第十七話 それは、人ではないのだから。
「その辺りに散らばった血も肉も、ただ人間の体の構造を形だけ真似した偽物なんだよ。……よく出来た人形ってところだな」
「人形……」
玲那の言葉に、肇は再び眼下の肉片を見据える。見た目だけでいえばそれは人の体そのものにしか思えず、肇の吐き気は変わらず限界のままである。
「……そう、人形。すぐににこの入れ物も蒸発するだろう。――ほら、見とけ」
玲那が肉片を指さしたその刹那、シュウと音を立ててそれらが白い煙に包まれる。
あまりに唐突なその現象に、肇は咄嗟にその顔面を両腕で守る。匂いも何もないそれは、まるでただの水蒸気か何かの様だった。
「そう警戒するなって。もうこいつは死んでるんだから。……ほら、綺麗さっぱりだろ?」
何が、と返す間もなくその煙は晴れていく。
するとそこにあったはずの肉片や血の海はどこへやら、彼の言うとおり綺麗さっぱり、いつものグラウンドの砂と白線だけがそこに在った。
「……え?」
「強いて言えばこれが人間じゃ無い証拠だ。人間は死んだ後すぐに肉体が消えたりしないだろ? 勿論他にも判断材料はあるんだが……今のお前に言っても仕方ないか。――邪好、戻れ」
と、最後に黄色い生き物に札を当てる玲那。一瞬黄色い光が札から溢れたかと思うと、先程まで騒がしくしていたそれは札の中へと消え失せた。
その日のホームルームは二人揃って五分ほど遅刻し、後はいつも通りの時間が流れた。
――あの黒いやつ、結局正体は何なんだ?
暇な授業中指で狐の形を作り、肇は早速彼に話しかけてみる。
流石にあの光景には精神的に参ってしまいしばらく吐き気を催していた彼だが、気持ちが明るくなるまではいかなくとも、今ではこうして普通に会話が出来る程度には回復していた。
『……さてな。精巧な人形……ではないしの。儂にも一応心あたりがあるが、まずは専門家の意見を聞くべきじゃな』
専門家。
その一言が表す人物は決して多くはなく、肇は彼が誰のことを言っているのかをすぐに察する。……事後報告にはなってしまうが、確かに彼女の意見を聞くのは重要なことだろう。
意を決した肇は早速彼女にメッセージを送信してみる事にしてみる。
結論から言うとそのメッセージに返事が返ってくるのはかなり後になるのだが、とにかくその日の放課後は専門家である彼女――睡蓮寺蒼彩に神社まで来てもらう運びとなった。
◇
果たして、その日の放課後。
神社に向かうその道中、ひぐらしの鳴き声が涼しく響く参道で、肇は件の陰陽師――凰院玲那について考えていた。
「……結局、凰院は来なかったな」
『…………まぁ、ヤツにはヤツの事情があるんじゃろう』
本日は休み時間を活用し、肇は玲那を神社に誘ったのだが、蒼彩の名を出した途端に「悪い、俺はそこには行けない」と一方的に断られてしまったのである。
「……それで、結局朝は凰院くん一人でやっつけちゃったの?」
と、肇の視界の端かひょっこりと顔を覗かせたのは褐色の元気少女にして破壊巫女でもある女子、安瀬山蛍である。
結華と蛍の二人は別クラスのため今回の件に直接関わることはなく、肇から話を聞くまで今朝の件は知らなかったのだ。……もっとも、何か良くないモノが学校に来ている、という事だけは二人とも気づいていて、玲那にソレが倒されるまで警戒は続けていたようだが。
「まぁな、駆けつけた時には全てが終わってたよ」
「……なんか、狙われてるのがわたしなんて嘘みたいだねぇ」
知らず解決された手前自分事に思えないのか、蛍の隣を歩いていた結華はその艶やかな黒髪をしなやかな指先で弄ぶ。
『しかし、今回の一件は何かあまりに順調すぎる。…………何か大事にならなければ良いんだがの』
狐神の言葉は端的で、いつもの如く事実を突きつける。……が、その言葉だけは、現実にならないよう願ってしまう三人なのであった。
赤い鳥居が三人の視界に入る頃には、狐神はいつもの如く姿をくらませ、代わりに鳥居の脇に一人の女性が待ち構えていた。
「やぁ、三人とも。今日は色々と大変だったみたいだね」
夕日を浴びてその栗毛を輝かせる、長身の美女。
豊満な胸部に、細くも芯のある逞しい肉体。そしてその美しい立ち居振る舞いによく映えるいつものジーンズ姿。
