 その別れ際、背を向けた彼女が表情を沈ませ小さく震えていた事実など。



 その宣言通り、夜中に結華から肇の携帯端末にメッセージが届いた。

〝もうご飯食べた? 私はさっきお風呂上がって今からご飯です〟

〝僕もついさっき風呂上がって食べ始めたばかりだよ〟

〝そうなんだ。なんかごめんね、今日は変な感じで〟

〝良いって、付き合い長いんだから今更だろ。大丈夫なんだよな? どこか悪いとか無かったか?〟

〝大丈夫だよ、ご飯も美味しく食べてます〟

〝そうか、それなら良かった〟

 念のため結華の無事を確認すると、肇は夕食を再開する事にする。


 結華の母は、彼女がまだ幼い頃持病が悪化しこの世を去った。

 結華と彼が出会うのはその少し後のことで、その関係は二人のみならず家族ぐるみでの交流も徐々に増えていった。

 まだ確定してはいないが、例年通りならば肇は明日結華の誕生日パーティーに招待される事だろう。

 結華の父は口数こそ少ないものの娘思いの良き父で、娘の誕生日には必ず休みを取り、その日を祝福するのだ。今は亡き妻が遺した掛け替えのない宝物。それが結華なのだから。




 目元を泣き腫らし赤くした母に肇が起こされたのは、翌日の早朝の事だった。

「は…………?」

 ……思考が追いつかない。

 今、自分は一体、何を伝えられたのだ……?

「だから……グスッ……ごめんね、結華ちゃんが……結華ちゃんがね……!」

「――嘘だ」

――だって、昨日は寝る寸前まで連絡を取っていたし、それに…………。

「…………そうだ、結華のお父さんに連絡――!」

――だって、こんなの、おかしいじゃないか。

『…………肇君だね』

「あの……結華……結華は…………!」

――なんで、どうしてよりにもよって何で結華なんだ。

『…………口で言っても意味は無いだろう。海原然病院まで来て貰えるかな? …………結華も、きっとそれを望んでいる』

「――分かりました!」

「ちょっと肇!?」

 母の制止を振り切り、肇は部屋を出て行く。

 階下に下りると素早く支度を済ませ、ザァザァと本降りになっている雨を無視し、自転車に(また)がる。

 ……今止まってしまえば、()()が現実になってしまう様で、肇はもう止まれなかったのだ。



 自転車を駐輪場に乗り捨て、肇は指定されたその場所へと駆けていく。

 ……ぴたりと張り付いた服の感触は最悪で、空調の効いた院内では風邪を引きかねないが、今はそれどころではない。


 果たして、そこに辿り着いた肇は息を整え、額の雫を腕で拭う。

「――失礼します」

「……あぁ。結華、肇君が来たよ」

「――なんで」

――だって、今日は祝福されるべき日のはずで。

――だって、今日はプレゼントを彼女に渡す日のはずで。

「なんで、なんだろうね……本当に、はは…………」

 彼女の脇に佇んでいた中年男性……いや、彼女の父は肇に背を向け壁に手をつく。その背は小さく震えていた。

「結華……結華……!」

 その名を呼ぶも、彼女の返事は無い。

 事実を突きつけるように、その顔には既に白い布が被せられその整った顔を覗くことすら許されない。


 ……六月三十日。肇の幼馴染み、結華は彼と同じ十七歳になると共に、その息を引き取った。

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