冴の従姉の結婚 阿門と玉依姫の婚姻 冴のおかしな結婚
冴の従姉とその大切な人、この世界の女子教育事情少々、冴の結婚の原因である、阿門と玉依姫の風習について少々の回
面接室から廊下に出ると、蓮様は冴に尋ねた。
「冴は聡子が嫁ぐ人に会ったことがある?」
「一度。お姉さまのお宅で」
「どう思った?」
「どうと申されましても」
「気に入らないようだ」
「お姉さまには、もっと素晴らしい方が現れると思います」
「帝大を銀時計で出て。日本銀行に勤める、将来有望な男らしいね。聡子が十九で、相手は二十八。年齢の塩梅もよい。聡子の両親は、良縁と満足しているようだ」
「お姉さまはなんでもできて。とても頭の良い方です」
「聡子は結婚するより。もっと学びたいようだな」
「ええ。日本女子大学校か高等師範学校でさらに学びたい。そういうお気持ちでしたが。蓮實のおじさまもおばさまも、もう学校に行く必要はないとおっしゃったとか」
冴の怒り顔は、腕白な男の子のようだ。その顔を見て、蓮様は愛しげに微笑んだ。
「表面はおっとりと優しそうな美少女で。婦徳も教養も十分備えた自慢の娘を、風変りな娘にしたくないのだろう」
二人の会話から察するところ。この世界の女性に与えられている教育環境は、私の知る戦前日本の環境と同様らしい。
私が知る当時の「女学校」は、小学校を出た後に女性が進学する中等教育機関である。
生徒は四年から五年で卒業する。この女学校に進学できる人は、大正九年で全国の娘の5%程度。
大正時代の雑誌や新聞の記事を読むと、当時「女学生」が世間から、いかにうさんくさいものとして見られていたかがわかる。
学校教育創世記。教育機関を創っていた人たちの公式文書を読んでも、「女に学校教育なんて必要か」、そんな時代の空気がプンプン匂う。
女学校卒業後、さらに勉強したい。そんな女性のための高等教育機関も、明治時代にできてはいる。
日本女子大学校(有名な平塚らいてふ女史はここを出た)。
女の小学校教師をつくりあげるために生み出された師範学校の高等教育機関、女学校の教師になるための、女子高等師範学校もできた。
だがしかし。娘に高等教育を与えんとする親は、ほんとうの少数派。娘にそこまでの教育を与えたら、婚期を逃し、寿命が短くなるなどと主張する学者や役人もいて、女に高等教育など不要と、社会の大半の人が、そう思っていたらしい。
この世界でも、そうなのだろう。「聡子」さんの親は、世の中の大半の人と同じ意見をお持ちで。娘のためを思い、高等教育など不要だ、そう主張しているのだろう。
「冴の同級生に、元木文というお嬢さんがいたそうだね」
「元木様でございますか」
「退学してしまったとか」
「はい。お父様が事業に失敗なさったとか。そのせいか、ご病気が重くなってしまわれたそうです。お母さまをお助けして、家のこととお父様の看病をしなければならないからと。そう伺いました」
「どんな子だろう」
「とてもすてきなピアノの演奏をなさいますの。優等生で、数学と仏蘭西語の成績は、ずば抜けて優秀です」
「音楽には天賦の才がある。聡子はそう云った」
「元木様は、お姉さまが卒業されるまでは、いつもお傍にいて。お二人ともお綺麗だから、とても絵になって。お二人に憧れている方は、いまもあの学校に、大勢いらっしゃいますわ」
「そのお嬢さんに会いたいんだ。連絡が取れるかい?」
「とってみますわ」
冴はそう答えたが。どうしてですか。目ではそう訴えていた。
私は「聡子お姉様」と「元木様」の仲に、少しばかり興味を覚えた。
女学校では、シスターを略して「S」と呼ばれる、ロマンティックな友情が存在したらしい。聡子お姉様と元木文さんはそういう仲なのだろうか。
明治大正の邸宅らしく、この家には日本館と洋館があるようだ。
蓮様と冴は、二つの館をつなげる渡り廊下を抜けて、洋館の大広間に出た。
広間にいたメイドさんが、二人を見て軽く一礼する。冴の容姿を低く見た美人だ。
