第十五話 隣人に目を向けてみよ。
普段は大人しい女子である月の想像力は中々のもので、その場にいる四人の若者達の〝不純〟を疑う蒼彩の言葉に、「違います!」や「というかいきなりこんな大人数でしませんから!」等と大声でツッコみを入れた。
「何なんだ……この状況?」
結華の言葉に甘え眠りにつくことおよそ二時間半。ここ数日分の疲れは全て取れた……かは、分からないが今の肇の体は非常に軽く、起きてすぐでもそれなりにその頭の中はさっぱりとしていた。
「あー……なんというか、うん。一回肇くんは顔とか洗ってくると良いよ。多分その間に終わるから」
顔を真っ赤にした月が蒼彩に抗議する光景を横目に、苦笑いを浮かべる結華。姉の蛍の方はというとそんな二人の事等どうでも良いという感じで、眼下の携帯端末を弄り時間を潰し始めている。
人間が五人も揃うとその行動は皆不揃いで、その空間は中々混沌としていた。
「んー、分かった。布団、ありがとうな。助かったよ」
「こんなんで良ければいつでも頼ってよ。せっかくいつも近くにいるんだし」
「…………。そうだな。それでも、ありがとう」
小さくあくびをして、肇はベッドを下りる。月の相変わらず顔を真っ赤に猛抗議中だが、ひとまず結華の言葉に従い階下に下りることにした。
……なんて賑やかな目覚めなのだろう。と、その騒々しい部屋のドアを閉めた彼の口角は、僅かに上を向いていた。
洗面所で顔を洗い身だしなみを整えた肇が部屋に戻ると、結華の予想通り、月の抗議は終了していて、代わりに室内は束の間の静寂に包まれていた。
……もっとも、月の顔は今も変わらず真っ赤で、姉の蛍に体重を預け、その頭を撫でてもらっているという謎の状況が新たに生まれていたのだが。姉に甘える月の姿というのは中々新鮮で、蛍の表情を見るにまんざらでもない様である。
「…………んっと、ちょっと月ちゃん火傷しちゃったから。しばらくは三人でお好きなように」
苦笑いを浮かべる蛍。その豊満な胸部に月は頭を突っ込み、「~!、~!」と声にならない声で絶叫し始める。……多感な時期の女子には苦い思い出となってしまったらしかった。
「あっはっは、いやぁ私の早とちりに巻き込んでしまってすまなかったね」
軽快に笑う蒼彩は言葉を続ける。
「……でも、あそこまで具体的に話について来ちゃうあたり月ちゃんって相当――」
「――私! もう十四歳なので! あの程度の性知識、誰でも持ってますよ!」
最後の抗議を終えると、再びぷい、と月は蛍の方へ顔を戻し頭を埋める。「……嫌われてしまったかな」と一人呟く蒼彩の声は、少し淋しげだった。
「……それで、蒼彩さん」
「なんだね結華ちゃん」
「お土産について、そろそろ……。今は修行どころじゃなさそうなんで」
言って、結華は月の頭をヨシヨシと撫で続ける姉、蛍の方を一瞥する。そんな彼女の言葉に、蒼彩は「良いだろう」と頷く。
果たして、紆余曲折というか脱線というか、とにかく話の進行がやや乱れはしたがようやく。蒼彩は本題について語り始めたのだった。
「さて、まずは今日私が会った一人の少年について話をしなければならないだろうね。名前は確か――凰院玲那」
その人物の名に、結華と肇の二人は勿論、部屋の隅にいた蛍までもが目を見開いた。
「ふむ、やはりキミたちの知りあいか。……となると、依本くんのクラスに転校してきた生徒とは彼のことだったんだね。なるほどなるほど……」
一人頷き、蒼彩は結華と肇の顔を交互に見据えて口角を上げる。……きっと、彼女の中で答えは出ているのだろうが、彼女は中々それを口にしない。
ただ二人の顔を見て、ひとまずその様子を伺うのみだ。
「……それで、凰院とは、どんな……?」
しびれを切らした肇は続きを催促する。そんな彼に対し蒼彩はあくまでいつものペースのまま、「……ふむ。今のキミ達にはすぐに答えを用意すべきだね」と頷き言葉を続けた。
「……まず最初に確認なんだけど、キミ達は彼が結華ちゃんを始末しに来た可能性があると今でも考えている……違うかな?」
「それは…………はい」
一瞬目を伏せるも、結華は小さく頷く。
狐神――ノミコの考えでは、彼は謎の力を持った得体の知れない存在で、結華を助けに来た可能性もあれば、将来の危険因子として始末する可能性もある……とのことで、決して彼に対し警戒を解かないように二人は警告されたのだ。
「結論を言おう。まずそれは無いね。あの子は何かもっと大きなものを待っている様だったよ。……ただし、ただ彼が結華ちゃんを守りに来てくれた存在だと断定するのもまた違うかな」
