第二十話 出会いは必然なのだから。
学校に鳴人が着く頃には、既に始業のチャイムが校内に鳴り響いていた。
「よし、まずは予定通りってね」
一人靴箱で上履きに履き替え、無人の廊下を悠々と歩いていく。
やがていつもの教室にたどり着くと、彼はガラリと勢いよくドアを開け、言い放つ。朝の静寂を壊す異音に、全員の視線が彼に釘付けとなった。
「おはよう、お前ら。『引き続きこの教室で最も強い権力を持つのは〝俺〟だ』『誰も今日〝俺〟が教室にいない事に疑問を持たない』『しかし朝から〝俺〟は出席はしていたし、姿は見えずとも〝俺〟は教室でいつも通り授業を受けている』……そうだろう?」
その言葉に、誰も疑問を持たない。持てない。
全員が同じ動作で一様に頷き、教師は何もなかったかのように朝のホームルームを再開する。手元の帳簿には、既に全員分の丸が付けられていた。
「そんじゃ、後は任せたよ、先生」
身を翻し再び靴箱へ戻っていく鳴人。
彼が教室を出て行っても、誰一人疑問に思わず、教師同様生徒達はいつも通りの朝を再開する。
今日も、いつも通りの朝が始まるのだ。……〝俺〟がそう命令を下したのだから。
◇
いつも通りの朝は、玲那の一言により変化を始める。
「依本君、少し付き合ってもらっても良いかな」
昨日と同じく、玲那は女子の囲いを突破し廊下の方を指差す。肇が頷くのを確認すると、二人はホームルーム前の教室を出た。
二人が移動した先は昨日の屋上……かと思いきや中庭の方で、ブーといつもの機械音をBGM代わりにしている自販機の前で立ち止まった。
「……どれが良い?」
ぶっきらぼうに口を開いたのは、その白い前髪を指先で整えていた玲那。
質問の意図が分からず「は?」と首を傾げてしまう肇に、彼は眼前の自販機を指差す。
「……いや、だから、飲み物。奢るから」
「…………なんで?」
ますます意味が分からない。
間違えてはいけないのが、あくまで肇が玲那に対しコミュニケーションを図り始めたのはここ数日の事で、ゆえに物を貸し借りするほどの関係は構築出来ていないという事実である。
そんな、頭にハテナを大量に浮かべた肇に、玲那は小さくため息を零し、言葉を続ける。
「……事故とはいえ、昨日は見ちまっただろ」
見た……その一言に、肇の脳裏にあの真っ赤な光景がフラッシュバックする。地面に散らした肉塊と赤いインクの映像は、今も肇の目に焼き付いて離れない。
たった今その映像を目にしているかの如く、彼の胃から酸っぱい物が上がってくる。
蝉の鳴き声がけたたましい夏の朝だというのに、彼の全身から冷や汗が噴き出す。
呼吸さえ忘れ、その心臓はドクンドクンと激しく脈打つ。
――気持ち悪い。
あの肉の塊を、血を、歯を、骨を、目玉を。乾いた空気を。今でも――
「――!」
鮮明に浮かんでしまった映像に、遂に口を押さえその場にうずくまる肇。
「…………悪かった、ほんとに」
そんな彼に、玲那は優しい言葉をかけるでもなく、ただ謝罪する。
その言葉に、肇は弱々しくも言葉を返す。
「……いや、……はぁ…………いや、これは、僕自身の……はぁ…………問題だから。凰院は……くっ…………悪くない」
「ああいうの見るの、お前初めてだろ。無理すんなよ。…………ポカリにしとくぞ」
変わらずかける言葉はぶっきらぼうだが、今肇に与えるべき飲料は明らか。硬貨を数枚入れた彼は、その細く長い指先でそれのボタンを押下する。
ガコンと無機質な音と共に取り出し口に落ちてきたペットボトル飲料を手に取ると、それを脇で背中を丸めている肇に手渡す。
冷たい半透明のそれに、肇は「……ありがとな」と一言返し早速それを一口あおる。不快な喉の奥を洗い流すそれに、ようやく肇の気分も落ち着きを取り戻した。
「…………本当にヤバそうなら保健室でも――」「……なんだ、凰院って結構優しいやつなんだな」
肇の口をついて出た一言に、玲那は「は……?」と目を丸くする。
「昨日の事なんか何も無かった……はぁ……そんな顔して学校来ると思ってたからさ」
「……お前は俺をなんだと思ってるんだ。……話す元気あるならもう教室戻るか?」
「そうだな。……そうするよ」
最後に半透明のそれを一口呷ると、肇はふらふらと立ち上がる。
どうにか自立出来てはいるものの、その顔色は優れない。それはその背をトンと押せばそのまま地面に倒れ伏してしまいそうな危うさで、見かねた玲那は彼に肩を貸した。
「悪いな、ほんと……」
