第二十三話 それを許すわけにはいかないのだからね。
いつの間にやら栗色の髪を靡かせ二人の隣に佇んでいたは、一人の女性。
「おいおい月ちゃん、ほんのちょっと目を離した間に随分積極的になったんだねぇ」
日本人離れの長身に、豊満な胸部。それに加え芯がしっかりとしている美しい佇まいと目鼻立ちの良い整った顔。何よりいつも通りのジーンズ姿が、彼女の存在感を強調する。
「蒼彩さん!?」
「やぁ依本君。お楽しみ中のところ悪いけど、邪魔させてもらうよ。……一応、間違いは無かったって認識で良いのかな?」
睡蓮寺蒼彩。
超常の専門家である彼女の登場は夕日をバックにやはり劇的で、不敵な笑みを浮かべるその姿は映画のワンシーンの様だった。
「蒼彩さん……」
「はは、どうやら私はまだ月ちゃんに嫌われているらしいね」
月は蒼彩から少し距離を取ると、キッと強く彼女を睨む。
「……せっかくの雰囲気が、台無しです。私だって怒ります」
「はは、キミは本当に面白いね。雰囲気っていうのは……結華ちゃんを差し置いてただれた関係を築こうとしていたアレのことかい?」
その視線から、しかし蒼彩は目を逸らさない。むしろ彼女を軽蔑するような冷たい目で睨み返すと、ただの一歩で少女の眼前に肉迫する。
一秒ほどの短い沈黙の中で、二人の視線が交錯した。
「ふざけるんじゃないよ。そんな事をして、キミはこれから結華ちゃんにどんな顔をする気だったんだい? 一時の気の迷いだから許されるとでも?」
「それは……だって…………!」
「だって……? はは、ようやく等身大の女の子らしくなってきたじゃないか」
「? それはどういう――」
月が言い終えるより早く、蒼彩はその手で彼女の細い首を思い切り掴む。「――かはっ」と苦しそうな表情を浮かべる月に、肇は地面を蹴ろうとするも、「依本君は手を出さないでくれよ。私だって彼女を傷つけるつもりはないんだ」という声に体が止まった。
「……さて、ここまで来てやっと分かったよ。何重にも存在を隠して、なんとも人間らしい連中だ」
掴んだ手はそのまま、彼女の首に着いていた絆創膏をもう片方の手で剥がしそれを露出させる蒼彩。それは、何かの痣……いや、何かの噛み痕の様で、肌が赤く変色していた。
「ごめんね、月ちゃん。辛かっただろう。……すぐに楽になるからね」
ぽいっとその絆創膏を捨てた蒼彩は、ジーンズのポケットから取り出した一枚の札をその噛み痕に押しつける。
するとその札から淡い光が溢れ、両手を離した蒼彩は間髪入れず月の肩を支える。
その発光は本当に一瞬のことで、月が彼女の体にもたれ穏やかな表情を浮かべる頃には、光を失った札は絆創膏代わりにその傷口を塞いでいた。
「…………すまない依本君、月ちゃんをそこまで運ぶのを手伝ってくれるかな? 私一人ではちょっとしんどそうだ」
「はいっ!」
いったい月の体に何が起きていたのか、その答えを知る術を肇は持たない。
……ただ、そんな彼にも分かる程、今日の月は異常で。とても年下の女子には見えなくて。不気味なほど魅力的で。
今はただ、間違いを止めてくれた彼女の声に従うことだけが、彼に出来る全てだったのだ。
『…………すまん、アレは間違いなく呪われておったの』
「良いって、別に。……よっ、と!」
蒼彩と肇の二人で月の肩を持つと、その体をボロボロの縁側もどきの板に寝かせる。……正直、とても寝心地が良さそうには思えない。
「……なんだい、神様とお話し中?」
「まぁ、そんなところです。……月のこと、悪く思ってるみたいで」
「? あぁ、これは気づく方が難しいよ。気に病む必要は無い。神様なら尚のことだろう」
「それって、どういう――」
「……まぁ、続きは全員が揃ってからにしよう。もともと私は蛍ちゃんの頼みでここに来たんだ。もうじき二人もここに合流するよ」
蒼彩はふぅ、と一息つくと、月の傍に腰掛ける。ギシッと今にも折れそうな板の音は、支えとしてあまりに心許なかった。
それから程なくして、慌てた様子の褐色娘、蛍が姿を現した。
「――月ちゃんっ!」