腰に手を当てそこに佇んでいたのは、件の超常の専門家、睡蓮寺蒼彩その人だった。
「それから、依本くんは大丈夫かな? ……見たんだろう?」
その言葉が指す光景は、間違えようも無く、肇の脳内を今朝の地獄絵図が一瞬フラッシュバックする。
その映像に一瞬立ちくらみが襲いその場に倒れかけるも、踏ん張りを効かせて彼はどうにか耐える。
「……正直、二度と見たくないです」
「そうかい、頑張ったんだね」
「いや……頑張ったのは凰院で」
「いや、私が言っているのはそういう事じゃなくて……まぁ、良いか。どのみち君にはこれからもっと頑張ってもらう事になるだろうし」
「? それはどういう――」
「――とにかく。積もる話は中でしよう。……参道をいつまでも塞ぐものじゃないだろう?」
言うより早く鳥居の向こうへ一礼すると、蒼彩は先に鳥居をくぐり境内へと進む。その背格好すら美しく、その長い栗色の髪をなびかせ夕日を背に受けたそれは、いつもの如く映画のワンシーンさながらであった。
◇
まずは、改めて今日は本当にお疲れ様だったね依本くん。さて、それでは何から話そうか。
うん、うん……そうだね、確かに、アレの正体がふわっとしたままなのは、特に依本くんにとっては困った事態だね。まずはその辺りの話題に触れておこうか。
実はアレの正体に関しては、既にヒントが出ているんだ。
……もっとも、それを経験したのは依本くんではなく結華ちゃんと蛍ちゃんなんだけどね。……ほら、キミたちの目の前で姿形を変えたという、あの女の子だよ。
……そう、流石に鋭いね。アレの正体は人間の魂で、外見や中身の物体はあくまで人間の真似事……というのが、私の考えだ。例の少年も似たような考えで対処したのだろう。
一応付け加えておくが、実体化した人間の魂をどうしようが、それは人殺しとはならないよ。魂だけの状態なんて、死んでいるのと変わりないんだから。むしろ彼がやったことは、イメージとしてはお祓いに近い。魂を〝殺す〟なんて言わないだろう? 成仏させたんだよ。善悪の話をするなら圧倒的に善の行いだね。
……というかそもそも、魂が実体化することなんて、滅多にあることじゃないんだけどね。……それも、この短期間に立て続けに二件。この二つの件は何か浅からぬ繋がりがあると見て間違いないだろうね。
…………さて。以上が私の見知に基づく推論。ここから先はちょっと個人的な見解が強いけど……問題ないかな?
まず第一に、何故朝の学校なんていかにも目立つ場所を選んで出現したのか。
……狙いに関しては、今更言うまでも無いね。結華ちゃんの体目当てだ。……っと、今日はこの場に月ちゃんがいなくて良かったよ。
それで、何故目立つ場所を選択したのか……だけれど。恐らくこれは逆で、目立たせるために朝の学校を選択したんじゃないかな。
…………うん、そうだね。あくまで今回の一件は私達へのアピール。今朝の黒い襲撃者はあくまでそのための捨て駒……そう考えるのが自然かな。アレはあくまで雑兵だろう。
魂を実体化させるような連中が、まさかあの学校に陰陽師や狐の神様がいる事実を知らないとは思えないしね。
それで……なんでわざわざそんな事をしたのかという話なんだけど、理由として考えられるのは私達への警告、宣戦布告……そんなところかな? ――ナメてんだよ、連中は。
よっぽどの身の程知らずか、はたまたしっかりと準備をしてきたのか、それともその両方なのか。いずれにせよその時はもうすぐそこまで迫っているという事だろう。
私達の方も出来る準備を済ませておく必要があるね、私は色々調べてみるよ。
結華ちゃんは引き続き修行。蛍ちゃんは彼女の護衛。依本くんは凰院くんの懐柔。
皆出来る事は違うけれど、どれも重要なことだ。特に依本くんには元々、凰院くんの事を頼もうと思っていたから、既に自ら動いていてくれていて嬉しいよ。
……? まぁ、彼を完全に仲間にするのは難しいだろうね。物事の判断基準が私達とは違うからね。ただ、そう――もし判断に迷うような境の出来事があった時には、なるべくこちら側に傾いて欲しいんだよ。その可能性が上がるだけでも充分さ。




