玉依姫登場
阿門様のもう一人の伴侶登場。玉依姫って何?
冴のなかで再び目覚めた時、私は思わず息をのんだ。
年のころは二十代前半と思われる男性と、冴は廊下に立っていた。男性は冴に微笑みかけていた。
長い黒髪を後ろで束ねたその白皙は、呆れるばかりに美しかった。
清らかな肌。眉と鼻筋の凛々しさ、切れの長い眸の神秘、頬の優しさ、少女のような唇の蠱惑。
紺色と白の縦縞の着物に白い帯を結んだ姿は、冴よりだいぶ長身で。冴の近くにいるそのしなやかな体からは、典雅な香りが匂い立つ。
これは誰?
その人と冴は、六畳ほどの日本間を覗き込んだ。
畳が敷き詰められた室内には、大名屋敷の対面の場のように、上段と下段が設けられていた。奥が上段である。上と下の間は御簾でしきるようになっていたが、このときは巻き上げられていた。
「こんなお部屋ですのね」
冴がそう呟くと、美しい人はなかへと入り、奥に進んだ。中央におかれた藤色の座布団の上で胡坐をかき、冴を見た。
「俺はここに、こんなふうに座る」
そのよく通る、清々しい声。
冴もなかに入って、葦戸を締めた。
上段の人の正面まで進み、下段に腰をおろした。
「お話を聞いていただく人は、ここにこんなふうに座りますのね」
この日の冴は淡黄色のシフォンのドレスを着て、長い髪を後ろに垂らしていた。
「ドレスが皺になるよ。膝は崩したほうがいい」
上段の人はそう言ったが。冴は正座を崩さず、上段の人に尋ねた。
「いつもは御簾が下がっておりますの?」
「そう。相手には俺の顔がはっきり見えない」
「宗形、兼平、蓮實。三家の本家と分家の方々は皆さまは、「玉依姫」である蓮様に、どんなご相談をされますの?」
「健康な大人の男たちは、たまに挨拶にくるくらいだね。先代を頼る人はいたようだけど。俺のもとに来たことはない」
「先代様は、大の男の方たちにも頼られておりましたの?」
「みたいだよ」
「あの方はご一新の年に、十歳で玉依姫として立たれたとか。文明開化の世でも。姫様のお告げを、頼りにされていた方がいましたの?お役所や軍のお仕事のため?」
「欧州の大政治家でも、占いのお告げを気にする人はいるとか。背負う責任が大きな方ほど。決断のときに、天の声を求めたくなるのかもしれない」
「その人たちは占い師から、ほんとに天の声が聴けると思っているのかしら?」
「どうだろうな」
「蓮様も占いができますの?」
「先代から易学気学をざっと教えられて。古い書物をいただいた」
二人の話を聞く私のなかでは、疑問が次々湧いてくる。
ひょっとしてこの人が蓮様?
阿門のもう一人の「妻」?
玉依姫?男なのに?
「玉依姫」っていったいなに?
「俺が姫と呼ばれるようになってから。ここに来るのは。罪を告白したい人と病人と、恋か金に苦しむ人ばかりだ」
「罪人か病人。でなければ、恋かお金に苦しむ方?」
「玉依姫は、今や我が一族の占い師か呪い師のようなものなんだろう。そして時々、懺悔を聞く神父にもなるんだ。恋と病気と金。人が占いや呪いに頼りたくなるほど悩むのは、この三つについてなんだと。ここに来て、よくわかったよ」
「昔はどんな存在だったのでしょう」
「女人の姫は、邪馬台国の卑弥呼とか。ああいうのじゃないか。巫女さんだ」
「卑弥呼」
「男は祈祷師、陰陽師、神官。そんな感じじゃないかな」
「そんな立場の方を、なぜこの家では、「玉依姫」と呼んできたのでしょう。男の方でも。お姫様は普通女です」
「男の人がお姫様なんておかしいと思うの。昔あなたは俺に、そう云ったね」
「なぜ男の方でも、姫なのですか?」
「なぜだろうね」
まったく奇妙な風習だ。私はそう思った。
冴もそう思っているらしく、蓮様に云った。
「そんなお姫様は、もうそろそろ、いなくなっても良い気がしますけど」
蓮様は微笑んだ。
「俺もそう思うし。そう思っている人は少なくないと思うけど。その存在をなくすとなると、そう簡単には、いかないかもしれない」
「そうでしょうか」
「長い年月続いてきた伝統、それも信仰のようなものを消滅させるのは、なかなか大変なことだと思うな」
「そうでしょうか」
冴は納得できない顔で小首を傾げ、蓮様に尋ねた。
「今日は聡子お姉さまがいらした。お姉さまが占いに興味があるとは思えません。お悩みの相談でございますか?」
蓮様は冴の質問に答えなかった。静かに立ち上がると、冴の前に来て、手を差し伸べた。
「足が痺れただろ。洋館に戻ろう」
冴は差し伸べられた右手につかまったが、すぐに顔を顰めて姿勢を崩した。
「申し訳ございません。すぐに立つのは難しそうです」
本日はここまでにいたしましょう。