「……俺のせいで誰かが不利益を被るのはイヤだからな。……本当に教室で良いのか?」
「しばらく座ってれば楽になるさ。それに……ああいうのは、これから先何回も見ることになると思うから……はぁ……今楽しちゃ、いけない気がして」
二人三脚で一歩一歩確実に来た道を戻り、建物の中へ通じるドアの前で二人は立ち止まる。見計らったようなタイミングで、始業のチャイム音が校内に鳴り響いた。
「何回も……そうだな、嫌でもそうなるな。あの〝器〟の女に関わっている間はずっとそうだろう」
器という言葉が指す一人の少女、伊坂実結華。その危険性を、玲那は重々承知している。
「今更だけど……はぁ……結華……とは……はぁ……普通に話せないのか?」
「普通に?」
「……いや、だから。ほら、他の女子たちと話す時と同じ話し方してただろ?……本人が凄く嫌がってたんだけど」
二人はドアを開き建物の中へ。玲那は口角を上げて言葉を返す。
「…………そうだな、あの女には不要という事か。俺もその方が楽で良い、今後俺は〝俺〟としてアレと話すことにしよう」
「アレって……はは、まぁ良いか。それで頼むよ」
その後連日の遅刻と相成った二人だが、肇の心境は昨日と異なりやや上を向いていた。
あの小さな鬼を使役し洗練された結界術を行使する彼は、肇にとっては陰陽師である前にただの転校生で、ようやく等身大の凰院玲那の姿が見えてきた気がしたのだ。
◇
本日日中の気温は七月にしては過ごしやすく、その曇り空は鳴人にとって恵みの雲だった。
風海東高校を出るその前に、彼は中庭の自販機で炭酸ジュースを買う事にする。……が、ホームルームの時間を過ぎているというのに二人の男子生徒が中庭からこちらに向かってきており、思わず彼は物陰に身を隠す。
その二人の男子生徒の一人は、腰まで伸ばした白髪を右に左に揺らしていて、噂に聞く転校生の姿に間違いなかった。……肩を支えられているのは、二組の依本だろうか。
「…………勘弁してくれよ、面倒だ」
二人が階段を上がり視界から消えたのを確認し、鳴人はため息混じりに物陰から体を出す。中庭に続くドアをその手で開けると、制服のズボンから黒の長財布を取り出す。
常に目に見えるものから情報を得ている彼は、その視線に気づくことが出来ない。
階下を睨む、ブラウンの双眸に。
学校を出た鳴人は、そのままの足で目的の場所に向かうことにした。
制服姿のまま、昔は参道があったのであろう、林の中の細い道を悠然と歩いて行く。
パキッパキッと一歩進む度に足下の小枝が折れ、見上げると木々の隙間から数羽のカラスの姿を確認出来る。周囲は人の手が行き届いていない緑と茶色で溢れ、それはこの頼りなく細い道が無ければ方向感覚を失いかねないほどである。
その先にある場所を見つけたのは、幼少の頃の鳴人だ。
当時幼かった彼は、ただの子どもで、天邪鬼で。
だから祖母から聞いた、「あの山の上にある神社に行ってはいけない」という警告を無視し、ちょっとした冒険感覚でその場所へ踏み入ってしまったのだ。
踏み入った彼を待っていたのは……何も無かった。この場合は、何も無いが在るという言い方が正しいのかもしれないが。
とにかく、祖母の言っていたような恐ろしい体験をすることもなく、ただただその廃墟同然の神社には静寂が在って、それが彼にはなんとも心地好かったのである。
「……ここも変わらないな」
いつの間にか踏み入っていた境内の中で、鳴人は小さく頭を下げる。
彼の眼前に在ったのはあの頃と同じく今にも建物が倒壊しそうな古くこぢんまりとした神社で、まさに実家のような安心感を感じたのである。
「…………ん?」
と、しかしその建物の中に、一つおかしなシルエットが在る事に気がつく。
「どうしたのお兄ちゃん、まさかお参り?」
今となっては小銭一つ残っていない苔の生えた賽銭箱の上に、一人の幼い少女がいた。
濡羽色とでも言えば良いのか、腰のあたりまで伸びた黒く艶やかな髪と、人形のように整った目鼻立ち。雪のように白い肌。
箱の上でぷらぷらさせているその足には厚底のブーツを履き、その中が見えてしまいそうなショートのスカートはヒラヒラのフリル。
その全身は彼女の髪色と同じ黒で統一されていて、ドレスの様なそれを身に纏い綺麗に切り揃えられた前髪が風に揺れるその姿は、まさに絵に描いたようなゴシックロリータだった。
人形の様なゴスロリ様が、罰当たりにも賽銭箱の上に鎮座していたのである。




