↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
薔薇と百合  作者: 黒澤 白
幽霊

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
16/18

こちらの阿門と冴の歩み寄りと、私のなかの人の恋路

阿門と冴の歩み寄り、幽霊の蓮様が語る阿門様への思い、そして彼は一体何がしたいのかの回

 こちらの阿門様と冴は、蓮様の居間で、蓮様を待っている。

 阿門様が立ちあがり、アールヌーヴォーの電灯をつけたとき。執事の藤田さんが、夕餉の支度が整っていることを告げにきた。

 阿門様は冴に云った。

「じっさまはたぶん明け方まで戻らない。俺と蓮は、今晩は飯抜きだ。悪いが、おまえさん一人で食ってもらうことになる」

 しかし冴もその場を立とうとしなかった。

「お二人が召し上がらないなら、私も頂きません」

 阿門様は何かを云いかけたが、唇を引き結び、眉を上げた冴の顔を見て、口を閉じた。説得できそうにないと思ったか。

「では我々も」

 そう口にした藤田さんには、こう言い聞かせた。

「夏の暑いなか働いてるんだ。おまえらこそ食わないといかん。俺たちのために用意していた料理も、今朝と昼の残りも。台所で全部片付けろ」

 この意見に、冴も藤田さんを見て、大きく頷く。

 二人を困った顔で見比べる藤田さんを追い立てるように、阿門様は云った。

「猫の飯だけ持ってこい。あとは、氷と麦茶をあの土瓶に。氷水と冷たい煎茶の土瓶も、また持ってきてくれ」


 藤田さんが去ると、冴は御堂がある暗い中庭堂を見た。心配そうに云った。

「鈴の音が続いています。ずっと舞っておられるのでしょうか」

 阿門様は云った。

「氷水とあいつが好きな冷えた煎茶を、土瓶に入れてなかに置いた。塩羊羹もな」

「羊羹」と呟いた冴を笑う。

「あとでカステラでも持ってこさせよう」

「いりません」と冴はまた眉を跳ね上げて、横を向いた。

「やれやれ。おまえさんは短気だな。ビスケットがまだ残っとるぞ。食え」


 私は私のなかの蓮様に尋ねた。

(あなたもあちらで、こんなふうにお籠りに?)

 彼は云った。

(明治が終わった日は、やはりあのなかで見送った)

(見送るって、何を?)

(時の流れのなかには、節目がある。明治は節目の時代だった。この日は時代の象徴であられた帝《みかど》の命とともに、古きものが数多く去った。その見送りをした)

(そのお見送りは、あなたがしなければならなかったことなの?)

(何かに祈りを捧げる役目を任された人間が、この時代にはまだ結構いた。そういう人間たちはみな、見送っていただろう。昔の節目の時代は、そういうものだった)

(こちらの蓮様も同じことをしてるのかしら?)

(そのようだな)


 こちらの冴が立ち上がり、阿門様の膝の上の猫を抱き上げる。黒姫様を抱きしめ、頬ずりをしてから、冴は阿門様に尋ねた。

「その額の御怪我。留学を渋ってらっしゃったおじい様が、急にお許しになったのは、その御怪我のせいですか」

「さあな」と、こちらの阿門様は笑った。

「自分のしたことだと、蓮様は仰いました」

「俺が自分で切ったのさ」

「父からは、そのように伺いました。お兄様が手を出してはならない玉依姫に手を出そうとして、姫様につけられた傷だと。そんな噂もございます」

「へぇ」

「十日も帰ってこなかった。女の家にいた。帰ってきたときそう答えたお兄様に、錯乱した。気づいたら切りかかっていた。蓮様自身は私に、そう仰いました」


 私は尋ねた。

(あちらの阿門にも、額に傷が?)

 私のなかの蓮様は笑った。

(やはり俺がつけた傷だ。俺たちはここでも、同じようなことをしてるらしいな)

 私は云った。

(求められても許さないのに、彼が他の人とするとそこまで怒り狂うなんて。あちらがお気の毒な気がしますけど)

(そうかな)

(あなたが許していた「一線」が、どの程度のことまでなのか。そこにもよるかしら)

(俺が拒みきれたのは、起きているときだけだぞ)

(何、それ?)

(夢のなかで、あいつは俺を女にした。女に変えられた俺は、あいつに逆らえなかった)

(だって。夢でしょう?)

(あいつもそう云った。あれは夢だと。だが俺にとっては、この世のことでなくとも、真実の契りだった)

(自分は仙人ではない。こちらの蓮様は冴にそう云いましたね)

(俺も冴にそう云った)

(それって、その、夢でしているから?)

