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第二十二話 そこに愛は必要ないのですから。




 昨日の夕方からずっと、月の体は何かおかしい。……いや、おかしいというのはこの場合不適切かもしれない。

 性欲、食欲、睡眠欲……等々、とにかく全ての欲求がいつも以上に強まり、感覚が敏感になっているのだ。昨夜果てるまで続けた自慰行為や、異常に美味に感じた今朝の朝食等が分かりやすい例である。

 おかしい……というよりは、体が元気すぎて彼女自身がそれに振り回されているイメージが正しいだろうか。


 さて、そんな状態でいつも通り学校へ行けば様々な問題が出てくる。

 異常に授業に集中出来るものの、休み時間になると充電が切れたように机に突っ伏し。

 昼の給食ですら高級料理の様に美味に感じ、友人たちとの会話もそこそこに再び机に突っ伏し。

 午後になるとそのまま居眠りをしてしまい、授業終わりのチャイムでようやく目を覚ましたのだった。

「月ちゃーん、今日ずっと寝てなぁい? 今日ラスト体育だけど行けそうー?」

 風海原(かざみはら)中学二年一組。

 本日最後の休み時間の喧噪の中で月に話しかけてきたのは、小学校からの友人である雪代悠夏(ゆきしろゆうか)だ。

「……う、うん。多分大丈夫だから……早く着替えないとね」

 教室から男子生徒全員が出て行ったことを確認し、他の女子達が教室のカーテンを閉め切る。

 鍵を閉め男子禁制となったその場所で、少女達は各々(おのおの)体操着へと着替え始めた。

「それなら良いんだけど……キツかったらすぐ言うんだよ? どーせ今日の体育大したことやらないんだから」

 言葉を続けながらも、悠夏はプチプチと制服のボタンを外し周りの女子に続く。程なくして薄桃色の可愛らしい下着が姿を見せた。

「う、うん。ありがとね、悠夏ちゃん」

 月も彼女に(なら)い制服を着替えることにする。

 体の火照(ほて)りは相変わらずだが、長かった一日もようやく終わりが見えてきた事実に彼女はしばし安堵(あんど)した。



 どうにかラストのホームルームまでこなし、学校を出た月の体は昨日の比では無いほど火照り下半身の(うず)きが止まらなかった。

「ダメ……っ!」

 頭では、してはいけない事だと分かっている。……が、動き出した指先は止まることを知らず、流れるように〝彼〟の端末に連絡を入れてしまう。

〝依本くん、急に連絡してごめんなさい。今から二人きりで会えませんか? 大事な話があるんです〟

 ドクンドクンと高鳴る月の心臓は期待と不安と罪悪感でグチャグチャで、今にもそれが口から溢れ出てきそうだ。

――私、なんて(いや)しいんだろう。

〝分かった。結華には蛍についててもらえば良いのか?〟

〝はい。お姉ちゃんには私から連絡しておくので。それで、来て欲しいのは――〟

〝分かった、すぐに行くよ〟

〝ありがとう、依本くん〟

「好きだよ……」

 その表情を陰らせながらも、月は口角を上げてしまう。……彼が誰のものかなんて、中学生の月にもはっきりと分かっている。

 ……あの女。あの……嫌でも物語の軸にならざるを得ない程の天賦(てんぷ)の才を持つ女子こそが、きっとそうなのだ。

 色白の肌。女性らしいしなやかな肢体。整った目鼻立ち。それに加え、月以上の……いや、比べるまでもないほどの異常な結界術師としての才。

 その才能や体は、どう足掻いても手に入らない。……それならせめて、月はその隣にいる男子の体が欲しい。

 無意識のうちにそう考えている事実に、本人は気がつかない。その気持ちは、胸の奥にしまっていたはずの気持ちなのだから。

 当たり前のようにいつも彼女の隣にいる彼。

 その彼を求める気持ちに、愛は無い。必要も無い。

 何故ならこの気持ちは、()()()()()()()()()()()()()()()事と同列の情欲でしかないのだから。


 ……欲しいモノは、全部手に入れなければならない。奪わなくては。何一つ残してはいけない。

 彼女の頭の中で、今度ははっきりと誰かがそう言った気がした。




 月からの連絡通り、学校を出た肇はそのまま指定された待ち合わせ場所へと急いだ。

 足下の細い道のみを頼りに、緑の中を進んでいく。外は既にオレンジに染まっていて、やがていつもの神社で結華が修行を開始する頃合いである。

「……しかし、まさかこの場所で待ち合わせなんてな」

『肇には因縁浅からぬ場所じゃな』

()()()……だろ?」

 ポツリと呟く狐神に、肇は口角を上げる。

 安瀬山家の妹の方、月が指定したその場所は、元々はこの狐神――夜長月(よながつき)勇槍之御狐(いさやりのみこ)(まつ)っていた神社、稲荷好(いなりよしみ)神社だったのだ。

