第十八話 欲望に貴賤(きせん)はないのだから。
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安瀬山月。
黒のおさげ髪が可愛らしい褐色肌の女子中学生。海原芍裔神社の巫女でもある彼女の本性を、その知人を含め多くの人は知らない。
彼女はいつも物静かで、年相応、いやそれ以上に性知識豊富で、猥談となると強い興味を示してしまう。……というのが、知り合い達から見た彼女の印象だろう。
……しかし、彼女はいつだってその本性を胸の奥底に閉じ込めている。ともすればそれは、〝隠している〟と言い換えても良い。
『お前、そんなに押し殺して窮屈ではないのですか?』
おかしな日本語で、見知らぬ女が彼女に話しかける。
その女は、絵に描いたような派手さだった。
着崩した着物に、スリットのようなその隙間から覗かせる褐色の生足。腰の辺りまで伸びた銀髪。アイシャドーで赤を強調した目元に、ピアスだらけでギラギラと輝く耳元。
豊満な乳房は着物の中に収まりきれず、その半球は肌をそのまま露出させ、濃い褐色肌が夕日を受けると煽情的な輝きを放つ。
背はそこまで高くなく、月が楽に視線を合わせていられる程の低身長だが、華美を極めたようなその外見が彼女の存在感を大きくしている。
露出した肌の至る所に入った生き物のタトゥーに、舌の上にまで開けたピアス。指の一本一本に取り付けられたシルバーリング。
毒。関わってはいけない人。
月が初めて見た彼女の印象はそれで、しかしその蛇のように鋭い視線から目を逸らせなくなってしまっていた。
『お前に聞いているのですが、この国では人を無視するのがマナーか?』
「えっと、その……」
『窮屈か? と聞いているのです。答えをもらっても?』
「なんなんですか、貴女はいきなり……」
会話にならない。……というより、ハナからする気なんて無いという方が正しいだろうか。
……ここで時間を潰しているわけにはいかない。
ぺこりと頭を下げると、月はそのおさげ髪を揺らして石階段を駆け上がっていく。……が、しつこく女は彼女の前に立ち塞がる。ジャラジャラとピアスの装飾がぶつかり合い派手に音を鳴らした。
『……答えを聞かせてもらっても?』
「だからなんなんですか貴女は!」
と、遂にしびれを切らし怒鳴る月の手に、柔らかな感触が伝わる。
『……少し強引な方が好きでしたか?』
それが彼女の乳房の感触だと理解するのに、月は少々の時間を要した。
「ちょっ、ちょっと……!」
これは本当に理解不能で、思わず手でそれを払おうとする月。しかし女は後ろに身を引くどころか更に体を前に、抵抗虚しく月はそのまま押し倒されてしまう。
「あ痛っ!」
なるべく勢いは殺していたため頭から石階段に激突する事は無かったものの、二人分の重さで落ちた足腰は所々に痛みが走り、月は表情を歪める。
これだけの異常事態にも関わらず今この場にいるのは二人のみで、その時間はいつまでも続いていく。いつも通りに脇の林で鳴いているひぐらしの声がなんとも皮肉だった。
『…………お前はもっと自分に正直になるべきですよ。欲が人より強いのは、恥ずかしい事ですか?』
その細い首に掛かったおさげ髪を、女はピアスだらけの指先でそっと払う。黒いマニキュアが塗られたそれが首筋に触れ、こそばゆい感覚に月はキュッと目を瞑った。
『欲しいモノは、全部手に入れるんですよ。奪うんですよ。何一つ残しては駄目なんですよ。…………これは、お前を正直にさせるまじないです』
その言葉を最後に、女は月の首筋を舌でなぞり、柔らかなそれを白い牙で噛む。
予期しない事態に「や、やめ――」と今にも消えそうな小さな声で少女は抵抗するも、女はその首に噛みついて離さない。……その光景は、野生の肉食動物が獲物を仕留める瞬間によく似ていた。
その時少女の全身には噛まれた痛み以上の未知の快感が電流のように巡っていて、下半身の疼きが止まらず声を押し殺し耐えるのがやっとだった。その頬を、溢れ出た雫が伝う。
〝死〟を彷彿させる快感は甘く彼女を蝕んで良いき、手足をバタバタさせ虚しい抵抗をしていた彼女も、その動きは徐々に緩慢になっていき、ピクリとそのしなやかな身体を一度震わせたのを最後に、遂に完全に沈黙した。
◇
目を覚ました月の体は、異様に軽かった。
……何故こんなところで寝ていたのだろう、と疑問に思った彼女は周囲を見渡すも、あるのはいつもの静寂で、この石階段には自分一人きり。
痛む半身をゆっくりと起こしてみると、はらり、と、首元に掛けられていた一枚のハンカチが石階段の上に落ちる。金の刺繍が入ったそれを拾い鼻を近づけてみると、僅かに香水の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「…………駄目、何も思い出せない」