(そのせいで体も変わった。誰にたいしても覚えたことがない欲が出てきた。この頃はもう仙人からは程遠い)

(こちらの蓮様も、そんな夢をみているのかしら)

(こちらでも、そんなふうには結ばれているようだな)

 夢のなかのことを真実に感じてしまう。そんなおかしな感覚をお持ちなら、夢では望みきれない行為を強いられて、起きているときはなぜ許さないと求められるのは、気の毒かもしれない。そう思ったが。

 このおかしな人にずいぶん惚れこんでいるように見える阿門様にも、同情を感じた。


 冴が腰を下ろし、子猫を膝の上におくと、子猫はまた冴の膝から下りてしまった。阿門様に向かって歩いていく姿に微笑んで、冴は語った。

「私にとって蓮様は、特別な素晴らしい方で。ただ一人、大好きな男の方で。ずっとお傍にいて、お仕えしたいと思っておりますが。蓮様の妻になど。そんなことを考えたことはございません。蓮様はお兄様のものだと、ずっとそう思っておりました。お二人の間柄というものは、世の普通の夫婦とか、男女の仲などとはなどとはまるで違う、なんだかすてきなもののように思えます」

「おかしな娘だな」と、 阿門様は笑った。

「そうでしょうか」と、冴はむくれた。

 阿門様は優しい顔で云った。

「だがおまえはなんだか、透明でいじらしい」

 冴は横を向いて呟いた。

「その子もお兄様の方が好きみたい」

 私の中の蓮様が、軽い溜息をついた。

 二人の歩み寄りを、彼は喜んでいたし、淋しくも思っているようだった。冴の心をいくらか掴んだ阿門様に、腹を立ててもいた。


 この日。

 私ははじめて、蓮様の名前が出てこない、阿門様と冴の会話を聞いた。

 蓮様がいる御堂を見守り、蓮様が鳴らす鈴を聞きながら、二人は話をした。

 阿門様は冴がなかなかの読書家であるとわかって、欧州の文学についても日本の文学についても、色々と語っていた。

 泉鏡花が好きだと冴から聞くと、鏡花の潔癖な変人ぶりを語り、冴を揶揄った(からかった)。

 揶揄われればむくれたが、冴は阿門様の話に、輝く瞳をさらに輝かせた。

 けれど夜が更けてくると、だんだん眠くなってきたようだった。私もまた眠くなってきた。

 欠伸をした冴に、阿門様は云った。

「コルセットをずっとしたままじゃ体にもよくない。部屋に戻って眠れ」

「戻りません。少しこのまま横にならせてください」

 冴は眠そうにそう言うと、畳のうえに崩れ落ちた。

 眠い私に、(おやすみ)と、私のなかの蓮様が云った。

 冴の顔を覗きこむ阿門様を、冴と私は、薄れゆく意識のなかで見上げた。

 阿門様は押し入れから夏掛けを出してきて、冴の上にかけた。

 私は冴とともに、薄れゆく意識のなかで、阿門様を見た。

「奥様。簡単に男を信用したらいかんぞ」

 小声でそんな注意をしていたが、何もする気はなさそうだった。

 私と溶け合う人が阿門様に手を伸ばしたそうな気配を感じながら、私は眠りに吸い込まれた。


(明治が終わったぞ)

 蓮様の声で、私は目覚めた。

 冴もまた目を覚ましたところだった。

 私と冴が目覚めたとき。部屋の中に、阿門様の姿はなかった。

 冴は立ち上がり、縁側に出て御堂を見た。中庭に出る履物がないことに苛立ちながら、廊下にでた。廊下を速足に歩いて、御堂に向かった。

 御堂の扉が開いていた。冴はなかを覗いた。

 高い場所にある窓と開いている扉から入る月明りのなか、阿門様がこちらの蓮様を横炊きにして、口に口をつけている姿が見えた。

 冴は真っ赤になって狼狽えた。

 阿門様は蓮様の口から口を離すと、土瓶に口をつけ、また蓮様の口に口をつけた。水を飲ませていたらしい。

 蓮様の喉が水分を飲み下すと、その目が開いた。か細い声が聞こえた。

 「今御隠れになられた」

 

 その時私は感じた。

 彼が私のなかから出ていく気配を。

 そして、銀白色に光る、こちらの蓮様より御年をめした、虹色に輝く蓮様を見た。

 阿門様と冴には、その蓮様が見えていないようだった。

 がしかし、阿門様の腕のなかにいたこちらの蓮様は、冴の体から出て、自分に近づいていくるものに、目を見開いていた。

 私のなかにいた幽体の蓮様は、こちらの蓮様のなかへと消えた。

 その途端、こちらの蓮様は、目を閉じて意識を失った。

本日はここまでにいたしましょう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。