神社の小さな鳥居をくぐるなり、彼女はボロ板の上に横になっている妹の傍に駆け寄る。その額には玉の汗が浮かんでいて、瞳を涙で潤ませていた。
「ひとまず心配は無いよ。蛍ちゃんがいち早く月ちゃんの変化に気づいてくれたお陰だね」
「そんな! わたし、何にも出来なくて……思いついたのが蒼彩さんだったから」
肩を震わせる少女に、蒼彩は優しくその頭を撫でる。ショートの黒髪はしかし指通りが良く、サラサラと柔らかな感触が蒼彩の大きな手に伝わった。
「何にも出来なくなんかなかっただろう? 人を頼ることだって立派な行動なんだよ。……特に、依本君は嫌というほどそれを知っているんじゃないかな?」
と、不意に少年に話を振る蒼彩。肇は神社の柱にもたれ腕組みをしていて、突然の言葉に体をピクリと震わせてしまう。
それとほぼ同じタイミングで、鳥居の向こうから一人の少女が姿を現した。
セミロングの黒髪に、しなやかな肢体と雪の肌。
伊坂実結華。今回もまた物語の渦中にいる少女は、蛍と同じく玉の汗を浮かべ、横たわる月を見るなりこちらへと駆けてきたのだ。
「はぁ……月ちゃん! 大丈夫なんですか?」
「うん、再三の説明にはなるけど、問題はないよ。……彼女に関してはね」
役者が揃ったところで、蒼彩は意味深な一言を添える。
それと同時にすぐ脇を吹き彼女達の髪を靡かせる一陣の風は、やはり映画のワンシーンさながらで。少女達は固唾を呑みその言葉の続きを待つほかなかった。
◇
まずは月ちゃんにかけられた呪いについて説明しようか。
この呪いはかなり原始的で……故に大がかりな前準備が要らないのが最大の特徴だね。使おうと思えばこの場にいる誰でも使えるだろう。
その効果はしかし、まったく呪いらしいものではなくてね。呪いにかけられた対象はもの凄く元気になっちゃうんだよ。
…………うん、君達の言うとおり、誰だって元気になるのは良いことだって思うよね? ……ただ、そう。物事には往々にして限度というものがあってね。それを超えると、大抵の人間はタガが外れた様になってしまうんだよ。
あえて例を出して言うなら、性行為がイメージしやすいかな。君達くらいの歳なら、自慰行為のほうが馴染み深いかな? ……おっと、そんな目で見ないでくれ君達。これでもお姉さんは真剣なんだ。
……さて。多くの人間にとって魅力的な果実の一つで、快楽を伴うことで知られている性行為や自慰行為だけれど、実は快楽としてはそこまで大きくはないって事は知ってたかい?
……実はこれ以上の快楽を得る方法はいくつかあってね。そのひとつとして代表的なのは、覚醒剤あたりかな。……まぁ、これの快感が凄まじいのは想像に難くないだろうけどね。
ここで大事なのは、その強い快楽に伴う異常な依存性だよ。……まさに、タガが外れたようになっていくだろう? ……気が狂うと言っても良いかな。
さてさて、月ちゃんが今回受けたものはそれに近いものでね。
五感全てが研ぎ澄まされ、三大欲求は暴走し、理性よりも本能が勝りやがて獣のようになっていくという……そういう呪い。自分の持っている欲求に抗えなくなってしまうんだよ。
蛍ちゃんから具体的な話を聞けて本当に良かった。アレがなければ私は確信を持てなかっただろうね。
それで……誰が何故、このような事をしたのか、についてだけれど。
上位存在……例の狐様のような神様達に補足されないよう用意周到にかけられた複数のフィルターに、こんな年端もいかない少女を狙う容赦のなさ。
心当たりはいくつかある。……ロクでもない連中さ、今回の件はホテルで男が惨殺された事件とも結びつくだろうね。
女は慰み者に。男はその皮を剥いで惨殺。子どもはその〝中身〟を替えの効く価値に変え自分達の私腹を肥やす。
…………きっと、今夜もヤツらは動く。テラス様の庇護下にあるこの葦原中国を、既に手に入れた気でいるのさ、ヤツらは。
――神を気取っているのさ、ヤツらは。
…………あぁ、勿論そんな事はさせないよ。なんとしても今夜始末する。……ただ、今回の件は私も本当に腹が立っていてね。――そこの狐神様に、どうか一肌脱いで頂きたいんだ。




