女神と魔王と賢者と終焉⑪
「ぇ?」
少し驚いた私を眼鏡越しの双黒の瞳が見返してゆっくり首を振る。
「わかりました……それが貴方の望みなら」
私は、掌から流れ込むエネルギーに合わせて時と時空をこじ開け道を開く。
「これより、『GB-163世界:女神クロノス世界線分岐0032イズール・魔都クルメイラ』への該当人物の帰還及び『UG-162世界:霊樹ユグドラシル世界線分岐043・『比嘉家リビング』』への該当人物の帰還を開始します」
魔力を展開し、私は二つの扉を作成する。
一つは、女神クロノスの管理するギャロ達の世界。
もう一つは、霊樹ユグドラシルの管理する浩二やキリカ、キリトの世界。
枝だ分けされたこの世界は、ユグドラシルから完全に分断される……一度双方に送り返してしまえば二度と会う事はない。
双方開いた光の門。
そのちょうど中央に私たちは佇む。
「キリカ、キリト……丁度、貴方たちの背後に開いたその扉を潜ればその肉体のあるべき場所に帰れる……三人でお帰りなさい」
私はそっと重ねた手の平を放す。
「ギャロ、私たちの背後の扉が私の管理するあなた達の世界……今度はもう滅んだりしないけれど一度潜ればもうキリカ達に会う事は出来ない」
私の側を深紅の髪がふらりと通り過ぎる。
「キリカ……」
「ギャロ……」
踏み出したその足が、数歩進んだところでその胸にキリカが飛び込む。
きつく抱きしめある二人は、互いの髪に顔を埋める。
「ごめんね……あの人を宜しく」
「ああ」
『さようなら』
固く抱きしめあった二人は離れたがに背を向け歩み出す。
「ガイル、お前はいいのか?」
兄の言葉にその月の瞳はちらりとキリトを見たけど、ふぃっと視線をそらした。
「ガイルおいたんほんとにいいの?」
ガリィちゃんにくいくいと裾をひかれたけど、オレンジの頭は俯いたまま意志は変わらないらしい。
私はキリトの方をみたけど、キリトも此方を見ようとはせずにそっと自分の胸に手を当てた。
「リリィ」
不意にその口から出た言葉と、胸元に浮かんだ小規模の魔法陣に私はやっと思い出す。
フォン。
キリトは、魔法陣に自分の手を差し入れ少し苦痛に顔をしかめながらもソレを取り出した。
「けほっ、駄目だ。 お前は連れて行けないよ」
優しく突き放す言葉に涙を浮かべるのは、襟首をつままれた小さな精霊リリィ。
あの子は、『比嘉切斗』がこの世界に赴く為に精霊契約をした女神クロノスの恩恵を受けた属性精霊。
あの契約は一度してしまえば解除なんて出来ないけれど、私が彼らを返すと決めた時点でその解除は『比嘉切斗』の意思に譲渡している。
キリトは、いやいやと縋るリリィになおも続ける。
「僕はこの通りただの人間になった。 本来なら精霊契約できるほどの素養の無い僕がお前の維持なんて出来ると思うか? 素養の無い者が、身分不相応なことをすればどうなるかお前が一番知っているだろう?」
リリィは、その紫色の瞳が溶けるのではないかと思うくらいに涙を流す。
「リリィ、僕は姉さんと父さんや母さん……小山田の次くらいにはお前やガイルが好きだよ」
キリトは、つまんでいたリリィを自分の手の平にそっと下しその涙を小指で拭う。
「僕、比嘉切斗は女神クロノスの精霊リリィとの精霊契約を解除する」
パリンと、キリトの胸に浮かんでいた小規模魔法陣が砕け散るとすぐにリリィの体に異変が起こった。
「……やっぱりお前には、その白い姿がよく似合うよ」
キリトの手に平には見慣れた褐色の肌に黒い翼の精霊の姿は無く、あったのは美しい白い翼に白い肌、白銀の髪を持つ美しい姿。