「…………結局、どっちなんですか?」
再度催促する肇。
「だから、今言ったとおりだよ。彼は今の結華ちゃんを殺すことは無い、まずこれは絶対だね。……少しばかり彼と遊んだ私が言うんだ、これは信じてくれ」
ただし、と最後に付け足すと、蒼彩はテーブルの向こうの結華を指さす。その動きに合わせ彼女の栗毛がふわりと揺れ、外の蝉たちが一瞬鳴き止んだ。
「さっき言った通り、これから彼がどういう対応をするのかは、結華ちゃん次第なんだと思うよ。……時には結華ちゃんを助けてくれるだろうけれど、振る舞い次第ではこちらに牙を剥きかねない。……善し悪しではなく、彼はそういう存在なのだと認識してくれれば良い。要するに、彼は中立なんだ。敵や味方という概念ではくくれないんだよ、彼は」
その言葉を最後に、彼女の短い土産話は幕を閉じる。
それから紙袋に入った手土産を蒼彩から渡され、その美しい背を見送ると、家に残された結華達には気まずい沈黙が訪れるのだった。
「……とりあえず、結華ちゃん修行しとく?」
一番に口を開いたのは、手元に半透明の立方体を浮かべた蛍。結華が頷くのを確認すると、四人は再び結華の部屋へとんぼ返りした。
……とはいえ、修行を行うのは結界術を扱う三人のみのため、肇は手持ち無沙汰なのだが。
「……なーんか、一方的にアイツのことを知ってるのは気持ち悪いよなぁ」
蒼彩ははっきりと言った。彼は敵でも味方でもない、あくまで〝中立〟なのだと。
……それでも。もしもの時にこちらに傾いてくれる可能性を増やせるならば、それに越したことは無いだろう。
頷くと、肇は一人決心する。
学校ではいつもキザでどこか胡散臭い話し方をする白髪の彼――凰院玲那を知る努力をしてみようと。……何せ、今は七月中旬。この機を逃せば、あっという間に夏休みがやって来てしまうのだ。
◇
平和に週末の時間は過ぎていき、海の日を挟んだ三連休明けの翌火曜日の朝。
早速肇は厄介な彼の取り巻き達を相手に格闘していた。
「なぁ凰院! ちょっと僕と話でも――」
「あっ! 依本くん、いくら彼が魅力的だからって私たちを無視するつもりー!?」「玲那くんは、ちょー忙しいんだから! そうよね?」
名前は……誰だろう、仮に女子ABCDとでもしておこうか。
女子達は本日も玲那の机を囲んで独特の空間を作っている。彼の一挙手一投足に黄色い声を上げる彼女らとは対照的に、周りの男子達は皆どこか表情が沈んでいて、その目からは光が消えつつあった。
「止めてくれ、君達。直接私に話しかけてくれたんだ、彼にも何か考えがあるんだろう」
意外に肇の言葉を無視することもなく、玲那は席を立つ。その動きに合わせ、彼の長い白髪がサッと草木の葉のように揺れた。
「……わざわざ場所を移してくれるのか?」
「ここじゃ彼女たちも気が気じゃないからね。話は教室の外で早く済ませよう」
女子達の体を軽く手で退かすと、「玲那くん優しーい」とその一人が口にする。
「…………いや、これは優しさとかじゃないと思うけど……」
盲目的な彼女達に、苦笑いを浮かべてしまう肇。
「さ、早く行こう」
「お、おお……」
そんな彼女達には目もくれず、玲那は肇よりも先に教室のドアへ向かって歩き始める。少し遅れて、肇は彼の背を追った。
◇
朝のホームルーム前の屋上は自分たちだけの貸し切り状態で、目映いばかりの日差しと時折横から吹く強い風に目を瞑れば中々快適だった。
「……で? 俺に用事ってなんだよ?」
先に口を開いたのは玲那。……と、彼の言葉に肇は反応が遅れてしまう。
「……俺? いや、というか話し方……」
反応にラグがあったのも当然で、今の玲那には教室にいた時のような雰囲気は感じられず、代わりに等身大の男子高生……いや、むしろ口が悪い寄りの話し方で、不機嫌さを隠しもしないのだから。
「あ? あー……そうか。依本には、あっちの話し方の方が良かったか?」
「いや」
玲那の言葉に、表情を硬くしていた肇は破顔した。
「むしろ今のままでお願いしたいよ。……あの話し方、もしかしなくてもわざとやってたのか?」
「それなら良かった」
玲那は屋上を囲う鉄柵に手を置いて続ける。
「アレは……あれはあれで、俺には大事なことなんだ。今お前に言っても仕方ないな。……それで? いい加減本題に入らないとそろそろチャイム鳴るぞ」
「あぁ、そうだな。実は――」
意を決して肇は再び口を開く。後ろから吹く風が、彼の背を押している様だった。