 今は廃墟のようになってしまい、それは当の神様自身が出て行ってしまうほどのものなのだが、そんな場所に来て欲しいと彼女は指定したのである。

『…………こんな場所、何もないんじゃがの』

 ノミコの言うとおり、見渡す限り緑まみれで、神社は今にも崩れてしまいそうなオンボロ具合だ。……そんな何もないボロの端に、肇は一人の少女の姿を見つける。

「ごめん、少し待たせたか」

「ううん、私もさっき来たところだから……大丈夫です」

 肇の言葉に頬を赤く染め微笑んでいたのは、おさげの黒髪が可愛らしい褐色の乙女、安瀬山月だ。

 急いで来たのだろう、彼女は肇と同じく制服姿そのままで、夕日を受けると彼女の輪郭をくっきりと浮かばせる。月は(くだん)の破壊巫女とは対照的に落ち着きのある少女で、この静謐(せいひつ)な雰囲気がよく似合っていた。

「それで、僕に大事な話って?」

「……うん、それなんですけど――」

 少女は小さく息を吸うと、肇のすぐ目の前まで迫る。

 それはいつもの彼女とは思えない軽やかさで、肇がそれに反応するよりも早く、彼女は言葉を続けた。

「実は私……依本くんのことが、好きになっちゃったみたいで」

「えっ……?」

――えっ……なんで? 僕を?

 まさかの一言に脳の処理が追いつかず、肇は目をしばたたかせてしまう。そんな彼を、頬を上気させた彼女は上目遣いで見つめる。

 一方で狐神の方はこの状況が面白いのか、『罪な男じゃの』とケラケラ笑っていた。

「ちょっ……ちょっと待って! ほんとに待って!」

 両手を彼女の前に突き出し、半歩後ろに下がる肇。

 …………この状況は、非常にマズい。そもそも依本肇には既に――

「……わぁ、依本くんって、そんな表情もするんですね。……可愛い」

 すっかり熱くなってしまったその頬を、月はそのしなやかな指先で愛おしげに撫でる。そのまま近づいていく唇に、肇は――

「……ぼ……僕には、結華が。結華が、いるから。……ごめん」

 唇と唇が触れてしまうその前に、彼女の名を口にしていた。

 その一言に、月の動きが止まる。……が、再び口角を上げると、彼女のものとは思えない妖艶(ようえん)な雰囲気を(まと)い言葉を返した。

「…………知ってますよ? 付き合ってるんだろうなーっていうのは、近くにいれば誰にでも分かります。……どこまで()()()()のかは知りませんが」

「それじゃ……っ!」

 それじゃあ、どうして僕に。そう続けようとした彼の唇に、温かいものが触れる。見ると、それは彼女の人差し指の先で、「うわぁっ」と肇は慌てて唇を離した。

「……別に私、依本くんに付き合って欲しいなんて言ってませんよ。ただの……そう、お誘い、なんです」

 その言葉の意味を図りかねる肇の唇に、再び唇を近づけ迫る月。それは、すぐ傍で彼女の呼吸音が聞こえてしまうほどの距離感で、肇がゴクリと生唾を飲み込んだ。

「心は要りませんから、カラダだけ、私と繋がってみませんか? ……依本くん」

 すぐ傍で見る彼女は可憐で、その胸部には確かな膨らみがあり、何よりその大人びた言葉遣いと仕草に、肇は胸の鼓動がドクンドクンと激しく脈打ってしまう。既にその顔には玉の汗が浮かび始めていた。

「でも……駄目だよ、こんなこと」

「駄目なことって……凄くコーフンしませんか? ……私は、依本くん……ううん、肇くんとなら、ダメになっちゃいたいって……思うんです」

 ……遂にそれが触れてしまう。それを悟った肇がゆっくりと顔を後ろに反らせると、下唇から更にずれ、顎の辺りに柔らかな感触が伝わった。

「なんで……なんでこんなことっ」

「大丈夫ですよ、これは浮気とかではないので。学生の私達にはあまり馴染みがありませんが、大人の世界ではこういう事もあるみたいですよ?」

 唇を離した月は、制服のボタンを外し始める。その動作にはあまりに迷いが無く、いつもの彼女と乖離(かいり)している。

 その少女から、肇は目を離すことが出来ない。……それはまるで、何かに睨まれているかのような感覚で、背筋がゾクリとした。

「こういう事って……なんだよ?」

「だから――」

 遂にシャツとスカートを脱ぎ下着姿を晒す月。その姿を隠すでもなく、淡々と彼女は言葉を続けていく。

「体だけ繋がっちゃう都合が良い関係……です。肇くんはこういうの、嫌ですか?」


 時間が止まってしまったかのような一瞬の静寂。

 彼一人の胸の鼓動がけたたましいその時間を切り裂いたのは、誰かが強く地面を蹴りこちらに迫り来る足音だった。

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