けれど、精霊の瞳からは涙が止まらない。
「泣くな。 折角、元の姿に戻れたのに……仕方ないな、ついて来る以外で今ここで僕にしてほしい事があったら言えと言っても只の人間に出来ることなんてたかがしれ____」
それ以上は、キリトは口をきくことが出来なかった。
何故ならそれは、小さな唇が塞いでしまったから。
あっけにとられるキリトの手の平からふわりと飛び去った精霊は、私の横を突っ切ると光の扉に飛び込んでいく。
それが合図とばかりに、ガリィちゃんの手を引くRがキリカとキリトに手を振って光を潜り俯いたオレンジもそれに続いた。
「じゃ、俺達もいくわ」
キリカとキリトを連れた浩二もこちらに背を向けあっさりと光を潜る。
「あっさりとしたものだな」
見送った月の瞳がため息をつく。
「止めなくてよかったの?」
「止める? 何故?」
首をかしげるギャロに私は問う。
「あなた達が望めば、どちらかの世界で共にいられるよ? 今からでも望むなら」
「そうして欲しいのか?」
いじわるに問う月の瞳に私は反射的に首を振る。
「いや……それは、嫌。 でも、私は女神なんだよ? いつまでも同じ時にはいられないギャロは私を置いて……」
「そうだな。 けれどそれは、世界たるお前の胸に抱かれて眠ると言う事だ」
「……!」
「それが寂しいなら、俺は何度でも生まれ変わってお前の側にいよう」
ああ、ギャロ。
私は、貴方が何度滅んでも何千年先まででも待ち続けるよ。
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僕の日常は、いつも平穏無事に過ぎて行く。
今日も、定時に校門を潜り家路を急ぐ。
今年中学二年生に進級したが、この習慣だけは小学生の頃から崩したことは無い。
はっきり言って部活動なんて無駄な事には興味が無いし、そんな物に人生の貴重な時間を費やすなんて馬鹿げてる。
そして、僕はいつもの様に決まった道を決まった速度で歩き始めた。
途中。
200Mほど歩いたスーパーの駐輪場で、70代の老婆が自転車を100台ほどドミノ倒しにして途方にくれているような気もしたがきっと『幻覚』だろうし。
通りかかった公園で、小さな女の子の涙声で『モモンガを見ませんでしたか? モモンガを探しています』と聞こえたように思えたがきっと『幻聴』だし。
それからコンビニ裏手の路地で、他校不良3人がクラスメイトの小山田に血祭りに上げられ僕に対して『タスケテ』と言う視線を送ってきたように見えたがきっと『気のせ________。
一度通り過ぎようとした僕は足を止める。
バッと振り返ると、路地裏からはうめき声と何かを殴りつける鈍い音が……。
普段の僕なら放置して家路を急ぐところだが、これは駄目だ。
「止めろ、それ以上は死ぬぞ?」
僕の声に、不良の襟を掴んで殴ろうとしていた小山田が顔を上げる。
「よぉ! 切斗! 今、帰りか?」
元気はつらつに人懐っこい顔が笑う。
「あぁ、僕はお前と違って帰宅部だからな普段からこの時間だ。 お前は早くないか?」
「テスト期間中だから部活なしなんだよ」
黒ぶち眼鏡の向こうの瞳が嬉しそうに僕を見る。
うわぁ……無邪気な笑顔とこの現場の惨状がある意味似合ってて怖い。
「で、何がどうしてそうなった?」
僕は倒れる不良の屍を指さす。
「いや? なんかな、この前の恨みだとかなんとか訳わかんねーこと言いながら襲ってきたからやり返したんだけど……ああ、ちょっと待ってろ止め指すから」
振り上げたこぶしを僕は掴む。
「やめとけ……ほら、そんなのほっといて帰ろう」