ハァとため息混じりに膝を折り立ち上がる。腕時計の針を確認すると時刻は既に十六時を過ぎていて、「うわ、結華ちゃん達もう来てるかも」と顔をしかめた。
「なんか妙にスッキリはしてるけど。……それにしても――!?」
……しかし、何故こんなにも下半身がスースーしているのだろう? と疑問に思い自らスカートに手を伸ばした月は、その異常に気づいてしまう。
「…………濡れて……え? なんで?」
まさかこの歳になって粗相するなんて……と内心大きなため息をつきつつ、月はスカートのポケットから携帯端末を取り出す。スカートの中はぐしょり、と濡れていて、これでは修行どころではない。
「……あっ、お姉ちゃん。ごめんなさい、今日はどうしても早く帰らないといけなくなっちゃって。…………うん、うん。大丈夫、一人で帰れるから。それよりお姉ちゃんは結華ちゃんの修行を手伝ってあげて。……あぁそれと、結華ちゃんには今日行けなくてごめんなさい、って伝えておいて。……うん、ありがとう。……分かった、帰るとき連絡頂戴ー。それじゃ」
再び携帯端末をポケットに仕舞う月。
その首筋に赤い接吻痕が残されている事実を、この時の彼女は知る由もなかった。
自宅に戻った月は、濡れた純白の下着をすぐに手洗いし、そのまま制服をハンガーに掛けシャワーを浴びる事にした。一人でいるうちに全ての汚れを洗い流してしまいたいのだ。
いつも通りに身を清め、浴室を出ると部屋着に着替え髪を乾かす。
「……ふわぁ」
学校のプールで泳いだ後の、座学中の微睡みにも似た倦怠感がずっと続いている。
ブオォォといつもの機械音を響かせながら、月がボーッと三面鏡を覗いていると、その首筋におかしな痕がある事に気がつく。赤い痣のような、小さな痕。何度も画面の向こう側で見たその形は間違いなく――。
「……えっ、キスマーク!?」
……え、誰と? ……全く心当たりがない。…………まさか、襲われ――いや、それはない。今ここにこうしている以上それはないはずだ。下半身に違和感もない。
「それっぽく刺されただけなのかな……」
はぁ、とため息混じりに月はその痕を鏡に近づけ確認する。……どこからどう見てもそれは愛の痕で、彼女はしばし頭を抱えた。
「……うん、とりあえず隠せば大丈夫でしょ」
なんとかなるさ、とどうにか頭を切り替えると、乾ききっていない残りの水分をドライヤーで飛ばし彼女は自室へ向かう。……そんな事を気にしていられない程に、先程からひどい眠気が続いているのだ。
二階の自室に着くなり、月はベッドに倒れ込んだ。とにかく先程から瞼が重く、体がダルくて仕方ないのだ。……が、それ以上に。
「暑い……」
今は夏。気温が高いのは当たり前で、故に月はシャワーを浴びる直前にあらかじめ部屋の空調を効かせておいた。……にも関わらず、彼女の体の火照りは治まるどころか強まりつつあり、その額には既に玉の汗が浮かんでいた。
その火照りの鎮め方を、しかし彼女は知りすぎるほどに知っている。
何度も繰り返し行ってきたその行為にふけると、再び倦怠感に襲われる事も分かっている。
……が、彼女は伸ばしたその手を止めることが出来ない。止めようとも思わない。
…………何故なら今は、この家にたった一人きり。誰の目も気にせず気持ちよくなれる、気持ちよくなりたい、それしか今の彼女の頭にはなかったのだ。
「――あっ……」
薄い桜色のそれを、外輪からじっくりと焦らすようになぞってみる。たったそれだけで、下半身が疼き自分のものとは思えない甘い声が漏れてしまう。
……今日は、本来なら彼女の修行を手伝っているはずで。
「――んっ……」
……だから、こんな事をしている暇なんか、本来はないはずで。
「――ん……はぁ…………っくぅ……」
なぞって、ぷくりと膨らんだそれを指先で弾いて、その度に声が漏れてしまう。……そんな自分が嫌で、奥歯を噛み締めても快感が溢れて止まらない。
……何か、体がおかしい。溜まっていた、では済まされない。
「――んぐっ……はっ……はぁ」
……何故、と考える時間が、今は惜しい。皆が帰ってくる前に、とにかく今はもっと気持ちよくならないと…………。
布団のシーツは既にびしょり、と濡れていて、「今のこんな自分を知られてしまったら……」と考えると月の興奮は更に止まらなくなる。
遂に下着を脱ぎ捨て、彼女はびしょ濡れのそれに指先で触れる。
何かが頭の中で弾け、「あぁっ」と獣のように低い声が出てしまったその時、彼女は理解した。……きっと、あの場所でも自分はこうして濡れていたのだ。
「依本くん……」
不適に口角を上げると、月はここにいない彼の姿を強くイメージする。
……欲しいモノは、全部手に入れなければならない。奪わなくては。何一つ残してはいけない。
彼女の頭の中で、誰かがそう言った気がした。