「書斎に、紅茶と何か甘いものを持ってきておくれ」
蓮様の御命令に、メイドさんは頬を染め、恭しく腰をかがめた。
冴がこの家に来た日。すぐに通された応接間の、隣の部屋へと、蓮様は入った。冴も続いて、樫材の扉を閉めた。
八畳ほどの八角形の部屋は、入口の前方に大きな窓があった。窓は開いていて、レースのカーテンがはためいていた。
ほとんどの壁は本棚になっていて、革表紙の本が美しく並んでいる。和綴の本も結構あった。冴は興味深そうにその蔵書を、ちらちら眺めていた。
黄色い西陣織の張られた長椅子と肘掛け椅子と、胡桃色の丸いテーブルが、窓の近くに置かれている。
蓮様はその長椅子を冴にすすめて、自らは肘掛椅子に腰かけた。
長椅子に腰を下ろすと、冴は云った。
「姫様と呼ばれると、おかしな気分になる。たしかに男で姫様はおかしいと。蓮様は昔そう仰いました」
「今もおかしな気分になる」
「ほんとにおかしな話です。男の方でも。阿門様の伴侶なんて」
「宗形、兼平、蓮實。この三家の惣領息子のなかに、姫が「阿門」と名付ける特別な惣領息子が。時々現れる」
「姫様はどの時代にもずっといるのに。阿門様が現れるのは時々。これはどういうことなのかしら」
「そうだね。どうしてだろう」
どうしてだろう。
「阿門が現れれば、姫は必ず阿門の伴侶。男でも女でも。そうでしたわね」
「うん。昔から。阿門と玉依姫は一対の仲なんだ」
どうして?
「姫が阿門様以外の伴侶を持つことは、禁止されていますの?」
「禁止の記録もないけど。持った記録もない。持つべきではないのだろうと、今はそういうことになっている」
「女の玉依姫も子供はなせない。巫女だから?」
「どうかな。理由はわからない」
「姫と阿門様との間に子供が生まれた記録はないのですか」
「そう。だからこの婚姻は形だけのことと。いつからか、そういうことになっている」
「形だけのことでなくなれば。どうなるのでしょう?」
「どうなるかな。まぁ、顔を顰める一族の方は、少なくないだろう」
広間で声をかけられたメイドさんが、杏の甘露煮を添えたカスタードプディングと、紅茶のポットとカップを運んできた。二人は会話を中断した。
メイドさんはカップに紅茶を注いで下がったが。二人が気になってたまらない様子だった。
扉がきちんとしまっていないことを発見した冴が、立ち上がって見に行くと、少し開いた扉の影には、まだメイドの君がへばりついていた。
冴と目が合うと、「扉をしめ切っていないことに気づいたものですから」と微笑んだ。
「ごくろうさま」と、冴がにっこりすれば、腰を少しかがめる礼をして、堂々と去ってゆく。
たいした度胸というべきか。
蓮様の前に戻ってきた冴は、難しい顔でミルクを入れた紅茶を飲み、プディングを食べた。
かための焼きプディングで、私の好きな味だったが。冴はプディングを睨んで、蓮様に云った。
「蓮様はこのままずっとこの家にいて。玉依姫を務めるおつもりですの?」
「この役も、なかなか面白いよ」
「玉依姫になると、天の声が聞こえるとか。そうしろと、天が仰ってますの?」
「冴は反対?」
「蓮様が本気で、こんな役目は辞退する。我が道を行くとおっしゃれば。もう時代が時代なのですもの。どうにかなるのではないでしょうか」
「ふむ」
「お兄様は一人前のお医者様になれば、この家を出て、生きていくことができます。蓮様は昔志されていらっしゃったように、文学者になればよろしいのです」
「言うは易し、だがね」
「家を出れば、この家の習わしや跡継ぎのことなど気にせず、お二人で思い通りに暮らすことができますわ」
「冴はもう阿門の妻だ。どうするの?」
「お二人についてまいります」
蓮様は困った顔で、冴に尋ねた。
「冴は阿門が嫌い?」
冴は云った。
「お仕えすることは、嫌ではございません」
阿門と玉依姫。なんて奇妙な風習。
冴は、その風習のせいで、ずいぶんおかしな結婚をしたらしい。
本日はここまでにいたしましょう。