「うん! おーk-♪」
小山田は、掴んでいた不良をまるでゴミのように地面に放ると嬉しそうに僕の背中に続く。
角を曲がる時、ちらりと不良共の様子を見たが呻いている所を見ると何とか全員無事(死んではいない)な様だ……全く、僕が通りかかるなんて運の良い奴らだ。
「ああ、そうだ切斗! 暇ならお前んちでゲームしょうぜ!」
楽しそうにスキップする小山田が、良い事でも思いついたとばかりにのたまう。
「はぁ……いいか? 今はテスト期間中だぞ? 僕はお前ほど頭が良くないんだ、勉強したい」
「はぁ? 席次5番以内の奴が勉強したいって?」
「主席の奴に言われたくないな」
僕がそう言うと、小山田は大袈裟にがっくりと肩を落とす。
「仕方ないな……勉強なら一緒にしてやってもいい」
「マジで!?」
肩を落としていた小山田は、また元気にスキップをするとはしゃぎすぎ熱くなったのか、この寒空の中で学ランの上着を脱ぐ。
「ぁ」
ちょっとだらしない着こなしで、腰パンみたいになった学ランのズボンから見える見慣れたオレンジの綿毛のようなくるり巻いた尾。
はぁ……。
「ガイル」
僕がそう呼ぶと、今までご機嫌だったその背中があからさまに凍り付く。
「ぁ、ぇ?」
「いい加減、見て見ぬ振りも疲れだんだ」
じっと見る僕の視線を感じてか、振り向きもしないその背中は冷たい風に吹かれながらもじどっと汗をかく。
「い」
「『いつから気付いてた?』と言う問いなら、僕らがこの世界に帰ってきてすぐだ。 不覚にもお前と小山田には騙されたよ」
「ご」
「『ごめん』で済むなら警察はいらない。 と言っても、どうせ小山田に持ち掛けられたんだろう?」
「だ」
「『だって』もへちまもないんだこの馬鹿!」
しおしおとうな垂れた背中とオレンジのぽんぽんの尾を隠すように学ランの上着を羽織ったガイルは、恐る恐るこちら振り向き眼鏡越しに怯えた様な視線を僕に送る。
「無茶をしたな……」
「……」
視線をフイッとそらした背中に僕は言う。
「姉さんの状況をみただろ?」
「……」
「姉さんは、この世界に帰って来てから急速にあの世界での出来事の記憶を失いつつある……恐らく数年……いや、数か月もすれば完全に記憶から抹消されてしまうかもしれない」
「……」
「今のところは無事な僕も、もしかしたらそうなってしまう可能性が高い……その時、お前はどうするつもりなんだ?」
「……」
「その為の知識は小山田から譲渡済みと言う訳か?」
「……」
すっぱーん!
「いでっ!?」
「嘘つけ! 対して痛くねーだろ!」
僕の背後からの後頭部直撃の張り手に、ガイルが大袈裟に痛がって見せる。
「諦めの悪い奴め、リリィの方がいくらかつつましやかで可愛いらしいぞ!」
「……」
「全く世話が焼ける……小山田の手前、僕が責任もってお前に人間らしい振る舞いを叩き込んでやる!」
「へ?」
「なに驚いている? まさか、お前……今まで自分が『中学生:小山田浩二』として自然に振る舞えていたとでも?」
「いや、ちが、そうじゃなく」
「はぁ? 何が違うだ! この世界で一生を終えるつもりなら、遅刻しそうだからと一階から三階の教室までジャンプしたり、バスケでゴールを破壊してもダメだ! 勿論、さっきみたいな喧嘩もな!」
僕は、ぽかんとしているガイルの首根っこを掴む。
「え? ちょ、切斗!」
「考えてもみれば、試験なんかよりこっちの方が重大だ! 今から僕の家で叩き込んでやる! 覚悟しろ!」
「えええええ???」
晴れ渡った蒼天の寒空の下。
僕らの背後で、懐かしい顔がふっと笑って消えた気がした。




